嵐の九州旅行編① ~湯布院と長者原の桃源郷~
九州へ行こうと思った。それが義務だと思ったし、それを求められていると感じていた。
今すぐ、行かなくてはならない。
本音を言えば、九州に行くなんてばかげていると思った。桜は散っているし、若葉には早いし、出発直前には大雨(殆ど台風)の予報さえ出る始末だ。福島の磐梯山の悪夢再び、恐らく阿蘇山だって見られはしないだろう。なぜ今九州なんだろう。気になるのは「くまモン」くらい、あとは、天孫降臨の地を見てみたいが、しかしあれは宮崎ではないか。私が申し込んだフリープランは福岡、熊本、大分、そして長崎巡りだ。宮崎だけ入っていない。なんだそれは。何の期待もないではないか。くまモンのストラップでも買えというのか。
何度も計画を取りやめたフリープランの九州旅行を、最後の最後に決めさせたのは、いつかは行かなければならない(ならば今でもいいではないか)という諦めと、それから近頃のアジアにおけるきな臭い報道に心を動かされた、というところが大きい。
胸騒ぎがしたのだ。九州は東アジア、東南アジアが近い。東京や大阪よりも近いのである。話題の大気汚染や、ウィルス、国防の面でも憂慮すべき事柄が迫っていた。地球温暖化の影響による集中豪雨も増加している。日本で今一番危険に晒されている場所であるかもしれない。
屋久島に着いた時、頭痛に襲われた話を前回したが、九州はまさに屋久島を超える痛みを今覚えているのではないかと思ったのである。まぁ、そんなえらそうな理由だけではないのだが。
福岡でとんこつラーメンが食べたいとか。長崎でちゃんぽんが食べたいとか。くまモンのストラップが欲しいとか。くまモンのTシャツが欲しいとか。それからくまモンとか、くまモンとか・・・ やっぱり(ラーメンと)くまモンしか思いつかないが、それでも出発1週間前まで私は悩んでいたのである。疲れから気乗りがせず、いっそキャンセルしようか、と何度も思った。九州、ハードそうだなぁ・・
いやいや、だめだ。行かねばならぬ。漫画のように顔を大きく振って、ついに私は九州に行くことに決めた。30%のキャンセル料を払うにはあまりにも惜しい、出発3日前だった。
旅の荷物に、そっと頭痛薬を忍ばせた。
「旅行のご予定は見直してください」
出発前日、気象庁は警告を発した。嵐が近づいているのだという。
ぎょっとした。何だそれは。せっかく行く気になったのに何の冗談だ。
慌てて、JALのウェブサイトで運航の状況を確認する。4月6日の福岡空港で検索すると、何とか目当ての便は飛びそうであった。ほっと胸を撫で下ろしたものの、翌日は? 帰りの便は大丈夫だろうか、これで帰れなかったとなったらシャレにならないな、と頭をよぎったが、台風でもなし、何とかなるだろう、と楽天的に考えることにした。
ここ最近 ―あれは屋久島の紀元杉を見たときから― の癖だが、「想像した通りの未来になる」という真理を、身をもって実感したつもりなのである。悪い予感に囚われたときは、いい結果をイメージする。最善の未来をしばし瞑想してから、機械のように宣言する。
「アップデートしました」
何事もなく、九州旅行を思う存分楽しんで、帰ってくる。翌日は、普通に会社に出社する。これで、私の未来は、いい結果に替えられた。もう大丈夫だ。
当日は嵐の空模様 |
翌朝、羽田空港第一ターミナル南ウィングにアナウンスが響き渡った。「○○空港行きの乗客の皆様へご連絡いたします。○○空港は只今濃い霧に覆われているため、着陸できない場合は、羽田空港へ引き返す可能性がございます。ご了承お願いいたします」
九州行きの飛行機は条件付き運行だという。JALの職員が主要な空港を順番に挙げていく。耳を澄ませて待ったが、ついに福岡空港だけは聞かれなかった。九州の最上部なので、嵐の進路から免れたのか。私は胸の前で拳を作り、小さくガッツポーズをした。やった。
これが4日前なら逆にがっかりしていたかもしれないが、ここまで来たら、行かずに終われるか。もう羽田空港なのだ。是が非でも九州の地を踏んでやる。
