神々に呼ばれる旅・屋久島旅行編② ~縄文杉トレッキングともののけ姫の森~




 屋久島に着いた日のことだ、宿に荷物を置いて、永田のいなか浜まで夕陽を見に出かけたら、妙に頭が痛くなってきた。観光どころではない。帰りのバスでダウン寸前、ヘロヘロになりながら、ど根性で車窓の夕景を撮っていた。

 めずらしい。かつては万年頭痛持ちだったが、現在では頭が痛くなるということはめったにない。それで、てっきり、屋久島の森が病んでいるのではないか、と想像したのである。

 これは万年頭痛持ち時代の論理である。当時、私は敏感な性格で、周りの人々の悪意や敵意や嫉妬や、ネガティブなオーラを感じると、相手の痛みが伝染して、頭が痛み始めるのであった。

 現在ではタフになって、ネガティブな相手に引きずり込まれることはめったにない。修行のたまものである。悪意を感じたら、倍の悪意を発し返して、逆に相手をこそ頭痛に追いやってやろう。
 と、それは冗談だが、おばさんになると、万事がそのような図太さなのである。

 そんな今の私に、これほどの酷い頭痛を与えるのだから、まさか、この神々が宿る屋久島の森が? よほどの痛みの悲鳴を上げている? いや、まさか、そんな馬鹿な話があるだろうか。私は首をひねりながら、まんじりともしないで夜を迎えた。(いや、ホントはぐっすり寝てしまったんだけどね) 
 ぜひ、明日の縄文杉トレッキングでは、屋久島の森に入って真意を確かめてやろうと決意した。
 
 翌日、屋久島に着いて2日目は朝の3時に起床する。4時に早朝弁当の朝用と昼用を受け取って、宮之浦バス停から屋久島交通のバスに乗る。
 ちなみに、屋久島縄文杉のトレッキングは下記の図のようなルートである。
 大抵はどこかの町から屋久島自然館まで路線バスで行く。(観光に配慮して、観光バスとレンタカーという選択肢を排除した行程での場合である。詳細は屋久島編①を参照)
 屋久島自然舘に着いたら、路線バスから登山バスに乗り換える。(この荒川登山バスに乗るには、前日までにバスチケットの購入が必須なので気をつけるように)

 荒川登山バスは、けっこう混み合う。路線バスで行った場合、始発の4時40分のあとの、5時、5時半、6時と、30分間隔で出ている登山バスのいずれかに乗り換えることになるが、この乗り換えがスムーズにいかないことが多いようだ。一本待ちはザラなので、自然館でのバスの待ち時間で朝ごはんを食べたりすると良いだろう。
 体力に自信がなくて一本でも早く登山口に行きたい方は、バス停に一番に行くといい。私は宮之浦のバス停に4時前から並んでいた。友達と集団で出かけても、この順番取りは慎重に行うべきである。まちがえても楽しさに浮かれて、話に夢中になってはいけない。(バスの乗り換え時に後悔する)
 
 登山バスに40分ほど揺られると、縄文杉トレッキングの入口、荒川登山口に到着する。朝日が出るのはまだ先なので、辺りは真っ暗である。懐中電灯を持って、縄文杉トレッキング名物のトロッコ道を進んで行く。


 
 
 ↓ 縄文杉トレッキング(荒川登山口からのルート)はこんな感じ。

クリックすると写真引用元ページへ

 ↓ ざっくり紹介すると、登山口から大株歩道入口までがトロッコ道の平坦な道。混んでいなければ約2時間~3時間程で行ける。ここまでは散歩気分。辛いのは、大株歩道入口から高塚小屋まで。ここから一気に標高差のある登山道になる。短い距離だが、登山口から大林歩道入口までと同じ程度の時間を要する。帰りのバスに間に合うように登山計画を立てよう。




 朝の5時50分くらいに荒川登山口に着いた。真暗なので、周りの景色がよくわからない。とりあえず駐車場とトイレと山小屋風の休憩所があるようである。
 ここでトイレを済ませて、靴紐を結び直したりして、支度をする。




 登山口入口の案内標識。こちらも真暗の中で撮って、その真黒い写真を、帰宅後にPhotoshopで明るくしたもの。




 この先が登山道。(写真真横にトロッコ道が走っている)





