最期の花見。 ~シンボルツリーと3度目の大山桜撮影記~


  







うちの近所に、双子の桜とクスノキが1本、3本のシンボルツリーがあった。
勝手にそう思っていただけだ。町の人たちは見向きもしない。かつての代議士宅だという、幽霊屋敷のようなお屋敷の敷地に立っていた。この敷地も庭園というより森である。5000坪はあると思われる広大な土地に、樹木が鬱蒼と茂り、その一角だけが景色も、空気も、異質であった。傍を通るのが(夜は特に)恐ろしく感じられた。
この不気味なお屋敷と、3本のシンボルツリーは、しかし私の記憶の中で結びついていない。
彼らは庭の裏手の端にあり、ごく普通の住宅街の駐車場に、半分身を乗り出すような恰好で佇んでいた。
「駐車場の木」。私の中で、いつしか彼らはそう認識されていた。
駐車場の3本の木は、背が高かった。といっても、20m程だと思うが、それでも田舎の住宅街の話である。町内を歩くと、彼らの姿は、まるで東京のどこからでも見えるスカイツリーのように天辺が見えたものだ。私はそのクスノキの鬱蒼と茂る葉を、桜の花々を、道の端から見つけながら歩くのが大好きだった。
思い出も随分ある。特に心に残るのは去年の春だ。歳を取り、派遣やアルバイトの職を転々としていた私が、一念発起して求職活動を始めた。定年まで働くことを念頭に置いて、正社員としての終の棲家を求めたのである。
失業覚悟ではあったが、その期間が想像していたよりも長引いた。春までには決めたい、サクラサク、という言葉もあるように、私は桜が散る前までにどうにか就職したいと望んでいた。
ところが、職歴も経歴も自慢できたものではない私を早々受け入れてくれる企業はなかったのだ。私は職業安定所に通い続け、面接を受け続け、そして、落ち続け、その年は桜は例年より開花が長く、なかなか散らないことで話題にもなったが、それにしてもさすがに例年よりのんびり者の桜もついに散り始めたものだ。
各地で桜の花びらが舞い落ちていく。花吹雪と共に、心を消沈させていた私を、勇気付けてくれたのが、我が町のシンボルツリーの桜である。
双子の桜は日当たりの関係で、開花に時差がある。手前の一本が散り始める頃に、隣りの桜(反対の隣はクスノキ)が満開に咲くのであった。で、その中央の桜が随分と頑張ってくれたのだった。下の枝は散り果てても、天辺には花手毬のような可憐な花の群れを残している。
4月の末に合格を知った後も、桜はまだ咲いていた。
おめでとう、おめでとう、まるでそう言ってくれているように、桜花は風に揺れたものだ。
どんなに私が嬉しかったことか。この喜びを分かち合ってくれたように思ったことか。


元代議士の屋敷の異変に気が付いたのは、随分と「それ」が進んでからのことだった。
きっと、彼は死んだのだ。跡取りは相続税を払えずに、土地を売り払ったのだ、とっさにそう認識をした。
屋敷の森の木々たちが、次々と伐り倒されていたのである。
大きな門からは表札が消えていた。敷地内にはパワーショベルがあった。木々たちはバラバラに解体されて、積み上がっていた。
夜のマラソンを怠っていたせいだ。ジムで走っていたので気が付かなかった。私は駅から自宅までの道しか目に入っていなかった。
駅から家まで、駅から会社までを繰り返す平和な日々。今のこの順調な生活があるのは、あの時シンボルツリーの桜が励まして、一緒に喜んでくれたからだというのに、私は彼らのことすら忘れていた。この小さな町のことよりも、外に目が向けられたいたのであった。
代議士の庭の敷地の大半の木はすでに伐り倒されて、広大な敷地を露わにしていた。きっと手を焼いたのか、憚られたのか、後は大木ばかりが残されていた。
他人事のように呟いた私、「酷いことをするねぇー」。とっさに、双子の桜とクスノキがこの家のものだということに気が付いた。
心臓が止まる思いだった。裏手に回って、住宅街の駐車場に走る。彼らの姿を確認する。
桜は手前の一本が花開き始めたばかりであった。
クスノキは、例年通りに新緑の準備だ。蕾のような葉芽をたくさん身に付けていた。
まさか、この木を伐るというのか。
私は心底ぞっとしたものだ。彼らの姿を見ることのできない年が訪れようとは、想像もしていなかった。私と共に、ずっとこの町で年を老いていく、ずっとこの町の景色として、彼らはあり続けるものだと信じて疑っていなかったのである。
残された庭の大木たちが風に吹かれてうねっていた。彼らは天高い枝の葉を揺らして騒ぎ続ける。ざわざわ。ざわざわ。細かいそれらが重なってザーとまるで響くのだった。
どうしたことか、一番騒いでいた(シンボルツリーより)一回り小さなクスノキが、次の夜には消えていた。 それで私は、あれはただの風の強い夜ではなかったということを肌で感じたものである。
あれは悲鳴だったのだ。この夜の闇の中で、彼らは死刑執行を待つ身のように恐れている。
次は自分か。まだ生きたい。助けてくれ。
闇夜に舞う黒い枝葉のざわめき、その声と姿が私の心に焼き付いた。
私は毎晩双子の桜と、クスノキが無事かどうか見極めるために、仕事帰りやジムの後に駐車場へと向かった。明日か、また明日かと思えど、なかなか彼らは伐られなかった。もしかして、これはただの庭の手入れではないか、要らない木を伐り倒して、新たに植えようとしているだけではないか。桜とクスノキはいつだって、この町のどこからだって見え続けるはずである。そうではない未来など想像できないではないか。パワーショベルも消えて、ただの取り越し苦労だったと私が安堵しかけた頃、庭の中央の山桜がまた消えた。花が咲いていたというのに、花を付けたまま伐り倒された。無残に転がっている姿を目にして、で、私は自分を騙すことをやめたものだ。
双子の桜にも、クスノキにも、逢うのは今年が最後なのだ。
桜は一身に花を纏い、クスノキの葉芽も開き始めた。どちらも一年で一番美しい時期を迎えていた。
なぜ、この時期なのだろうか。死刑執行を待つのはまるで自分のようであった。次に、彼らが風に吹かれてざわめいたら、その時が最後だ。
そして、その夜はあっけなくやって来たのであった。