ところで、フリープランで旅の計画を立てている時、到着する空港の選択を、福岡にしようか、大分や熊本にしようか、と悩んだものである。私は今回の旅で、大分の湯布院と熊本の黒川温泉、鹿児島のハウステンボスを廻る予定だったので、福岡空港を始点とすると時間的にも体力的にも厳しいのではないかと懸念していた。
ほんの少しの割増料金をケチったこと(福岡が一番安いのだった)、それから福岡から大分、熊本までのドライブを満喫したいと思ったこと、それらが思いがけず条件付き運行を免れる結果となるとは思わなかった。何が幸いするかわかない。
屋久島の時と違って、今回の飛行機では眩い朝日は見られない。それでも雲を避けてか、機体は光に向かって大きく旋回していく。翼の真横の席だ。富士山を見たく思ったが、残念ながらこの天気では・・と諦めた瞬間、眠りに落ちて行った。一時、雲間の青空を見たのが最後である。JAL機内のサービスのコーヒーがとても美味しいので楽しみにしていたのに、なぜ今日は配られないのだろう、と降りる間際まで疑問に思い続けていた。寝ている自覚もなかった。
福岡市街が見えてきた |
2時間弱で福岡空港に到着した。雨は降っているが、思っていたほどの降りでもない。もっと嵐かと思っていたので、とりあえず一安心だ。空港からスカイレンタカーに電話をすると、すぐに迎えの車がやって来て、営業所まで連れて行ってくれた。
福岡空港より 乗ってきた飛行機を見る |
雨の中無事に九州に着きました、ご苦労様です |
送迎車から見る福岡空港第一ターミナル |
福岡空港傍のスカイレンタカーとトヨタのヴィッツ |
2日間ともに過ごすレンタカーはトヨタのヴィッツだった。思えば、レンタカーで軽ではないのは初めてではなかっただろうか。トヨタというのもめずらしいようだ。私は落胆したのである。若い頃、トヨタに乗っていたというのに、今ではめっきりトヨタ嫌いだった。理由は父の何気ない一言による。
「トヨタの車は走ると浮く。ほかの車は加速すると沈むのに、あれだけは浮くから怖いところがある。あまり好きな車じゃない」
父親は若い頃から車好きだった。マイカーを持つことがまだ希な時代、親族のうちでいの一番に車を買った。遍歴はルノー、スバル360から始まって多数あり、私も随分たくさんの車に乗せてもらったように思うが、そういえばトヨタだけはなかった。
また、父親は車好きが高じて、若い時分、車にまつわる仕事をこちらも多数経験したのである。車のことは何でもよく知っていて、その道にかけては海千山千という印象だった。そんな経緯から、私は父親の運転技術だけは尊敬していた。
そして間の悪いことに、たまたまその父の何気ない一言を聞いた時に、トヨタの大規模リコールが起こったのであった。
眉をひそめながら恐る恐る走らせたトヨタは、しかし、素晴らしい走り心地なのであった。若い頃乗ったトヨタもこうだっただろうか、まったく記憶がなかった、いや、なんとも軽やかで、それこそ父が言うように浮くように走る。ブレーキに遊びがなくて、軽くペダルを踏み込むとすぐ効いて、ガックン、と止まるのが難だったが、それを除けば言うことなしだった。これはいいではないか。
「やっぱり軽とは違うよね~」、「やっぱり世界のトヨタだよね~」、「トヨタって豊かな田んぼって書くんだよね~」、「日本の田んぼが世界を席巻したんだね~」 私はゴキゲンで、そんなセリフを話しかけながらトヨタを走らせた。楽しい2日間を過ごせそうだ。
カーナビの目的地は金鱗湖に設定した。金鱗湖は大分県由布市にある池で、大分川の源流の一つである。この金鱗湖と、湖畔の天祖神社の鳥居に朝霧のかかる風景をウェブで目にして、ぜひ本物を見てみたいと思ったのであった。金鱗湖の傍に車を止めて、湯布院町を観光して、原っぱカフェでランチを食べたい、というざっくりした目標を持って車を走らせる。
屋久島の時と違い、レンタカーの旅はある程度時間に融通が利くので、計画も大雑把である。タイムテーブルよりも、まずドライブを楽しむことが第一だった。
