嵐の九州旅行編② ~黒川温泉と熊本城~



 霧と闇に包まれて、進路が消えた瞬間は、心底ひやりとしたものである。幸い、すぐに風が吹いて、また路端の白線はヘッドライトに浮かび上がるのだが、あの一瞬だけはもうダメだ、と思った。
 あまり肝を冷やしたので、再び走り始めると、私はそのこと自体に「ありがたみ」を感じ始めるのだった。道を行けることは当たり前のことではなかった。霧だろうが、闇だろうが、たとフロントガラスの内側が心のように曇っていようが、それでも何とか道が見えて、行くべき道を進めるということ自体が、神の計らい(もしくは恵み)のようなものであると感じ始めるのだった。

 まぁ、随分大げさだが、この場合の「道をゆくこと」は人生の比喩だと考えてもらってもいい。自殺をして本当に死んでしまう人というのは、こんなふうに自分の道がぱったりと、ある時突然かき消されて、本当に、何にも見えなってしまうのだなぁ、何にも。とその恐ろしさをしみじみと実感してしまったのである。
 
 また同じくこれも比喩に通じる考えだが、私は旅におけるタイムテーブルというものが思ったほど重要でないことを痛感した。時々私は旅を楽しむことよりも、何時までにどこへ着かなくては(バスに乗れないから)、何時までにあそこへ行かなくては(飛行機に間に合わないから)、という旅の通過地点をクリアすること自体を目標にしてしまうことが多々あり、もちろんそれは旅を何事もなく終えるためには大切なことなのだけれど、この無事にたどり着いて通過する黒川温泉の自然の中で、初めて、そのこと(タイムテーブル通りに通過すること)に言いようのない悲しみを抱いたのであった。

 そんなものはまるで無価値だ、と。21時の温泉が終わる時間までに無事温泉に入れて、次は水前寺に向かうという段になって、終わってしまったなぁ、もう次の目的地水前寺に行かなくてはならないのだなぁ、と。夜の風に晒されてざわざわと揺らめく背の高い杉の木立を眺めて、もしくは駐車場の外灯に浮かび上がる山桜を眺めて、身悶えするような離れがたい思いを感じたのである。

 次にこの景色を見れるのはいつだろうか。もしかしたら最後かもしれなかった。この地に来ること、この景色を見れることはもう二度とないかもしれない。そう思うと、すべてが尊くて、私は桜の木に触れて、まるで自分に言い聞かせるように話しかけている。また来るからな、ごめんな。また会おうな。しかし、本当に、先のそう長くない私の人生の時間において、また同じ場所の同じこの樹の下に立つ、などということが起こり得るかどうかは信じがたい思いでいるのであった。旅というのは、楽しいものだと思っていたが、この一期一会、一瞬一瞬の貴さを実感してしまうと、どうもつらい。だからこそ貴重な時をより楽しむべきであり、一瞬一瞬はそうすることでより光り輝くのだ、などと綺麗事的にも思えなかった。何かしらの天変地異が起って、私の人生がリセットされて、ずっとここに残れる、なんてことになればいいのになぁ、などと奇想天外なことを考え始めている。旅の行程など失敗してしまってもまるでいい思いがしてきたのである。

 もちろん、現実問題では、行くべき地点が人生には連続してあるものだから、それらを放り出すわけには行かない。できる限り瞬間を楽しみ、充実させて、次へと向かわなくてはならない。だが決して(その行くべき地点をタイムテーブルごとにクリアするのは)目的ではなかった、とこんなところ(真夜中の温泉街)で思い知らされるとはまさか思わなかった。

 今になって思い返しても、九州は不思議なところだった。あの吸引力というか、嵐の旅の中でさえの、あの離がたい魅力というのは何だろう。天孫降臨の地、というのとやはり関係があるのだろうか、ただならぬ霊気を突きつけられるようだった。九州旅行を、義務で訪れた場所から、離れがたい場所へと換えた、その決定打となった黒川温泉にたどり着いたのは、日暮れもだいぶ過ぎた19時40分ほどのことであった。


 下の写真は黒川温泉のバス停。熊本福岡方面から訪れた場合に降り立つところ。
 







 やまなみハイウェイから旧小国街道に入ってしばらく走ったところで、このバス停と遭遇した。田舎情緒を売りにしている黒川温泉らしいバス停だった。
 それまで必死で霧の峠を走ってきた私にとって、このバス停を見たときの喜び、心がほっこりと温まる感じ、というのは、筆舌に尽くしがたいものがあった。
 ああ、黒川温泉についに着いたのだなぁ。しかもそれを告げるバス停は、私が未来の夢としていた田舎の生活の代表的な姿をして現れたのであった。
 
