悪夢の現代と滅びの美学 鬼滅の刃「無限列車編」を見てきました。

 

 こんにちはー

 今年もあと1日ですねー 

 今年最後の締めくくり、ということで、鬼滅の刃劇場版「無限列車編」を見てきました。


 

 「鬼滅の刃 無限列車編」

 外崎春雄監督。吾峠呼世晴原作。日本で公開された映画の観客動員数、および興行収入の歴代一位となった、和風剣戟奇譚の物語です。


 映画に行く前に、シーズン1の立志編はすべて見終わりました。

 8話までの感想は、こちらに記しました。

 映画の感想をする前に、9話から26話までの感想をざっくり。

 結果から言うと、仲間が良かった。我妻善逸と嘴平伊之助の二人が登場してからぐっと面白くなりました。

 特に、善逸、弱虫なのに、眠ると雷の呼吸を使う(1型だけしか使えませんがそれを徹底的に極めています)最強の剣士になります。そのギャップがとても良かった。もっと彼の戦うシーンを見たかったです。





 伊之助も野生そのものなのに、女の子のような可愛い顔をしている。こちらもものすごいギャップがある際立ったキャラクターで面白かった。
 この二人が、炭治郎を助けたり助けられたり、修行を共にすることで、お互いが強くなっていく様がとても良かったと思います。




 炭治郎は日に日に強くなっていき、水の呼吸以外の火の呼吸?(日の呼吸)も使うようになり、見応えがあるというか、ストーリーに引き込まれるというか。
 8話までは結構覚めて、見ていたんですが、第1シーズン終わる頃には、かなりの鬼滅ファンになったような気がします。




 ただし、気になるのは、この物語、アマゾンの評価にも表示されるように、かなり内容が暴力的なんですよね。(写真の左上参照)鬼が人を殺すシーンと、人が鬼を殺すシーンがグロい。



 こんなの子供が見ていいのかなぁ、というのと、こういう暴力賛美の物語が日本で大人気ってどうなんだろう、という素朴な疑問は拭い去れませんが・・・


 まぁ、人気があるだけあって、やっぱり面白い物語だと思います。

 サムライに、刀は、日本人の魂ですから、それを(暴力的とはいえ)万人に好かれる人気の物語にしてくれて、ありがたいとさえ思ってしまいます。

 こういう日本人の美学、もう滅びた(時代劇の中にしかない?)かと心配していました。


 グロく暴力賛美で敗戦国日本の立場からするとちょっとどうなんだろうと疑問ですが、純粋に、文化継承の面からすれば嬉しいというのかなんというのか、複雑な鬼滅の刃。


 さてさて、で、劇場版です。子供がいっぱい集まる映画だというのに、またグロい暴力だらけなのかな、と心配して出かけましたが、「無限列車編」は、ちょっと毛色が違い、無限列車に象徴されるように、ちょっと切なく儚い、レトロな世界。夢の(悪夢ですが・・)世界が鬼との戦いの主戦場になっていて、物語そのものも、滅びの美学を描いているもの哀しいものでした。

 敗戦国日本や、これから滅びるであろう日本の今とだぶるというのか・・・

 現代が悪夢であるように感じられるというのか。

 (たとえ悪夢であろうとも、現実ではなく夢を求める人々のなんと多かったことか!)




 ただ人気のアニメ映画を見たという話ではなく、現在に対する揶揄や警笛のように感じられたのは事実です。
 そう・・・実はあまり感動できなかったんですけどね。
 それでも、なんかまずいなぁ、これでいいのか日本、としみじみ感じさせられた作品でした。


 なんといっても、まずオープニングがお墓まいりのシーンなんですよ。鬼殺隊の死んだ子供たちのお墓が並んでいて、鬼殺隊のボスであるお館様が「あとどのくらいお参りできるだろうか」と自身の死を見るものに連想させる。

 滅びの匂いを感じさせられます。鬼殺隊という名前からして、特攻隊や白虎隊など、少年たちの儚い死や無駄死にを連想せずにはいられませんからね・・・

 その頂点のボスさえももうすぐ死ぬという。なんだかねぇ。切なくなるじゃないですか。
 そして、SL無限列車のレトロな物語が始まります。


 見ていない方のために詳しい内容は端折りますが、前述の炭治郎と仲間たちと、炎柱、煉󠄁獄杏寿郎らが力を合わせて、下弦の壱の眠り鬼、魘夢を打ち破ります。無限列車の乗客は全て守り抜きました。だれも鬼には殺させませんでした。すばらしい。
 ここまでは、主に子供向けの映画らしい冒険奇譚なんですが。そこから、急に、オープニングに通じる滅びの美学にまっしぐらなんですよね・・・




 突然、本当に突然、無限列車の物語とはなんの関係もない、強い鬼が登場します。上弦の参、猗窩座です。そして、その鬼が人間としては最強の一人である、炎柱、煉󠄁獄杏寿郎に戦いを挑みかけるのです。


 炭治郎と仲間たちは、何も助けることはできず、黙って見ているだけ。(観客目線)

 そして、後半40分近くずっと、この物語と無関係の、鬼と人間一対一の戦いを見せつけられるのです。


 なんだこの映画・・・



 ストーリーどこいった?!


