女二人旅・島巡り編③ ~愛宕神社と金華山観光ホテル、朽ちかけた二つの場所~




 女二人旅と称して、石巻市牡鹿半島の先端にある田代島、網地島、金華山に出かけた私と友人のI氏、2日目は金華山登山にチャレンジした、その続きである。

 それにしても、I氏はなんで、今こんな僻地の山にいるのかさぞ疑問に思ったことだろう。登山やトレッキング用の靴もはいていない、まったく来るつもりじゃなかった場所だ。
 これはちゃんと説明しなかった私が悪かった。おまけに金華山登山の中でも難易度の高い危険な道なき道を歩かせてしまった。まったく申し訳なかった。
 
 が、これはこれですんごいことだったのである。

 なんせ、金華山の愛宕神社は、誰に聞いてもわからない、知る人ぞ知る的なところである。金華山にはかれこれ30回は行っていると言う元石巻市の役人に訊ねてもわからなかったというレアな場所なのだ。金華山の神職の方さえ「よく行った人が迷うので、お勧めできない」と太鼓判を押した場所である。
 それを、なんとI氏はサンダル履きに、山ガールと見間違う普段着姿でたどり着いてしまった。蛭にも刺されず、何の怪我もしなかった。弱音の一つもはかなかった。ああ、あっぱれ。あの勇姿を思い出すと、笑ってしまうと言うか、胸がスカッとするというか。

 ぜひ見せたかった。また、金華山に来る方があったら、ぜひレアな愛宕神社を攻略してほしいと願う。簡単に見つけられるか、迷って黄金山神社の方に迷惑をかけたりしないか見物である。ちなみに、金華山登山道の8合目からひたすら西へ(山頂は反対側の東)。尾根沿いを進めばいいだけなので、簡単と言えば簡単なのだが。問題は道が見えないことくらいか?? 途中、8合目から山神社、愛宕神社へと続く稜線は、景色もきれいで、牡鹿半島に女川の島々に太平洋がぐるり見渡せる、素晴らしく気持ちがいい散歩が出来ることだろう。


 




 山神社から愛宕神社へと向かう道。この辺りは(登山道はすでに良くわからないが)尾根がはっきり見えているので迷うことはない。歩きやすい道だった。




 写真上、登山道から北側の景色。
 
 このあと、道どころか、尾根もわからなくなり、すんでのところで迷いそうになって四苦八苦するのだが、先週も書いた通り、金華山黄金山神社の神職の方の言葉を思い出して、どうにか乗り切った。「尾根沿いを西へ」。単純にこれだけである。情報が多いと、意外と迷うのかもしれないなぁ。登山以外でも、現在地=自分の立ち位置、が見えない時は、情報に惑わされないように要注意だ! シンプルに判断するようにしたいものだ。






 
 お、北側に桟橋が見えて来た。朝、船で到着した場所だ。





 巨木という訳ではないのだが、印象的な木。枝の広がりがすごい。
 よく街や住宅地で、幹の付け根のすぐそばからコンクリートで舗装されていたり、枝が電線にかからないようにきれいに刈られた木を見かけるが、あれはつらそうだ。幹のすぐ下がコンクリートというのは、いくら根は土の中だと行っても、息が出来ないような感じがする。自由に枝葉をのばせない、というのも堅苦しそうだしなぁ。金華山の木々は、すべてがあるがまま。幹も、枝も、自然のままに伸びた肢体だ。原生林の造形の美しさをぜひ見ていただきたいと思う。あー自然の神が山のあちこちに宿っていそう。いいな! 金華山はやっぱり島全体が神域というだけあって、自然が美しい!

 そんな絶景の景色と崇高感満載の自然を満喫しながら、道無き道を歩いて行く。この自分で道を選んで進んでいる、と言う力強い感覚も楽しかった! 神奈川の丹沢を良く歩いたが、必ず登山道がきれいに整備されているので、レールの上の道(人生とリンク!)と殆ど変わらない気がしたものだ。金華山の登山はそれがまったく予測できないから、道を選んで歩いていること自体がとてもワクワクして来て、とても面白いゲームのような感覚に陥るのだ。人生自体が面白くて、力強い(自分の意志が通じる!)ゲームのよう。不毛感や倦怠感に悩まされている方は、ぜひ金華山の道無き道を。愛宕神社を探してみていただきたい!

