また、白レンズと歩く春を夢見て。
とあるレンズが、ずっと心に引っかかっている。
Canon EF70-200mm F2.8L IS US。
通称「白レンズ」。
昔、私はこれを持っていた。大切に使っていた。
だが、金銭的に苦しかった時代に手放してしまった。今も当時の写真だけが手元に残っている。記憶もほんのり曖昧なまま。
功徳としての写真より
2010年当時、私はこのレンズの美しい暈け(ぼけ)味に夢中だった。
被写体との距離、ピント、光の加減、繰り返し覗いては微調整を重ね、「見えた!」と思える瞬間に、夢中でシャッターを切った。
あれはまるで、魔法だった。
でも、その魔法を、私は途中で手放してしまった。他のレンズも試したくなって、写真の勉強をしたくなって。
いろんな世界を見たかったからかもしれない。
結果的に、自分の成長を優先して、魔法を諦めたのかもしれない。
そして、お金に困ったとき、白レンズは私の手元を離れた。
今思えば、どうしてあのレンズだけを追い続けなかったのだろう。それだけでも良かったのではないか。専門性とは、「広げること」ではなく、「狭めること」なのだと、今になって思うようになった。
白レンズは、私にとって特別だった。唯一、魔法をかけてくれたレンズだった。
もう一度、使いたい。
もう一度、あの魔法を信じてみたい。
少しずつ貯金もできた。買い戻すだけの余裕もできた。だからこそ、悔いが残っている今のうちに、あの頃選ばなかった道を歩いてみたくなった。
そもそもなぜ趣味を手放したのか。実はあの頃、Canonの最上位機種を買ったことで、急に熱が冷めてしまったのだ。競争の中で手に入れた道具は、不思議なことに、私から、「好き」という感情を奪ってしまった。
私が趣味を失うのは、いつも他者と比べすぎたとき。
趣味は、マイペースで、自分なりの付き合い方を見つけること。今はそう思っている。
そして、来年、私は少し休むつもりだ。
春になったら、白レンズを持って、毎日散歩しながら写真をとってみようと思う。
ゆっくり歩いて、風を感じて、また「見えた」と思える瞬間に出会いたい。
今なら、きっと大丈夫。
あの魔法の瞬間を、また取り戻せる気がしている。
でも、これは気の迷いかもしれない。来月になったらすっかり忘れてしまっているかもしれない。
それでも今の私は、心のどこかで、
「写真の神様は、まだ私を覚えてくれているだろうか」
そう願っている。
だから、今日のこの気持ちだけは、忘れないように、ここに残しておこうと思った。また写真と向き合える日が来ることを祈りながら。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
素敵な時間を過ごされますように。
心を込めて。