それでも人生は続いていく。「ドライブ・マイ・カー」


 ドライブ・マイ・カーを見た。 



 海外で高い評価を受けている映画ということで、ずっと興味があり、見たいと思っていた。なぜなら、日本映画はもう終わっていると思っていたので。韓国映画の方がずっと面白い。どうしてこうも安直なテレビドラマの焼き回しみたいな無害な作品を作り続けるのだろう。何も心に訴えてくるものがない。黒澤明や小津安二郎監督の路線をどうして継承しないのだろう。不思議でたまらなかった。ところがその日本映画が、海外で高い評価を受けたという。原作はやはり海外で認められている村上春樹だという。これは見たいと思っていた。

 ということで、長い長い映画、約3時間(179分)を一気に見てしまった。

 感想を結論から言うと、とても不思議な映画だった。かなり現実味のない曖昧な手法で、人生の辛いリアルを表現しようと模索している映画だった。そして、かなりの確率でそれは成功しており、とても引き込まれる内容に仕上がっていた。つまり、3時間飽きずに観賞できるほどに、面白かった。

 我ながら冷めた感想の書き方だが、観ながら「よくできた映画だなぁ」と感嘆する箇所が何度もあり(とくに主人公と間男と運転手での3人のドライブシーンは最高だった)、そられの感嘆は、娯楽映画を見て味わう感動とはかけ離れた類のものだった。本当によく計算されて作り込まれた映画という感じがした。少なくとも、安直で、無害ではなかった。

 初めから不思議な映画だった。性行為を終えた後らしき男女が、棒台詞で「物語」を話している。好きな男の家に空き巣に入る少女の物語だ。どうやら二人は夫婦であり、物語を共有することで深い関係性を築いていることが次第に明かされる。棒台詞の「物語」は、夫の車の中でも聞こえてくる。人生の旅を隠喩するドライブ(主人公は真紅のサーブ900という一昔前に流行った車を大切に、大切に、乗っている)の最中に、妻は演劇のセリフを語り、夫はその妻のテープの音声に合わせて、相手役の自分の台詞を吐き出すのだ。夫はその時間を持つために、わざと目的地を遠くにしてドライブの時間を増やしている。今度の物語は、ロシアの文豪チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」。悲劇が起ころうとも辛い人生を生き抜いていこうと最後に語る戯曲で、ロシア文学らしく隠喩とは程遠いわざとらしい直接的な心情の表現が溢れているセリフが続く。それを妻が棒台詞で読むのである。

 70分のプロローグから本編へと淡々と映画の物語は続くのだが、その中で、この二つの「物語」が不思議に絡まり合ってくる。淡々としたシーンを説明するかのようにチェーホフの「物語」が入り、映画の物語に気付きや深みを与えるのだ。まるで別の局面のように見るものを誘ってくるのだった。そして、妻と夫の次第に暴かれていく関係性には、空き巣の少女の「物語」が語られる。夫と妻の「物語」を共有する行為は、何も特別なことではなかったことも明かされる。この二つの「物語」を通して、主人公の心の傷も次第に丸裸に晒されていく。

 主人公は、人生を続けるためにドライブに出る。演劇祭の行われる広島から、娘が生きていれば同じ年齢だっただろう運転手の少女と、彼女の生まれ故郷である北海道に、長いドライブに出るのである。その旅で、運転手の少女の、真実か、嘘か、区別のつかない小さな「物語」が語られ、もはや物語が虚構でもリアルでも二人には・・観る者にとっても、関係がなくなってしまう。主人公は正しく自分の心(の傷)と向き合うことをやっと覚えて、そうして、旅を続けていくことを決意するのだ。「僕たちは大丈夫だ・・」やっていけると泣きながら。

 この物語が海外で受け入れられたというのが、驚きのような、喜ばしいような思いがする。あれだけ娯楽作品に長けた欧米でも(米だけ?)、「主人公が自分の心をやっと見つめて本心に気づく」過程を描く映画・・・しかも貧困や虐待などの辛い現実も入り混じってくる・・という地味な映画に、喝采をするとは信じられない思いだ。だが、黒澤明や小津安二郎が書いていたのは、そういう自分の心と向き合うような地味な作品で、作中で語られる「ワーニャ伯父さん」「空き巣の少女の物語」の趣旨とも似ているような気がした。今の日本映画はそういう直接的なところを排除して、娯楽映画に走りすぎていたのかもしれないなどと思った。

 この不思議な映画のとても良かったのがラストシーンである。舞台は韓国で、運転手の少女が一人でドライブをしている。車はもちろんサーブ900である。日常の買い物をスーパーでした後だ。車の中には、演劇祭で出会った盲目の役者(韓国の女性)の犬がいる。少女は、微笑みながら続く道を走り、幕。ジエンドである。

 妻を殺した(失った)主人公の夫(西島秀俊)と、母を殺した(失った)娘が、お互いの罪と傷で結ばれて、ワーニャ伯父さんとソーニャのように、寄り添いあいながら生きている光景が目に浮かぶようだった。おそらく演劇祭で出会った韓国の方といい関係性を気づいているのだろう、彼らの場所をよりどころにしているということが想像された。私は見逃したのだが、運転手の娘の、辛い過去の事件で背負った顔の傷が無くなっていたと指摘する方がいた。(映画のレビューを書いていた方)傷を取るくらいだから、もしかしたら、父と娘(伯父と姪)ではなくて、男と女という関係に近づいているのか、などと想像したら、少しおかしくなった。そうではないことを祈りたい。それはただ、彼らの治癒力を象徴しているだけなのだろうと。

 ちなみに、この映画の中の、日本と韓国の関係は、日本がリーダーで、韓国の方がそれを助けるという・・かなり古いような気がした。今では対等か、韓国の方の方が上に行っている(と彼らは思っている)のではないだろうか。日本だけが、昔の関係にしがみついているような気がして、少し違和感を覚えたが、どうだろう。



 先週、千葉で有名らしい「たこ米」というご飯を食べた。
 めちゃくちゃ美味しかった。久しぶりに美味しいご飯を食べた気がした。水分が多くて、米の味がしっかりとしていて、米だけで食べてもいける。チェーン店の定食屋で安い米を食べ慣れているので、味の違いがよくわかるようになってしまった。(残念な気付きだった)

 定食をいただいたのだが、量が多くて驚いた。油物は食べられないので、ヒレ肉のカツは残してしまった。(食べたかったが、現在、食事制限があるので・・)

 

 うちの猫のキーちゃんとミーちゃんはなんとか元気にやっています。
 キーちゃんは最近ずっと不機嫌そう。(ミーちゃんにかかりきりだから)
 ミーちゃんは、ますます天使さんのようになってきた。(雰囲気が儚げで、天使さんのような透明感が増してきた)


 というわけで、今週もうちは元気にやっています。

 最近映画が面白い。何を見ても面白い。ハマって仕方ないです。

 ドライブ・マイ・カー、道は続くよどこまでも。アマゾンプライムで無料で見れます。興味のある方はどうぞ〜


 ではでは、素敵な時間を過ごせますよう。

 願いを込めて。



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