 闇夜のトロッコ道を見たときは、ガイドなしの単独トレッキングを初めて恐ろしく感じたが、いや、でも本当にずっと登山ルートがトロッコ道なのでね・・ 迷う心配もなければ、道を踏み外す心配もなければ、そのまんま「レールの上の人生」を行くがごとく、妙に安全な道程である。いや、これは高いガイド要らないでしょう、という気分になってくる。
 (必要だったかも、と後悔したのは、逆さ杉を見逃したことに帰宅後に気付いた時くらい)

 では、レールの上の人生・・ もとい、トロッコ道トレッキングに出発。






 ちなみにこちらが、トロッコ道の一番端。レールの始点である。(トロッコを格納する小屋らしきものがある)



 

 下の写真はトロッコ道のトンネル。ここでやっと明かりを見てホッとする。
 ちなみに、この辺りの小杉谷は、大正12年以降の屋久島国有林開発と共に栄えた。最盛期は133世帯、540人が小杉谷、石塚集落で暮らしていた。登山道の途中に小杉谷小・中学校跡があり、この学校の生徒も最大で147名いたそうだ。
 トロッコ道は大正11年から作られた。翌年には安房(安房は)~小杉谷間の16kmが完成した。最盛期は総延長26km、材木の運搬だけではなく、生活物質の運搬に、集落の人々の足として利用されたようだ。

 詳細は下記ページに。(当時の写真あり)





 スマホの電源が入らないと思って、地図とコンパスを出し入れしやすいところに入れて持って来ていたのだが、ずっとトロッコ道なので必要がなかった。トロッコ道が終わったところ、山道に入ったところで、改めて取り出してコンパスをセットしようと思っている。
 レールの上の人生って、乗ってしまうと楽だなぁ、方角知らなくていいんだもんな、などと、いちいち人生と照らし合わせて、感心している。いや、レールの上の人生を歩んだことがないのもので、これはいいな、と思ったわけだ。

 トロッコ道に必要なのは、懐中電灯だけだ。これも100均で買った小型LEDライト、軽くて小さくて荷物にならないし、とても明るい。下の写真、トロッコ道のレールを照らしてみた。

 




 前から声がして、やっと人の気配。ゴールデンウィークともなれば、人が多くて、このトロッコ道は人の列でまったく進まない、と聞いたが、私が登った時はそうでもなかった。特に出だしの夜明け前など、前後に人っ子ひとりいないことがザラだった。
 前の3人組は立ち止まって、山の方角を眺めている。ふと彼らの見やる方に目を向けると、明けかかった南東の空に綺麗な月が出ていた。
 これには感心した。せっかく屋久島の森を歩いているというのに、景色が見れない、闇夜の道だったので、少しがっかりしていたのである。
 いや、夜の森もいいものだ。







 次第に明るくなるトロッコ道。やっと森の景色が見え始める。




 空も白んできた。




 行けども行けどもトロッコ道。退屈だが、森が見えてきたので、満足感あり。






 下の写真は、レールの分かれ道。ちなみに左は行き止まり(登山道ではない)。
 このあたりから、かつて杉の木を運んだ道を、現在、観光客が連なって歩くというのはどうなのだろうな、と意味もなく考える。当時も町の人の足替わりではあったわけだが、それでも主要な目的は木を運ぶこと。そのために作られた道である。昭和44年、トロッコ運材は半世紀の歴史を閉じた。まさか、観光客の登山ルートになるとは、思ってみなかっただろう。

 使わなくなったものを有効活用していると思えばいいわけだが、どうも滑稽なようにも感じられてくるのである。私たちは木の代わりに、運ばれている。木に代わって、移動している。

 観光など思いもよらない、実用的で貧しかったあの当時の、木材を運んでいた頃の方が、よほど豊かな文化を営んでいたように思えてくるのである。

 ずらずら人間が並んで歩くのではなくて、もう一度、材木を運ぶ目的でこのレールを使うようになったら、同時にそこを行く乗り物が人間の足ともなるのなら、ああ、そういう日本になったらどんなにいいだろうなぁ、と他人が聞いたら馬鹿げた話だと思うようなことを考えて、ひたすらレールの上をゆく。相変わらず、地図もコンパスもいらない。ついにはライトも必要なくなった。
 







 橋の上から、谷を見ると若干怖い。トロッコ道は沢沿いのトラバースが続いている。
 ちなみに、この荒川登山ルートは、(トロッコ道の後も)尾根道というよりは、沢登りをしているような登山ルートであった。イメージで語って申し訳ないが、尾根道を行く山が陽ならば、沢登りをするような登山道の山が陰であり、屋久島の森(ルート)はこの陰のイメージがとても強かった。

