夜明け前の福島旅行編③ ~光の道とアクアマリンふくしま~




 高速道路から異次元世界に導かれた作品として、村上春樹さんの1Q84というベストセラー小説があります。
 「あちら」側への入口を高速道路に喩えた作家のセンスには脱帽させられます。あれは日常の感覚を見失う、乖離された空間だからです。いえ、決してスピードだけの話ではありません。
 その「あちら」側ですが、似て非なる世界は死後の世界だという解釈がありました。あるブロガーさんの説ですが、あながち間違っているとは思えません。なにせ、村上春樹さんですから。
 村上春樹さんは度々こちら側からあちら側へとシフトしてしまう物語を描いています。パラレルワールドではなくて、その異次元世界は死後の世界ではないか、と思っても筋は通ります。というより、そちらの方がより近いのではないでしょうか。
 主人公たちはすでに死んでいて、文字通り似て非なるあちらの世界とこちらの世界を行き来します。おそらく、これは私の想像でしかありませんが、作家自身が生と死の狭間を行き来する、特殊な感覚を持ち合わせているのではないでしょうか。もう少し、大胆に言わせてもらえば、私たちが住んでいる世界と、死者の国と、俗世間から解放された天上の世界とを。

 あれは死の世界だった。そう思って1Q84を思い返すと、すべて納得が行きます。大海原を漂流するような孤独感を味わっていた主人公たちが、あちら側の世界へと突き落とされる、黄泉の国へと神の掌によって導かれてしまうわけです。そこからどうやって「こちら」側に戻ってくるのか、2人の主人公の愛と再生の物語として描かれているのではないでしょうか。

 
 


 国道は、穏やかな闇に包まれていました。雪の積もる田畑のなかを続いています。
 大晦日の夜、先を急ぐものはそう多くはなく、時折、対向車が現れて、バッシングをして通り過ぎていきました。

 道の先がよく見えません。闇と、吹雪にはばまれて、向き合うのが恐ろしく感じました。ヘッドライトに照らされた、足元の雪道ばかりを見つめていました。
 30分も走ると、会津若松ICへと導かれる、道路標識が現れました。

 この道を行くしかない。私は腹を括りました。
 こんなことでもなければ、一生涯、高速道路に乗ることはなかったでしょう。前回も言いましたが、私には急ぐ理由がありませんでした。それに、なにより合流地点が怖かったのですから。それこそ一生涯、スピードを上げた多くの車の流れを避けて、一人悠々自適に、下の道を走っていたに違いないのです。
 まるで人生と同じように。
 道が限られるというのは、そう悪いことではありません。「日の出」を見るには、もうお前には時間がないのだ、と突きつけられたような思いさえしたものです。
 
 
 
 郡山のホテルには到着が遅くなることを伝えました。伝えた時間よりも遅れるとキャンセルになるとのことでしたので、なるべく遅い時間、深夜24時になりますと告げました。年越しまでに着かないとはまさか思えませんでしたが、しかしもしもあの時高速道路に乗っていなかったら、年内につくかどうかはあやしいところでした。おそらく、無理だったことでしょう。

 心臓を高鳴らせながら発券機までたどり着きました。人と同じように、その眩い道の「流れ」に身を投じるには、まず、お金を払う時のための証書が必要とは興味深い話です。お金を払うのではなく、高速に乗るための資格を手にする必要があるのです。「通行券」を手にした私は、合流地点に向かって相棒のホンダをカーブさせて行きました。
 幸い、合流地点にはヘッドライトが見当たらず、充分な車間距離をもって、飛び込むことができました。また、これはたまたま天候による道路規制だったのか、最低速度は50kmと表示されていましたので、そう苦労をしてスピードを上げる必要もありませんでした。ハンドルを握り締め、アクセルを踏み込む足の筋が痛くなるほどに、私はひたすら走り続けました。

