天上の花、曼珠沙華とミーちゃんの話。


 

 彼岸花は不思議な花である。妖しい魅力がある。

 私は彼岸花の咲く時期が好きで、よく写真を撮ったものである。

 そして、今年も彼岸花の時期がやってきた。

 

 今日はミーちゃんの8回めの月命日だ。

 正確にいうと7回め、2月は30日がなかったから。

 それにしても、もう8ヶ月も経ったんだなぁ、と驚かされる。月日が経つのは早い。ただしミーちゃんが亡くなったこと自体は、もう遠い過去のような気がしないでもないのだ。ミーちゃんが生きていた頃の記憶が徐々に薄れていっている。


 ミーちゃんが亡くなったばかりの頃は、頭では理解していても、行動が変わることを拒んでいた。習慣となっているご飯やお水、ミーちゃん用のトイレ、ミーちゃん用のお風呂場にあるお水の洗面器や、もろもろのミーちゃんのための全てが、生きていた頃と同じように取りかえられて、日々更新されていた。


 ところが、段々と、8ヶ月をかけて、徐々に習慣が変わってきているのだ。

 




 写真は先々週から咲き始めた彼岸花。

 不思議なもので、お彼岸が近づくと、それまで何もなかった空き地の斜面に、突然咲き始めた。




 そして、お彼岸を終えて、近所の神社の例大祭が過ぎると・・



 一斉に枯れ始めるのだ。




 なんという神秘。

 これだけ温暖化と騒がれて、異常気象とかが起こっている時代に、お彼岸の前にどこからともなく咲き始めて、お彼岸が過ぎると、まるで全てわかっているかのように、自然と散っていく彼岸花。

 一体どういう標があるというのだろう。真夏日ばかりの今に?


 今年はミーちゃんのおかげで霊やお供えのことをよく考えるせいか、彼岸花とお彼岸の関係性がとても奇妙に、神妙に、思えてならなかったのだった。

 いつもは咲いている花のことしか気にならなかったのだが。




 ミーちゃんのご飯を入れるのをやめて。
 お水はお供えだけにし始めて。

 お風呂場の桶の水飲みはそろそろやめようかなと思い始めて。
 そもそもまだ生きていた頃と同じように、毎日置いていることに驚いたりして。

 少しずつ少しずつ、ミーちゃんがいない生活に変わっていっているのだった。




 8ヶ月経つのだから、そろそろ、それが普通なのかもしれない。

 すごく早かったようで、遠い昔のことのようで、不思議な時間の流れだった気がする。

 
 今日、いつもの公園に行ったら、枯れている彼岸花の中で、いくつかまだ頑張って咲いている彼岸花があり、カメラを持った女の方が、一生懸命撮っていた。





 神様からなんの徴を授かって、毎年同じ時期に咲いて、枯れているのか、不思議な、神秘な彼岸花。ミーちゃんにはお墓がまだないのだが、亡くなったもののことを思い起こさせてくれるに十分な存在だった。今年もありがとう、今年は特にありがとうと感謝の言葉を添えて。

 今年も彼岸花の時期が終わる。



 今日も最後まで読んでいただきどうもありがとうございます。

 素敵な時間を過ごされますよう。

 願いを込めて。


 ※更新が遅れて申し訳ありません。1週間に1回は更新したいと思います。




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