この世界の片隅から重要な役割を果たすアバターたち。
映画の主人公というのは、いつの時代も、私たちのアバター※だと思っています。
私たちの代わりに夢を実現させてくれたり、不可能を可能にしてくれる。そのために、私たちの誰か(代弁者の一人)から生み出される大切なもの。
というわけで、今一番のアバターはこの映画。「この世界の片隅に」。
見に行きたいけれど、まだ行けていません。
クローズアップ現代の特集を見させていただいて、やっと少し予習ができたというところです。
上の動画を見て、この映画の素晴らしさがどこにあるのか、というあたりはだいたい掴めてきました。
それで、ちょっと意外というか。現代の(戦争物ドラマの)アバターはついにヒーローであることを放棄して、世界の片隅から平和と戦争への怒りを発信するわけですね。ふむ、ふむ。
ここ近年の戦いを描いた映画の特徴として、主人公がヘタレ、ということが大きかったと勝手に思っています。
まるで日本の自衛隊。戦いたくないけれど、自分が戦わないと誰も戦わない、すると自分より弱い誰かがやはり無理やり戦わなければならなくなる、また愛する人や町もバタバタ死んでいく(ちなみに愛する人や町は、ヘタレ主人公を愛していない)、上の世代から身代わりに闘うことを強請られて、仕方ないから、闘う羽目になる若い世代の主人公。もちろん誰にも感謝されない。もしくは戦いは秘密裏に行われて、ヘタレヒーローは影の存在である。戦いは町から世界規模にいつしか変わっていく。・・・これエヴァンゲリオンのストーリーを例にして話してますが、たいていこのパターン。シン・ゴジラもそうですし、君の名は。まで同じでした。
私たちのアバターは、働かない強面の上司から実行部隊になることを強いられて貧乏クジを引きながらも、必死で同僚や会社を守るために働く若い主人公、というパターンだったように思います。もちろん肝心の戦争の内容もしっかりエヴァンゲリオンがメタファーとして未来予告。ユダヤとの経済戦争、というより、国(個)vs統一政府(統一自我?)の壮大な争い。う〜ん、やっぱすごいアニメでしたね。
なんでこんなことになったんだろう。俺には戦わない未来もあったのになぁ、と最後の最後に日常(しかし失われている)に思いを馳せ悲嘆にくれる主人公。
それからん10年。ついに、今までのように上の世代から強請られても誰かのために戦わなくなった主人公が登場した、新しい時代の幕開けのアバターが「この世界の片隅に」、という気がしてなりません。
そう考えると、いいような、悪いような。なんといっても私たちの代表のような存在ですからね。う〜ん、嫌な予感がしますが、でも映画を見たらきっと大感動をして、大褒めするような気もしますので(私もヘタレヒーローなんて糞食らえだ!とか言ったりね?)、もしくは解釈の違いを平謝りするとかね。戦わなくなったのではなくて、ついに戦えなくなったのだ、とかね。
なので、ファンの方、少し失礼な表現をしました。お許しください。映画を見た後にきちんと本当の感想を書きます。
今日は、世界の片隅に、を見に行きたいよ!というお話でした。
それ以外の最近ネタ二つ。
・早採りわかめをついに食べました。シャキシャキなのに柔らかくて、美味しかったです。
・裏シモンと呼ばれるピッケルを買いました。オクトパスというメーカー。シモンのピッケルを作っているので、製品はほとんど同じだそう。その割に安いです。(7千円くらい)次の登山が楽しみです。
ではまた!
写真は、山田町の霞露嶽です。私の「世界の片隅」ですね。
※アバターについて
アバターという映画を見た時の感想〜不可能を可能にする力〜(今日の記事とはあまり関係がありません、時間のある方だけお立ち寄りください)
魹ヶ埼灯台が小さく見えています。 |
山頂らか見た山田湾。 |
登山道のハーフアンドハーフ。登山口と山頂の中間地点です。 |