 途中、何度かトンネルを通りました。私は普段トンネルが大嫌いなのですが、この日ばかりはトンネルの閉塞感もまったく気になりませんでした。逆に照明灯が明るくて、路面の雪も溶けていて、よほど走りやすいと思ったくらいです。それよりも、そのトンネルを狙ったかのように、後ろの車が猛スピードで追い越していくので、申し訳なく思ったことが印象に残っています。
 例外は、「ハクチョウトンネル」でした。入口が白鳥の形をしたトンネルが3箇所ほどあり、普段はあれだけ大好きな白鳥であるというのに、この雪の夜の高速に浮かび上がる白鳥の、その異様に感じられたことと言ったらありませんでした。あの入口は、怖かった。



 
郡山のコンフォートホテル

窓から深夜の眺め



 郡山JCTから東北自動車道に入って、ほどなく郡山IC出口の案内標識が見えました。この標識を見たときは、ほっとしました。死ぬかと思ったのです。嬉しさと安堵感でいっぱいになり、大げさですが無事戻れたことに、驚きさえ感じたほどでした。郡山の夜の町が懐かしく感じられます。初めて訪れた場所だというのに、ここには私のよく知っている日常がありました。

 あると思いました。ホテルが近づくにつれ、ところが私は首をかしげるのでした。思えばよくできた話です。私が福島に来ることになったのは、たまたま楽天トラベルで格安のホテルを見つけたからでした。そのたまたま見つけたコンフォートホテルには、宿泊者に無料で提供する駐車場が完備されていました。レンタカーを借りることにしたのは、旅に出る2日前だというのに、あらかじめ知っていたかのようではないですか。私は今まで泊まったビジネスホテルを思い返しました。無料の駐車場が完備されているホテルが他にあったでしょうか。いえ、確かに、初めてでした。
 夜の11時近くに、静けさに包まれた駐車場に難なく滑り込みました。隣を見れば、そのコンフォートホテルのすぐ横には、喜多方まで替えのホンダを運んできてくれたレンタカーの営業所がありました。

 私はしみじみとそれら偶然に感じ入って、ふと高速道路を走ったことで生じた歪みが、いまだ続いているような錯覚に陥りました。本当にここは、よく知っている日常でしょうか。
 村上春樹さんの物語を思い出してしまったのです。1Q84、似て非なるあちら側の世界の物語。まさか私は高速道路で別の世界に迷い込んだ、などということはあるのでしょうか。




 チェックインして、6階まで昇ります。部屋は落ち着いた色彩で、眠りやすそうな広いベッドでした。ひと目でほっとしました。昨日のユースホステルのような部屋だったらどうしようか、と心配していたのです。あれでは、とてもではありませんが、今日1日の疲れを癒せません。
 サービスの温かいコーヒー、バスタブにたっぷりお湯を張れること、バスタオルにナイトウェア、ドライヤーがあること、当たり前のことがこんなにありがたいとは思いませんでした。
 部屋の椅子に腰掛けて、髪を乾かしながら、このホテルは、ユースホステルより価格が安いことを思い出し、あらためて感嘆のため息をつきました。おまけに駐車場も朝食もサービスです。

 ちなみに、コンフォートホテルは、チョイスホテルズインターナショナルとグリーンズが提携して作った、「チョイスホテルジャパン」によって展開されているビジネスホテルです。
 チョイスホテルは世界30ヵ国に6100軒以上あり、web会員になるとよりお得な価格での宿泊が可能です。現在、キャンペーン中ですので、日程の合う方はぜひご利用してみてはいかがでしょうか。

 チョイスホテルジャパン



 コンフォートホテルによって、やっと私は「ひと息」つくことができました。よく格安ホテルは部屋がフロントの横だったり、窓からの眺めが悪かったり、音がうるさかったりで、安いなりの理由があるという話を聞きます。けれど少なくともここは、そういったことはありませんでした。プロのサービスをきちんと提供してくれました。
 テレビをつけると、紅白歌合戦が大詰めを迎えています。福山雅治さんが「Beautiful life」を歌っていました。

 諦めること 諦めないこと
 その狭間で苦しむなら
 僕も同じだよ 僕も同じだから

 
 聞いていたら、感情があふれて、私は自分に向かって何度も言うのでした。「ユースホステルなのは、私ではないか」。自分こそがユースホステルだ。今日1日でミスしたこと、したかったのにできなかったことをあれこれと思い返して、悪い想像ばかりを重ねています。
 どうせ明日の日の出も見れやしない。夜明けまでの、あと短い数時間で、雪が止み、厚い雲が散るはずもないじゃないか。