 沢が多いので、水を持参する必要もない。いつでもどこでもそこかしこから水が汲めるので、屋久島に行く前に、心配した水の確保は難なく済んでしまった。ペットボトル一本持って出かければよし。






 小杉谷小・中学校跡。ここに子供がたくさん通っていたのだなぁ、と感慨深いものがある。



 


 小中学校跡すぐそばの休憩所。ここでガイド連れの壮年の男性女性3人組のグループに出会う。時間が押しているのか、若いガイドがとうとうと説明を始めた。

 ガイド「急ごうとするとどうしても大股になります。ですが、大股で歩くと疲れが増します。よけい遅くなってしまいます。急いでいる時ほど、小股で、ちょこちょこと歩いてください。ちょこちょこ歩きですよ、いいですか」
 3人組「はい、わかりました」

 私も時間が押していた。縄文杉を見たら、出発地点の荒川登山口には戻らず、途中の楠川分岐から、強者向けと言われている白谷雲水峽を行くルートに逸れるつもりでいた。楠川分岐からの白谷雲水峽のルートは、宮崎アニメの「もののけ姫」の絵コンテのモデルとなった森で、原風景としての「日本の森」のイメージが色濃く残るという。ただし、そこを行くには、辻峠という峠をひとつ越えなくてはならず、縄文杉ルートと白谷雲水峽ルートで山頂がふたつあるようなものだから、体力面での懸念があった。帰りのタクシーは、18時に白谷雲水峽の管理事務所に迎えに来ることになっていた。

 まるで私のために教えてくれたようである。この休憩のあとから、私はちょこちょこ歩きで、トロッコ道と、大株歩道からの登山道を急ぐのであった。

 下の写真が小杉谷の休憩所。水場もある。






 振り向けば、森に朝の陽光が降り注いでいた。やっとである。その眩さにほっとしながら、が、これから陽が高くなると暑くなるだろう、と読んで、なるべく体に負担のかからない今のうちに距離を稼いでおこう、とちょこちょこ歩きを加速させるのであった。





 3人組と、1組のカップルを追い抜かして、当面独走状態といったところで、仁王杉(阿形)が突然現れる。でかい。
 必死で撮っていたら、またカップルに追い抜かされてしまった。

 下の写真が仁王杉(阿形)。トロッコ道は人がひとり歩けるくらいの幅で、距離が縮まらない広角レンズで撮っているのに、それでも遥か後方の仁王杉の方が大きい。

 ちなみに、仁王杉を通り過ぎてすぐに、かつての仁王杉(こちらは吽形と呼ばれている)があった。平成12年11月下旬に、台風で倒れたのだそうだ。





こちらが吽形、谷間に倒れているのがかすかに見える

 大株歩道入口に到着。ここでトロッコ道が終わる。




 レールの最後を感慨深く追う。




 これが最後。






 ここで、地図とコンパスを出して、方角をセットする。万が一、山で迷った時に備える。また、ここから厳しい登りが始まるので、上着を一枚脱ぐ。汗をかいて体が冷えないよう備える。
 水場があるので水を補充する。トイレがあるので、最後のトイレを済ます。行動食をひとつ食べる。

 準備が出来たら、スタート。下の写真の、トロッコ道横のはしごのような道が登山道の入口。



 入り口横の看板にはこう書いてある。
 縄文杉(日帰り)登山者の方へ  
 ・ここを遅くとも午前10時までには出発してください。
(縄文杉まで往復で4時間程度かかります。) 
・縄文杉から遅くとも午後1時までに引き返してください。 
 ・体調が悪い時、悪天候時には、早めに引き返してください。



 のっけから、道なき道、を思わせる登山道が始まる。今までがずっとトロッコ道だったので、気分転換に良い。





 歩きはじめて15分程で、翁杉と出会う。知らなかったのだが、2010年に倒れたのだそうだ。ウィルソン株のように、根元の幹しか残っていない。翁杉は屋久杉のひとつで、樹齢2000年と推定されていた。枯死していない屋久杉(屋久島は枯死した屋久杉が多い)では、縄文杉の16.4メートルに続く太さだった。

