それは何を伝えるために起こったのか。「レッド・ライト」

 

 こんにちはー

 最近、小林麻耶さんと元旦那のあきらさんのアメーバブログが世間を騒がせていますけれど、あれね、偶然ではないと思うんですよね。私は常々、突然私の身に降りかかる事象は、決して偶然ではなくて、すべてて必然的に神からもたらされることだと思っているわけで。

 ほら、ユーミンの「すべては神からのメッセージ」という歌の通りですよ。何かしらを私たちに教えるために、起こるべくして起こったことだ、と信じているわけです。

 だからと言って、あきらさんが「(自分は)創造主だ」と公言するのは、ちょっと無理があると思ってしまう。所詮人間ごとき。神の使いになれる方はそうそういないと思います。

 泥沼騒動は私たちに何かの気付きを与えるために起こるべくして起こった。そういう意味では彼らは神からの使いではある。けれど、あきらさん自体のことは神だとは思えない。 

 信じているけれど、信じていない、という超常現象的かつ現実的な認識を抱いているわけです。自分ではすこぶる「まとも」だと思っていますけれど。まぁ、そこが私が凡人である所以かもしれません。もう少し我を忘れて何かに入れ込むことができれば、もっと違う人生が待っているかもしれないんですがね、だって神からのメッセージを伝えてくれる方を神の使い手と思えないんですからねぇ。こんなに矛盾していることがありますか。何かを信じるということは難しいことだなぁ、と常々思います。

 ※しかし、あきらさん自体のことは、心優しい愛情深い方だ、と敬意を払っています、誤解のないように念のため。

 今日はその信じるということを考えさせられるような映画を見ました。



 「レッド・ライト」
 
  ロドリゴ・コルテス監督。ロバート・デ・ニーロ、シガニー・ウィーバー、キリアン・マーフィ出演。
 
 【あらすじ】(アマゾンプライムビデオより抜粋)
 科学者のトムとマーガレットは超能力や霊能力を自称するペテン師たちの正体を暴いてきた。ある日、伝説の超能力者サイモン・シルバーが復活を遂げると知ったトムは彼を調査すべきと主張したがマーガレットは止める。そんな彼女の忠告を無視して、トムは単独でシルバーへと近づいていく。



 伝説のサイキッカーが、ロバート・デニーロですよ。もうね、ものすごい存在感の。彼が画面に出てくるだけで、「重鎮」というキーワードがぴったりの重たい雰囲気に圧倒されます。

 対する科学者はシガニー・ウィーバーとキリアン・マーフィーなのね。シガニー・ウィーバーは老けたなぁ、と驚かされましたが、デニーロに匹敵する物理学者の存在感は十分です。ですが、助手のキリアン・マーフィーがいかにも偽物っぽい、軟弱な若造です。オーラがないんですよねぇ。


 シガニー・ウィーバーは途中で謎の死を遂げるので、(これがデニーロの仕業か?と空恐ろしくなるのですが・・)映画は、重鎮デニーロと軟弱偽物キリアン・マーフィーの対決、という様相になっていきます。
 

 先入観ですよねぇ。映画の中でもマジックの重大な要素としてこの「先入観(が大事だ)」というセリフを何度も取り上げていますが、ホント観るものの先入観をうまく利用して作った映画だ、と感心してしまいました。
 あれじゃデニーロが本物のサイキッカーだと信じちゃいますもんね。


 デニーロは本物か偽物か? 超常現象は本当に存在するのかしないのか? この謎を追って映画は終盤まで一気に進んでいきます。デニーロはファンやカメラに追いかけられて人気者となり、もはや国を挙げての大注目される事象へと登りつめます。


 後半10分で、映画の問いと謎が一気に解けるんですが、結論から言うと、あーそうなんだ、というか。やけにあっけなかったなぁ。

 先入観がうまく裏切られた、という感じでした。やられたことはやられたんですが、なんとなく盛り上がりに欠ける、想定内というか、謎の解き方がつまらないというか。
 もう少しドラマチックに見せられなかったんでしょうかねぇ。


 伝説のサイキッカーを疑い続けた軟弱偽物のキリアン・マーフィーこそが本物で、デニーロはみじめな偽物だったというオチなんですよね。あ、言っちゃった。すみません。

 それだけのオチをいうためにすべての事象があったのか。今まで見てきたデニーロ重鎮感や、彼をサイキッカーと信じさせるエピソードのあれこれすべてが、全部「嘘だぴょ〜ん」とでも言われているようで、なんとなくね、小馬鹿にされたような気がしないでもないんですよねぇ。


 面白かったことは面白かったんですが、信じたことをバカにされているような妙な気持ちになったのは事実です。まぁ、「疑い続けろ」というキャッチコピーですしね、信じたお前が悪いんだろう、と言われればそれまでですが、だって、デニーロですよ、笑


 こんな映画見ちゃうとね、あきらさんのことを神だと信じてしまった純粋な方たちがあとで、「嘘だぴょ〜ん」という目に遭わなければいいなぁ、なんて余計なことを考えてしまいますね。人は凡人であるくらいでちょうどいいのかもしれません。・・いや、先入観から信じなかった方が、「嘘だぴょ〜ん」かもしれませんね。これはまだまだわかりませんよ。


 というわけでまとめです!

 伝説の超能力者と物理学者が対決する超常現象VS科学を扱った映画を見たら、謎解きが科学的ではなくて、似非マジック的だったことに驚かされた!

 なんとなく一生懸命2時間見てきたことを小馬鹿にされたような映画だった。

 しかしながら、こいういう偽物を本物と崇める事象が国家的な関心事項となる映画が作られたということ自体が、何か私たちに気付きを与えようとしているのかもしれない。

 先入観に惑わされず、本物を見抜ける力を身につけないといけないなぁ、などと切実に感じさせられる映画だった。

 あとデニーロは相変わらずかっこいいです。


 ということで、今日も最後まで読んでいただきどうもありがとうございます。

 素敵な時間が訪れますように。

 願いを込めて。