宗教都市?錬金術? 宇宙人と交信した空海のミステリーな高野山を歩く
今から1200年の昔、弘法大師空海は自らの宗教哲学の集大成として紀伊の山奥に高野山という宗教都市を作り始めた。
なぜ、高野山だったのか、88箇所もの霊場を創設した四国ではなく、伊勢神宮や京都御所からも遠く離れた、紀伊の山々に修行場を作り始めたのか、その場所の選定には未だ謎(※)が多く残されている。
※実は入念に計画され尽くされていた(下の図を参照)、偶然ではないという説もある。
緻密に計算された高野山の位置 クリックすると引用元サイトへ |
高野山は標高約1000m、東西約6Km、南北約3Kmの盆地に作られた 日本仏教の一大聖地 |
空海には数々の伝説がある。入唐2年でサンスクリットを覚え、真言密教を完璧に習得した。高度な土木・建築技術さえ学んで来た。帰国後は、鉱脈と水脈を見つけながら歩き、旅の資金にした。錬金術に優れていた。秘宝(三種の神器)を隠していた、等々。伝説もさる事ながら、志を持って広めたのが、真言密教(=秘密の教え)という時点でもう、怪奇、面妖と感じるが、それでも、私が一番興味深く思うのは、空海の秘密の教えが、悟りを開くということは宇宙と一つになることである、と説いている点なのである。世の中の言葉や事象には、私たちが通常行う言語活動では決して理解できない秘密の意味が隠されている。その真理を知ることができるのが真言密教である。密教を解徳するためには入我我入の境地に入り、法界(宇宙)の真理そのもの(法身物)となればいい・・
入我我入というのは、仏が我に入り、我が仏に入る、ということである。空海は言葉に隠された意味を知る修行として、入我我入という行者と仏の区別が消えて、両者が一体となる瞑想を行うことを勧めていた。密教における仏や菩薩は、宇宙(法界)の真理そのものをいうので、密教は宇宙の意思とひとつになる修行というところだろうか。それを極めたものだけが生きながら仏となるというのである。
顕教と呼ばれる大乗仏教の悟りや覚醒、仏の概念とは幾分変わっているように思う。一切衆生悉有仏性だの、煩悩を滅して諸行無常だの、涅槃だの、たどり着くところは同じなのかもしれないが、随分それよりも踏み込んだ教えであるように思う。
おそらく空海は、真言(真実の「ことば」)の意味を宇宙の意思と合致することで理解していたのではないか。それならば、納得してしまう。秘密の言語云々(もしくは日猶同祖論云々)というよりは、日本語だのヘブライ語だの、人間ごときが語る所詮は言葉(言語活動)で、事象全てを理解し尽くせるはずがない。空海の数々の伝説とミステリーも、入我我入の時空の中で、仏から授かった知恵なのかもしれない。高野山を、紀伊の山々を蓮の台座と見立ててそこに開いたのも。そもそも、唐から投げた三鈷の法具がそこに届いて、引っかかった松を夜な夜な光らせていたことも。金や銀などの採掘冶金や水資源の、そこが宝庫であったことも。
要するに、天才的な言語学者とか偉大な宗教家とか言う以前に、単純に、宇宙人とコンタクトできちゃった人なんじゃないかなぁ、というのが私の勝手な想像である。弘法大師空海とは、宇宙と一つになって悟りを開いた人=法身物=宇宙人、ではないか。
(これって空海を知っている人には当たり前の話だろうか?)