・金鱗湖
・原っぱカフェ
写真下、牧歌的な田園風景を見ながら進む。
コンビニのセブンも三角屋根で一風変わっている。
大宰府ICから高速に乗ってみたものの、意外と混んでいるので、筑紫野ICで直ぐに降りる。そもそも出発前のざっくり計画では高速に乗るつもりはなく、国道386号と210号を通って湯布院へ向かうつもりだった。私は道路標識を見て、今走っているのは210号だと認識していたが、トヨタはなぜか突然進路を変えて、山を登り始めるのだった。
見ると「高塚愛宕地蔵尊へ」と誘う標識がある。帰宅後、調べたところ、高塚地蔵尊は大分県日田市天瀬町馬原(まばる)にある地蔵尊で、神仏混淆の形式をそのままに残す珍しいところだそうだ。地元では「高塚さん」の愛称で親しまれていて、諸事祈願成就にご利益があるというので、年中たくさんの参拝者が訪れている。
そんな有名どころとは知らなかったが、とにかく誘われたからには行ってみよう、とそのまま走らせる。しばらく山を登ると無料の駐車場が現れたので、そこでトヨタを止めた。散り際の桜が出迎えてくれた。
写真下、駐車場の前が直ぐに参道らしき階段。
杖を借りていく。
階段の途中から駐車場を見下ろす。トヨタ(一番奥)が見えている。
階段に地元の農産品の販売所があった。数件のみの営業だが、どの店の方もみな笑顔で声をかけてくれる。焼きちくわも美味しそうだった。
階段の参道を登ると鳥居が出現。
坂道の参道を登るとまた鳥居。苔がいい感じ。
御神木発見。樹齢1000年の御霊木のイチョウ。その由来は、1200年ほど前、行基という偉い僧侶がこの地を訪れた際、地蔵菩薩の奇端(めでたいことの前兆として起こる不思議な現象)が現れた銀杏樹として言い伝えられた。俗に乳銀杏というらしい。
周りに何本かの新しい幹が生え、すべて根元で繋がっている。不思議なイチョウをしげしげと眺めて、撮っていると、真前の売店に座っていた老婆に声をかけられた。
「後ろがすごいわよ。見てごらんなさい」
後ろに回ってみる。
これが後ろ |
おそらく老婆の言う「すごい」はこの枝のこと |
ちなみにこの黒い張り出した枝は、ずっと先の、二つ目の鳥居の上まで枝を伸ばして、見事な新緑を生やしていた。(下に写真有り)
振り返って御神木を見たところ |
本殿の後ろに地蔵がずらり並んでいる |
一念洞 280体の地蔵がある |
閻魔大王もいた 地蔵菩薩の化身なのだそう |
本店の裏側に「お抱え地蔵」なるものがある |
本殿の裏側に「お抱え地蔵」があり、この地蔵を抱きかかえて、お祈りをする参拝者が後をたたなかった。なかなか写真が撮れない。
私も真似して抱えてみたが、小さい割に意外と重たい。地元の人が慣れた手つきで抱きかかえ、愛おしそうにその身や頭を撫でて、深く頭を下げる姿が印象的だった。
この鐘を鳴らしてから参拝に向かっていた 私も真似して鳴らす 煩悩が飛んで行きそうな、良い音が響き渡るではないか |
ちなみにこちらの写真下が、先ほどの御神木の黒い張り出した枝の先。屋根の上から鳥居の先までずっと続いている。
こちらが先端。小さなイチョウの若葉がたくさん垂れて、感慨深い。生きているんだなぁ。
イチョウのまな板が有名らしい。この先、道の途中で何件かの直売所を見かける。
ただいま、トヨタ。
おとなしく待っていて(当たり前だが・・) だんだんと愛着を感じてくる |
高塚地蔵尊をお祈りし終わって、さて、ドライブを再開する。湯布院へと向かっていく。
あいにくの天気で、空には白い雲がかかっていた。阿蘇山が浮かび上がることはなさそうだったが、それでも、里山に棚田という牧歌的な風景を目の当たりにして、ますます心が弾んできた。
こういう風景が好きなのであった。田んぼ沿いの単線の線路というのも良い。懐かしい日本の原風景。いつかこんなところで暮らしたい、とずっと想っていた。憧れの田舎の風景を見つけるたびに、私は車を降りて、写真に収めるのだった。田んぼのあぜ道を歩き回っていたら、靴から足の中までずぶ濡れになってしまった(雨は止んでいたが、草が濡れていたようだ) が、足元の不快感も私の心の喜びは消せなかった。
