それは何を伝えるために起こったのか。「レッド・ライト」
こんにちはー
最近、小林麻耶さんと元旦那のあきらさんのアメーバブログが世間を騒がせていますけれど、あれね、偶然ではないと思うんですよね。私は常々、突然私の身に降りかかる事象は、決して偶然ではなくて、すべてて必然的に神からもたらされることだと思っているわけで。
ほら、ユーミンの「すべては神からのメッセージ」という歌の通りですよ。何かしらを私たちに教えるために、起こるべくして起こったことだ、と信じているわけです。
だからと言って、あきらさんが「(自分は)創造主だ」と公言するのは、ちょっと無理があると思ってしまう。所詮人間ごとき。神の使いになれる方はそうそういないと思います。
泥沼騒動は私たちに何かの気付きを与えるために起こるべくして起こった。そういう意味では彼らは神からの使いではある。けれど、あきらさん自体のことは神だとは思えない。
信じているけれど、信じていない、という超常現象的かつ現実的な認識を抱いているわけです。自分ではすこぶる「まとも」だと思っていますけれど。まぁ、そこが私が凡人である所以かもしれません。もう少し我を忘れて何かに入れ込むことができれば、もっと違う人生が待っているかもしれないんですがね、だって神からのメッセージを伝えてくれる方を神の使い手と思えないんですからねぇ。こんなに矛盾していることがありますか。何かを信じるということは難しいことだなぁ、と常々思います。
※しかし、あきらさん自体のことは、心優しい愛情深い方だ、と敬意を払っています、誤解のないように念のため。
今日はその信じるということを考えさせられるような映画を見ました。
面白かったことは面白かったんですが、信じたことをバカにされているような妙な気持ちになったのは事実です。まぁ、「疑い続けろ」というキャッチコピーですしね、信じたお前が悪いんだろう、と言われればそれまでですが、だって、デニーロですよ、笑
こんな映画見ちゃうとね、あきらさんのことを神だと信じてしまった純粋な方たちがあとで、「嘘だぴょ〜ん」という目に遭わなければいいなぁ、なんて余計なことを考えてしまいますね。人は凡人であるくらいでちょうどいいのかもしれません。・・いや、先入観から信じなかった方が、「嘘だぴょ〜ん」かもしれませんね。これはまだまだわかりませんよ。
というわけでまとめです!
伝説の超能力者と物理学者が対決する超常現象VS科学を扱った映画を見たら、謎解きが科学的ではなくて、似非マジック的だったことに驚かされた!
なんとなく一生懸命2時間見てきたことを小馬鹿にされたような映画だった。
しかしながら、こいういう偽物を本物と崇める事象が国家的な関心事項となる映画が作られたということ自体が、何か私たちに気付きを与えようとしているのかもしれない。
先入観に惑わされず、本物を見抜ける力を身につけないといけないなぁ、などと切実に感じさせられる映画だった。
あとデニーロは相変わらずかっこいいです。
ということで、今日も最後まで読んでいただきどうもありがとうございます。
素敵な時間が訪れますように。
願いを込めて。