ハンチバックを読んだ日、美容院に行った日。
こんにちは!ららです。
昨日は美容院に行って、久しぶりに心が晴れやかになるような時間を過ごしました。
仕上がりがとても気に入って、美容師さんに思わず撮っていただいたほどです。
下に写真共有しますので、どうぞ最後まで見ていってくださいね!
さて、美容院でリフレッシュしたあとは、静かな部屋で本の世界へ。
ハンチバックという「せむし」の女性の物語を読みました。
ハンチバック(市川紗央)
【あらすじ】
第169回芥川賞受賞。 選考会沸騰の大問題作!
「本を読むたび背骨は曲がり肺を潰し喉に孔を穿ち歩いては頭をぶつけ、私の身体は生きるために壊れてきた。」
井沢釈華の背骨は、右肺を押し潰すかたちで極度に湾曲している。 両親が遺したグループホームの十畳の自室から釈華は、あらゆる言葉を送りだす――。
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・感想は・・
斬新で、いやらしくて、哀しい。
冒頭から「都内最大級のハプパに潜入したら港区女子と即◯メ3Pできた話(前編)」という(WEB)ライターの潜入レポで始まります。
やけにありがちな文面でリアルです。そして、すぐにそれが、30年間家を出たことがない障がい者(筋疾患先天性ミオパチーという難病)の女性が書いていると知らされる。
驚きました。
そのせいかもしれません。ラストに場面展開して、不意に官能小説のようになるのですが、もう現実だか虚構だか何が何だかわからなくなってしまいます。
余韻を残す不思議なエンディングとなっているのです。
・障がい者の哀しみと呪い
この物語を読んで、私はどれだけ自分が幸せだったのかを知りました。
改めてその事実を知って、打ちのめされる思いがしました。
例えば「出版界は健常者優位主義(マチズモ)だ」という言葉が出てきます。私は本を読めることがこんなに幸せなことだとは、思いもしませんでした。
健常者であることにあぐらをかいて、知らずに幸せを貪っていたことを知りました。
子供がいないことも、結婚できないことさえ、幸せだったと知りました。
胎児の人権さえも、普通でありたいという欲望に及ばない女性。
主人公釈華の痛みに触れることで、自分のことを改めて見つめ直すことができたのです。
障がい者の主人公と比べて、自分を幸せに思うのは醜いことです。しかし、たとえ社会的弱者であろうと、身体的に普通であることはいかに尊いのか。
それを教え諭して、救いを与えてくれる小説だったのです。
最後に、聖書エゼキエル38、39章の言葉(※)がでてきます。この語感とリズムがとても良かった。先入観から釈迦の言葉かと思って読んでいましたが、聖書でした。
予言を成就させるかのようなエンディングも、恐ろしいながらも、子宮的な温かみがあり良かったと思います。
(※)意味についてはこちら(下リンク先)をご覧ください。
芥川賞受賞作「ハンチバック」──「生きよ」〜エゼキエル16章、38、39章
・そして美容院のお話の続き
美容院には数年来、悩みを抱えていました。
美容師さんとの会話に気を遣ってしまったり、美容院そのものとの相性が合わなかったり・・
でもこの日は、美容院に行けることが、まるで奇跡のように感じられた1日でした。
家を出て、歩いて美容院まで行き、普通に座って、その姿勢で2時間耐えられることだって、本当に尊いことなのだと思います。
少々居心地が悪く感じたって、自分を褒めてあげたいと思います。
綺麗に仕上げていただいた、美容師さんにも感謝をしなくてはいけませんね。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
心温まる時をお過ごしになられますよう。
願いを込めて。