 突然のアクションシーンのみへの変貌ぶりに、正直ギョッとしましたよ・・・

 

 そして、突然現れた猗窩座の強いのなんの。

 今まで、人が力を合わせて戦って(そして勝利した)ことを、まるであざ笑うかのような個の強さを見せつけます。 

 猗窩座は不死身であることを誇り、煉󠄁獄に鬼になることを勧めます。鬼になれば、傷つくことも死ぬこともない。しかし、煉󠄁獄は一貫して頑なに拒む。

 老いることも死ぬことも人間であればこそ。その儚さが美しい。

 そうのたまうのです。


 がー・・・・


 人間賛美・・・・のような、滅びの美学全開。

 時代考証が似ているだけに、敗戦した日本とだぶるし、今のダメダメの滅びそうな日本ともだぶる。

 切ない。それでも、闘い尽くして、鬼をギリギリまで追い詰め死んでいく煉󠄁獄のすざまじいまでの人間としての執念。


 ・・・・・・・・。


 炭治郎が朝日を避けて逃げていく鬼に叫びかけます、「いつもお前らの戦える夜に戦ってやってるんだー。煉󠄁獄さんのほうが本当は強いんだからなー!」。(ちょっとセリフは違います)

 泣きながら。まるで負け惜しみのような、泣き言のような、情けない泣き顔で。


 ガー・・・・

 なんかもう。


 無敵の鬼にはならず、闘い抜いて死んでいく・・・

 それも相手の土俵で、際どいところで卑怯に逃げられようと。

 ただ全力を尽くして、無常に命を終えるだけ・・・

 まさに滅びの美学。日本人のDNAそのものですよ・・・

 

 いやいや、ここは自から滅びるまで闘い抜いた煉󠄁獄さんの正義感や執念に感動して泣くところなんでしょうが・・・


 「僕、泣かなかったよ!」

 映画が終わって、電気がついたあと、子供がそう叫んでいたのが印象的でした。

 子供たち、誰も泣いてなかった。


 あれは、大人じゃないと泣かないかもしれないなぁ・・・と思った瞬間でした。

 ネタバレになっていたら、すみません。

 大事なところは話さなかったつもりなので、見ていない方いたら(いないか・・・)ぜひ劇場版を見てみてくださいませ。



 最後に、煉󠄁獄さんのお母さんの名言を引用します。


 「なぜ自分が人よりも 強く生まれたのか わかりますか 

 弱き人を助けるためです

 生まれついて 人よりも多くの才に恵まれた者は

 その力を 世のため人のために 使わねばなりません

 天から賜りし力で 人を傷つけること 私腹を肥やすことは 許されません

 弱き人を助けることは 強く生まれた者の責務です

 責任を持って 果たさなければならない 使命なのです

 決して 忘れることなきように

 母はもう 長く生きられません

 強く優しい子の母になれて

 幸せでした

 あとは頼みます」

 


 なるほど、こういう美しい言葉を言う親が煉獄さんのような子供を創るわけですね。

 

 というわけで、まとめです。 

 現在まで日本で一番多くの方に見られた映画、鬼滅の刃劇場版を見てきたら、感動した・・というより妙なところで感心してしまいました。

 この平和ボケの時代に、鬼退治という外敵から大切なものを守る愛国心に通じるような物語をよく描いたなぁ、というのが率直な感想です。しかも、劇場版は、ハッピーエンドではなく、日本よろしくボロクソに負ける。そして、それが大ヒットというまた意外さ。 

 鬼殺隊、というネーミングといい、旭日旗のような炭治郎の耳飾りといい、よく中国の方々は、鬼滅の刃は軍国主義の再来と怒らないなぁ、と疑問に思いますが。韓国も・・・ 漫画コピーしている場合じゃないんじゃないでしょうか。負けてる(滅びている)からいいのかしら。


 願うならば、(この大ヒットにあやかって)日本人すべてに、煉󠄁獄さんのような熱い心や執念を思い出して欲しいものです・・・


 「目を覚ませ!攻撃されているぞ」(炭治郎の言葉)


 悪夢から目を覚ませ、日本人。合掌。



 ではでは、今年もあと少し。

 良いお年をお迎えくださいね。

 素敵な時間を過ごされますよう。願いを込めて。




人気の投稿