ミーちゃん、灰になる。

 

 こんにちはー

 今日は悲しいお知らせがあります。

 我が家の愛猫、元岩手の野良猫ミーちゃんが、虹の橋を渡ってしまいました。


病院でのミーちゃん
病院でのミーちゃん 私に寄り添って


 先週ブログを書いたときは生きていたのに。あれから1週間しか経っていないのに、全てが変わってしまいました。まだ信じられない思いでいます。

 時系列で書きますと、先週、ブログの後で、ミーちゃんは動物病院に行きました。
 先生に、

「2月までは生きるだろうと思ったけれど、難しいね、後2週間くらいかな」

 と言われました。

 またその時に、体重が増えていることに気が付いて、もちろんミーちゃんは何も食べていませんから、点滴をやりすぎて体が浮腫んでいたことが発覚しました。このままでは胸に水が溜まってしまう、もう点滴はできません、と言うことになりました。 




 ついに「何もしない」と言う選択肢を受け入れることになりました。

 そのあとは、最後の選択肢、「ターミナルケア」が待つばかりです。
 ターミナルケア、と書くと体裁がいいようですが、要するに安楽死です。先生の話によると、日本人は最後まで頑張ることが美徳であるかのように思っているけれど、動物のことをあまり考えていない、自己満足的な節があるそうで。
 だから、あまりにミーちゃんがつらそうだったら、

 「最後の治療として、行います」





 それで私も、もしもミーちゃんがあの頑張り屋さんで腎不全を3年7ヶ月も頑張った並外れた生命力のおかげで、死ぬに死にきれない辛い状況になってしまったら、そのときは考えようと思いました。

 例えば膀胱が破裂してしまいそうに痛かったりとか・・尿毒症が進行して、神経が参ったり、とても痛い思いをする、そう言うのは嫌だなと思いました。
 




 ミーちゃんはでも元気そうでした。何も食べないけれど、ベランダに散歩に行き、日向ぼっこをして、私と記念撮影をするときも笑顔のような顔を見せました。

 でも、病気はゆっくりとミーちゃんを襲い続けていて、29日の夜です。ミーちゃんは家中を歩き始めました。夏に、病気が進んだ時にこもっていたバスルームまで歩いたり、昔脱走した玄関の外に行きたがったり(ドアを開けてあげたら外の通路に出て座り込みました)、ウロウロと、徘徊するように、家の中を歩きました。

 それで私は翌日、出勤の予定をあらためて、テレワークに変更しました。

 嫌な予感がしました。翌日、ミーちゃんは2階で仕事している私を何度も呼びました。
 
 「ナー・・」

 とか細い声で、なんとも情けない声で。
 それが3回ほど続き、私はパソコンを持って、1階に降りてきて、それからはミーちゃんの隣でずっと仕事をしました。





 それが30日です。それでもミーちゃんはその日も日向ぼっこをして、ベランダにも出て行きました。いつもと同じように過ごしました。
 ただ、時々、何かを吐き出すような嗚咽をして、手を前に上げてバタバタさせました。神経系がおかしくなっているのか、呼吸器の発作なのか、私にはよくわかりませんでした。

 夜、早めに寝る体勢になり、2階でキーちゃんを寝かしつけている時、またミーちゃんが下で、ナーと泣きました。これは、泣いた、呼ばれたと言う記憶があるのですけれど、その記憶が曖昧で、よく覚えていないんです。ただ、キーちゃんを寝かしつけながらうとうとしていた私が(10分か20分くらいの間です)、急いで下に降りたのは覚えています。

 そしてミーちゃんと一緒に寝ました。お布団に入り、ミーちゃんはいつものようにお布団の上で寝る体勢になりました。いつもと違うのは、ミーちゃんんが右手ではなくて、ストーブ側の左手に来たことくらいです。寒いのかな、なんて漠然と思っていました。ミーちゃんの尻尾が焦げないように、そんなことを心配して、ストーブを少し離れさせて。