 
 ところで、黒川温泉というのは、熊本県阿蘇郡小国町にある温泉郷のひとつである。廃墟寸前の寂れた古い温泉地が全国屈指の人気温泉となり、ミシュランで二つ星を獲得するに至ったのは、自然の景色を活かした温泉街作りと、どの旅館の露天風呂も自由に入れる「入湯手形」の発行が爆発的に流行ったことによる。
 また、大手旅行会社のツアーを断って、目先の売上を追求しなかったことも大きかったようだ。景観の良い温泉地作りに力を入れて、口コミによる浸透を辛抱強く待ったことで、次第に付加価値が生まれて、温泉好きのリピーターが増える結果となった。

 テレビで黒川温泉の特番を見てから、行ってみたいものだなぁ、とずっと思っていた。予定では16時に着いて、「入湯手形」を使って3軒の温泉をハシゴするつもりでいた。鄙びた温泉地の夕暮れの情緒を味わうつもりでいた。まるで千と千尋の神隠しのような、明かりが灯り始めた温泉旅館の町並みを楽しむつもりでいた。ところが、駐車場に車を止めて、初めてその名高い温泉街を見たのは下の写真のような状態なのである。渓流のせせらぐ音がする。(けれど筑後川は見えない)山の谷間に温泉旅館の灯りだけが浮かび上がる。(外灯もほどんどない)思い切り夜である。寂しい。せっかくのミシュランも自然情緒もまるで見えないではないか。






 「樹やしき」、「夢竜胆(ゆめりんどう)」、「いこい旅館」に行きたいと思っていた。が、こうなると、1軒でも入浴出来れば見つけものだと思い、「いこい旅館」を目指して、谷に降りる。下川端通りから、夜の温泉街を歩き始めた。

 ・黒川温泉案内図

 なお、立ち寄りで黒川温泉に行く時は、旅館組合事務所の「風の舎」にまず向かうといい。一応黒川温泉では、ここがスタートとゴール地点とされている。無料駐車場があり、各旅館の3箇所の露天風呂に入れる「入湯手形」も購入できる。当日の温泉情報(入浴時間や各露天風呂の状況はその日により違う)も見ることができるそうだ。営業時間は9時から平日が18時まで。土日祭日祝日前が19時まで。
 また、地蔵堂の前に地蔵湯という共同浴場がある。こちらは、黒川温泉の元湯として知られていて、200円で入浴できる。営業時間は8時から19時まで。
 

 ・黒川温泉HP


黒川温泉 「湯本荘」

温泉街を歩いていく

手前左は地蔵湯隣の温泉卵を作る蒸し箱 右はいご坂にづづく階段
このいご坂の隣に協同組合の「風の舎」がある

地蔵堂(黒川地蔵尊)

 途中地蔵堂でお参りをしていく。黒川温泉が湧き出る由来となったという身代わり地蔵の逸話が残されている。

 ・黒川温泉の由来 地蔵堂


お参りをしていく 使用済みの入湯手形がたくさんある

黒川温泉 「山の宿 新明館」

足湯

筑後川源流

黒川温泉 「ふじ屋」

黒川温泉 「いこい旅館」 ここがお目当ての温泉

温泉卵も売っている 1個50円


 真っ暗で、自然の景色も何も見えない、などと先程文句を言ったが、この夜の温泉街の散策が思いのほか楽しかった。筑後川源流沿いを歩いていく。風情ある旅館のそれぞれの灯り。地蔵堂。硫黄の匂いが漂って来る。時折、浴衣にどてら姿の宿泊客とすれ違う。石畳にカランコロンと下駄の音が響くのもいい。

 すぐに「いこい旅館」さんにたどり着いた。
 いこい旅館は、『黒川温泉で唯一の日本の名湯秘湯百選宿。玄関前の囲炉裏にはいつも人が集まっている。誰でもすんなりと受け入れてくれる故郷のような温かい雰囲気が魅力の民芸調の宿。黒川温泉で唯一ここでは美人湯とよばれる女性用露天風呂など13のお風呂が楽しめる。』(黒川温泉HPより)とのことで、駐車場からも近いし、最悪の場合はここだけは入ろうと決めていたのである。
 受付で入湯手形を購入していないが日帰りで入浴したい旨を告げると、「ああ、いいですよ」と快い返事、料金500円を前払いしてすぐに2階の温泉に通される。

 下の写真は2階へ上がったところ。一番奥の立ち湯と美人湯に向かっていく。



いこい旅館 入口

2階の日帰りの温泉へ


 効能が創傷、神経痛、ヒステリーと書いてある。確か美人湯は美肌効果だったはずだが??

