ソロ登山に向いている人と向いていない人。〜久しぶりに檜洞丸を訪れる〜

 

 山北町の檜洞丸を訪れてきた。

 檜洞丸はいわくのある山で、10年以上前の私が何度か訪れて、さまざまな啓示を受けている。


 花も富士もない旅路の ~初夏の檜洞丸を訪れる~

 桜と谷底の鹿の幻想 ~初夏の檜洞丸を訪れるその2〜


 今回も何か感じることや思うことがあるかと思ったが、歳を取ったのか、若い頃(今よりはという意味)よりは複雑な思いを抱くこともなく、ただ楽しく登山を堪能させていただいた。

 富士はよく見えた。展望遊園や登山の途中道で、空は雲に覆われて全く景色が見えなかったので、富士は諦めていたのだが、山頂で雲が途切れてふと顔を出したのだった。




 いやあ、よく見えるなぁ。富士を目にしたときは少々驚いた。今日は見えないと思い込んでいたので、思いがけずご褒美をいただいた気分だった。
 
 富士の反対側、東側には蛭ヶ岳が見えた。どちらかというと今の私に心身的に近しいのは、檜洞丸よりも蛭ヶ岳の方なのだった。何度も登り、その山頂で初めて山小屋に泊まった経験も持つ。なので、蛭ヶ岳に行くことを思わず恋焦がれるように思ってしまった。

 


 久しぶりに檜洞丸にいるのに申し訳ない。ただし、今の私には前向きな目標があるのだった。今まで蛭ヶ岳に行くには丹沢山から向かっていた。檜洞丸から向かうという上級者コースがあるので、もう少し登山の感覚を思い出すことができてからチャレンジしたいと思っている。だから、今日は下見的な、学習の一歩的な、貴重な檜洞丸登山なのだった。

 現在の地点の蛭ヶ岳と、過去に思い入れのあった檜洞丸、点と点が線で結ばれる文字通りの登山コースで面白い。だから檜洞丸にもこれからまた何度も来るようになるかもしれない。若いときは登ること、感じることに必死だったが、今日はコース(地図)をよく読んで、タイムテーブルもしっかり頭に入れていた。少し以前とは違うことが頭を占めるようになっていた。




 檜洞丸というと、思い出すのは見事なブナの木々だった。今回もたくさんのブナ林を見ることができた。悲しいかな、写真に関してはかなり腕が落ちているようで、輝くようなブナがうまく撮れなかったのだが、美しい苔と神々しいほどの木肌は健在だった。フカフカの登山道にはたくさんのブナの落ち葉が敷かれていた。




 アセビも美しかった。初夏にはツツジやシロヤシオで彩られる登山道にびっしりと咲いているのだった。

 そうして、圧巻だったのはミツマタ。山の斜面に群生していて、灯りのように山道を照らしているのだった。ミツマタがこんなに綺麗だとは知らなかった。
 (前述の通り、うまく撮れていないので申し訳ないが・・)



 先ほど、登山途中で特に思うことはなかったようなことを書いたが、正確にいうと、単独(ソロ)登山とするか、誰かと登るか、というテーマを考えたといえば考えたのだった。

 というのも、ここ最近の登山で、私は誰かと出会うことが多く、必ずソロで行っても誰かと登ったり降りたりしているのだった。

 今回も休憩中に声をかけてくれたソロ登山の女性がいらして、この方と一緒に登ろうかと一瞬悩んだのだが、何となくそいういうことにはならず、一人で登り始めてしまった。私が決めて選んだといえばそういうことかも知れなかった。




 一緒に登っていれば楽しい行程があったのだろうが、途中何度か思ったが、しかし、再度その女性に出会ったのは、私が山頂について、休憩を終えて、降り始めてしばらく経った頃で、タイムテーブル的には決定的な差があった。
 
 これから先の、檜洞丸から蛭ヶ岳に向かう上級コースの目標のことを思えば、それは少なからず影響のある差であると思われた。




 人生は短い。もちろん楽しむことも大切だが、目標を達成すること、少しでも成長して輪廻するという大前提を思い起こせば、ソロ登山という人生もそう悪いことではないのか知れない、なんてふと思うのだった。

 山のルールを知り、マナーを守り、事故を起こさぬように、誰かに迷惑をかけないように、登山を終えること、それらの規律を守っているならば、ソロでもいいのかも知れない。

 ソロ登山の好きな方が、本の中でこう書いていたのが頭から離れないのだった。これは少なからず衝撃だった言葉なのだが。

 「ソロ登山に向いていない方は、山に向いていない」




 この言葉の真偽については、これからじっくり考えて生きて行きたいと思う。
 山が人生だとしたらとんでもない意味を持つような気がするからだ。


 さて、そして最後に、新東名高速道路 河内川橋工事を見た! 驚いた。山の中に突然大掛かりなイリュージョンが現れたのかと思った。




 山北町はどこもかしこも桜で飾られていて、里山の桜のその美しさを見せつけていたのだが、残念ながら桜は一本も撮れず、バスから山北の町を流れるように消えていく桜は目に焼き付けるのがやっとなのだった。そして、その代わりに無事撮れたのが、この異常な橋というわけだった。
 いやあ。とんでもないものを作ったものだなぁ。



 文明の進歩と無謀さに驚きながら、里山の景色を堪能した檜洞丸登山の1日だった。

 山北町、ありがとうございました。

 また遊びにきます。



 今日も最後まで読んでいただきどうもありがとうございます。

 素敵な時間を過ごせますよう。

 願いを込めて。