 誰がなんと言おうと、それでもに日の出を見に行くのだ・・

 そう思っていたはずなのに、決意は揺らいでいました。雪は雨に変わっていたというのに、好転に気を止めることなく、もういやだいやだと駄々をこねて、泣いているのです。
 どうせ日の出も見れないのに、わざわざ夜の高速道路に乗るバカがどこにいるんだ。いやだ。もう高速は嫌だ。



 行く年来る年が始まり、カウントダウンが終わっても、心はうわの空でした。
 もしも起き上がることができたら、行こう。深夜の時刻にモーニングコールをセットして、死んだように眠ります。
 今思うと、それでも諦めずに、日の出を見に行くために起き上がることができたのは、その日1日がミスばかりの、したいことが何もできないダメな状態だったからこそのことでした。あまりにも、できなかったので、このままで帰るわけには行かなくなりました。
 少したとえが違うかもしれませんが、オリンピックの北島康介さんの「手ぶらで帰らせるわけには行かない」というあれと似たところがあります。このままでは終われません。

 2013年の記念すべき深夜、私は充血した目と疲れた体を引きずって起き上がりました。カーテンを開けると、雨はやんでいました。






 歪みの感覚は、予想外の事態を招き寄せました。せっかく、起き上がったというのに、何度試しても、高速道路に乗れなくなってしまったのです。高速の入口に、着かないのでした。
 すぐ上に照明灯に照らされた眩い道が見えています。なのに、毎回、入口を逸れて、高速道路の下の細い路地に迷い込んでしまいます。
 どうしたことか、まるであれほど嫌った高速道路が、夢か蜃気楼か、何か手に入らない幻のように思えてきました。どうして、あの光の道にたどり着かないのか、カーナビの通りに進んでいるはずなのに、奇妙でなりません。私が向かっていた入口は、その歪みの現象の根源は、死の世界などではなかった。それは入口ではなくて、出口だったのかもしれません。

 まず私は4時少し過ぎにチェックアウトをしました。チェックアウトをして、駐車場に行き、カーナビの目的地を小名浜(おなはま)に設定しました。
 カーナビは、予想通り、高速道路に乗る道をはじき出しました。昨日と同じように、その道だけを私に提示するのでした。
 
 私はため息混じりに受け入れて、高速に乗って小名浜に向かうために出発しました。
 ところで、この目的地ですが、初めは波立海岸(はったちかいがん)にしたのです。旅の前から波立海岸に行きたいと思っていたのでした。

 波立海岸は、いわき市の国道6号線沿いにある、海上に突き出た奇岩「鰐が渕」と、玉砂利を敷いたような岸辺も美しい人気のスポットです。元旦には初日の出を拝もうとする多くの人が訪れます。漁民からの信仰が厚い波立薬師もすぐ近くにあります。
 波立海岸で日の出を見て、波立薬師で初詣をする、その定番コースを巡りたいという思いが捨てきれませんでした。
 小名浜は、こちらも人気の環境水族館「アクアマリンふくしま」のすぐそばです。海岸に漁港、いわきマリンタワーのある三崎公園があります。
 どちらかというと、小名浜のほうが距離も近いし、観光の人も多そうで、明るい印象がありました。波立海岸は、あくまでも私のイメージですが、荒々しい海の、リアルな岩場の、夜明け前に女一人向かうには、ほんの少し恐ろしい印象があったのです。
 なので、とりあえず、小名浜に向かってみて、それでもしも、夜明けまでに時間が余って、道もすんなりと行けるようならば、波立海岸まで行ってみようと思っていました。

 あまり高速に乗れないものだから(1時間以上もうろうろしていました)、私は途方に暮れて、その間に、また目的地を波立海岸に変えています。動転して、迷いが深くなったのですね。また、別の迷いもくすぶっていました。カーナビを使わない選択肢です。
 高速に乗りたくないために、下の道をまっすぐ行けば着くのではないか、と国道を探していました。路地に迷い込んでいる時に、もしもいわき行きの案内を示す国道の道路案内標識と出くわしたら、そちらに進もう、とこの期に及んで思っていたのです。

