「九十歳。何がめでたい」ーー笑って泣いて、うっかり本質に打たれる本。
先日アマプラで、「九十歳。何がめでたい」という映画を観た。
とても面白かったので、原作を読んでみたくなり、佐藤愛子さんの本を買い求めた。
佐藤愛子さんといえば、エッセイの旗手。
私が少女の頃は「娘と私」というエッセイシリーズが大人気で、少女雑誌で漫画化されたりしたものだ。その影響で、私も佐藤愛子さんの本を読んでは、大笑いさせていただいた。
あれから40年近くが経ち、まだ佐藤先生が現役でエッセイを書いておられたことを知り、とても驚かされた。(10年ほど前の作品だが・・)
そして、その内容を読んで、変わらぬ切り口の鋭さと、ユーモアと、温かさに、また驚かされた。
愛子節は健在だ!
九十歳。何がめでたい。ーーこの不変さこそ、めでたくなくて何だというのだろうか。
「九十歳。何がめでたい」(佐藤愛子)
【あらすじ】
全国書店でベストセラーランキング1位続出の2016年最大の話題作! 各界の著名人も笑って泣いて大絶賛! 清々しい読後感に、心がスカッと晴れて元気が出ます!
◎キャスター・安藤優子さん 「とにかく痛快でした。言いたいこと言って、縦横無尽に切りまくる。でも不思議なくらい温かい」
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・まるで掛け合い漫才のような、現代の正論とアナクロ正論のぶつかり合い
そして、読んでいるうちに、アナクロな価値観の方が正しく、正論であるかのように思わされて、思わずはっとさせられる。
そちらには心があり、愛があり、だが我々の時代には決定的に何かが欠けているのだ。
我々は、なんと退化したのだろう、と本気で未来が心配になってくる。
うっかり佐藤愛子マジックにハマってしまう。
(でもこれは杞憂じゃなくて、本質かもしれない)
・印象に残った章をご紹介!
特に心を掴まれた文面を二つほど紹介したい。
ひとつめは、「平和の落とし穴」というエッセイで、平和な現代人が新聞に人生相談するその内容を杞憂したものだ。
佐藤愛子は言う。
「(男女平等となり)日本女性は強くなったのではなかったか?
知的になったのではないのか?
主体性をしっかりに身につけたのではないのか?
なのに、この人生相談は、これはいったい何なのだろう。
自分の心の持ち方、感じ方まで他人に教えてもらわなければならないとは・・・・・。」
昔の人生相談は、もっと人生の深刻な悩みだったそうだ。今は心がざわついているという心のあり方を相談してくる。弱くなった、と嘆いているのである。
もうひとつは、「来るか、日本人総アホ時代」と言うエッセイ。
スマホやPCなど便利になった世の中に対して、こんこんと言うのである。
「「文明の進歩」は我々の暮らしを豊かにしたかもしれないが、それと引き替えにかつて我々の中にあった謙虚さや感謝や我慢などの精神力を磨減させて行く。
もっと便利に、もっと早く、もっと良く、もっときれいに、もっと美味しいものを、もっともっともっと・・・
もう「進歩」はこのへんでいい。さらに文明を進歩させる必要はない。
進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力である。私はそう思う」
どちらもぎくりとさせられる。何とはなしに耳が痛い話だと思う。
現代の文明や民主主義の最先端であるはずの価値観に、古い集団主義や権威主義や家父長制、役割分担等、高度成長時代の古い価値観が本気で挑んでくるような感じだ。
はじめは面白おかしく読んでいたが、次第に、負けるはずはない試合で打ち負かされているような不思議な思いに襲われてくる。
今は年寄りが敬意を払われない時代だと佐藤愛子さんは書く。
だが、この本を読んでいると、思わず畏怖の念が込み上げてくる。
本気で負けそうになる。
まるで今の価値観が、昔の鋭さに完敗していくような読後感だった。
このエッセイがベストセラーになったのも頷ける。
おそらく多くの方々を勇気づけたのではないだろうか。
私もこのような老人になりたいものだと思わされる一冊だ。
ちなみに、映画の方もエッセイとはまた違い、佐藤愛子さんが本を書くに至るまでのサイドストーリーのようになっていて面白かった。
心が温まりたい時にぜひ観てみてはいかがだろうか。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
今日も素晴らしい一日となりますように。
願いを込めて。