 「翁杉が立っているときは、ここは良く陽が差して、絶景の休憩場所でした」

 気がつくと、先ほどの若いガイドがまたとうとうと喋っていた。いつの間に追いつかれたのか。

 「不思議なもので、翁杉が折れたあとは、陽が射さなくなりました。休憩する気も起きません。」

 木がないと陽が射さない、という論理がよくわからなかった。木がある方が陽が射さないように思えるが・・ 素人考えなのか。続けて、何故ならば・・ とその説明していたが、よく聞き取れない。
 「・・・そういうものです」というきっぱりとした、哀しげな口調だけが、耳に残った。

 「樹齢が2000年も超えると、中はみんな空洞なんです。だからどうしても折れやすいのです」

 谷に転がっていた仁王杉(吽形)のことを思い返す。もしかしたら・・・、と、あの私に頭痛を与えた屋久島の病の根源(そんなものがもしあるならば)に思いを馳せる。翁杉だけではあるまい。
 中が空洞で折れやすい木は。この島の観光の象徴である、縄文杉だって同じだろう。

 まさか、もう直に、縄文杉は朽ちるのだろうか。翁杉のようにボロボロに砕かれて。








 翁杉を通り過ぎると、すぐにウィルソン株が現れる。ウィルソン株は、屋久島に到着してすぐに港でレプリカを見た、あのでかい切り株だ。400年前に豊臣秀吉の命令により伐採された、と言われている。胸高周囲は13.8m。植物学者、ウィルソン氏の来島を記念して命名された。観光センターのスタッフの話によれば、氏がこのどでかい切り株を見つけて、テント代わりにその中で過ごしたことから、氏の名前がつけられた、とのことだった。

 株の内部は空洞になっていて、水が湧き、祠が祭ってある。上部は穴が空いている。入ってすぐの、右手あたりから見上げると、穴の形がハートに見えるのだった。よく雑誌にハート型の穴のことが掲載されるので、旅行者は皆そのポジションから写真を撮ろうと躍起になるという。特に来島者の多いゴールデンウィークは、長い行列ができるのだそうだ。




内部は畳10畳くらいの広さ
いびつだがなんとかハートに撮ってみる
逆から見たウィルソン株 異形の者っぽい迫力あり


 ウィルソン株から次に目標にしていた大王杉まで一時間間弱、黙々と山道を行く。道なき道かと思いきや、トロッコ道の代わりに今度は延々と木道が敷かれている、歩きやすい道程だった。

 道を行きながら、個人的に綺麗だなぁと感じたのは、ヒメシャラ。時々、鮮やかなオレンジで、つるりとした木肌のヒメシャラが立ち並んでいる。それから、木の根。木道の合間合間に根を張っては、前後左右に繋がり、その姿を晒すのだった。

 私は何度か森に語りかけた。私の頭痛はあなたたちから来たものなの?
 森を歩いていると、不思議なもので、つい思索がちになり、森と対話をしたくなったりするものだ。こんなに綺麗な森なのに、あなたたちはなにか病んでいるの?









 もしなにか悩みがあるならば、言って聞かせなさいよ?
 私が代わりに考えてあげるから。その変わり、私のことはあなたたちが考えなさいよ?
 ほら、自分のことでいっぱいになってつらい時に、誰かほかの人のことを考えると、自分のつらいことなんて忘れてしまうでしょう。自分のことどころじゃなくなるでしょう。

 だから、私のことは、あなたたちが考えるのよ。一生懸命、私を幸せにすることを考えるのよ。
 私は、あなたたちがよくなるために、一生懸命考えるから。どうにか、痛みをなくすためにずっと努力をするからね。
 そうすると、お互い自分のつらいことを忘れて、幸せになるでしょう。

 自分のことを考えている限り、誰も 幸せになれないのだから。
 相手のことを考えていれば、誰も 幸せになれるのだからね。
 


 大王杉が目の前に現れた。この大王杉は、写真家の土門拳さんが、最初で最後の山登りをして撮ったことで知られている。推定樹齢は3000年を超える、縄文杉に次ぐ古樹である。その内部は、やはり空洞になっている。
 ちなみに、土門さんが大王杉を撮った時は、まだ縄文杉は発見されていなかったのだそうだ。当時、屋久島で一番古くて大きいとされていた木が、大王杉だった。土門さんが生きていたら、どんなふうに縄文杉を撮ったのか、ぜひ見てみたかったものである。あの大王杉の写真のように、見た瞬間、思わず息を飲むくらいの、気迫のこもった写真を残されたことだろう。








