桜と谷底の鹿の幻想  ~初夏の檜洞丸を訪れるその2~


  







  去年に引き続き、初夏の檜洞丸を訪れる。

 (去年の記事
 『 花も富士もない旅路の ~初夏の檜洞丸を訪れる~』)


  西丹沢自然教室行きのバスは臨時便が出た。
  予定よりも早く着いたので、私は握り飯を食べたり、煙草を吸ったりしながら、教室前の駐車スペースでバスが着くたびに登山者を誘導しているスタッフの男の言葉に耳を傾けていた。

  「ツツジの開花は例年より1週間遅れてるからね。(標高)1200~1300あたりかな。そこを見逃したらもう見れないよ!山頂は咲いてないからね」

  「悩んでるなら、畦!(畦が丸の意) 檜洞丸はツツジもシロヤシオもあまり咲いてないからね。畦がいいよ。おススメ!」

  やたらと元気で、愛想がいい。不思議なことに、私は男の言葉によって、自分がまた失敗したことを知らされて、なのに、去年あんなに一喜一憂したツツジの開花の情報に何の心も動かされない自分を発見している。
  そうか、そりゃそうだ。去年と同じ時期なんだから花の時季は1週間早いわけだ。当然咲いていない。しかも、今年はさらに1週間遅れている。またツツジのトンネルは見れないわけだ。
   なぜ、失敗から学ばないかねぇ、と他人事のように思い、いや、今日はただの体力作りに来ただけだったと本来の目的を思い起こす。
  今日は、地図も、コンパスも、持ってこなかった。山を登る時は、地図読みの勉強を必ずしていたというのに、今日は散歩の延長。何も考えずに体を動かすためだけに来たのであった。

  「畦がいいよ!畦!」

  畦が丸を野菜のたたき売りのように勧めている。スタッフの声を聞きながらゆっくりと一服をし、もう一度トイレに行く。靴ひもを直す。先日購入したオレンジのお気に入りのゲーターをよほど着けたく思ったが、見回すと誰もゲーターなどしていない。素足に短い靴下、くるぶしを見せているものさえいる。夏の様相である。
  諦めて、そろそろ立とうとした瞬間、男が意外なことを口走った。

  前のやり取りはわからないが、おそらく水場のことを聞かれたのだろう。
  「西丹沢では、鹿は死ぬときは、谷底で死ぬからね。私は、絶対、生水は飲みません」


  今までと明らかに口調が違う。特に最後の生水は飲まないというくだりはこわばっていた。その後の沈黙から言ってはいけないことを漏らした、という緊張感さえうかがえた。
  私は平然を装って、ああ、とか、うう、とか曖昧な返事をする山男とスタッフを見送っていた。が、心の中では、ずいぶんと驚かされていた。
  ツツジの無関心とは対照的であった。
  前回の檜洞丸登頂の際に、私は蠅をたくさん見かけたのだ。動物が死んでいるのか、鹿か、まさかと。その想像から、ブナや樹木たちが枝を食指のように伸ばして、鹿を谷底へ落とすという闇の幻想を見ていたのであった。


  一瞬畦が丸へ行こうかと躊躇したが、すぐに檜洞丸だ、と思い直す。
  たとえツツジが満開であろうとも、畦が丸は何もない山だ。私にとって。意味のある啓示は何も起こらないだろうと確信している。

  ただし、彼の言葉で決めたことが一つ。行きのバスの中、山のガイド本で見た、「檜洞丸から犬越路方面に下ると富士が良く見える・・」というアドバイス・・ ならば、 帰りは犬越路から帰ってこようではないか。登山者カードには、檜洞丸(ツツジ新道)の往復コースと記載してしまったが、 山頂で花が見れないならば、せめて富士を堪能したい。

  「畦?行ってらっしゃい。橋を渡ると(登山道は)すぐだよ」

  明るく畦が丸行きの登山者を送り出す男の横を、くたびれた形相で通り過ぎていく。
  まるで、それでも檜洞丸に行くのか、と忌々しがられているように思えてしまう。足を引きずるように、背を丸めるように、私は檜洞丸へと進んでいくのであった。




