鎌倉藤沢紅葉めぐり 「使われぬ切符と8分の3の刻印」




今年の紅葉に決着を付けなければならない。

次の季節へと移る前に、たとえ燃ゆるような紅葉が見れなくても、心のけじめを付けに行くのだ。

11月最後の、この週末と決めた。



紅葉前線を調べても調べても、近場で美しいイタヤカエデやイロハモミジに出逢えそうなところは見当たらなかった。

ほんの3年前までは、まだ何とか12月の一歩手前で、かろうじて、拝めたと思う。

ところがダメだ。

去年からさっぱり、くれないの紅葉は、出逢えることが奇跡のような手の届かぬ存在である。



北海道くらいまで行けば、まだカエデたちは美しく咲いているんだろう。

関東なんてダメだ。


心のけじめを付けに行くためだと割り切って、近場の紅葉スポットを目指して家を飛び出した。



駅でパスモをチャージして、ふと「藤沢鎌倉スタンプラリー」の広告が目に付いた。



『第11回 ~紅葉めぐり~ 鎌倉藤沢スタンプラリー』



偶然を必然と信じるたちである。

どうせ諦め気分の旅ならば。





スタンプ押印用のちらしを一枚手にして、逆方向の列車に乗り込んだ。

幻想である。鎌倉ならば、まだ古殺に相応しい焼付くような紅葉が見れるように思われた。





賭けてみようか?




ローカル線で隣り町、スタンプラリーの広告の勧めに従ってフリーパスを購入するべく、途中下車。



「そうそう、スタンプラリーだからね。8か所の寺社を巡るからね。」



したり顔でつぶやいて見せるのだが、おかしなことに、私はひとつめの遊行寺で躓いて、結局鎌倉までは辿り着けない始末だった。



目的地まで行ける切符を持っている。

なのに、入り口の一つで迷い込んでいる。


そのことが、今の私と重なって思えては、可笑しいような、情けないような。

よほど、遊行寺の刻印を諦めようかと思ったが、それでも行くのだ。


鎌倉の紅葉を想いながら。切符を愛しく握りしめて。

まだまだ手前のはじめの一つの見知らぬ藤沢の街を、陽に照らされながら歩いている。




タイムリミットは決まっていた。

真上に向かう太陽を見て、心が逸りはじめると、その焦る思いさえ重なる。



「今の私とおんなじだね。」




やっと現れた 清浄光寺 時宗総本山遊行寺 総門

いろは坂から大銀杏と本堂望む
見事な大銀杏の黄葉を見せて喜ばしたい人がいたが 
残念ながら染まる前に葉が散っている

中雀門

歴代上人 御廟所

宇賀神 銭洗弁天

県指定重要文化財 清浄光寺堂鐘 鐘楼堂

本道

宗祖一遍上人像

小栗利宮 照手姫の墓

遊行会館と放生池

スタンプラリー三箇所目 参道から鎌倉長谷寺山門望む

良縁地蔵

今年の枯れた紅葉と経堂

輪蔵 (まわり堂)

夢違観音

本堂(観音堂)前

卍池

庭園 椿

庭園 一番紅葉らしかったイロハモミジ

長谷寺 山門

青葉のまま枯れて行く楓たち

和み地蔵



私が辿り着けたのは、鎌倉の3駅手前の長谷寺までだった。



遊行寺。

江ノ電藤沢駅。

長谷寺。




スタンプラリーの刻印は8分の3。

あとは次回へと持ち越しとなった。(期間中に押せばいいのである)


紅葉の決着も同様に、持ち越された。今の私は紅葉とは出会えない。決着は付かない。はじめからそれは決まっていたように。






無計画で、何とも間抜けな旅だったが、それでもいいことがあったことを伝えておきたい。

遊行寺の山門で写真を撮っていると、80歳ほどの老人に声をかけられた。

地元だそうで、寺や町の歴史に詳しく、私にお勧めの寺の被写体を教えてくれた。



足が悪い彼は、石段の上り下りも一苦労だったが、「散歩をした方が健康にいいんです」と屈託のない笑みを見せて、寺院の端から端まで、私のために歩いては、寺の歴史や建造物の知識や撮るべきポイントや、その深い造詣を惜しみなく与えてくれた。


長い間、寺院を巡る小さな旅をしていたが、このような案内人が得られたことは、初めてのことであった。



「お友達とまた来てください」


彼は何度も言った。良かったら、と。


あれは社交辞令の挨拶ではなくて。




「今度はあなたが、このお寺の良さを、お友達に紹介してあげてください」


そういう意味だったのだろうと思っている。




散々迷わされた遊行寺だったが、それでも、辿り着いて、彼の笑顔と言葉に出会えて、良かったのだろうと思ったものだ。


あとは少しでも、彼の希望に沿えたらいいのだが・・・






そして、旅の最後となった長谷寺。


やはりそこにも紅葉はなく。それは覚悟していたが、少なからず衝撃を覚えたのは。



モミジは枯れながら咲いていた。



青々と、もしくは渇望したように枯れながら、それでもまだ落葉も出来ずに、樹木の枝にしがみ付いては揺らいでいた。




可哀想になぁ。可哀想になぁ。


もしかしたら、鎌倉の紅葉はくれないに染まっていたかもしれぬ。

それでも、あわれな紅葉たちを見ていたら、焦りはいつしか消えていた。





世界は、狂い始めている。





帰り間際に、長谷寺の山門の前で、落ち葉を拾った。

土に還るとはどうしても思えぬ、痛々しい一葉を、私はずいぶん長いこと、手の中で弄んでいた。









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