主峰蛭ヶ岳縦走、39KM歩いた長い夏の1日。



 蛭ヶ岳という山は、私にとって少し特別な意味があった。

 なにせ、登りづらいのだ。丹沢山塊に囲まれているため、ピストンで行きづらい。行けないことはないが、登山口が自宅から遠くなる。大倉から塔の岳に行き、塔の岳から丹沢山、そして蛭ヶ岳、という縦走コースが妥当かな、と思われたが、それだと距離が長くなり、下山までの日没の時間が少々気掛かりだった。
 山登りの本を読むと、大抵は「一泊二日で行くように」と書いてある。余裕を持って行きましょう。山荘に泊まりましょう。しかし、猫の世話もあるし、女性という事情も諸々あり、単独登山の泊まりはなるべくなら避けたい・・・
 (本格的に?)登山を始めてから悠に10以上の月日が経つが、いまだに神奈川県民が神奈川県の最高峰に登れていない、というのは、どうも差し障りがある(マイナス要因である)ような気がしてならない。恥ずかしいことだなぁ。


 『白皚々(はくがいがい)たる熊木沢の奥に厳然と聳ゆる1672mの峰こそ、神奈川県の最高峰蛭ヶ岳であり、丹沢山塊の盟主の偉容を誇っている。』
(蛭ヶ岳山荘パンフレット ”追想”蛭ヶ岳 より抜粋)

 うーん、行きたい。ものすごいかっこいい文章で誘われているではないか。
 蛭ヶ岳。標高こそは低いが、登る前から手強い山であった。毎日のようにツアーが出ている北アルプスの高い山の方がよほど蛭ヶ岳より楽に登れるだろう。(ロープウェイのあるところね)行けていない、と思うと、ますます行きたくなる。行くなら日の長い夏しかない。(本当は夏至あたりに行きたかったが雨だったのだ)日没の時間が6時40分、ということを確かめて、夏休み中の「山の日」にチャレンジすることにした。



 運命の当日、山の日。気合を入れて、1時半に起き、3時に家を出る。4時15分に大倉バス停に到着。西山林道入り口到着(登山の始まり)が4時半。
 スタートは4時半だが、単独登山だと、家を出てからすでに登山が始まっている、という気がしてならない。スタート地点に立った時点で、第一関門突破という気持ちがしている。さぁ、第二関門が始まる。
 だが、意気込む割に、昨夜なかなか寝付けなくて、2時間ほどしか眠れていないのだった。嫌な記憶を思い出す。あれは深夜バスで岩手に行った時、忘れもしない山開きの日だ、一睡もせずに(バスの隣の方がうるさくて眠れなかった)岩手山を登ったことがある。スタミナがなくて、体が重くて、息が上がって、散々だった。睡眠不足というのは堪えるものだとしみじみ悟った。あの時は辛かったなぁ。今日も長丁場になるので、スタミナが気掛かりで仕方がないのである。






 西山林道から二俣に到着。5時半。日が昇った。二俣・・この分岐地点から訓練所尾根を通り、大丸経由で塔の岳へと向かう。
 
 体調をうだうだ気にしていた割には体は軽かった。
 7時25分、小丸尾根分岐に到着。



 この二俣から訓練所尾根を通っての小丸分岐まで行程が、一番の登山の醍醐味なのであった。二俣からは2千メートルの上り距離があり、全行程の中で一番時間もかかる。2時間ほど黙々と登って、自然と対峙していると、感慨深いことが多々あるのである。下界から山の領域に入ったと一番実感させてくれる行程なのであった。訓練所尾根は、かつて遭難が多い道と避けられていたが、最近では整備されている。お隣の大倉尾根より、人工の階段が少なく、人間の手がいい意味で施されていない。自然あふれる登山道で、登っていて気持ちが良い。(塔の岳、鍋割山に向かうには)1時間ほど遠回りにはなるが、自然をより楽しめて、かつ膝を痛めることも少ないので、是非こちら(訓練所尾根)をお勧めしたいと思う。