あぜ道には小さな花が咲き、線路沿いには沢山の土筆が生え、ところどころに桜が残り、里山に点々と仄かな彩りを添えている。頂辺りを煙る雲も、これはこれで良い風情だ。
不思議なことに、義務感から訪れた九州は、思いのほか、良かったのである。
これで天気が良かったらもっと感動したかもしれない。阿蘇や、やまなみハイウェイが見渡せたら、いうことなかったのかもしれない。
それでも、十分だった。妙な話だが、翌日、福岡空港から成田に向かって帰る時、これほど辛く感じたことはなかった。今まで、どこへ旅行へ行った時よりも、あの夢にまで見た屋久島の時よりも、私は帰りたくない思いにとらわれた。
正直、なぜそれほどまでに九州が気に入ったのか、説明できないのであった。確かに、長者原の峠に広がる棚田には心を打たれた。あの峠越えのドライブは楽しかった。しかし、牧歌的な田園風景ならば、青森でも岩手でも福島でも目にしているはずだ。
棚田が見渡せる |
こちらは単線沿いに広がる田んぼ |
田んぼの向こうに線路 里山にところどころ桜が咲いている |
トヨタを止めて田んぼを散歩 |
土筆がぎっしり生えている |
線路際の土手から田園を見下ろして |
これで電車が来ればいう事がないのだが |
反対側の風景も撮ってみる |
水路を越えて田んぼを一周 |
強いて言うならば、やはり、着いて早々の頭痛だろうか。やはり、屋久島の時と同じように、近頃の私にしては珍しく、鈍く重たい頭の痛みに襲われた。
思えば、私は、飛行機に乗ると頭が痛くなる、というただの体質なのかもしれない。それにしても、まるでこの訪問先の地が、痛みを分け与えてくれたような気持ちに陥って、ありがたいような、後ろめたいような思いがしたことも事実なのであった。
今一番危機的な状況にある日本の一部だというのに、今まで殆ど、この地のことを思って胸を痛めたことがなかったように思う。花見や若葉の時期を考えて、もしくは疲れから、旅行するのさえためらっていたのだった。
それで、私は九州の道を走りながら歌い始めたのだった。
歌詞もメロディもめちゃくちゃなのだが、要するに、自分が来たことを大きな声で報告する、という趣旨のもので、この地と、そこに広がる自然に対して、まるで近しいもののように語りかけているのである。
おーい おーい ○○(自分のこと)来たよ ○○来たよ
おーい おーい
今までゴメンな、自分が来たからもう安心だよ、と。そんな思いを込めて、いるよ、いるよ、ここにいるよ。来たよ、来たよ、と。おーい、おーい、と呼びかけながら車を走らせている。すると次第に楽しくなってきて、この田舎の原風景との出会いに、ますます歓喜の気持ちが湧き上がるのであった。
勝手なもので、自分が嬉しいと、相手も自分と同じように喜んでくれているように思えて来る。そんな波長が伝わって来る(と感じて来る)。九州の大自然から、暖かく歓迎されているような思いがして、さらに嬉しくなるのだった。訪れてくれてありがとう、待ってたよ、待ってたよ、と嬉しさを訴えているようではないか。
楽しい気分もつかの間、しかし、また雨が降りだして、この辺りからフロントガラスが妙に曇り始めるのであった。
始めは霧かと思った。この悪天候だ、飛行機さえ条件付き運行になるほどの深い霧なのだから仕方ない、と諦めて走っていた。ところが、何かの拍子に外に出て、車内の視界より煙っていないことを知った時、私はこの視界の悪さのほとんどが、フロントガラスの曇りが原因であることにやっと気がついた。すぐにどこかに車を止めて、曇り止めのカー用品でも買うべきだったのかもしれない。
私は大したことではないと高を括ってしまうのである。気温の関係だ、しばらく走っていれば、そのうち取れるだろう。カメラのレンズもよくこんなふうに曇るものだ・・
しかし事態は、徐々に侮れないものへと変わっていくのだった。