 ・いこい旅館 13の湯の説明と効用はこちらへ


 


 廊下を進む。冷え切っていたので温泉が待ち遠しい。


美人湯への廊下


 美人湯登場。のれんをくぐって行く。





 のれんをくぐると、まず美人湯の前に、深さ1.5メートルの立湯が現れる。こちらは、2本の竹に掴まって、背筋と足を伸ばして入浴するという温泉。私の身長と同じくらい深いので、恐る恐る入ってみた。浴槽奥の竹に手が届いたあたりに段差があり、がくんと深くなる。一気に足が浮いた。初めての入り心地である。浴槽の底に付かないか、ギリギリまで浸ってみたがやっぱり足が届くことはなかった。(けっこう楽しい)





 美人湯もそうだったが、周りに椿の木があるようで、赤い花が浴槽の周りにところどころ落ちていた。綺麗だなぁ、いい風情だなぁ、と思っていたら、温泉も終わり間際だったので、掃除の女性が途中現れて、椿を全部流してしまった。ぎょっとした。もう少し待って、と思わず声をかけたくなった。下の写真は唯一残った椿、「こどもはあぶないからはいらないでね」の隣に赤い花が見えている。






 立湯、アップで。足を伸ばせて気持ちよかった。




 立湯の先の石段を下っていくとすぐに美人湯がある。


美人湯 石段の上から撮る



 掃除の婦人が立ち会ったあとに、脱衣所からカメラを持って、再び入浴。温泉に浸りながら撮ってみた。(こんな目線)
 美肌効果というだけに、滑り感のあるしっとりとした良い温泉だった。



この浴槽付近に赤い椿がたくさん落ちていて、綺麗だった


 
 黒川温泉を堪能して、いこい旅館を後にする。下の場所から硫黄の匂いが強くした。厳選が湧いている場所だろうか。



上川端通りの一角 

 足湯に浸ってみた。熱めのいい湯だった。





 浴衣にどてら姿の旅行者たち。夜の温泉郷を歩いていく。




 自動販売機のある一角。子供の頃のように、コカ・コーラや三ツ矢サイダーでも飲みたくなる。





 来た時と同じ場所から写真を撮る。谷の上の駐車場の辺りから。
 同じ景色のはずなのに、魔法がかかったように別のところと映るのだった。

 さみしい。何も見えない。 から、懐かしい。離れがたい、へ。



夢の温泉郷 黒川温泉 またぜひゆっくりと訪れたいものだ



 ついに、黒川温泉も終わってしまった。後は、宿泊地の水前寺へ向かって、九州の1日目はそれで終わりだ。距離にして75キロメートル、時間は午前零時まであと3時間。

 タイムリミット1時間前、夜の23時に熊本県東南部の水前寺に到着した。熊本城傍の町である。黒川温泉までの苦労した道のりと比べ、あっけないほど楽に着いてしまった。「水前寺公園」の方向を示す標識がいたるところにある。

 水前寺公園は水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)のことで、公園内の出水神社には熊本藩の細川家の歴代がまつられている。初代・藤孝(ふじたか)公、二代・忠興(ただおき)公、三代で肥後初代藩主となった忠利(ただとし)公など、主神は八代で肥後六代藩主・重賢(しげたか)公。明治維新の際、細川歴代藩主をまつり報恩の誠を捧げる有志によって創建された。
 なお、後に創建者の有志達は神風連の乱(熊本市で起こった明治政府に対する士族反乱)や西南の役(西南戦争・西郷隆盛を中心とした士族反乱、日本最後にして最大の内戦)で、西郷軍に身を投じた。

 下の写真は水前寺成趣園の正面正門で、出水神社の鳥居が立っている。あまり暗かったので少々畏かったが、門前町の参道を歩いて受付の門のところでお参りさせていただいた。
 門の奥に黒い木立が並び、見上げると、闇夜の風に吹かれ、たなびいては轟々と枝葉を鳴らしている。こちらもただならぬ気配を感じたものである。


熊本水前寺成趣園



あとでPhotoshopで明るくした写真 手持ちでは限界の暗さだった

受付前。神社の樹木が夜空にたなびきゴウゴウ鳴っている。

23時半、今日の宿に到着 長い一日だった

いつもの黒猫人形

水前寺コンフォートホテル


 翌朝は熊本城へと向かう。ついに水前寺の夜も終わってしまった。4月7日はいつもに増して、時間が早く、短く、感じられた。水がこぼれ落ちるように、容赦なく過ぎていく。九州が気に入って、離れがたい思いを強く感じていた私は、なるべくゆっくりと、一瞬一瞬を楽しみながら、道を進もうと考えているのだった。目的地に到着することよりも行程そのものを大切にしよう、と。

 天気はいい。快晴だった。嵐も、峠も過ぎ去った。私はドライブを楽しみ始めた。ところが、そんな景色に負けぬ程の牧歌的な心象から、後になって大きなしっぺ返しを喰らうとは、この時は想像もしていなかったのだ。