 大王杉のあとは、夫婦杉。2本の杉から伸びた枝が繋がっている合体木の一種だ。


この夫婦杉の周りのヒメシャラもまた綺麗

夫婦杉にズーム


 左が妻杉、右が夫杉。いつまでも仲睦まじく、佇んでいてくれることを願って。

 下の写真は登山道の木の根、本当に印象的な根がたくさんあった。急いでいるというのに、思わず見入ってしまう。




 

 ふと目の前の蔓をサルが歩いているのに気がついた。ヤクザルだ。屋久島に住んでいる野性のサルである。広角レンズだったので、どうせ慌てて撮っても満足に捉えられない、ならば、と撮るより見るのに熱中してしまう。始めは一匹だったのに、遠吠えのような鳴き声とともに、わらわらと集まってきた。この後、楠川分岐からの峠でも見かけるのだが、あの仲間に互いを伝えあうサルの遠吠えは、すごい。森の高くに響き渡る、原始的な音色にぞくぞくする。まさか森の中でこんなに見れるとは思っていなかった。(よく道路には現れると聞いていたが)
 最後に、後ろ姿を一枚撮らせていたただいた。うちの猫のようだ、声をかけると後ろを向いて待っている。まるですねているように、去らないで、背を向けて佇んでいるのである。こっち向いてよ~と何度か声をかけたあと、本当に振り向いて見つめてくれた。なんとも可愛いヤクザルだった。
 


後ろをむいて待っているヤクザル


 大王杉から歩くこと30分、最後の階段道を42段登っていくと、木道の展望デッキがあり、その10m程奥に縄文杉が佇んでいた。

 夢にまで見た縄文杉だった。私は2年前、大きな人生の岐路に立たされた時、この縄文杉の写真を毎日のように眺めていた。近いうちに必ず見てやろう、そう心に決めていた。
 今、縄文杉は白い、大きな姿を、目の前に晒していた。一瞬、いまだ生きていることが奇跡のように思われた。美しいその白い木肌は、しかし、まるで枯死しているように見えたのである。

 まさに、老木だ。老いた、頼りない姿だった。もっと生命力溢れる、力強い、自然の樹木の姿を勝手に想像していたのであった。思えば、樹齢は7000年とも2700年とも言われている。長い、長いあいだ、私たちの世界を見てきた老木なのだから、それは当たり前であるというのに、私は一瞬言葉を失った。

 「倒壊の危険があるから・・」

 ガイドの声が聞こえた。その時初めて、展望デッキの北側の半分が閉鎖されていることに気がついた。南側展望デッキと北側展望デッキのあいだのウォークボードが、ロープで括られ、人が通れないようになっていた。
 去年の暮れ、2012年の11月に、縄文杉の大枝の付け根に亀裂が見つかった。もし、縄文杉が倒れた場合、展望デッキまで及ぶ恐れがあるため、不測の事態に配慮して(縄文杉が傾いている方向の)展望デッキを閉鎖したのだそうだ。
 声の主が、例の若いガイドかどうか、今となると思い出せない。(なぜなら私はこの情報にとても動転していたので、)声の調子はよく似ていたように思う。
 
 我に帰らせてくれたのは、周りの人々の笑顔だった。縄文杉の前では大勢の人々が写真を撮っていた。お気に入りのアウトドア用のネックウォーマーを付けて、撮り直してください、とカメラを預ける青年がいた。さっき、別の男性に撮ってもらったばかりだが、「これ付けてなかったので」と首元を示して照れくさそうに笑っている。縄文杉とのツーショットを縦構図、横構図と続けてシャッターを切ると、その度に、満面の笑みに、縄文杉を指し示すパフォーマンスを見せてくれるのだった。
 女性のツアー客を引き連れた壮年のガイドは、絞りと構図を決めて、「シャッター押すだけでいいから」と一眼レフに私を招く。重大なミッションを託すような、茶目っ気あふれる笑顔である。こちらも縦と横で、シャッターを切る。全員破顔してる。なんとも楽しそうだ。
 いつしか、お祭り騒ぎのような空気と気分が伝染して、「私も撮ってください」
 縄文杉に向かって拳を上げて、ツーショットを撮ってもらった。