また雨が降り始めた |
大分別府方向へ 曇って見えづらいフロントガラス 霧かと思った |
佐賀を素通りしてしまったので、せめて佐賀のせんべいを買う |
観光客らしい数人の人々が歩いている。お土産屋にカフェ、洒落た街並み、どうやら由布院駅の近くまで来たようだ。金鱗湖へ向かう前にどこかへ車を止めて駅前を散策しようか、と思っていると、ふと「原っぱカフェ」という文字が飛び込んで来た。
行きたい、と思っていた店である。慌ててブレーキペダルを踏んだ。
店の前には車2台分くらいの駐車スペースがあった。そこにトヨタを停めて店に入ると、自由が丘や広尾にでもいそうな雰囲気の良い男の店員が、にこやかな笑顔で、どうぞ、遠いところをようこそ、と出迎えてくれる。すぐに水と、別のひとりが奥から現れて、こちらは温かいお茶を、それぞれ出してくれるのだった。一人で食べ物屋に入ると、カウンターや狭い席に通されることがよくあり(たとえ席が空いていてもだ)、私はそれで外食が苦手になったりすることもあるのだが、ここは、どこへでもお好きな席へお座りください、どうぞどうぞ、と自由に座れることをきちんと提案してくれたので、初めからとても良い気分がしたものだ。
原っぱカフェは、おばあちゃんがつくる昔懐かしい味が特徴の、自然派レストランだ。おすすめは玄米か白米(どちらかを選べる)にいろいろな小鉢のついた日替わりメニューの「原っぱランチ」(850円)。私も原っぱランチを玄米ご飯をチョイスして注文した。赤飯のような色をして、もち米のようにもちもちしている。美味しかった。。小鉢も素朴な味わいだ。こごみが特に美味く感じられた。ここのランチを食べられただけで湯布院に来た甲斐があった、と早くも満足してしまう。
ちなみに、原っぱランチの他には、ミニランチ(600円)やミニカレー(400円)も人気だそうだ。無農薬低農薬の安心野菜のこだわりに加えて、良心的なお値段も魅力だとか。
・原っぱカフェ(HP)
今日の原っぱランチのメニュー |
カウンターの中ではおばあちゃんが料理をして いました(若い方に教えながら) |
原っぱカフェさんに車を止めて由布院駅前を散策することにした。例の広尾風店員が親切に、今なら空いているからいいですよ、と駐車スペースを貸してくれたのだった。
湯布院の煙る山々 残念ながら由布岳は見えず |
視界は悪いが これはこれで良い雰囲気 |
由布院駅近くの湯の坪街道 お土産屋が多く、賑わっていた |
ジブリの店 どんぐりの森 |
こちらは車を流しながら 湯の坪街道 |
由布院駅 立派な建物です |
駅前の五差路に立っている鳥居 |
白滝川沿いの風景 白滝橋より |
白滝橋より 奥に千年橋が見える |
由布見通り |
湯の坪川 |
この先に原っぱカフェがある 山に点々と桜が咲いている |
由布院駅前から原っぱカフェさんへ戻って、金鱗湖へ向かう。時間が押していた。出発前の「ざっくり予定」では、14時には、湯布院を出発して黒川温泉へと向かうはずだった。実際は、原っぱカフェさんに着いたのが14時である。それから湯布院を見て、そしてこれから金鱗湖に行こうとしているのだから、心にも焦りが出るというものである。
湯の坪通りを行けば直ぐ(せいぜい10分くらい?)のはずだ。・・なのだが、なぜかトヨタは、またするすると山を登って行く。原っぱカフェさんの先の山道へと向かうのだった。カーナビとIPhoneのGoogleマップを見比べながら、金鱗湖~由布院駅前辺りをぐるぐると2周くらい回ってしまった。
で、金鱗湖の代わりにたどり着いたのは、高台にある合掌作りの建物が印象的な「七色の風」というお宿の駐車場だった。相変わらず私のカーナビはどこを案内しているのか、不思議ではあるが、この駐車場あたりは、晴れていると素晴らしい眺望なのだそうだ。目の前に由布岳が迫り、眼下には湯布院を一望出来る絶景スポットだった。