大山桜を見に出かけた。
2008年と、2010年に二度見た山桜(の一種)である。丹沢の桜山という小さな山に咲いている樹齢400年の4本の桜の木だ。
この桜は急斜面にせり出すように、枝をまるで90度の角度にして咲いている。その幹を支えるために、太い根が山に張り出している。その様も、老木の大木も見応えがあるが、私はこの木をまともに撮れた試しがなかった。去年のリベンジも惨敗だったものだ。敗因としては、広角のレンズがないと難しいということ、それと花の開花の時期の問題だ。花が薄いともうだめだ。些細な違いが勝敗を分ける。4本の桜が同時に、いやまったく同時は無理でも、いい具合に見頃になるかどうか、これは数十年に一回の確率ではないかと思われた。例年通い詰めないと難しそうだ。
私は手持ちのレンズの中で一番広角のものをバックに詰めて、電車に乗った。バスに乗り継いで、桜色の斜面に染まった里山を眺めながら、ゆく。
大山小学校前で下車する。昨年は満開だった小学校の染井吉野はもう大半が散っていた。花吹雪が降りかかってくる。
この分で行くと、山の上はちょうど見頃だろう。昨年は一週間近く早かったのではないか。下大山桜の花が薄くて、思うように撮れなかった。
大山桜を見に来たのは、もちろんリベンジもあったが、気分を変えたかったためだ。
我が町の双子の桜の手前の一本と、巨木のクスノキが昨夜、伐り倒されていたのであった。仕事の帰りに、ひとつ前の駅で降りて、私は道の先からクスノキと桜を探した。いつも道の果てに彼らの天辺がこんもりと盛り上がって見える。その風景が大好きだった。
しかし、昨夜は見られなかった。一本の、中央の桜だけが侘しく残されて、駐車場に身を乗り出すように佇んでいた。
私は随分と泣いたものだ。昨夜のクスノキのざわめきを思い出していた。
彼は何度も鳴いた。風に揺られて、声を上げた。そのたびに私は繰り返したのだ。
「怖くないよ。怖くないよ。私がついているからね」
たとえ、いなくなっても、お前が消えてしまっても、ずっと一緒に生きていこう。

哀しみを消す唯一の方法は相対化することだ。
東北の大震災を思えばいい。木どころか、我が町が消えた。ずっと一緒に生きていくはずであった愛しい家族もいなくなってしまった。
たかが、桜とクスノキの老木がなんだと言うのだ。
大山桜を見よ。樹齢400年である。我が町の桜がどれほど貧弱かこれと比べてみよ。
世の中には、見なければならない価値のある樹木も、桜も山ほどある。
我が町の双子の桜が、クスノキが、シンボルツリーがなんだと言うのだ。ただの田舎の老木である。

私は桜山を登っていく。
初めて登った時は、随分と汗をかいた記憶があるが、今ではほとんど暑ささえも感じない。真夏のように気温の上がった一日であったはずだが、体力が付いたということか。山登りに慣れたのか。
山を軽々と登っていく。すぐに下大山桜が、見えた。
見えた。そう思った。
去年は見えなかったが、ついに捉えた。なんと満開の花であった。
この下大山桜に毎回手を焼いたものだ。植林された杉林に邪魔をされて全体が見えない。斜面に咲いていて、視界も悪く撮りづらいことこの上ない。
去年は道を外れて、鹿の糞を踏みつけながらけもの道から撮ったものである。今年も見えづらいのは変わらないが、満開であるだけ、絵にはなるというものだった。