 山というのは山頂が到達点であることが殆どなのに、ここだけは、違う。縄文杉が目的なのだった。
 縄文杉トレッキングが普通の登山と比べて疲れないのは、そのせいかもしれない。ただ山あり、谷ありの道ではなくて、愛しい恋人に会いにいく旅路のようなものだ。
 高塚小屋まで行って、戻ってきた後も、縄文杉の周りはまだ大勢の人々で賑わっていた。

 すごいなぁ。こんなに大勢の人々を笑顔にする、大勢の人々を幸せにする木というのは。

 きっとこの木は、長い、長い年月の間、自分以外の何かのことを一生懸命思ってきたに違いない。

 こんな目的を持てば、道はもっと楽しいのだろう。
 こんな存在になれば、もっと幸せを感じることができるのだろう。
 あやかりたいものだなぁ、などと考えている。


 縄文杉を後にして、私はまた森に声をかける。もう直、縄文杉がいなくなるから、あなたたちは、哀しんでいるの? この島とこの森のことを心配しているの?

 森は答えなかった。



南側デッキからのアングル
少し木の枝が邪魔だった
ズームしてみる 周りのヒメシャラも良かった

まるで仏の顔のようだ


 高塚小屋で昼用弁当を食べて、さて、今度は白谷雲水峽へ行こう、と準備していたところ、突然、ヤクシカが現れた。あまりの至近距離に驚かされる。私のナバリノに入っていた行動食の匂いを嗅ぎ付けたようだ。一番楽しみにしていたチョコバーを奪って行った。
 いや、正確には、奪ったものの、食べられないのだ。個包装の包を開けられず、咥えたままぶんぶんと首を振っている。振っても、「中身」が出てこないとわかると、今度は、地面に叩きつけて、足と口とを使って懸命に引っ張る。どうにかして開けようともがいているのである。
 見るに見かねて、もうひとつの行動食に気を取られた隙にチョコバーを奪い、袋を開けてあげた。さんざん振ったものだから、中身は粉々になっていた。本当はヤクシカに餌を与えてはいけないそうだが、あまりのもがきようにかわいそうになってしまったのだ。相当お腹がすいていたようで、2個を一瞬で完食していた。

 ヤクシカにはこのあと5,6回遭遇する。トロッコ道の脇に佇んで、こちらを窺っている姿が妙に可愛らしかった。ヤクシカはニホンジカの亜種の中で2番目に小さく、体重も40kg程度しかない。大人になっても子鹿のような風貌なのである。
 白谷小屋の前で出会った最後の一匹は、めずらしく大きめのヤクシカだった。大人のオスだ。濃い色の毛を纏い、立派な角を生やしていた。声をかけると振り向く。首を伸ばして見つめると、向こうも首を伸ばす。こんなことを何度か繰り返した。

 この森のヤクシカは、ある程度の年齢に達したものを選んで定期的に殺処分されている。森を保つために、数が増えすぎないよう管理されているのだった。かつての鹿の天敵が消えて、個体数が増え、森に弊害が出るのはどこの地方にもある問題なので、致し方ないことだと承知しているつもりではいるが、しかし、出来ることならばあの巡りあった最後のヤクシカには生き残って欲しいと思った。森と添って、生きていって欲しいものだ。





ヤクシカと遭遇 目があった

しばらくの間合いのあと

(間合い中)

さらに接近してきて

行動食を狙う

(狙い中)

こんなに近くで野性の鹿を見たのは初めて



 森は相変わらず、ヒメシャラが綺麗なのだが、どうもあの気高い姫のような美しい姿をうまく撮れなかった。山の斜面につんと反るように佇んでいるところなど、得も言われぬ姿なのだが、私の腕だとやけにのっぺりした、太った妊婦のように写っている。





 水場は本当に多かった。行きと帰りのフェリーでお茶を買っただけ、美味しい水がいくらでも飲めた。屋久島では飲み物代がかからない。





 トロッコ道の代わりに現れる木道は何ともユニークである。必ずに2個の釘が打ってあり、顔のようにも見える。ムーミン谷(主にニョロニョロ)を思い出してしまう。賑やかな道だ。
 また時折、寄木細工のようによく出来ている箇所もある。アートっぽい。
 楽しい道なのだが、冬は滑りやすくて困るそうだ。アイゼンがないと雪の木道は厳しいらしい。





 