そうとも知らない私は、だだ広い駐車場に車を止めて、辺りを見回した。金鱗湖らしき池は見えない。それで、駐車場から小さな階段を上っていく遊歩道へと進んでいった。
この遊歩道に散り際の山桜が並んでいるのだ、それからベンチ、道の途中途中に灰皿が置いてある。今時こんな灰皿だらけの歩道は珍しい。トヨタは禁煙車、原っぱカフェさんでも煙草を吸えなかったので、ここで、まったりと休憩させていただいた。
それにしても、山桜が良い風情である。花を見上げる。かろうじて、花を咲かせているその様が哀れなような、健気なような、何とも愛おしく感じて来る。まさか、九州で、花見ができるとは思わなかった。由布岳こそは見られなかったが、この山桜の下で、随分と穏やかな気持ちになったものだった。
・ゆふいん「七色の風」
七色の風の前の遊歩道 |
遊歩道にはベンチと桜が |
またしても牧歌的田園風景 |
散り際の山桜 |
216号から金鱗湖の西側へと廻っていくと、池の傍にはお土産屋が並んでいた。やっとたどり着いた金鱗湖は思った以上の人出である。人の流れで前に進めず、路駐はできず、道はみるみる狭くなり、と立ち往生していると、ふと250円で預かってくれる駐車場が目に付いたので、そこにトヨタを突っ込んだ。駐車場の入口に小屋があり、50代くらいの男の職員がこちらを訝しげに見やっている。会計を済ませる。どこから来たのか、今夜はどこへ泊まるのか、としきりに尋ねながら、車のナンバーを調べている。「レンタカーかい」
「そうですね」
「写真を撮るなら、背の高い3本の杉があるから、その木を背景にするといいよ。雑誌に載っている写真はみんなそこから撮ってるから。あとは全部民家が入っちゃうけど、そこだけは幻想的な感じに撮れるんだ。湖は一周できるから、杉の木が見えるところまで行ってごらん」
親切に教えてくれて、傘を貸してくれた。「このあと本当に水前寺に泊まるのかい」
「そうですね」
「それはそれは。今日は山に霧が出ているからねぇ・・」
「水前寺まで行くには山を登るのですか。黒川温泉に寄ってから行くのですが、それでも山、通ります?」
男は目を丸くして、「黒川温泉も通るのかい」
そりゃ登るよ。山を行くよ、と繰り返して答えた。金鱗湖の傍の温泉宿をしきりに勧めて、もう予約してあるので水前寺に行くことを告げると、低い声で言うのだった。「気を付けて」
このやり取りに多少の動揺をして、金鱗湖を撮るのがなおざりになってしまった。無事に今夜の宿までたどり着けるか心配になってきたのである。
水前寺まで100km以上、時間が押している。霧も濃くなり、雨の降りも激しくなって来た。
金鱗湖西側のお土産屋辺り |
山の麓には桜も咲いて |
池に住んでいる鳥(マガン) 韓国人にいじめられていた |
駐車場のおじさんオススメの3本杉を背景に |
杉が見える辺りのすぐ傍に祠がある |
金鱗湖の北側 古民家風の浴場「下ん湯」がある |
金鱗湖の北側のほとりに「下ん湯」という共同浴場があった。藁葺き屋根の古民家風の作りで良い雰囲気である。200円で入れるそうなので、行かれる際は立ち寄ってみてはいかがだろうか。ちなみに混浴である。
・下ん湯
それにしても、湯布院と金鱗湖周辺の韓国人の多さには驚かされた。近場の人は悪天候から観光を取りやめたが、飛行機や船で来る彼らは予定を変えるわけには行かなかった、それでたまたま韓国人だらけに見えた、というだけかもしれないが。
「ゆふいん」という音には、憧憬を覚えるものがある。俗になった、と言われているようだが、それでも、田園風景の美しい、落ち着いた雰囲気のリゾート温泉街、というイメージ、「湯布院ブランド」の高級感はいまだ健在である。
ところが、今のこの地のこの韓国人の多さといったらどうだろう。団体の派手な彼らと彼女らはしきりに池のほとりで写真を撮って、マガンを追い掛け回している。池から上がり、食事のために草むらへ向かった2羽に、取り残された1羽。木道を挟んで羽を広げて高く叫んでいるのだった。ガッガー。
「ガッガー!!(餌、食べに行きたいから、どいてけろ)」 →おそらくこんなことを言っている