 いや、ちょっと愛宕神社を進めすぎたが(失礼)、とりあえず道無き道を進むうちに、前方に小さな庵のような物体が見えた。






 ああああ! あれだ。きっとあれだ。と思った瞬間。前方、海をバックに小高い丘が続き、その上に小さな庵のような建物がぽつりと建っていた。

 山神社と同じ風貌。おそらくあれが愛宕神社だ。

 実は山神社から結構歩いたような気がしたので、少し不安を感じていないでもなかった。山神社から愛宕神社はわずか520mなのだ。どう考えてもそれ以上は進んでいる、という感覚が離れなかったので、愛宕神社らしい建物を見つけた時は、心底嬉しく感じた。
 
 やはり進んで来た道は確かだったのだ!という想い。無事にたどり着いた!という想い。I氏に怪我もなく、無事に着いて良かった!  

 愛宕神社に駆け寄った私、振り返ると、景色を写真に撮るI氏の姿が。私とは対照的に、愛宕神社があろうがなかろうが、のんびりと景色を楽しんでいる姿がそこにあった。




 おお、愛宕神社、と微かに書いてある。
 消えかかっているけど。




 おりゃ? 


 かなり傾いている。今にでも倒れそうだ。

 こんな小さな、今にも壊れそうな神社一つに。

 ・・・・。


 深い感慨に教われた。高速バスを乗り過ごし夜の東京でうろうろして、やっとたどり着いた石巻から船に乗って。そして、神域・金華山で、切り開くように道を歩いて。

 ああ、こんな小さな神社一つに。ずいぶん難儀したものだなぁ。

 それに、5月に来た時は見つけられなくて、今回ではその時の旅のリベンジでもあるのである。
 愛宕神社の前で記念撮影をした。やっと来れたことに感無量だ。しかも、来ることを途中で諦めたのに、偶然が重なって、こうして愛宕神社の前で写真を撮ることが出来た。
 おそらく、I氏がいなかったら、今回の宮城行きからやめていたかもしれない。女二人旅万歳! I氏に大感謝だ!






 愛宕神社、どうみても傾いている。う〜ん、せっかくのレアスポットなのに、もう少しどうにかならないものか。私がめちゃくちゃ金持ちだったら、すぐに修繕できるほどの寄付金をするものを。それとも金華山の自然の造形と同じなのか。このあるがままの姿が尊いのかもしれないが。うん、そうだ。少なくとも私は、この姿を見て、がっかりなどしなかった。ずいぶん感動してしまった。感無量になった。ありがとう、愛宕神社!

 さて、ここまでくると、もう距離的には黄金山神社の裏庭、といったところである。あと480mで社務所に到着する。↓ こんな感じの坂道。ほぼ道はない、尾根もわからないが、ここまでくれば一安心だ、すぐに金光水か社務所の裏にたどり着く。





 写真下、社務所の建物が見えて来た!




 無事到着、社務所に降り立った後、来た道を振り返るとこんな感じだった。↓




 金椿神社をまたお参りして、



 銭洗場のそばから金華山の貴重な水を頂戴する。(この写真の裏手に湧き出た水が流れている場所あり)




 あー やっと見慣れた景色。ほっとした。ちなみに写真下の右手に金椿神社の入り口に鎮座している大黒像が見えている。秋の恵比寿祭、大黒祭もぜひ行きたいものだ。


 ・金華山恵比寿さま 大黒さま





 絵馬殿で休憩。上を見ると、なにやら貴重っぽいものがたくさんある。まじまじと眺めるのも楽しい。





 写真下は随神門。先週も紹介したが、この門がやはり一番黄金山神社を良く表しているというか。何ともいえない荘厳さ。良い雰囲気だ!





 うん。伝えて行きたい日本があります。その通りだ。
 この姿、この伝統は、ぜひ繋げて行きたい。




 鹿の角切りは10月5日とのこと。一度見てみたいものだ。

 おや、鹿が。お出迎え。

 この後参道から金華山観光ホテルへと向かうつもりだったのである。境内を横切る途中で、立派な角のある鹿が迎えてくれた。




 写真下は表参道。震災とその後の台風で倒壊した箇所がある。






 表参道を抜けて、振り返ったところ。中央左手の石標に、表参道、裏参道と書いてある。右手の道が表参道へ、左手の道が裏参道へと繋がっている。

 ちなみに、裏参道はきれいに整備されているが、表参道はまだまだという感じ。補修が必要と感じられる箇所が多々見受けられる。これに理由があって、ひとつは表参道は神の歩く道でもあるので、簡単に手がつけれられないということ、二番目に裏参道が東北整備の対象になっていると言うこと。

