女二人旅・島巡り編④ ~金華山から思う横と縦のつながりのこと~
石巻島めぐり編、今日は最終回です。霊山・金華山の生き証人的ゲスト様がたくさん登場しますので、お楽しみに!
テレビもない、冷房もない、冷蔵庫もドライヤーもない、普段の生活からしたら不便極まりない、ないない尽くしの金華山・参集殿での参籠(おこもり)の朝、目覚めると窓の外には牡鹿半島に太平洋、鹿山公園の緑、豊かな自然があるある尽くしで広がっていた!
窓を思い切り開けて空気をお腹いっぱい吸い込んだ。
うん、うん、素晴らしい! いい感じだ。
が、いまいち天気がよろしくない。5月に行った時もそうだったが、晴天とは言いがたい曇り空。残念だ。次に行くときは、ぜひ山頂からの青空を撮りたいものだ。
とは思うものの、やはりこの自然の中での目覚めの爽快なこと! 静謐かつ厳かな精神的生活を象徴するかのよう。
しかも参籠をすると、朝一番の大護摩祈祷(平安時代から続く祈りの仏事)でお祓いを受けることができる。
以下、金華山の公式サイトより
参籠(おこもり)と大護摩祈祷についてそう書いてある。護摩祈祷というと仏事という認識だったが、明治の神仏分離以前はお寺でも神社でも関係なく行われていた。金華山黄金山神社はその護摩祈祷祭を復活させて、6年毎に盛大、かつ厳粛に祈念祭典を行っているのだそうだ。
さらに、その護摩祈祷祭を詳しく言うと・・
なんかすごい壮大そうだ! ぜひ参加したいものである。とりあえずは、参籠の翌朝の一番大護摩祈祷でお祓いを受けて、玉串を捧げて、「黄金山大神の広大無辺なる御利益を授か」らせていただこう! 楽しみだ! 朝6時過ぎ、心の準備万端で、御祈祷殿へと向かった。
大護摩祈祷が始まる前に、内陣(御神体のいる場所)の後方から写真を撮る。昨夜、ご一緒したダンスの先生、M氏も合流して、三人で記念撮影をした。
撮影中に、椅子と椅子の間の道には立ち入ってはいけない、と神職の女性に注意を受けた。内陣正面の中央の通路は神様の通り道、迂闊に人間が立ち入ってはいけないようだ。
神事の最中は撮影禁止、巫女さんの舞だけはOKとのことだった。祈祷の様子はお届けできないが、もしお祓いをしてもらったことがない方がいたら一度はやってみてみるといい。あの祝詞が響き渡る厳粛な空気。頭上で振られた神具の、あのさっと風が起こる時のゾクゾクする感じ。護摩の燃える音、その炎が立つ様子。何とも言えない神秘経験ができるだろう。
それに、厄を落として、ご利益も授かれるというのだからやらない手はない。5月に訪れた時は畳の床に直接座ったが、驚くことに今回は椅子が置かれてあった。足が痛いのだけがちょっと辛いなぁ、なんて思っていたので、今回はそれさえもなくなって、いいこと尽くしだ!