「アハハハ。○○ニダ!」 →通せんぼをしている韓国人観光客の笑い声
「ウリァーー!」 →子供が木の棒で叩く真似をしながら怒鳴っている
観光客がたくさん来てくれるのは嬉しいが、どうも雰囲気が宜しくない。「湯布院ブランド」がひしゃげてしまいそうだった。
この時に、やっと私は、九州は東京や大阪よりも東アジアが近い、という現実を、肌で感じたのである。湯の坪街道や金鱗湖通りを団体で闊歩している、こんなに一度に多くの韓国人を目にするのは、生まれて初めてのことだった。
(中国人の団体ならばよく見かけるのだが、)
(ひょっとして、中国人よりもランクが上なんだろうか、韓国人観光客は)(だから「湯布院ブランド」なのか?)(治安が悪いんじゃなくて、むしろ高級?・・・)
やっと木道を渡れて、2羽の方へ向かっていくマガン |
金鱗湖の由来 |
ますます曇るフロントガラス おーい、見えますか~? |
長者原へ 桜が咲いている |
道には桜の花弁が |
久住連山へ登っていく |
だいぶ暗くなってきた |
走りながらIPhoneで |
山道の途中 |
立派な杉の木 苔も良い雰囲気 |
美しいワインディングロード |
ここにも山桜 峠の頂上辺りに佇んでいた |
走ってきた道を見下ろして |
峠の途中でついにライト点灯 |
IPhoneで 峠を越えて、黒川温泉がやっと目前に |
九州の治安の心配をする以前に、自分の道のりが怪しくなってきた。
フロントガラスの曇り具合が尋常じゃない。何度も内側からガラスを吹くが、まったく曇りが取れないのだった。外と車内の気温差のせいで曇るのだろうと考えて、それで窓を少し開けて、必死で車内の温度を下げている。エアコンを送風にして、フロントガラスから循環するようにしても取れない。次第に峠には濃い霧が立ち込めて、ガラスの曇りとのダブルパンチ、夜の闇とのトリプルパンチでまったく道の先が見えなくなった。
いや、その前に、長者原だ。この話をしなくては始まらない。九州で一番楽しかった峠越えである。フロントガラスの曇りと格闘を始めるほんの少し前、黒川温泉へと向かう国道387号線が通行止めになっていたのである。私は車を止められた。県の職員か警官か、それともアルバイトの交通誘導員なのか、反射素材のレインコートを着た若い男がトヨタに走り寄ってきて、言うには、「ここから先は通れません!」
電柱が倒れて、現在復旧作業をしているのだ、と言う。1時間程待ってもらうか、それとも、と彼が提案したのが「長者原」だった。
「どこへ行かれますか」
「黒川温泉です」
「黒川温泉ですか・・ なら、回り道ができます。長者原の峠の道を知っていますか?」
「峠」と聞いただけで、怖気づいた。そんな難しそうな険しそうな道は、できれば回避したい。1時間待とうかと思った私に、誘導員は明るく言うのであった。
「すぐわかりますよ。曲がるところを間違えても、その先の道にも長者原方面を指し示す標識がありますから。長者原方面へ走って、それから小国へ向かってください」
九州ではポピュラーな峠のようである。私にも誰にも当然行ける、と言わんばかりの言い方だった。
ところで、長者原は大分県九重町にある飯田高原の地名である。九重(くじゅう)連山の火口へと向かう長者原の直線道路と、ワインディグロード「やまなみハイウェイ」は、その美しい景観から走りたい道全国3位の人気を誇っているそうだ。九重(くじゅう)連山を望む長者原、阿蘇外輪山へ向かっての緑の草原へと抜けていく道路は、それはそれは雄大で素晴らしい眺めだという。
見たかったものである。やまなみハイウェイを走ってみたかった。そもそも嵐予報なので、阿蘇の景観というものを諦めていた。出発前日に、阿蘇言えばの草千里の観光もはしょってしまった。が、思いがけず、事故の通行止めという偶然から、長者原へ、九重連山へと向かう峠の道へと導かれた。ついているといえばついている。