 写真上のように、最近では、ロープや標識で、遭難を防ぐように整備されてきている。だいぶ整ってきたと思う。



 写真上、今年初のブナに遭遇。思わずはっとして目を奪われる。





 連日の猛暑、今日も熱くなると嫌だなぁと思っていたが、ついに日も昇り、森も開けて、丹沢の景色が一望できた。富士もくっきりと浮かんでいるのだ。

 さて、散々登山を楽しんだ後は、小丸尾根分岐から塔の岳へと向かう。懸念したスタミナもまだ大丈夫なようだ。ここからは一番歩きやすくて好きな道である。丹沢山塊と遊歩道のような登山道の先を見ながら、軽快に歩いていく。


 
 この尾根で初めて、登山者とすれ違う。若い男の方だった。そのあとも年配者にはなぜか出会わず(登山というと年配者のイメージだが)登山が人気なのか、20代から30代くらいの若い男の方ばかり、6人ほどとすれ違う。




 8時、塔の岳到着。

 30分の休憩をとり、9時半、丹沢山に到着。うん、まだまだスタミナは大丈夫。




 丹沢山までは登ったことがある。かつて来た道である。ここからが未知の領域。さて、蛭ヶ岳へ。3.4km、大した距離ではないと思われる。



 あの二つ先のこぶが蛭ヶ岳かな、と見当をつける。見知った写真と少し違うようだが、あれが蛭ヶ岳だと思いたい、(あれより遠いと嫌だなぁ)願望から、あれが目的地だと思うようにして、軽快に歩き始めた。

 が、そうは問屋が卸さないのだった。願望でも事実は違うよね。。



 こぶに到着した先に、はるか遠くに蛭ヶ岳山荘の立った本物の蛭ヶ岳を発見。

 左端の黒い山です。うわっ、まだあんなにあるのかぁ。遠いなぁ、とここでげっそりする。一気にスタミナも奪われたような気分だった。


 でも、視覚効果もあり、遠くに見える山は歩いてみると以外とそうでもないというものだった。今までの経験で言うとそうだった。なので、また黙々と黒い蛭ヶ岳の山頂を見ながら歩き始める。
 それにしても、熊の糞がすごい。一人だったので、熊鈴を二つ鳴らして歩いた。塔の岳までは皆来るのだろうが、丹沢山、蛭ヶ岳への道のりはやはり人気がないのだろうなぁ。
 特に、丹沢山から蛭ヶ岳の道は、もう自然のまま、手付かずの自然のままのようだった。黒く見えた山は、近づけば芝のような緑に覆われ、森林限界なのか、ブナの一本も生えていない。綺麗な散歩道のようである。


 ピークを幾つか超えると、谷間から三百六十度丹沢山塊が見渡せるのだった。ぐるり、囲まれて自宅から数時間しか離れていない場所にいるということを思わず忘れてしまいそうだ。なんとも美しいことだなぁ。



 一直線に進む道がずっと見えているので、(進むべき道がずっと見渡せているという山はあまりないものだ)感慨深い思いがした。安心なような、長く感じられるような。

 まるで魔の山に迷い込んだような幻覚をふと覚える。


 ツライ。ツライ。最後の一歩が辛い。ここが今日一番のハイライトだな、と感じる。これを越えれば山を越える。

 それにしても、登山を趣味にしてから、高い山に低い山に、いろいろ登ってきたと思うが、ついに蛭ヶ岳にチャレンジできる自分になったのだな、と思うと、これもまた感慨なのであった。いろんなことがあったなぁ。山に行くというのに人間社会の様々なことを持ち込んできた方もいらした。嫌な思いもさせていただいたものだなぁ。でも、今となるとすべて乗り越えられた。ありがたいことだなぁ。

 そして、11時45分、ついに蛭ヶ岳に到着。




 途中、男の方とは5人ほどとすれ違ったが、女はいなかった。私だけかなぁ。女で、山の日に蛭ヶ岳まで来る物好きは。自分すごいな、といい気になって思っていると、前から涼しい顔をして、可愛い女子が歩いてくるではないか。おや。