祈祷が終わると、盃を交わして、神主様から直接御神符をいただく。最後まで神秘的。これ他国の方が受けられたら、さぞかし感動するのではないか、なんて思ってしまった。
こちらは売店で売っていた神鹿のおみくじ。可愛い! ダンス講師のM氏によると、一つずつ神鹿の顔が微妙に違っていて、お気に入りを探すのが楽しいのだそう。
黄金山神社の売店ではご祈祷でお焚き上げした護摩木の御神灰が入った交通安全のお守りや、金運・開運を招くキーホルダー、縁結びのお守りなど、貴重な授与品を入手することができる。
個人的には、「三年連続すれば、一生お金に不自由しまい」という言い伝えに基づいた黄金山神社限定の黄金色の御朱印帳が気になった。初穂料1000円(御朱印料 500円、別途だそう)。これはwebで知った。現地で気がつかなかったのが残念だ! 次回行った時は、ぜひ御朱印をいただいて、三年分コレクションしたいものだ、なんて考えている。
・授与品についてはこちらに詳しく書かれています。
写真上は、清めの塩と神鹿御籤。M氏のお買い上げセット。
写真下は、氏が昨年、巳年に授かった超レアな授与品、12年に一度の開運お守りだ。
金華山は、「日本五大弁財天」の一つ。弁財天のお使いが巳(蛇)であることから、巳に関わる暦ごとに盛大なお祭りを執り行っている。昨年はちょうどその盛大なお祭りの巳年に当たり、M氏は、御本殿で大護摩祈祷を授かり、内玉垣を参拝することができたという。神楽が奏でられ、内陣の御簾も御開帳され、神饌が供されて・・ それは華々しかったとのこと。
これは、特に狙ったわけでもなく、たまたま12年に一度の巳年の年に、たまたま頂上海神社例祭日の期間(3月18日から10月31日までの228日)に参籠に訪れたため、そのような特別な祈祷を授かることができたようだ。
ずっと水の神、金華山に行きたいと思っていたM氏、だが、愛知県と宮城県では気軽に行ける距離ではない。旅の費用のことも大きかった。諦めかけていた矢先、知り合い(※)から偶然金華山を勧められ、やはりご縁があると感じたという。金華山に行きたい。黄金山神社をお参りしたい。「この神社に行きたい!」と真剣に思った一週間後、なんと、ちょうど旅行費用に相当する金額が宝くじで当たった!
「導かれたね・・」。この話を聞いた時、思わず感想を漏らしてしまった。
笑顔で頷くM氏。氏は開運のお守りを返そうかと思って持ってきたが、巳年の特別な授与品だったことを知って、お守りを持ち帰ることにした。返すのは12年後でいいのだろう。貴重な品を見せてもらえて良かった!
※舞踏家・佐藤幸恵先生のこと。佐藤先生は巳年大祭に金華山黄金山神社でインド舞踊の奉納をされました。その様子はこちらにあります。↓
・金華山日誌5月
(この月には、震災の意味など、貴重な記事がたくさんあります)
余談だが、M氏は昨年金華山を訪れてからというもの、めきめき金運がアップ。今年は宝くじに当たらなくても、参りをする経済的な余裕も十分出来た。なので、お礼参りを兼ねて訪れたとのこと。
う~ん、羨ましい限り! 素敵な笑顔が印象的だった。
写真上は、大護摩祈祷の後にいただく朝食。それから御神符と御神筆。
Mというのはダンサーネームだ。仕事運を上げたいから仕事の名前で祈祷していただいたという。なるほど、私もそうしようか。本名で御神符頂いていたから仕事運が上昇しないのかな? なんて思いつつ。
写真はM氏が乗ったマンガッタンライナーと金華山の後に行った秋保大滝!
いいな~ 石ノ森ワールド。
石巻、って感じする。
おや、上の写真の009は新しい?
こちらは去年の画像。石巻に来て、まずこれが一番感動した(M氏談)、とのこと!
M氏、貴重なお話と写真をどうもありがとうございました!
さて、今回の旅も楽しかった。金華山に来るといつも出会いがあり、・・それも後で考えると、その出会いが今後の人生の重要な分岐点に繋がった・・ とも言えるような出会いがあり、驚かされるやら、人生の妙を感じるやら。
人生の妙と言えば、M氏との会話を楽しんでいる最中に電話があった。金華山観光クルーズの女性スタッフからだ。定期船に乗ると新幹線に間に合わない私たちは、(定期船より早い時間に)海上タクシーの乗り合い便が出ることになったら、ぜひ乗りたい、連絡を欲しい、と頼んであった。それで、なんと、急きょ8時半の乗り合い便がでることになったという。「乗られますか?」
乗ります、乗ります! と二つ返事で答えて。ああ、良かった。奇特な方がいてくれてよかった。おかげで助かった、と桟橋に行ったら、なんと恩人の正体は金華山黄金山神社の神主様だった! しかも昨夜、直会で盃を注いでいただいた神主様、ご本人ではないか。
クルーザーがやってきた!
宮司夫人 マリア様のような優しい微笑み |
しかも、乗り込んでみると、宮司夫人に遭遇!!