 夜の食事(直会)のとき神主様に、あとは帰りの船で(宮司夫妻と一緒になった)宮司夫人に聞いた話による。金華山は東北を福島から青森まで繋ぐ道路の対象に含まれていて、近々きれいに整備されるとのことだった。裏参道はだから整備が進んでいるのである。

 みちのく潮風トレイルというのだそうだ。東北の太平洋海岸沿いの道(車道ではなくて、歩くための歩道だ!)を繋いでゆく。繋いだ道は国立公園を創設して保護する。道を歩く人々が、東北の豊かな歴史と文化に触れる。日本の風土を再確認して、自然保護に対する意識を高めることもできるという。もちろん復興にも繋がる機会ともなる。一石二鳥ならぬ三島、四島ともなる、なんとも素晴らしい話である。

 福島から金華山を結んで青森へ。私の好きな東北が奥の細道よろしく、一つの道で地理的に繋がったらどんなに素敵だろう。楽しみなプロジェクトだ! 出来たらぜひハイカーの一人として利用したい、しまくりたいと思う。

 ・環境庁 みちのく潮風トレイル公式サイト

 



 話が飛んだが、そんな一つの歩道を夢見ながら、とりあえずは金華山の参道をてくてく歩いて、黄金山観光ホテルの跡地へ向かった。



 この辺りもまだまだ補修が必要だな。。痛ましい様子に心を打たれる。




 朝フェリーで到着した港湾(桟橋)が見えて来た。3つ程あるふ頭のひとつが浸水していた。




 ホテル跡地へ行くには、海添いを渡るのである。なので、私は半分が浸水した桟橋を目の当たりにして、一瞬ぎょっとしてしまった。潮が満ちて沈んだと思い込んだのである。これこそが護岸工事の対象であるとは、つゆとも思わないという今思うと能天気さ。で、今は海沿いに歩いてホテル跡地に行けるけれど、もしも帰りに道がなくなっていたらどうしよう、と浅はかにも思ったのである。潮が満ちて、海沿いの道が浸水してしまうのではないか、と。

 ドキドキしながらネットで金華山の干潮の時間を調べるがわからなかった。仕方なく、腹を決めて、(帰りに道がなくなっていたら山側から帰ろうと)海沿いを歩き始めた。








 きれいな海だった。海沿いを歩いているうちに、私はすっかりいい気持ちになってしまった。日は傾きかけていて、けだるい西陽が道を急ぐ私に降り注ぐ。愛宕神社を制覇した直後の私にとって、この日差しが子供の頃の休暇や、余暇を象徴するかのような穏やかなものと映った。友人のI氏も、今頃は宿で体を休めていることだろう。
 日差しのせいもあり、I氏のことを思ったせいもあり、満潮のことは多少気にはなったものの、私はすっかり落ち着いて、最後の今日の時間を愛おしむように金華山観光ホテル跡までの道のりを歩いた。湾岸を過ぎると、(芝ではなくて)自然の雑草の緑なのだろうが、まるでゴルフ場のような見栄えの、ふかふかの緑の道が続くのだ。ホテルへと向かう上り道の曲がり角には、鹿の群れが立ち止まって、やって来る珍しい客人を見据えている。
 近づいて写真に撮ろうとしたら、急にお尻を向けられてしまった。
 どうやら金華山観光ホテルは、今は鹿の住処となっているらしい。ホテル内には鹿の糞があちこちに積まれていた。

 そろそろ姿を見せてくれてもいいはずだが、Googleマップで見るとこの辺りのはずだ。ところが、見上げても、かつての栄華を誇るホテルの全貌はちらりとも見ることは出来なかった。すぐ下にいるはずなのだが、姿を現さない、というのも妙に神秘的な想いがして来る。





写真下、芝(もどき)の道をどんどん進む。




写真下、神鹿の群れが現れた。静かにこちらを見つめている。





 
 写真上の右側、最後の芝生(もどき)の道を登りきると、ついに現れた。







 金華山観光ホテルだ!