 屋久島と言えば苔、下の写真は木の根にポツポツ生えているオオシラガゴケが可愛らしくて撮ったもの。

 屋久島の樹木や岩に付着している苔は、触ると、しっとり・・ではなくてふわふわだった。意外である。触ったら手が濡れるのではないか懸念していたが、まったくそんなことはなかった。何とも気持ちの良い肌触り。人工芝に似た弾力があって、さらりとしている。愛猫の頭を撫でるように触ってしまった。





 苔からハイノキの花も咲いている。




 白谷雲水峡へと向かう楠川分かれを目指して黙々と進む。

 




 展望が開けて、奥岳方面が見渡せた。雲の下にうっすら見えているのは翁岳。




 陽が射して、何とも綺麗に感じたトロッコ道。





 楠川分れに到着。ここからわき道にそれて、トロッコ道とお別れだ。白谷雲水峡へ向かうルートへと進んで行く。本当は白谷雲水峡巡りは到着した日か、最終日にしたかったが、路線バスを使うと、半日では満足に観光できないのだった。宮之浦から行って、帰ってが精一杯、現地にいる時間が30分も取れない。それで、諦めるか、半日のオプションツアーに参加するか、レンタカーを借りるか、タクシーで行くか、あれこれ悩んだ末に、縄文杉トレッキングのルートと楠川分岐から辻峠~もののけ姫の森~白谷雲水峡を通る楠川歩道のルートを1日の強行軍で進むことにした。

 諦める=☓、オプションツアー=申し込みが間に合わない☓、レンタカー=環境を考えて☓、タクシー=高い☓、という消去法だが、友達と行くならば、タクシーを使って回るのもいいだろう。オプションツアーもお手軽でいいと思う。短い日程のツアーでも、白谷雲水峡ともののけ姫の森はぜひ見ていただきたいものだ。







 辻峠に到着。この峠を越すのが、一番厳しかった。早起きと縄文杉トレッキングで疲れていたのか、峠の登り道でやけに息切れするのである。が、しかし、このあたりの森は良かった。トロッコ道とも木道とも別れて、生々しい原生林に入っていく。ヤクサルとヤクシカが出迎えてくれた。
 サルは遠吠えし、苔は生し、途中大きな岩がまるで切り株が宙に浮いているがごとくに佇んでいる。

 辻峠を過ぎると、もののけ姫の絵コンテのモデルになったもののけ姫の森(苔むす森)が現れる。こちらは大きな屋久杉の切り株が多数点在し、その苔むす切り株には寄生する植物たちが纏わり付いている。
 異形のもののようである。植林された杉林ばかりの山の森は見慣れているが、これはちょっと雰囲気が違う。原風景としての日本の森のイメージ・・・ とはいえ、驚かされる、ならば日本の森はこうも底知れないものか。もしくは、「かつて」のイメージの廃墟とでも言おうか。どう見ても、そのまんま物の怪のような、異形の樹木(もどき)がぞろぞろと存在するのである。
 これには宮崎駿さんも、さぞかしイマジネーションを掻き立てられたことだろう。
 












 
 白谷雲水峽に到着だ。私は時計を持っていない。いつもスマートフォンで時間を確認している。ところが、この日、モバイルバッテリーだけナバリノに詰め込んで、ケーブルを忘れてしまった。そんなことは初めてのことである。IPhoneはあっけなくシャットダウンしてしまった。よりによって、人気のまるでない、やけに生々しい原生林のど真ん中で、外界との唯一の接点である電話が途絶えた。
 タクシーは18時に迎えに来る。それまでにこの今日の旅路を終わらせないといけないのに時間がわからない。万が一、写真を撮るのに夢中になって、時間に遅れ、タクシーを逃したら、朝のバスが来るまでここに取り残されてしまう。

 それで、太陽ばかりを見ていた。正確に言うと、(森に隠れて太陽は見えないので)太陽らしき光の射し加減(傾き)ばかりを見ていた。前日、永田に行った際に、夕景を撮りたかったのに、思ったより太陽の位置が高くて驚いた。あれが、16時半だ。最終のバスが17時、その車窓から見た夕陽の高さがだいたい・・ と記憶を探っている。

 私は光を見ては、今は16時、今は17時・・ と見当をつけた。遅れては困るが、早く着くくらいなら、一枚でも多く貴重な写真を撮りたいものだった。
 日を読むのも必死である。最後の最後に、滝の流れにはまって転んでしまった。腰から下がずぶ濡れになり、もう少しでカメラを水没させるところだった。私は慌てて三脚とカメラを抱えて渓流から飛び出し、誓った。欲を出してはいけない。