若い交通誘導員の言うとおり、長者原を示す標識通りに進んでいくと、すぐに私の好きな牧歌的な風景が始まるのである。桜が並び、棚田が広がり、里山の風景の中を進んで、そして棚田の間を上がっていくと、杉林、焦げ色に赤く染まった山、九重連山へ向かってのワインディングロードが始まるのであった。
山の斜面沿いの巻道を登りきったあたりに一本の山桜が立っていた。遠くからもその1本木は目立っていて、多くの花を落とし、散りかかった姿であるというのに、日暮れの近い山の中で、まるで灯るように咲いているのである。その桜の下で車を止めた。登ってきた道を、景色を、見下ろして、美しさにため息を吐いた。この霧に煙る悪天候の中でさえ人の心を打つとは、この自然の姿というのはすごいものだなぁ・・と。九州の懐の深さに、あらためてしみじみと感じ入るのである。
斜面の巻道が終わり、山間のあいだを走っていく。今度は一本木ではない、ところどころに桜の木が立っている。杉の木の合間から、花が垂れ、彩りを見せている。
私は、ふと今自分がいる場所が、いつか見た桃源郷ではないか、と思ったものである。この場合の「桃源郷」というのは、たとえば奈良の吉野や、福島の花見山のような、山一面、もしくは山に点々と、春の花が咲き誇る美しい地のことで、私はいつもその地を夢見ていたのである。たどり着けたためしがない。いつも遠くから眺めているだけで、その場所には行ったことがないのであった。
これは比喩的な話でもあり、実際の旅での話でもあり、その訪れたことがない理想郷に、今ふと自分がいるように感じられたのである。散りかけた、点々と山を染める山桜を、道の途中で何度も、目にしたせいだろう。もしかしたら、今自分がいる場所をロングショットで見たら、それこそあの桃源郷の中であり、自分はついに、やっと、そうだやっとここに来たのだ・・ そんな思いがしてくるのであった。
また、後で知った話だが、九重連山は天孫降臨(※注)の地だという説があるのだそうだ。あれは高千穂峰や高千穂町ではなくて、九重連峰であり久住山にこそ瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降り立ったのだ、と。こちらの真偽はわかないが、あれほど感じ入り、別れ難い気持ちにさせられたのである。義務感で、半分いやいや訪れた九州が、である。瓊瓊杵尊とまで言わなくても、何かしら自然の霊気を授かった場所であるのではないか。
※天孫降臨
天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、葦原中国平定を受けて、葦原中国の統治のために降臨したという日本神話の説話。天照大神から授かった稲の穂を持って、天上世界の高天原から地上世界の葦原中国に降りたと言われている。この降り立った地がどこかということで、宮崎県の高千穂町や宮崎、鹿児島の県境の高千穂峰、福岡の日向峠など、様々な説がある。
予想外だったのは、この峠越えが思ったより長かったのである。小さな山を超えるだけではなかった、黒川温泉への道のりの間、ずっと続くのである、長者原から九重連山の麓を通って、延々と。
いや、おそらく、もう山道は終わっていたのかもしれない、とっくに峠は越していた。それが本当かもしれない。辺りは闇と深い霧で何も見えなかったのだから。相変わらずフロントガラスは曇ったままだったのだから、勘違いをしていたのかもしれない。
私は、車を止めた。左折した直後のことだった。窓を開け、身を乗り出して先を見たが、どうしても道が見えない。フロントガラス中央下の唯一曇っていない隙間(横30センチ縦15センチくらい)から、車のライトに照らされる道の左隅の白線を見つけて、それだけを頼りに走り続けていたのである。ついにその白線も霧にかき消された。
目を細めて、懸命に道を探していると、私の後ろに続いていた車が緩やかに走り出し、トヨタを追い越していった。
道の見えない夜の霧の中で一人残された。黒川温泉と、今日の宿泊地の水前寺がまるで遠くに感じられるのだった。
※九州編②へ続きます。