震災から12年経ちました。
こんにちはー
今年で震災から12年目ですね。
今日は一緒に黙祷をしようと思います。(もうすぐなので、アラームをセットしました)
毎年震災の日になると、何か震災について書こうと思うのですが、人々の痛みを思うと何を書いていいのか分からず、ありきたりなことを書いて終わらせてしまいます。
今年は頑張って書こうかな・・
私が書くと陰謀論になってしまうんですが。
自分で言うのもなんですが、厨二病みたいで、困ったもんなんですけれど・・
でも、本当に、あの年の震災って、戦争のように起こるべくして起きたもの、人為的なものだと今でも信じているんですよね。
そして、あの頃、日本では(小泉政権により)公共事業は悪とされた後で、日本の至る所で、インフラ復旧などの工事が行われなくなっていました。
政治的にも、構造的にも、国体が弱りに弱っていた後だった。
そこを攻撃された、と今でも信じています。
日本も攻撃されることはわかっていたと思います。
震災の前年に、鳩山政権の演説で、「命を守りたい」と鳩山首相が繰り返し力説していたのを覚えています。あの時は、なぜ政治家が命を守りたいだなんて言うのかな、と妙に感じただけでしたけれど。
こう言う、震災のようなことが起こることは、日本も薄々気が付いていた。
でも、どうしても止められなかった。
だから震災の犠牲になられた方は、戦争の犠牲者と同じだと思っています。
震災を止められなかった菅政権は私の中で、歴代ワーストワンの政権ですね。今でも。
震災の直後に桜の花が咲きました。
その時に、自然の残虐さを知った、と言う方がおられました。
人々に、世界に何が起ころうとも、たとえ震災が起きて大勢の方が死んで行こうとも、桜はいつもと同じように、春になれば咲くのだ、2011年、3月。あの年の春は、そのことがとても残酷に思えたと。
私はそうは思いませんでしたけれど、桜を見て恐ろしく感じたと言う方の、震災の衝撃というか、影響の強さに同情はするのですが、やはり、あの年でも、桜が咲いた時は希望に感じてしまいました・・
それでも桜は咲くのだ、と、逆の意味で。
なんだか、全てを洗い流してくれるような気がしたものでしたっけ。
人間の勝手な都合で、人殺しをして、(そう思っています)
その阿鼻叫喚の無情な世界の中で、美しく桜が咲く。咲き乱れる。
自然は容赦がないと言えばそうなんですけれど。
それでも、全てを洗い流してくれるような気がしましたっけ。
市の放送も鳴っています。
(一時中断・・)
市のサイレンが遠くで鳴り響いていました。
去年も鳴っていたのかな、遠くで小さく鳴ってた、気がつきませんでした。
もう12年も経つというのにね・・・
神様、亡くなられた方々が、どうか安らかに過ごしておられますように。
日本は震災の後、公共事業をまたできるようになって、むしろしないと復興しないということで、どんどんやるようになり、小泉政権で、とことんまで縮小された経済もまた元のように活気付いていきました。
小泉さんって、総理大臣の時は好きな方でしたけれど、彼が日本にしたことを考えると、今でも空恐ろしい。日本をぶち壊す、って言ってましたけれど、本当に壊していきましたよね。
小泉さんがもしいなかったら震災も起きなかったんじゃないかなぁ、と今でも思いますよ。あれが、震災の布石だったのだな、って。
そして、私はあまり好きではありませんでしたけれど、(小泉さんと真逆にね・・)安倍元首相、あの方が日本を取り戻してくれて、いや、無様に、取り戻そうと努力だけしてくれて、おかげで元通りになったかのような気がしていましたけれど、それも蜃気楼だったのか、本物だったのか・・・
あの震災が何かのためになったのか、起こるべくして起きて、亡くなられた方々がまるで先の大戦の英霊たちのように、犠牲になってくれたのことに何の意味があったのか。
そんなことが、ここ1、2年でやっとはっきりするような気がしています。
安倍さんが死んで(殺されて)しまったから、その後どうなるかで、見えてくるんじゃないでしょうかね。
そんなわけで。
12年経った、今。真実がやっと見えてくるような気がするのですが。
素晴らしい真実だといいなぁ、なんて思います。
もう阿鼻叫喚の時代は来ないことを願います。
(2024年あたり、また一波乱ありそうで怖いですよね、今度は経済的な破綻とか)
では、今日も最後まで読んでいただきどうもありがとうございます。
人々に平和が訪れますように。
素敵な時間を過ごされますように。
願いを込めて。