 慌てて、空を見ると、さっきまで高い位置から射し込んでいた陽がもう見えなかった。昨日の太陽の記憶の姿を超えている。まだ空は白いが、これは、もう直に日暮れだ。大急ぎで駆け出した。

 縄文杉の次に、あれだけその地に行くことにこだわった白谷雲水峽だが、やはり時間が足りなかった。もっといろんなコースを回りたかったし、ゆっくりと渓流を撮りたかった。残念でならない。

 欲を出してはいけないよ・・ 戒めながら、走りに走って、管理棟までたどり着くと、その窓から見える壁の時計は17時45分、私は全身の力が抜けて、その場に座り込みそうになった。その瞬間、道の向こうから、タクシーが現れたのである。私を見つけて、運転手はにこやかに笑った。

 「早かったですね」

 こっちのセリフである。せめて、タバコを1本吸わせてくれ・・




 







 それでも地元の運転手からはずいぶん褒められたのである。「なかなかやるものですね」。女性ひとりで縄文杉と白谷雲水峽を巡ったという話はあまり聞かないようである。それですっかり気をよくして、運転手と楽しくお喋りをして、屋久島のことをあれこれ聞かせてもらった。

 この(屋久島の)道路に、サルが群れになって現れること、夜は夜行性のヤクシカが目を光らせていること。彼らは獣道を通って、森から川や海へと移動すること。春の新芽が開く前に、約1000頭のヤクシカが処分されること。本当ならば、獣道から水場へと出てきたヤクシカを天敵の山犬が襲うのである。ところが、彼らが絶滅していなくなってしまったので、生態系を守るために、嫌な仕事を人間が引き受けていること。
 鳥はあまり姿を見せないそうだが、私が何度も見たというと、それは珍しいことだという。屋久島に留鳥する貴重な鳥はカラスバト、蝶のようにひらひら飛ぶのがヤクコマドリ。
 蝶のようなヤクコマドリは、トロッコ道や白谷雲水峽でも現れてくれた。ふわりと丸い羽をはためかせて、そのくせものすごいスピードで通り過ぎていく。とても目を引く。疲れた時に、何度もその姿にはっとさせられ、元気を授けられた。

 屋久島の森が、山々が、遠く離れていく。今日1日、楽しませていただいた。何とも長くて、そのくせ短い1日だった。次に来るときは滞在日数を増やして、のんびり過ごしたい。もっと森と語らいたいものだ。

 

 タクシーで無事帰ってくると、直ぐにお風呂に入って、それから夜の宮之浦の町へと繰り出した。今日こそは屋久島の美味しい魚料理を食べるつもりだ。

 たどり着いたのは、益救(やく)神社通りの「美食倶楽部やくしま」さん。2ヶ月前にオープンしたばかりの食堂である。ここは屋久島名物のトビウオ定食が600円。相場1200円の半額である。ずいぶん驚いたが、その割に味もとても良い。定食を頼むと付いてくる、屋久島茶とだし巻き卵が絶品だ。

 またこのお店、なぜか店内に屋久杉の盆栽がたくさん飾ってある。聞けば、ご主人が暇にあかせて作っているのだそうだ。どうしても欲しいといい、お土産に買って帰る方も何人かいるというので、私もハート型のひとつをいただくことにした。
 石は屋久島の海の珊瑚だ、その珊瑚に屋久杉と数種類の苔が根付いている。とても可愛らしい。
 今にこの珊瑚の屋久杉盆栽、雑誌にでも紹介されて流行るような予感がする。その前に、おひとつぜひいかがだろうか。(私は屋久島のことを思い出しながら、毎朝水をあげている)
 「大事に育てますよ」と言うと、主人は嬉しそうに、笑った。





お土産に選んだハート型の珊瑚

ご飯ももちもちで美味しい

トビウオ定食
屋久島名物のたんかんを絞り、ソースにしていただく

だし巻き卵が絶品

益救神社通りの真ん中あたりにある美食倶楽部やくしまさん
夜も遅くまで空いている(0:30まで)



 これで、屋久島旅行のメインの1日は終わりである。
 この日も9時に宿に着いて、直ぐに、死んだように眠った。

 明日は屋久杉ランドと紀元杉、川上杉を見に行く予定である。
 その様子はまた次週に。

 そうそう、私の頭痛はすっかり良くなった、ということだけ、書きとどめておこう。
 







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