  1年前、檜洞丸を登ったころから私の生活は一変した。実家に戻り、職場も変わった。
  成長し続けているという自覚が崩れたのは、それからであった。頑張っても、進まず、気力は落ち続けて、ついには、自ら決めた道も見失った。しかもそのサイクルが何度もあった。持ち直して、また道を見つけて、また落ちて迷って。次第に疲れてしまった。何もかも放棄したい思いがしていた。
  どこから狂ったのか、1年前までは順調だったはずだ、私は登山道を一人登りながら、去年檜洞丸を登った日から、今の瞬間の時までの記憶を手繰っている。 










  1年前は地図を読んでいなかった。今日は地図とコンパスがないせいか、出発のバスの中から心もとなく感じられていた。私にとって欠かせないものとなっていた。1年前よりもその時点では成長していたはずである。しかし、今日は地図もコンパスも持っていない、体力作りの登山を行うのがやっとの、肉体と精神の状態である。どこで、迷ったか。どこで、見失ったか。


  記憶を手繰る私をなぐさめるように現れたブナは、見事な新緑を身に纏っている。去年見た、「今年初めて見たブナの新緑」と(去年のブログに)書いたカツラやサンゴジュのようなブナよりも、ほんの手前に、ひっそりと立っていた。
  去年は気が付かなかった。あながち、成長していないわけでもない。今は、このブナに、気が付く私がいるではないか。私はブナの一件から、いい方向へ考えようと努めるのだが、やはり気力の減退と、向上心の衰えは、事実であり、それがいい方向であると自らを騙すことは難しかった。迷った地点に戻ろうと、必死に記憶を弄っている。

  もう一つ、登りながらずっと思っていたのは、男が誤って洩らした言葉、鹿の死に場所の話だ。

 

  あれは、うっかり洩らしたのだと、私は今では確信していた。通りすがりの登山者との軽口にしては、空気が違い過ぎたようだ。それに鹿というのが、谷底で死ぬ生態で、当たり前の会話であるならば、なぜ「西丹沢では」と前置きをしたのか。
  で、私の興味は、谷底で死ぬ鹿がどうやって谷底へ行くのか、の一点にかかっていた。鹿が自ら、死ぬために、谷底へ向かうのか、それとも山の中腹や奥地で死んだ鹿が、谷を伝って谷底へ集まって(流されて)くるというのか。


 
  男の言い方は曖昧だった。「鹿は死んだら、谷底で死ぬからね・・・」
  もしも、鹿が自ら谷底に行って死ぬならば、山の谷(水場)の水は、谷底以外は大丈夫ではないのか。「私は絶対、生水は口にしません・・」


  迷い道を見つけられず、鹿の谷底へ落ちることが、やはり幻想通りではないかと思われてくる中で、私はトウゴクミツバツツジの紅の色を目にするのだった。
  「ほらほら、綺麗よ、ツツジよー」
  団体の婦人たちの声が聞こえてくる。見上げると、鬱蒼とした山道に点々とツツジ、姿の見えない婦人たちの鮮やかな声と合致しているようだ。 







  そろそろ標高は1200を越したということか。必死に写真を撮る。ここを超えたらあとはシロヤシオしか見れないだろう。花の色はこれで最後だ。

  思えば、1年前の絶好調の時とは180度の転換だった。今は、やることなすこと上手くいかない。あの時は、調子に乗るなよと、戒められたのだと思えるほど、すべてはいい方向へ向かっていたはずであった。たとえ問題があったとしても、すべては、「乗り越えられるべきもの」であるはずであった。