 下の写真は熊本城に程近い大甲橋。熊本県人に愛されている加藤清正公の長鳥帽子兜が乗っている。



白川の眺め

熊本市街の路面電車 車の横を行き交い味わい深い

熊本城が見えてきた


 30分も走ると、熊本城が見えてきた。熊本城は1607年、茶臼山と呼ばれた丘陵地に加藤清正が当時の最先端の技術と労力を投じて築城した名城である。
 その最大の特徴は石垣。西南戦争の戦火にも耐えた堅牢な石垣は、「武者返し」や「清正流石垣」と呼ばれ、江戸時代から名を馳せた。地面付近は勾配が緩く、上に行くに従って勾配がきつくなる独特な造り。加藤清正はこの石垣を作るために、近江国から特殊技術を持つ石工集団、「穴太衆(あのうしゅう)を」率いてきたそうだ。

二の丸駐車場に車を止めて、西大手櫓門へと向かっていく。

 
 ・熊本城体験記 (「武者返し」の石垣の特徴が詳しく書かれたサイトです)



二の丸駐車場

行幸橋の前にある加藤清正公の銅像

大甲橋と同じ長鳥帽子兜ですね
備前掘り沿いに進む
堀沿いの樹木が見事







西大手門へ


 下は、西大手櫓門の説明。

 『西向きの城である熊本城は、本丸全面を防備する西出丸に、西・南・北の3つの門を配置して、その中でも城の玄関にあたる西大手櫓門は最も格式の高い門とされている。』






 下の写真は西大手櫓門付近の井戸。熊本城のもうひとつの特徴は井戸である。
 秀吉の子飼いであった加藤清正は、秀吉が得意とする兵糧攻め(三木合戦や鳥取の飢え殺しなど)を目の当たりにしていた。また文禄・慶長の役(豊臣秀頼と李氏朝鮮の戦争)の際、蔚山城で明・朝鮮連合軍を相手に、「泥水をすすり、死に馬の肉を喰らう」という苦しい籠城戦を体験したという。その経験から、熊本城を築城するにあたり、籠城の備えを万全にした。熊本城には120以上もの井戸が掘られたと言われている。






 西大手櫓門に向かうと、開城を待つ人々の人だかりができている。


天守閣と西大手櫓門

カッコいいお城だなぁ

清正公と家臣





 門の隙間から熊本城を撮っていると、突然加藤清正公が登場した。(正確に言うと清正公のコスプレをした入場の案内人) まさか、清正公が見れるとは思わなかった。女性たちが歓声を上げて写真を撮り始めたので、写真撮影→ビデオ撮影に変更して聞き入った。

 (貴重な?清正公の開門の映像は、記事の一番下に貼ったので、興味のある方は是非どうぞ)
 

 ここからはドライブをのんびりと楽しみながら長崎へと向かっていった。天気は快晴。田畑に山々、長崎に入ってからは佐世保線の線路沿いを、一瞬一瞬を噛み締めながら進んでいく。

 
 
天気は快晴 田んぼを見ながら

時折、トヨタを待たせては写真を撮る






 途中、熊本県山鹿温泉傍の鍋田水遊び公園に立ち寄った。岩野川にはツバメが群れで飛翔して、まるで喜びを表現するように、急降下と急旋回を繰り返しているのだった。


岩野川

水遊び公園 燕が飛び交っている



 公園の近くには、国指定史跡鍋田横穴群がずらり並んでいて、史跡散策も楽しめる。








 ツバメを撮ろうと必死になるが、黒い点にしかならない。それにしてもこの大量のツバメ、いったいどこから出てきた、と驚くくらいに多い。関東では見かけたことがない。







 木の幹の水道にベンチもほのぼのとする。子供がよくこの公園で遊ぶのだそうだ。(名前の通り「水遊び」するのだとか)





公園の駐車場(手前がトヨタ)

 次に立ち寄ったのは下岩地区の田園地帯。歴史の道なるものがあったので、周辺を散策してみた。







 佐賀、長崎に突入して、佐世保線の単線線路沿いを電車と並びながらのんびり進む。





 長崎まではあと少しだった。ハウステンボスを見て、16時に出発すれば、20時のタイムリミットまでには楽勝でレンタカーを返せるだろう。21時の飛行機に乗れるだろう。このまま田園風風景を眺めながらのんびり行こう。

 が、私は念のため、Googleマップで経路を調べるのだった。高速に乗って向かった場合と、下の道をのんびりと走った場合の時間差は、およそ10分。到着までにかかる時間は、およそ50分。
 そして、最後にこう付け加える。「ただいま交通渋滞はありません」

 一瞬、私はぎょっとして固まった。長崎から福岡空港へ向かう道のりの渋滞をふとイメージしてしまったのである。その瞬間、私の未来が自動的にアップデートされた。

 私は恐れた通りの、もしくは希望した通りの道を突き進んでしまうのである。






 ※熊本城開門の動画です。






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