おひとり様、山を下る。〜大山、日向薬師登山記〜

 

 ヤビツ峠に向かうバスは、今日も長蛇の列だった。

 毎回人気なのだ。始発のバスは、1時間ほど前に来ないと前の方に並べない。ギリギリで来たら、2台目、3台目のバスになるのは必至である。

 団体さんがゾロゾロと立ち並ぶ中、私は今日もソロ登山だ。ヤビツ峠から大山に向かう予定だった。しかも、そのコースにはいわくがある。

 前回、ヤビツから大山に登った時、一時、試験的に付き合った異性と一緒だったのだ。あれは婚活と呼べるものだったかもしれない。今思うと、楽しい思い出だ。

 しかし、そのせいかだろうか、いつもは当たり前のソロがなんとなく居心地が悪い、ような思いがする。そんな時、不運は重なるのだ。

 やっと乗り込んだ始発のバスで、前に立つ女性二人組が、それぞれが今年行く予定としている富士登山の話をしているのだった。

 (8月に富士に行く計画をしている私は、自然と耳に入ってしまう)

 どうやら会社の先輩と後輩らしい。

 先輩がいう。「前回、お鉢巡りをしなかったから後悔しちゃって、もう一度行きたいな、と思って」

 「私は、前々回しましたかねー 今回4回目なんですよね」と後輩。心なしか口調がぞんざいになり、1回目は家族の誰それ、2回目は家族の誰それ、と登ったという説明が続く。

 「えー、すごいね」

 先輩らしき、多分おひとり様の女性はしおらしくなって、後輩を持ち上げ始めた。

 「今日旦那さんは何しているの?」

 「あー旦那は・・」と後輩の家族の説明がまたずらずらと続く。

 話は富士山に戻り、「7月で登れなかったら8月に再チャレンジできると思って、だから7月にしたのー。行きたくなったらギリギリでも取れそうじゃない?」

 「ああ、ひと枠なら完全に取れますよ(ぞんざい口調)」

 「そうね」と先輩。

 


 写真上、ヤビツ峠から大山へと向かう道。

 写真下、大山山頂の阿夫利神社本社。



 後輩はマウントをとっているわけではなく、当たり前の事実を話しているだけなのだろう。だが、そんな話を朝から聞かされるこちらとしては、なんとなく身につまされる思いがあった。後輩は大家族なのだ。そして、おそらく先輩は独り者だと思われる。富士登山もそうだが、いつもソロ登山をしていると言っていた。そんな先輩が明るく振る舞っている口調さえ切なく感じられてしまう。

 気持ちを切り替えて、今日の登山のルートのことを考えた。
 
 前回、「私たち」は大山から不動尻に向かって進んだのである。鐘ヶ嶽の横を通り、広沢寺温泉に降りたのだった。今日は違う。「私」は、見晴台に降りて行くのだ。あのクマが出ると有名な見晴台の道を無事通過して、日本三大薬師で有名な、日向薬師を見に行くのである。行ってみたかったところなのだ。小さな旅ながら、壮大な計画があるのだった。 





 写真上下、大山からの風景。富士山こそはよく見えないが、小田原や平塚の町、江ノ島、三浦半島、千葉房総半島など、よく見渡せる。



 
 ヤビツ峠から大山山頂までの道のりは、2.2kmしかない。1時間ほどであっという間に着いてしまった。
 それで、私は前回この道を全く見ていなかったことを思い出した。覚えがないのである。今日歩いてみて、ああ、こんな道だったのか、と納得した次第だった。前回は、男にうつつを抜かしていたのかもしれない。

 思ったよりも綺麗な道だった。先週のお箱根様に通じるような癒される平坦な尾根道がたくさんあり、西と東の両脇からは丹沢の並みや伊勢原の街?がよく見えるのだ。ただし、雲がかかって富士山は終いまで見ることは出来なかったが。そして、ところどころに、険しいところも多かった。こんなに岩がゴロゴロしていたかな、と少々驚かされた。(ハイキング程度のイメージだった)


 写真下、大山山頂から見晴台へ向かう道。クマが怖いので、クマ除けの鈴を装填!