  どこから狂ったのか。堂々巡りが終わらない。












  トウゴクミツバツツジの紅が終わり、シロヤシオが見え始めたころ、私は木々の切れ間から、富士の、見事な展望を目にするのであった。
  途中の展望園地からも富士は見えた。が、ガイドブックやいつか塔ノ岳の山荘で見た、見事な写真の構図とは決して同じものではなかった。
  ブナの木々とツツジとシロヤシオと、丹沢の山塊の、遙か向こうに浮かび上がるような高い富士。
  あの構図がどこから写されたものか、私はずいぶん探していたものであった。
  今や、花がないだけで、山塊の向こうの富士が見渡せる。この蕾が惜しいが、犬越路を下りながら探そうと思っていた私にとって、この発見は嬉しかった。写真を撮る。
  何もかもうまくいっている時、檜洞丸は花も富士も見せてはくれなかった。
  何もかもうまくいっていない今、檜洞丸は、見事な藤を見せてくれる。ああ、あとは花なのだが。それは去年を教訓にしない、ツツジをまったく計画に含めなかった私が悪いのである。

  だから、富士だけで十分だ。見事な景観を目の当たりにして、そして、ブナの、若葉を生やした立派なブナの一本を写真に納めて、堂々巡りの迷い道を忘れかけ、それが哀しみという一点の染みとなって心に宿っていったその時に、私はふと思いがけないものを見たのだった。


  豆桜だった。










  登山道にも桜の花弁はたくさん落ちていた。その度に、登山者が声を上げた。
  「あら、ヤマザクラの花が咲いているのかしら。花弁がいっぱい落ちてるね!」


  「もう終わったんだろうよ」

  同行者が答えたものだ。私は何度も首を反らせて、山の森を見上げたものだが、やはり終ったらしく花の木は見つけることはできなかった。
  ところが、山頂まであと0.5Kmというところに来て、桜は正体を晒したのだった。

  しかも、山頂までずっと、花の色のない山道を彩り続けていた。










  さすがにこれには意外だった。まさか、5月の末に桜が見れるとは思ってもいなかった。ガイドブックの予備知識にも、昨年にだって、そんなことは起こらなかった。
  桜は私の一番好きな花である。そして、今年は私の町の桜の木が伐り倒されたりと、何かと桜に関して心思うこと、哀しみ深いことが多かった。
  先日の青森旅行で、弘前の桜を見たときは、桜から再生のイメージを見せつけられて、涙したほどであった。
  そうして、やっと終わりを告げた桜の時季であったのに。

  なんと、初夏の檜洞丸は、桜でいっぱいではないか。

  山頂までのプロムナード、バイケイソウの下草にブナの原生林の間の木橋の道にも桜は咲いていた。豆桜が発光するように輝いて、色を添える。

  一瞬のデジャブのように、いつか鍋割山で黄金のブナ林を目にしたときのことが思い出された。

  ぐしゃりと顔がゆがんだ。景色が刹那に歪んだ。不覚にも感動しているのであった。

  山は時々粋なはからいをしてくれる。
  まるで、時々、別世界の憂さも、迷いも晴らしてくれるような、山の景色を拝ませてくれる。

  何もかもうまくいっている時、花も富士もない旅路であった。
  何もかもうまくいかない今、空には富士が浮かび上がり、そして、道を花が添える。

  相変わらず、どこから迷ったか、やり直す地点は見えず、答えが得られることはない。
  それでもとりあえず、歩き続けることは出来そうだった。
  少なくとも、しゃがみ込んで、二度と動けなくなり、そうして、谷底へと向かう、もしくは谷底へと突き落とされる、あの鹿たちのように、それが幻想ではなく、現実となるのは少し先のように思われた。


  時々、山は、私が求めるものを与えず、時々、山は、私が求めるものを与えてくれる。

  私を戒め、私を励まして、そして、僅かな希望を与えてくれる。

  山頂の豆桜の木の下で休憩を取り、富士を眺めて目を細めた。
  犬越路まで3.6Km、傾斜がきつくて危険です、この道を行くのは余裕のある時にしましょう、という警告の立札を一瞥して進んでいく。また道を行くだけであった。

 
 


  

 

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