 西丹沢教室から檜洞丸経由で蛭ヶ岳に来たというその彼女は、
「蛭ヶ岳に来るのは今年4回目です」
 とまたまた涼しい顔をしておっしゃる。

 いや、私は初めての蛭ヶ岳で、今年初めての登山なんだよね。。

 いやー自分ダメだな、全然なっていないな、と愕然とするに十分だった。

 が、彼女のおかげで、(帰りは大倉に帰るという)帰り道は随分楽な行程になった。話す相手がいると、あっという間なのである。金冷やしの分岐で別れるまで、山の話を楽しませていただいた。

 蛭ヶ岳山荘のカレーが美味しいと勧めてくれたのもの彼女である。私はカロリーメイトやおにぎりを散々食べていたので、スタミナを補おうと! もちろんカレーなど食べる予定などなかった。けれど、ここで出会ったのも何かの縁、蛭ヶ岳山荘には「名物カレー」とチラシも貼ってあるのである。食べてみようという気になった。


 こちらが蛭ヶ岳のカレー。らっきょう、福神漬けたっぷり。


 このカレーがお味は普通だが、本当にスタミナがついたのである。蛭ヶ岳に来るまでに重くなっていた足取りもまた軽くなり、このカレーを食べていなかったらどうなったことかと後になって恐ろしく思ったほどであった。

 「いつも食べているんです。ここのカレーを食べると元気になるんで」とは山頂で出会った彼女の弁。

 うん、次回蛭ヶ岳に来た時も私もまた食べることにしよう。



 美味しかったです。ごちそうさまでした。


 帰りは少し雨に降られたりしたが、無事に丹沢山、塔の岳へと足を進めて、そして金冷やしでお世話になった彼女とお別れをした。

 「丹沢の縦走はアップダウンが大きく、ほとんど山を降りてまた登る感じです。いいトレーニングになります」彼女は言うのだった。
 「ここを登れれば、どこでも行けますよ」

 北アルプスによく行くという彼女。うん、そうかな、では私も行けるかな。その前にトレーニングしないとなぁ。

 そこからはまた一人の行程。よほど大倉尾根を通って一緒に帰ろうかと思ったが、膝の痛みがそろそろ始まっていたので、大倉尾根の階段をご遠慮させていただいた。膝も直さないとなぁ。


 5時45分、日没1時間ほど前に、大倉バス停に戻ってきた。はぁ、長かった。

 帰宅してから見たら、なんと1日で39キロメーロルも歩いていた。
 フルマラソン並みに歩いてしまったことになる。これは疲れるはずだわ。



 翌日は筋肉痛。ああ、蛭ヶ岳。あの魔の山の幻想を、芝のような緑の山の中を延々と続くまるで獣道を、ため息混じりに思い出すのに。
 不思議なことに、またぞろ行きたいともう思っているのである。

 次は、秋か・・冬か・・新しいリュックを買いたいものだ。(早速アマゾンで試せるグレゴリーを注文・・)

 不思議なものである。もう嫌だ、こりごりだ。と思わないのが登山の醍醐味ということか。それとも単に蛭ヶ岳のマジックか。


 丹沢の主峰、蛭ヶ岳。あの蛭ヶ岳山荘が随分遠くに思えたことよ・・
 また会う日まで、さようなら。


 最後に、冒頭パンフレットより、蛭ヶ岳の名文をご紹介してお別れします。
 

 『蛭ヶ岳山荘を守ってくれた人々の笑顔が走馬燈のように浮かんでくる。山荘建設の立役者「青根の石工佐藤二三九さん」、私も水場探しに苦労したが、よいところは見つからなかった。
 母鹿が野犬にやられて、残された小鹿を育てたNさん、チビと名を付けて可愛がった。大きくなってチビと呼ぶとこっちを向いた。そのチビももう余命を終わった。TVKに出演した堂々たるボス鹿もとうに姿が見えず、すべての追憶の彼方へと消えていった。
 しかし、山頂からの絶景は朝に夕に私を離さない。洋々たる相模灘から朝がやってくる。怒涛のごとき雲海にぽっかり浮かぶ檜洞丸、その上に悠久の富士山が紅に燃ゆる。落陽もそれに増して大自然の神秘さをしみじみと味わせてくれる・・・』





  

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