 山頂で景色を堪能した私は、見晴台まで2.2km、見晴台から4.2kmの日向薬師への長い下り道を進み始めた。

 計画は順調で、50分ほどで、無事見晴台に到着した。途中、後から後から、登山者とすれ違い、クマ除けの鈴は必要なかったようだが、なんとなく守られている感じがするからいい。また、行者のような素直な気持ちになれるから良い。


 写真下、見晴台から大山を望む。





 すれ違う登山者は団体か、カップルが多かった。見晴台で、「キャハハハハハッハハ・・」とバカ笑いする声に驚かされた。普段はそんな大仰な声は聞こえてこないが、今日に限って、すごくやかましく耳に入ってきたのである。神様のいたずらなのだろうか。

 不快とまではいかないのである。ただ、びっくりさせられた、という話だ。

 そんな私の後ろから、規則正しい鈴の音を鳴らす若者が近づいてきた。リュックにつけた小さな鈴が、上に跳ねて、リュックに当たり、また上に跳ね、規則正しい音を鳴らしているようだった。鈴の持ち主は、私を追い越し、日向薬師へ3.5km、という標識を見て、そちらに進んでいく。同じ方角だ。なので、私も規則正しい鈴の音の後をついて行く格好となった。

 姿見えねど、音はする、という感じだった。リン、リン、リン・・・という小さな音をずっと追いかけながら、日向薬師までの長い下りの道のりを歩いて行った。





 ところが、その音が途切れる頃、道は林道から舗装道路になって、登山者には厳しい(歩きにくい)道となるのだった。(マイカーで来ている人用の道という感じだ)
 
 バス停まで35分、日向薬師まで50分、という標識を見た時、よほど前のバス停で帰ってしまおうか、と思ってしまった。バス停に着けば着くで、伊勢原駅行きのバスの時間まであと30分しかない。日向薬師に行って帰って30分なので、ギリギリであることにうんざりして、ここでも、よほど行くのをやめようか、と思ってしまった。なんとも軟弱な私である。


 ところが、最後の力を振り絞って、駆け上がり、山門を越えると・・




 写真上、これがまた立派な仁王門だった。金剛力士像が仁王立ちしてお出迎えしてくれた。

 写真下、国指定重要文化財の本堂(薬師堂)。茅葺の屋根が大きく驚かされた。




 石段を登り、最後の参道の階段を登って、本堂が現れると、徐々に姿を露わにした壮大な茅葺の屋根のその迫力に、驚かされてしまったのだった。

 中央に人が豆粒ぐらいに写っていると思うが、本当に大きな本堂なのである。

 あまりの迫力に、ここ最近では経験のない程、心を打たれた。
 そもそも、今時、茅葺屋根の寺というのはなかなかお目にかかれない。そのせいかもしれない。寺社自体に感銘を受けるというのは、寺社慣れしている私にしては久しぶりの経験なのだった。
 
 なんというカッコいいお寺なのだろうか。

 来て良かった・・・
 ショートカットしていたら見れなかった。

 本当にそう思った。ずるして、遠くから祈ろうかと何度か思ってしまったが、本当に足を運んで良かったと思った。また今日の計画をそのまま進められたことにも幸運を感じた。
 事故や怪我がなくて良かった。また大山山頂で一瞬下社に降りようかと頭を掠めた。計画通りに行って良かった、と心から思った。そう胸を撫で下ろすくらい、日本三大薬師の素晴らしさよ。





 写真上、鐘楼も素晴らしかった。

 写真下、龍の手水舎も良かった。




 日向薬師があまりにカッコ良く、私の前にスーパーマン的に登場してくれたので、朝からの少し居心地の悪い気持ちも吹っ飛んでしまった。

 

 「下山道って、一人で歩くことが多いよね、周り誰もいなくなって・・」


 朝のバスで、先輩が言っていた言葉をまた思い出してしまった。

 確かに、下山道は寂しい。疲れも頂点に達しているので、様々なことを端折りたくなったりもする。ずるもしたくなる。けれども、それでも黙々と正しく生きていれば、いや、そんな立派なことじゃなくても。ただ腐らずに粛々と歩いているだけで、時々、規則正しい鈴の音に癒されたり、壮大な文化財的な寺社も見ることができたりする。そんな小さなご褒美に出会えることもある。それだけでいいのかもしれない、なんて思う次第だった。(了)

 


 先輩が楽しく過ごされていますように!

 ところで、登山の経験なくても、人生で、下ってるなーって時、ありますよね。あ、今、私、絶対下りてるだろうな、みたいな、調子の悪い時というか、絶不調の時、というのか。

 まぁ、そんな時も、粛々と降るしかないな、と思った次第です。

 でも、日向薬師は、日向山の途中にあるのですよね。だから登る、登る。最後の登りがきつかったです! 降る時もあれば、登る時もある。お互い、人生腐らず頑張りましょう!



 では、今日も最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。

 素敵な時間を過ごされますよう。

 願いを込めて。




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