え~~~!! 宮司様まで?! 乗り合わせの恩人はすごい面々だ! 金華山黄金山神社、ミラクルな神域金華山の生き証人様たちではないか。黄金山神社のサイトで震災時の健闘ぶり、拝見させていただきましたよ。う~ん、頭が上がりません!
写真上は牡鹿半島の先端部分の黒崎。宮司夫人が教えてくれた。
乗り合わせの船は高速クルーザーなので、牡鹿半島までほんの10分から15分で着いてしまった。その間の貴重な時間に、夫人の故郷(私と同じ神奈川だった!)のことから宮司様との馴れ初めまで聞いてしまった私。今思うと、震災の時のお話を聞けば良かった~
またぜひ金華山を訪れたいと思います。その際はどうぞよろしくお願い致します。
さて、というわけで、鮎川で婦人らと別れて、バスに乗ったI氏と私。サンファン経由石巻行きだ。写真下は途中でチラリと見えたサン・ファン号。(帆の先端部分)
サン・ファン・バウティスタ号は日本における20世紀最大で最後のガレオン船、1613年に仙台藩の伊達政宗がフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、スペイン国王フェリペ3世、およびローマ教皇パウルス5世のもとに使節を派遣した、その「慶長使節」の際に乗られた船のことである。
また、サン・ファン・バウティスタパークは支倉らが見たイタリア広場をイメージして作られているそうだ。
支倉らが牡鹿半島の月ノ浦から出帆して400年、今年は記念の企画展も開催されている。
・海のまちと希望の帆船
私とI氏も企画展を見てみたかったが、バスの時刻表を見ると、どう考えても時間が足りない。後ろ髪を引かれる思いで通り過ぎ、そのまま石巻へ突入。お目当ては石ノ森萬画館だ。途中、石巻まちなか復興マルシェに寄って石巻焼きそばを見たり、仮面ライダーと記念撮影をしたり。
・石巻まちなか復興マルシェ ※仮設の商店街です。
で、石ノ森萬画館はマルシェのすぐ隣なので、北上川を渡って、中瀬に立つ萬画館へ。
写真下は「BLUE ZONE(ブルーゾーン)」。萬画館の最上階の3階にある喫茶店で、コックピットをイメージして作られている。そう、石ノ森萬画館は宇宙船をモチーフに作られた円形の建物なのだ。
私はよく日和山からこの萬画館を眺めたものだ。早朝、朝霧の中に佇む姿、夜の北上川に映える灯りと夜空の星の間に揺らめく姿。まさに宇宙船のように映ったものだった。
いつも外から眺めていたのに、今日は母船の内部にいるのだなぁ、と思ったら、不意に感慨が込み上げた。今はこうしてここにいるけれど・・
しばらく日和山に行っていない。がーこや子猫たちは元気だろうか。
コックピットをモチーフに作られた展望喫茶「BLUE ZONE(ブルーゾーン)」。
トレーにかわいい009を発見。
こちらは海斗カラーの海斗ソフト。ラムネとバニラのミックスだ。
・石ノ森萬画館「BLUE ZONE(ブルーゾーン)」
写真上の奥に撮影禁止の009の展示場がある。「サイボーグ009の世界」。石巻についてすぐ見に来たものだ。
今回はサイボーグ009ワールド展が開催中だ。
・第54特別企画展「サイボーグ009ワールド展~50年の軌跡~」(7/17~9/28)
写真上は、石ノ森萬画館をぐるりと回る通路。ずらりと石ノ森先生の漫画の絵が飾られている。宇宙船の窓(サブマリンの窓のようでもある)をモチーフにした円形がナイス。
壁にもこんな感じに。下は人造人間キカイダーの絵だ。
ふと窓を見ると、ちょうどからくり時計の時間だった! 写真上は、石巻を訪れて初めて友達になってくれた萬画館の警備員M氏の姿と、ずらり並んだ見物の人々。おお、上からからくり時計を見るのは初めてだ!