私は山を行きながら、もしもこの山にあの私の町の桜やクスノキが立っていたらどれだけ良かったかと考えていた。
この樹齢400年の大山桜のように、柵で大切に守られて、パワーショベルなどやって来ないことだろう。彼らを伐る前に植林できなかったか。根から掘り出して、この山に移すのだ。車には乗らないだろうから、紐で吊るしてヘリコプターか何かで空輸するか。それにはどれくらいの費用がかかるのか。そんな馬鹿をするものがどこにいるのか。
双子の桜とクスノキは町に立つ木にしては枝を伸ばし過ぎたのだ。自由に生長し過ぎたのだ。町の木らしく、剪定して、枝を切り落として、形を矯正していれば、あんなに駐車場に乗り出すこともなく、伐り倒される時だって、こんなに心を痛めなくて済んだものを。
アバターのホームツリーのように自由奔放に、そうだ、10m、いや15mは左右に枝葉を伸ばしていたものだ。見事な、見事な、枝ぶりであった。
桜山の裏側には、実際ゴミのような巨木がたくさん佇んでいた。立ち枯れているように見えるものもある。こんな木が残るならば、よほど、あのクスノキが残された方が価値があるというのに。






「人にはそれぞれの運命があるように、木もそうなんだよ」

母親にクスノキの話をすると、そう言ったものだ。「生きていたかっただろうね」
人間だってそうなんだよ。明日の命なんて知れないのだから。精一杯生きていないとだめだよ・・










相対化するつもりで来た大山桜の前で、桜山で、私はもういなくなった木々のことばかり考えていた。喪失感の大きさに驚かされていた。それでも、満開の上大山桜を目にし、最奥の大山桜(この木が一番のお気に入りである)を目にする頃には、やっと少し気分が上向いて来たようであった。
何より、桜が見事だ。満開の桜を見るのは、もう今年はこれが最後だろう。
最奥の桜は花吹雪が舞っていたが、見事な肢体に感嘆しながら私はその傍で休憩を取り、物思いに耽った。
この木に比べたら、我が町の桜のなんて貧弱なことか。
クスノキが逝き、双子の片割れが逝き、中央の最後に残された一本の桜の木は、幅はあるが縦がない。随分薄っぺらい。横長の細いマンションのように空高く伸びていた。隣りに木々がある時は気が付かなかったが、妙な格好に立っていたものだ。今まで右隣の桜と、左隣のクスノキに遠慮をしていたのだろう。







行ったばかりのバスを待って、我が町へと戻る。
一つ手前の駅で降りる。
すると、道の先に、薄い桜の花が見えるのだった。
朝、行く前に私は桜を見て、残された一本のそれが風に鳴る音を聞いていたので、覚悟はしていた。パワーショベルも、チェーンソーの音も聞いた。ああやって、あの音で、桜とクスノキが殺されたのかと見知ったものだ。
可笑しなものだ。殺人は罪になるのに、木はいくら切り刻んでも罪にはならない。私はチェーンソーを持ってふらふら歩く若い男を随分と不思議な思いで見つめたものである。
神木、とか言うではないか。樹齢の長い木には精霊が宿っていると言うではないか。
人を斬るのが罪ならば、神や精霊を伐るのはもっと罪深いだろう。
なぜ、誰もおかしいとは思ないのだろうか。駐車場で倒れたクスノキを見て泣く私を不思議そうなものを見るように通り過ぎる人、彼らには倒れた木は目に入らない。町の景色が変わったことにも気が付かない。もしくは、気が付いても、動揺せずに済ませる術を知っている。
私は自分ひとりが別の世界に放り出されたような違和感を覚えながら、チェーンソーの若者を、無関心(またはそう装う)町の人々を眺めている。
東日本を見よ!大山桜を見よ!と号令をかけながら。クスノキが泣いた夜、闇夜の中で、私に向かって枝垂れるような見事な枝葉を伸ばしてきたことを、甘い記憶のように思い出す。
しかし、あれだけ、今朝泣いていた桜は、まだ立っていた。
パワーショベルが音が止む度に、あちらこちらから一斉に鳥が集まってくる。シジュウカラにヒヨドリが花から花へと飛び回りながら、かしましく鳴くのだった。
私は缶コーヒーを買い込んで、一人花見としゃれ込んだ。
駐車場に座り込んで、情けない桜の一本木を見上げている。
青空。天辺だけの満開の花。鳥たちの鳴き声。
まだ日は高い。私の姿を見つけて、逃げるように庭の反対側に向かっていった作業着の彼らが戻ってくる時間は十分残されていた。
それでも、こうして眺めていようではないか。あと少し。あとほんの少しだけ。桜は待っていてくれたのだ。私の帰りをきっと。

貧弱な桜の枝は、高い空のところで前後に大きく揺れていた。
その度に花が散り、ひらひらと舞い落ちて、私の元へと向かってくるのだ。
まるであの日のように。おめでとう、おめでとう、と喜んでくれた日のように。
私が一心に見上げると、桜のざわめきが今や歓喜のように聞こえてくる。
今までありがとう。
礼を言う。短い、最後の花見を楽しんでいる。













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