キャベツ版、腐ったみかんの方程式 〜お好み焼き和背さんでキャベツを食す〜




「やつらは腐ったみかんじゃないんです!!」

 お好み屋さんで、ふと物思うところがありました。

 昔、私が若い頃、金八先生が怒鳴ってましたっけ。俗に言う「腐ったみかんの方程式」です。


 廃棄を余儀なくされたキャベツ1万3000個の大逆転


 いえ、正確に言うと、


 『私たちはみかんを作っているのではない。人間を作っているんだ』


 数日前に、フェイスブックで読んだ記事に、キャベツとお好み屋さんの感動的な物語があったのです。





 たった数パーセントの規格外のおかげで、1万3000個すべてが売り物にならなくなった広島のキャベツたち。ですが、そもそも数パーセントのキャベツの規格外が発生したのは、大雨の影響でした。ですから、同じく大雨の影響で、広島中のお好みやさんがキャベツが足りないと悲鳴をあげていたのです。

 そこに目をつけて、お好みやさんと農家、両者を繋げてくれた素晴らしい方がいらっしゃいました。そして、数パーセントの「腐ったみかん」・・・もとい、腐ったキャベツたち(あ、別に腐ってないですがね、規格外だから用なしっていう意味でそういっているのです)・・規格外のキャベツが、全部売れたばかりか、広島中のお好み屋さんに貢献し、農家の地域の活性化に貢献し、奇跡の大逆転を遂げました。まるで、キャベツ版「腐ったみかんの方程式」です。
 素晴らしいですね。金八先生ならこんな風に言うかもしれません。なぜ、廃棄しようとしているんですかッ!

 
 『私たちはキャベツを作っているのではない。人間社会を作っているんだ』


 もしくは、


 『私はキャベツの話をしているんのではない。都市と地域活性化の話をしているんだ』


 なんてね。いや、二つ目は私の個人的な意見ですけど。


 キャベツがキャベツじゃなくて「人間」だとしたならば。規格外で用なし、とされる人にも、繋がり方次第で、奇跡の大逆転を遂げる可能性が残されているのではないか、ということをキャベツの話にたとえて暗に伝えたかったわけです、はい。
 まだまだ何重にも貢献できるのに、余っているからとか、規格外とかの理由で、バッサリと切り捨てられてしまうのは、もったいないですよね。必要なのに足りていないところもあるというのに。
 地方と都市にはこのような例えが似つかわしいような気がします。


 そんな、キャベツの話に感動していた矢先に、お好み屋さんに行く機会がありました。




仮設店舗で営業中の和背(ワッセ)さん、よくこのブログにチラリと登場する地元の神社の宮司様がやっていらっしゃるお店です。

 寺社仏閣が好きな私は、地域の例大祭や夏祭りに行くたびにこの佐藤宮司様をよくお見かけします。今回は初めて、お好み焼きを作る姿を拝見することができました。




 いつもと違いカジュアルなお姿もいいですね!お写真ありがとうございました。スマホで撮ったらピンボケしてしまいすみません。次回は一眼レフ持参で行きたいと思います。



 
 で、キャベツが盛りだくさんのお好み焼きです。感動秘話を思い出したお好み焼きです。それを、死ぬほど食べて帰りました。熱々で、ふわっと柔らかくて、フーフーしながら、食べました。最後には、喉まで詰まってるんじゃないかと思うほど、お腹いっぱい食べました。

 で、思ったんですが、お好み焼きって、柔らかくて、温かくて美味しいですよね? いや、それ以外の美味しい理由がたくさんあるとは思います。けれど、何度も話してすみませんが、先日お腹を壊して本当に死ぬかと思うほど苦しんだんですね。私の食生活が、それ以前と以後で180度変わってしまうような体験だったのです。なので、それ以降は、柔らかくて温かいというだけで、自分の体に優しくて、善的な食べ物である、と認識する癖がつきました。どれだけ美味しくても、もう、硬くて、冷たいものはごめんです。

 お好み焼き、そういうい意味でも、美味しかったです。温かかった。
 何重にも貢献しているキャベツたちの匂いがちゃんといたしました。

 


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