こちらは石ノ森先生が漫画家入門という本のために書いた漫画の原画(に注釈をつけたもの)。どういう意図でこの絵(シーン)を書いたのか、こういうコマ割りをしたのか、ひと目でわかるように説明されている。まじまじと見れば見るほど楽しい一作。
フランソワーズ(003のこと、009の中の唯一の女性戦士)のようなかわいいスタッフが出迎えてくれえる。石巻に着いてすぐ、この映像ホールで見た海斗のミニ映画が思い出される。あの時は、思いがけず感動して泣きそうになったっけ。
お土産売り場。
中途半端な写真になってしまったけど、左手にトキワ荘の展示あり。
正面入口。インフォメーションにもフランソワーズが。
それにしても、なかなかの盛況ぶりだ!
「みんな! 待たせたな!!」
こちらはサイボーグ009ワールド展前。
「今こそ みんなが ひとつになる時」
みんなの力を結集して、この街を守るんだ!
利休 仙台西口名掛丁店 すごい行列だ! |
萬画館の後は仙台牛たん、利休さんへ。
ここは海上タクシーで同乗させていただいた宮司夫人から教えていただいた店。これから仙台に行くなら(もし牛たんを食べるなら)、利休がいいですよ、と。正確には、「(利休の味は)なかなかよろしいですよ」と。よし、では行ってみよう、とやってきた!
・牛たん炭焼 利休
名掛丁店オリジナルのランチセット。テールスープとビーフシチュー、サラダ付き。
テースループ。たっぷりのネギの中に、牛タンのお団子がゴロゴロ入っている。
ビーフシチュー。こちらも肉が柔らかくて美味しかった! ちなみに、カレーと選べる。
写真上、仙台駅地下のお土産屋、S-PAL(エスパル)にて。仙台店の地下が宮城県の名産のおみやげが一同揃っていると、これも宮司夫人に聞いて訪れた。I氏と私も牛たんを購入。牛たん、・・申し訳ないがとても美味しかった。父と母にも食べさせてあげたかった。なので、土産にした。
I氏と仙台で分かれて、一人になった私は石巻へ戻る。
知り合いと食事をして、夜の9時。日和山へ向かうと、いつもの定位置で、首を長くして誰かを待っているがーこの姿があった。
写真上、定位置で誰かを待っているがーこ。正確に言うと、「待っているふうに見える」、ガチョウの姿。
がーこは日和山に住んでいるガチョウである。金華山の鹿のミミが震災後に死んでしまってから、一人で日和山の動物舎で暮らしている。片方の羽が折れている。片輪(※)の鳥だ。市に保護してもらってここにやって来た。さらに今は、高齢のための関節炎で片足を悪くして、びっこを引いている。
※不完全なもの、不格好なもの
私は石巻にいるとき、このがーこをずいぶんと可愛がったものである。初めて、日和山に来た時、泣いていたのだ。騒がしくがーがーと。それがお腹が空いた、という訴えのように聞こえたものだった。
この夜も好物のたんぽぽの草を持っていった。がーこは私を覚えていて、姿を見つけると嬉しそうに、ガーガー泣いてくれた。だが、待ちわびたように猛スピードで食べ始めたたんぽぽも、いつもの半分くらいの量で食べるのをやめてしまった。
最近はこんな調子なのだそうだ。以前より食べない。また水浴びをしていて、たんぽぽをあげても食べに来ない時があるのだという。(体操の友人のT氏に聞いた話だ)
翌朝、久しぶりに石巻の朝の体操に合流した。
ホテルを出たら雨が激しく降ってきた。雨だと体操は中止である。あちゃ~せっかく来たのになぁ、と思ったが、まぁ仕方がない。
日和山からのいつもの景色! 私の定点スポット、北上川、中瀬に宇宙船の萬画館。久しぶりに見られて嬉しかった!!
太平洋の眺めも久しぶり。牡鹿半島が見える。遥か遠くには金華山。
体操仲間のN氏。一番お世話になりました。会えてよかった!
なんと一番年配のA氏。私の父親よりも年上。若く見える!!
新人さん。二人も増えていました。今は10人になったのだそう。
今日の隊長はT氏、かな? 今日は日和山体操ならぬ、ラジオ体操をして解散。
がーこは水浴びをしていて、たんぽぽに見向きもしなかった。元気だということで・・いいのか。やはり久しぶりに会うせいか、いつもと様子が違うように感じてしまう。当たり前なのだが。ちょっとさみしい。
猫たちも元気! いつもの場所に行くと、わらわらと出てきた!
