お題「朝に思うこと」、日本はいつまで壊れ続ければいいのか?
こんにちは!
昨日も3万5千歩(約22km)歩いた、散歩好きの著者です。
自分のことを著者著者と呼んでいるのですが、ブログ名のららにしようかな、なんて今思いました、、、そのほうがいいですよね?
さて、今日のお題ですが、またアメブロからお借りしました。「朝に思うこと」。
今朝、日曜日の朝、散歩に行って、例の公園の入り口にある町工場の前に猫が佇んで雨宿りをしていました。下の記事の猫ですね。首輪をしていました。
寂れた廃墟のような町工場のシャッターも、わずかな屋根で雨を凌ぐ飢えた猫も、すべてが切なかったです。
そして思ったこと、(最近ずっと思っていることなんですが)・・
「日本はどこまで壊れ続ければ、生まれ変われるのだろう」
ということです。
(写真は散歩風景です、紅葉がほんの少しはじまってきました)
その店はかなり老舗の、昔ながらの古道具屋みたいな店で、地域に根付いた皆んなに馴染みのある、少なからず特別な店だったのです。
店主はこの「時代の流れですから」という言葉を好んでいるようで、誰が労いの言葉をかけても、「これも時代の流れですから」と説明していました。
閉店に衝撃を覚えたらしい人達がちらほらと店に入り、また入り口前に置かれた家電や古道具を見ていました。
店主に聞いた話によると、46年間続いた店だそうです。
私はこの店が閉店して、2階建ての建物が無人になった時のことを考えると、思わず胸が痛みました。町の小さな商店街の、その侘しくなった光景が思い浮かんでしまったからです。
しばらく経ってから、私は店に入り、記念にディーゼルのチェックのシャツを購入しました。ちょうど店主がいて、レジの前でほんの少し立ち話をしました。
「ありがとうございます。あ、これいいブランドなんでしょう(お目が高い)」
「ここ46年続いたんですよね・・」
「そうなんです。まぁ、頑張ったほうだと思うんですけれどね・・」
「ここがなくなると寂しくなります」
「皆さんそう言ってくれるけど・・ まぁ、時代の流れですからね(仕方がない)」
(写真上、廃墟のような町工場のシャッターと置き去りにされた日曜日の朝の猫)
好んでいるわけではなくて、本当に時代のせいなのかもしれませんけれど。
最近、本当によく目にしますよね。お爺さんお婆さんのいなくなった家が突然バックホウで壊されていたり、町の顔だった商店がついにもういけなくなって閉店してしまったり、古い小さな町工場が廃墟のようになってしまったり。
日本の崩壊が始まってきている。しかも著しく始まってきている、という印象が拭えません。
そんな無情な光景を見続けていると、しかも朝からね。
そうすると思うわけですよ。
いつまで壊れていくんだろう。
このままどこまで壊れ続ければ、新しく生まれ変われるんだろう。
辛いですよね。日本の崩壊を目にしていくのは。
私は神奈川県ですけれど、地方はもっと酷いのではないか、と思います。
見ているだけで、何もできませんからね。応援して、お金を落とすくらいしかできない。
それだって、個人の懐からですから微々たるものですしね。
日本に関して言えば、もうとうの昔に崩壊していると思うんですよね。でも何とか上辺は保っていた。しかし、ここにきて、もう上辺も維持出来なくなるほどに、崩壊が進んでしまった。
そんな感じがしています。だから著しく壊れているように感じるんだと思います。