えっ?! と思われた方のために、この想像は空海が記した即身成仏義(生きながら宇宙人になっちゃうよ、という教え)をじっくり読んだ後に続報をお届けしたいと思う。(いまアマゾンで購入中です)
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さて、そんな謎多き弘法大師空海の開いた高野山へ向かいます。前回の橿原神宮編に引き続き、こちらも写真を見ながらさっくり振り返りますので、軽い気持ちでお付き合いいただけると幸いです。
日根野を出発 和歌山の高野山を目指します |
南海高野線 ホームの隣の電車に万葉集っぽい電車が 山上憶良の歌が書いてありました |
特急こうや 満員御礼で特急券が買えませんでした |
さんざん迷ってやっと橋本に到着 ここからこうや花鉄道で極楽橋へ やっと高野山に着くことがリアルに感じられた瞬間 少しずつ標高が上がって行きます |
こちらがこうや花鉄道 |
高野山行きを見て思わず感涙 何度電車を間違えたり、乗り過ごしたりしたことか これは自分にとって「聖地(解脱)は遠い」という暗示かと思ったほど |
もう一直線の各駅停車なので間違うこともなし |
終点の極楽寺からケーブルカーに乗り換えです ケーブルカーは電車の時間に合わせて発車しています |
標高867mの高野山駅まで一直線 |
着きましたよ~! |
傾斜が急のケーブル 満員御礼でした |
1200年前は山を登ったんだろうに・・今は随分楽になって |
こちらがレトロな高野山駅の構内 |
高野山ガイドマップ 弘法大師御廟のある奥の院を目指します |
高野山駅 ここから奥の院前行きのバスを待ちます |
女人堂が見えてきた |
1872年に女人禁制が解かれるまで、高野山には女性は入れず、 門の前の女性のために作られた参籠所(女人堂)で祈りながら待っていた |
奥の院前に到着です |
約2Kmの参道両側には老杉が聳えている |
いろいろ面白い企業のお墓がある こちらのロケットは新明和工業さん |
こちらは福助さん |
親鸞聖人の墓所 |
落書塚と花菱アチャコ句碑 |
・奥の院墓地B級編
※いろいろ楽しい墓があったがきりがないので撮らなかった。興味がある方はこちらを是非ご覧ください。
老杉が立派でため息 |
奥の院の大杉林(和歌山県天然記念物)の説明 |
なんか中央から繋がっている |
こちらも 3本で1本? |
墓場というより遺跡 現代の企業から始まって戦国大名まで 弘法大師空海のそばに供養 されたいと願う数十万基を超える各時代の、あらゆる人の供養塔が立ち並び 高野山が日本一の霊場であることを表している |
苔むす石塔が印象的だった |
・高野山の魅力 「人間の世界ではない空間」
※高野山奥の院は人間界(この世)と異世界(あの世)と交わる場所だそうです。石塔に込められた庶民の祈りのお話も素敵でした。
こちらは豊臣秀吉墓所 |
杉が見事 |
葉の色も黄緑で綺麗 関東の山で見かける種類とはまるで違うよう |
大師御廟が見えてきました 御廟橋から先は撮影禁止です |
大師御廟 正面に見えている建物の奥の中央は大きく窓が空いていて、 窓に向かってお坊さんがお教を上げている 裏側に回ると、ちょうど窓から見えるところに小さな祠のような御廟があり、 大師を守るように周りは千年杉に囲まれ山(転軸、楊柳、摩尼の三山)が広がっていた |
こちらは玉川 |
水向け地蔵 玉川の清流を背にして金仏の地蔵菩薩や不動明王、 観音菩薩が並んでいる |
人気の汗かき地蔵前 並んでます 汗かき地蔵は世の中の人の苦しみをお地蔵さんが身代わりに 引き受けているのでいつも汗をかいていると言われている |
参道入口に当たる一の橋 右下にいるのが私 |
総本山金剛峯寺 |
次は壇上伽藍へ |
奥の院と壇上伽藍は高野山の二大聖地 |
こちらは大塔(根本大塔) 弘法大師空海が真言密教の根元道場のシンボルとして建立した 多宝塔としては日本最初のもの 中は中央に本尊の胎蔵大日如来、周りを金剛界の四仏が取り囲み、16本の柱に十六大菩薩、四隅の壁には八祖像が描かれ、立体曼荼羅を構成している |
宇宙的な空間だった大塔(中央)と高野山の本堂のような存在の金堂(左) 大塔と金堂の間にみえいている木が三鈷の松 |
大塔をバックに記念撮影 |
高野山を取り囲む山々を見ながら難波へ向かう |
高野山、さようなら 紀伊の山、さようなら また会う日まで |
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最後に、空海の遺言を一つ紹介する。
「このように秘密にするわけは、身体・言葉・意の秘密の三つのはたらきを説く教え三密教のかなめであるところの本性を護るためなので ある。ただし、大唐の大師阿闍梨耶が授けられ托された仏舎利を収める能作性の如意宝珠は、うやうやしくいただいてわが大日本国に渡り、すでに名山の勝地 に大事に埋め籠めてある。その勝地とはいわゆる精進ヶ峯で堅慧法師が修行した窟の東の嶺である。決して後人に宝珠を埋蔵したその場所を知らせてはならない。
そうすれば、密教(※)は末長く栄え、真言宗の末徒はますます増えるであろう。」
※密教の仏は法(宇宙)そのものである。
新大阪で帰りの電車まで時間があったので恒例の地元銭湯へ向かう こちらは銭湯そばに鎮座する神社、中島惣社 |
写真は暗くわかりづらいが、夜の道に突然どーんと現れた鳥居が迫力だった |
伊丹空港から?すぐ真上を飛行機が飛んでいく |
こちらが新大阪駅から徒歩約15分の銀水湯さん いい湯でした |
銀水湯さん、これも空海と何か関係があるんですかね ちなみに、高野山の鎮守の神は丹生明神という水銀の神 |
また次回!! |
✩出典✩
密教と真言宗
高野山観光名所のご紹介
弘法大師空海25箇条御遺告
即身成仏義 空海著 |