だが、やっぱり茶トラがいない。茶トラ(私が譲り受けたいと思っていた猫)は鳶に食べられてしまったようだ、そう家の方が話していた。その話をN氏にしたところ、氏は笑っていうのだ。
「いや、まさかあれだけ大きいと持っていけないでしょう。きっと猫好きの方がそっと持って行ってしまったんでしょうね」
なんと?! 猫好きの方が黙って連れて行ってしまった?! よく私もかわいい猫を見ると誘拐、拉致したいと思うがまさか?
本当かどうかはわからない。だが、N氏の想像によって、救われた思いがしたものだ。そうだといい。あれだけ育っていたのだ。毎朝毎晩キャットフードもあげたではないか。あのガタイを鳶がくわえて攫っていけるわけがないのだ、と。
どうか、どこかで、元気に育っていてくれるといい。
なんて、朝のほのぼのとした時間を満喫していたら、なんと道の向こうから人がやってくる。んんんん?? どこかで見たことある、あの方は、えっ? 金華山の神主様ではないか?! しかも私が宮司様だとずっと思い込んでいた神主様。帰りの海上タクシーで、「宮司は一人です」と宮司夫人に聞かされて、目を丸くしたものだったが。ええ? なんでこんなところにいるんですか?!
「30年目の節目で、辞めたんです」
えええ? 黄金山神社の神主様を?!
神主様は爽やかな笑顔で頷いた。今後のことはまだ考えていないというが、もしかしたらまた神主として働くかもしれないそうだ。「ここ」は散歩コースなので、しょっちゅう歩いているとのこと。ああ、驚いた。こんな偶然があるものか。
「今どんな気持ちですか?」
そう聞いた時、一瞬だけ、声を詰まらせたような気がしたが、いや、ただの私の勘違いだったかもしれない。
GW旅日記・金華山へ向かう道④ ~金華山を目指す航路~
神主様、N氏とT氏と別れた私。散歩をして、石巻神社をお参り。先ほどのがーこの様子が心配だったので、また日和山に帰ってきた。
うたた寝をはじめた。
驚いた。うたた寝どころがぐっすり寝てしまった。こんな姿、夜でも見たことがなかった。
私はますます心配になってしまった。
夜行のバスに乗る前にもう一度見に来よう。そう思って坂を下る。日和山に登るとき使っていた傾斜の急な坂道。この縄張りに住んでいた猫に会いたかったのだが、残念ながら2日の滞在中、一度も会うことは叶わなかった。
写真上は石巻小学校の前の金華山の石碑。懐かしいなぁ。この石碑、以前は永巌寺さんの前にあった・・ ものと同じだと思うが、永巌寺さんの前に立っていた。正確にいうと、「前に転がっていた」のだ。震災のせいなのか、そういう置き方をしていたのか、未だにわからないが・・ まぁ、それは置いておいて、この石碑を見て、私は金華山に行きたいと思うようになったのだ。
すべてはここから始まった、そのルーツである。
これが今年の2月に見た時の石碑。(てっきり私は金華山の方角を指しているものだと思い込んだ)
グランドホテルで朝食! こちらも久々で嬉しい。(珍しくイクラが小鉢ではなく取り放題になっていたので)2月によく食べたいくら丼スタイルで。ちなみに、サラダの下に、ミニトマトをたくさん盛ってある。グランドホテルさんのミニトマトはとても美味しいのでトマトファンの方にもおすすめだ。うん、宮城のトマトが美味しいのかな?