 見てすぐおや、と思った。ネットで見た姿よりも、劣化が激しい。ような気がする。

 周りを見渡すと、ガラスが飛び散っているではないか。そう遠くない時期、数日前あたりに、台風、または豪雨で壊されてしまったという印象。しまった。すぐに後悔の念が生じた。もう少し早く来てあげればよかった。これ以上予定を早めることなど無理だったにもかかわらず、少しでも状態のいい姿を見てあげたかったという強い思いが生じたのだ。


 




 一目見ただけだというのに、私はこのホテルに愛着を覚えたらしい。もしくは、5月の訪問後から、様々な記事をwebで読んでいたせいかもしれない。残念なことだったなぁ。
 顔をしかめて、しきりに残念がりながら、建物の横に回ってみた。螺旋状の非常階段が目についた。2階のドアが開いていて、そこからならすんなりと入れそうだった。





 入ってすぐの光景。左右には海に関係した名前の和室が並んでいた。





 鹿の糞だらけだ。鹿に食い散らかされたかのよう。だいぶ劣化が激しいが、不思議と唐紙(襖に貼ってある紙)は綺麗に残されている。




 トイレを発見。水道とか洗面所とか、レアなものがありそうだなぁと思ったが、さすがに廃墟のトイレはちょっと怖かった。中に入らず、ドアのこちら側から写真を撮る。



 おーでた。ペプシの自動販売機。当時は斬新だったんだろうなぁ。缶の自動販売機自体が新しかったに違いない。確か普及したのは私が子供の頃。昭和50年代だったと思う。

 今ではサントリーに事業を譲渡されているペプシコ。懐かしいペプシの自動販売機の隣に、出入り口と事務所があった。かつてのホテルの客人はここから出入りしていたらしい。写真下、出入り口のドアを出たところ。





 出入り口の正面が半分円形のホールのようになっていた。取りあえず後でまた来ようと、通り過ぎる。建物の通路を奥まで行くと、連絡通路があり、別館のようなところに、大浴場があった。壁がすっかり取り壊されているので、うん、これはこれで・・ ずいぶん贅沢な眺めの露天風呂状態。太平洋が一望できるという。





 金華山の海の男たちの写真を見つける。ここで初めて、深い感慨が生じてきたのだ。美しい廃墟とはすでに言い難い。ホテルの(保存所帯の)劣化と、建物の損壊具合はなかなかのものだが、それにしても、これだけ営業していた当時のままの姿で、残されているホテルというのはかつてあっただろうか。まるで時間が止まったように、昭和の栄華の時代の姿のままで放置されている。少なくとも私はこんな建物は見たことがない。(すぐに壊されるか、立ち入り禁止になるか)廃墟マニアならばありがちなことなのだろうか。




 こちらは一つ上の階のホール。先ほど見かけた円形状の広間と同じ位置に当たる。あちらは洋風のレストラン(食堂)のようだったが、こちらは低いテーブルにお茶の食器が並び、どう見ても和風の休憩所。正面舞台でカラオケでもしたのではないか。いや、よく見ると、床は畳ではないか? 気が付くのが遅すぎるが、私が土足で今歩いているところは、かつて人々が湯上りに集い、酒を酌み交わし、果ては寝転んだ、立派な畳の部屋であった。





 それにしても、湯呑みまでそのままにしておかなくても。。。
 何だか夜中になったら、当時の人たちがまた宴を始めそうな錯覚がしてしまう。シャイニング、というスティーブン・キングの有名な物語でそんなエピソードがあった。幽霊たちが夜な夜な館(かつてのホテルのバー)で酒を飲み、パーティを始めるという・・




 テレビの年代もの。貴重で、もったいなくなってくる。





 こちらは出入り口のある会のホールだ。洋風、もしくは中華風の食堂らしい。





 写真下は、正面出入り口の事務室。と、もう一度出入り口を出て、別館の風呂場を入れて写真を撮ったところ。







 こちらは食堂。




 で、またホールに戻って。懐かしい換気扇。






 赤い絨毯で敷き詰められていたんだろうなぁ。かつての栄華を想像してしまう。和風の広間よりも、こちらの想像の方が絵になるようだ。






 東北観光さん、みつけ。おそらく高度成長期には多くの観光客が来たのだろう。熱海とかと似た感じだろうか。会社の団体さんでやってくる温泉旅館。リゾート地。違うのは、やはり(部屋は和風のくせに)、あの建物の洋風な感じか。あの歴史を感じる昭和の洋館風の外観が強烈な印象だ。