 ミーちゃんはまた嗚咽のような発作をして、そして寝てしまいました。寝たような気がしたのです。最後の日まで上半身は起こして寝ていたミーちゃんですが、ついに、横になって。ぐっすりとストーブの前で暖まりながら。

 私もなぜか安心したような気持ちでうとうとしてしまい、ふと目が覚めた時、ミーちゃんはまだ同じ姿勢で寝ていました。咄嗟に嫌な予感がして、

 「ミーちゃん」

 ミーちゃん、ミーちゃん、と呼びましたが、動きません。
 ミーちゃんはもう死んでいました。





 1月30日の午後7時51分でした。

 その日の夜は、用意してあった箱にミーちゃんを入れ、その前に身体中をきれいに拭いて、そうして、キーちゃんと三人で一緒に寝ました。

 夜中のうちに葬儀場の予約を入れて、翌日のお昼の葬儀が取れましたので、1月最後の日、ミーちゃんと一緒に、最後の散歩をしました。




 横浜市まで出かけて、「よこはま動物葬儀センター」さんまで行き、葬儀と火葬をしていただきました。ここは動物用の炉がちゃんとあり、丁寧に火葬をしてくださる良いところとの評判があり、前からここで行いたいと思っていました。





 ミーちゃんが死んだ後から、何か実感が伴わず、黙々と片付けや手続きをしていたわたしですが、ミーちゃんが炉に入るとなった時に、その扉が閉まって、ミーちゃんの姿が消えた時に、抑えきれず、涙が出てきて。待合室で号泣してしまいました。涙が後から後から出てきて、止まりませんでした。




 写真上、よこはま動物葬儀センターさんで、買ったスワロフスキーのペンダント。骨壷に収める前に、ミーちゃんの骨を少し入れていただきました。





 ミーちゃんは思えば本当に可愛らしい猫でした。いじらしいほど可愛い猫でした。いつも私の散歩・・ゲームやSNSをしながらの自分勝手な・・散歩に付き合ってくれて、夜も、いくら寒い夜でも、私が寝ると、こたつから出てきて、一緒の布団で寝てくれました。いつもで、どこまでも、私と付き合ってくれました。

 キーちゃんはどちらかと言うと私を導いてくれるような猫なのですが、ミーちゃんはそっと寄り添ってくれるような猫だった。本当に、本当に、可愛い猫でした。

 キーちゃんと二人の時は、私は猫を相棒か恋人のように思っていたのですが、ミーちゃんが来てくれてから、家族と思うようになりました。ママのような自覚もできて、しっかりしなきゃと思いましたし、キーちゃんに対しても甘えることは少なくなりました。3人と言うのがまた家族の単位なんですよね。

 ミーちゃん1匹いるかいないかで、私とキーちゃんの関係性も、私の精神性も、かなり変わっていったと思います。独り者の私が、家族を持ったような思いを、幸せを味わうことができました。全て、ミーちゃん一人のおかげです。


 ありがとうね、ミーちゃん。




 3年7ヶ月お世話になった病院に挨拶に行き、ケーキを差し入れしたところ、病院よりお花をいただきました。いつも亡くなった動物に送られているそうです。(花屋さんより聞きました)良い病院で見てもらい、本当に、ミーちゃんも幸せだったと思います。


 最後の願いは、四十九日が過ぎて、ミーちゃんが本当に旅立った後のことです。よく夢に出てくると言いますよね。「生まれ変わった。今○○にいる、迎えに来て!」と言うような。そう言う夢を見ないかな、と言うことです。


 ミーちゃんがもう一度生まれてきてくれて、一緒に過ごすことができたらいいのになぁ、と。そんなことを夢見ています。


 そうしたら私、あと20年は長生きしなきゃと本気で思うのですよ。

 本当は後5年くらい、キーちゃんを見送ったら死にたいと思っていたのに。不思議ですよね、ミーちゃんが戻ってきてくれるならば、20年でも30年でも生きてしまいそうな勢いなんですよね。


 では、今日も最後まで読んでいただきどうもありがとうございます。


 素敵な時間を過ごせますよう。

 願いを込めて。


 



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