ジジババは息子と娘に家を譲るな。


 こんばんは、今日も3万2千歩(約20km)散歩した、著者です。

 最近、散歩中毒なんですかねぇ、やたらと歩きたくなってしまうんですよね。登山やウォーキングの日ならまだしも、普通の休日に20kmも歩かなくてもいいと思うんですけどねぇ。

 そうして、散歩していると、この間も言ったと思いますが、つい、いろんなことを考えるんですよね。

 今日は、自分が樹木の生まれ変わりなんじゃないか、なんていうことを考えました。


 (写真は散歩風景です。今コスモスが綺麗ですね)




 日本の高齢化と死亡率の上昇に合わせて、日本の住宅街の各地で変化が起きていると思います。見慣れた家がある日突然、空き家になり、放置され、そしてしばらくすると、取り壊される、という事態が起こっています。
 ないですか? 著者の地方ではそんな光景ばっかりですよ。見慣れたナントカさんの家が、ある日突然、バックホウで取り壊される驚きの光景ばかり見ています。

 ただの家ならいいんですけれどね、大抵はおじいちゃんおばあちゃんが住んでいた昔ながらの木造住宅だったりするので、庭にも昔ながらの果実の木やら鳥が集まる大きな落葉樹やらが生えたりするんですよね。
 家がちょっとした公園のようになっているわけですよ。それがある日突然消えてしまう。もう鳥もびっくりですよね。

 ワタクシ、そんな光景ばかり見てきて、悲しい思いばかりをしていたんですが、ご近所の見知らぬおじいちゃんおばあちゃんがいなくなることよりも、彼らが丁重に扱い、大切に手入れをしていたお庭が消えてなくなることに心を痛めていましてね。

 大抵は、木造の風情ある家は消えせて、プレハブみたいな新築の住宅ができるか、まっさらな土地になり、駐車場になっちゃうんですがね。
 お庭の大きな木も無くなっちゃうんですよねぇ。


 下のブログを書いた頃からでしょうか。自分がやけに木が無くなることに傷つくことに気付きまして。(ご近所の家の大きな木がなくなったというだけのブログ記事です)

 最期の花見。 ~シンボルツリーと3度目の大山桜撮影記~ 

 

 木がなくなるだけで、世界が終わるかのような衝撃を受けているんですよねぇ。





 その頃から、あれ? ちょっと感覚が普通と違うような気がするな、とは思ったんですけれどね、もう最近になると、あからさまに、樹木が消え失せることに大きな心の痛みを感じることに気がついた、というか、そういう傾向であることを理解いたしまして。

 これは、もしかして、前世は木かな、と思った次第です。
 名前も、木の名前が入っているんですよねぇ。
 偶然じゃないかもしれませんよね?

 まぁ、前世がミミズとか、人間以外の方も多いと思いますので、樹木が前世というのも、そう突飛な話ではないと思うんですよね。あり得ることではないか、と。


 散歩なんかもね、もう木のあるところが大好きでしてね。ご近所の森によくいくわいくわ。

 余談ですが、最近やっと色づいて来ましたね。今年は紅葉が遅いです。




 これも前世は樹木という証拠かもしれないですよね。山とか好きですもんね。自然のあふれる田舎も好きですもんね。
 もしかしたら、全部前世が樹木だったせいかもしれないですよね、考えてみると。

 ご近所の公園は自然公園で樹木がいっぱいで、そんな木のあるところに猫なんかが住んでいると、もう大好物ですよ。





 (首輪のついた猫がいっぱい住んでいるという話を前回しましたが・・)



 
 うん、前世は樹木と言いましたが、猫という線も捨て難いですね、笑

 樹木と猫又の合いの子かもしれないですね。そんな生物がありましたならばですがね。



 前世が木だったらどうだってことではないんですが、そんな可能性もあることに最近やっと、気がついてしまって、そうして、取り壊される家の大きな木たちですけれどね、現代では、山の中や自然公園でもない限り、街中の木が寿命を全うするまで生えていること事態が珍しいことなわけで、大抵は何年かで切り倒されてしまったりするでしょう。

 だから、そういう中で、その木の元気に生えている景色が、私の人生とリンクして、一緒に日常を過ごせる時があったというだけで、それはある意味奇跡的なわけで、永遠と続くことではない、ということを理解してですね。ほら、6年間一緒に過ごして死んでいった愛猫のミーちゃんと同じように、共に過ごせる時間にはタイムリミットが初めからあるのかもしれないということですよね。それをもっと意識していれば。


 ある日突然、バックホウで薙ぎ倒されて、切り刻まれてもね、悲しくないというか。



 いやぁ、悲しいですけれどね、やっぱり。

 ある日、突然見慣れた景色が消え失せてしまうというのは、やはり辛いですよね。


 それでも、初めから「短い時しか用意されていなかった」と、理解しておくのは大切かもしれませんよね。悲しみを和らげる意味でもね。

 

 それにしても、近所のおじいちゃん、おばあちゃん、長生きしてほしいですね。若者が家を継ぐと、、木は切るわ、文化財になりそうなくらいの立派な家はプレハブ住宅になるわ、ろくなことがないですからね。

 うちの近所に、山なりの豊かな芝が生えたそれは美しい駐車場があったんですけれど、今は更地になって、除草剤が撒かれて、黒い砂利の、それはそれはなんの変哲もない見窄らしい駐車場になってしまいましたよ。若いもんはろくなことしないですよね。


 高齢化って、ひどいことのように言われてますけれど、おじいちゃんおばあちゃんの元気な日本は結構いいと思いますよ。彼らが全員死んで世代交代が起きた時、どんな新しい日本ができるのか、ちょっぴり心配な昨今の私です。


 では、今日も最後まで読んでいただきどうもありがとうございました。


 素敵な時間を過ごせますよう。

 願いを込めて。





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