 石巻観光協会会員証。

 石巻の観光を代表する場所だったに違いない。ああ、やっぱり。

 もったいないことだなぁ。という思いが、どうしても、拭い去れなかった。もう少し早い時期に、状態がいい時期に、それなりに保存してあげたら、永遠にこの貴重な姿を残せただろうに。

 伝えていかなくてはいけないもの。繋いでいくべきもの。それらを今回の旅では幾度か目にした。この金華山観光ホテルも、そうだ。その一つに入るべきだったのではないか。(入れてあげたいものだったなぁ・・)

 また海沿いのあのふかふかの緑の道を歩いていく。帰り道だ。潮が満ちていないか、と。I氏の待つ黄金山神社へと続く道が消えていないかと、気にする私は首を伸ばすが、心配するなよ、とでも言いたげな神鹿が一頭、私の前に現れては、小首を傾げて見つめるのだ。

 道は、確かに、続いている。



 ああ、まるで、異世界にほんの一瞬迷い込んだかのようだったなぁ。










 金華山黄金神社ではI氏がお風呂にも入らず、私を待っていてくれた。ああ、のんびりお湯にでも使ってゆっくりしてくれていたらよかったのに。申し訳なかった。私たちはすぐにお風呂をいただいた。

 私たちがおこもり(参籠)をする参集殿の風呂場(潔斎場)は、震災により大潔斎場、小潔斎場共に壊れてしまった。なので、まだ一人ずつはいるユニットバスだが、それでも、こうして旅の一日を無事終えて、身を清められることの尊さ、清々しさと言ったらなかった。ただのお風呂がこうありがたく感じられることもない。潔斎場で身を清められて良かった、食事の前にさっぱりしてとても気持ちがよかった! 金華山様様だ。

 もうすぐ大浴場も復活するらしいので、かつてのように牡鹿半島や海峡を眺めながらの入浴もできる日も近い。楽しみだ! その時は、またぜひ参籠させていただこうと思っている。今度はI氏とも一緒に入浴できることだろう!温泉が好きな私たちだからきっと長湯をしてしまいそうだ。








 で、お風呂の後は、お楽しみの夕食。黄金山神社の参籠は一泊9,000円~なのに食事が二食付いて、翌日は朝一番で大護摩祈祷もしてくれる。信じられないくらい安い。この食事の時の神主さんのお話もいつも楽しみだ。(盃にお酒を注いでくださる)
 それから、お楽しみがもう一つ。食事の席ではいつも、ちょっとした出会いがある。前回はGoogleのingressというゲームを教えてくれた3人組に出会った。今でもハングアウトやGoogleプラスでお付き合いをさせていただいている。で、今回は、なんと金華山に昨年訪れて金運が上昇したという、金華山がパワースポットであることのまさに生き証人と出会った! 美しいダンスの先生だ。詳細は次回ぜひご紹介させていただきたい!

 写真下は、参集殿の洗面所。参籠の宿泊施設の部屋は、テレビもないし、何にもない。つまらない、と言いたそうなしかつめづらのI氏だったが、この洗面所にはほっこりした様子。懐かしい。学校みたい。と心躍る風(に見えた)に感想を漏らしていた。

 ちなみに、金華山はまったく蚊が出なかった。これには驚いた。冷房もないので、窓を開けっぱなしにして寝たが、蚊に刺されることもなくぐっすりと眠ることができた。蚊取り線香のせいではない、田代島とは明らかに違う夜だったということを一言添えておきたい(田代島ごめんなさい)。







 ああ、懐かしい。まるで昔の子供たちがたくさんいた時代の学校のような金華山黄金山神社。愛しい旅の夜。

 この場所だけは、あのホテルと同じ道を辿りませんように。

 もちろん、もちろん、違う、神域の島の中心、核となる場所なのだから。そうは思うものの、それでも、あと20年、50年の月日が経ったときに、何事もなく、無事に受け継がれているだろうか、と思うと、ほんの少し心配してしまう自分がいる。

 国という概念こそあやふやな時代だ。激動の時代がこれから(近い将来)訪れるかもしれない。どうか、そんな時代を乗り越えて、この愛しい場所が末永く続きますように。

 願いを込めて、今回はこれで終わりにしたい。


 長々とお付き合いありがとうございました。
 では、良い夜をお過ごしください。
 次回は、ぜひ金華山でお会いしましょう。



 





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