ホテルにこもって仕事を済ませて、神奈川に戻る前にまた日和山へと足を運んだ。
そう、2月から石巻で暮らしていた私。半年が過ぎて、今はまた神奈川に戻ってきているのである。それで、毎朝通っていた日和山のこと。体操仲間に子猫たち。そして、がちょうのがーこのことが気になっているというわけだ。
今どんなお気持ちですか? うん、神主さまのように30年というわけでもない。大したことではない。だが、金華山と日和山はちょっと似ているようだ。愛しい私のサンクチュアリ。日和山公園はすでに秋の気配だった。ひんやりする風が吹いて、キバナコスモスが揺れ、足元に桜の葉がひらりと舞い落ちた。
雨宿りをする猫たち。また雨が降り始めてきたようだ。
大きくなった子猫たち。10月にはまた会いに来たいと思っている。それまで元気でいてくれるといい。鳶に食われないように! もしくは拉致されないように。
そして、一番心配なのはガーコ。(って、言ったら、T氏に、人間だって弱いんだよ、と言われてしまったが・・)
「がーこ!!」
別れの挨拶をしに行くと、がーこは私の姿を見つけて、たんぽぽを食べ、ひとしきり鳴いた後、颯爽と水場に向かって行った。何事もなかったかのように、気持ちよさそうにすいすい泳ぎ始めるではないか。雨が降っているのに。まるで私のことなど眼中にないかのように。
「さよなら、がーこ」
ガーコの最後の姿が、うちの猫の求愛のポーズに似ていたものだから、私はすっかり胸が切なくなってしまった。がーこなりに、毎日来ていた私が突然来なくなったので、思うところがあったのかもしれない。ガチョウにだって思いは伝わるのだ。
霧雨の中、私は日和山を後にした。
さよなら、がーこ。さよなら、萬画の国、石巻。
感傷的な気持ち。まだまだ石巻とお別れするつもりなどなかったのに、別離を突き付けられた思いがした。
いや、とっくに別離はあったのに、現実として受け入れられていなかった。私は初めて知ったのだ。もう終わったのだということ。そして、がーこの別れがこんなにもつらいものだということ。
「人間だって弱いんだよ」
それとも、あれは「私だって」だっただろうか。動物の心配ばかりしている残忍な私を、T氏が見送ってくれた。仙台行の高速バスのバス停の傍の喫茶店、二人でパフェを食べて笑いあった。
それでも、最後は笑顔で。美容院に行ったというT氏。とても綺麗でした。
お見送り、どうもありがとうございました!
チーズケーキのパフェ美味しかったです |
それから二人旅の間中お世話になったI氏。ダンサーのM氏、民謡歌手のE氏。神主様に宮司様。日和山の面々に。
たくさんの人々に、どうもありがとう。おかげで楽しい旅だった。
今回の旅日記はこれでおしまいだ。そうそう、最後に一つだけエピソードを。
金華山から下り際に、送迎バスで桟橋まで送っていただいた。前回お話した、例の金華山に来たばかりだという運転手さんだ。愛宕神社どころか、まだ金華山のことが右も左も良くわからない・・という。
40代から50代くらいだっただろうか。壮年の、若く見えたその彼に私は訊いたものだ。おそらく、愛宕神社も知らないくせに、という思いがあったのだろう。多少の皮肉を込めて。どうしたらこんなところで働けるのですか。いいですね。ずっとずっと金華山にいられるのですよね。
「はぁ、そうですか」。たいして感慨もないように頷いた。
それでも、少しは誇らしげに答えたものだ。金華山は求人など出しません。たまたま欠員が出た。それで、自分も親の代からの知り合いから、たまたま話をいただいたのです。
ああ、そうか。こうしてすべてが終わってみて、この運転手の方の言動がぴたりと来るというか。すべてが符合したような思いがする。
別れていくもの。新しくやってくるもの。人や想い、それらから形成される文化や歴史は、さまざまに形を変えていくけれど。
それでも、その中で、繋いでいくべきもの、伝えていかなくてはいけないもの、そういう確固としたものが確かに、ある。今回の旅では、そんな人と人、もしくは誰かの思いや古の文化との・・ 金華山日誌風に言うならば、
「横と縦のつながり」
とでもいうべきものをたくさん目にしたように思う。
ああ、楽しい旅だった。そして愛しい旅だった。
貴方も是非、金華山に行ってみるといい。金運や開運の御利益に、そして失いかけていたつながりを取り戻すことができるかもしれない。人生を再構築するために。さあ、出かけよう。この青い地球の旅へ。