 ところが、時刻はもうじき6時でした。もう悩んでいる場合ではありません。波立海岸も、国道も、どちらも間に合わないでしょう。
 私は小名浜にフォーカスしました。私が日の出を見れるとしたら、高速に乗って小名浜に行くしか、もう道がないのです。

 この道を行くしかない。今度こそ乗らなくては。

 覚悟を決めて、走り出しました。すると今度はするりと、私は高速の入口に飛び込むことができました。
 「通行券」を手にします。そして、一気に加速しました。
 いわきの海に向かって。



朝日のもとへ走っていきます

小名浜からの日の出

横でも撮ってみます

アクアマリンふくしまと海上保安庁の中型巡視船「あぶくま」

「あぶくま」に近寄ってみます

「あぶくま」
「あぶくま」 こちらも縦横で写真に収めます

「あぶくま」に乗って朝日を見ます

ホンダ2号も嬉しそう



 いわき湯元ICまでの高速道路の美しさは、一生涯、忘れることができません。それは長い道く感じられる道のりでした。
 昨夜と違い、最低速度は時速80kmでしたので、私は必死でアクセルを踏んでいました。両手でハンドルを握り、ほんの一時も、道の先から目を離すことはありません。なのに、視界に飛び込んでくるのです。福島の山々が、日の出が近づくとともに、淡く、薔薇色に、染まりゆく姿が。
 稜線の谷間から空が白んでゆきました。磐越自動車道は少し高いところに続いていますので、まるでその景色を見下ろすように走っていくのです。
 徐々に光に包まれゆく空を、飛んでいるようでした。
 あんなに駄々をこねた高速道路だというのに、私は深く感動していました。この旅のもっと最後に、あぶくま鍾乳洞から郡山に向かう道でも、やはり同じように感じました。この時は午後の眩い陽射しでしたが、その雲間からの光芒の、降り注ぐ光の空の、美しかったこと。
 
 福島旅行の何が一番素晴らしかったですか、と聞かれたら、今なら迷わず答えます。
 福島は、道が、素晴らしいですよ。
 あの美しい山々に続く光の道を、ぜひ走りに行ってみてください、と。





 いわき湯元ICを降りたのは、すっかり日が昇ったあとでした。後で聞いた話では、この日は厚い雲が水平線にかかって、日の出がだいぶ遅れたとのことでした。
 そうとも知らない私は、小名浜海岸付近の住宅街を急ぎます。時々、立ち並ぶ家やビルが途切れた道の先に、朝焼けの空が現れました。まさか晴れるとは思ってもいませんでした。朝焼けが見れただけで充分のはずでした。けれど、心は急いています。早く、早く。海岸沿いに車を止めて、まばゆい太陽を見たくてたまりませんでした。あの朝焼けの向こうへ、太陽の下へ。あと少しです。

 アクアマリンふくしまへの案内を促す道路標識が現れました。駐車場はすぐそこです。右折して飛び込みました。フロントガラスの光に目を細めます。車を止めて、カメラを引っ掴んで、光に向かって走り出すと、この時初めて、海から昇ったばかりの太陽の姿が、はっきりと、見えました。
 1枚、2枚、私は写真を撮りました。必死でした。

 撮れた。朝日が撮れた。もう見れないかと思っていたのに、朝日が撮れた。

 奇跡だと思いました。なんとありがたかったことでしょう。太陽は私たちをお見捨てにはなりませんでした。1年の初めのこの瞬間に、この地を照らしてくださいました。
 この陽の下に来るまでに、力を貸してくれたすべての人々のことを思いました。彼らと約束しなかったら、あのホテルの部屋から起き上がることはできませんでした。
 彼らこそが私の心の中心の灯火でした。1Q84の主人公たちが決して、お互いを忘れずに、再会を信じていた、そのこととよく似ています。
 私とすれ違うように、初日の出を見に訪れたたくさんの人々が、さざめきながら帰っていきます。満足そうな、穏やかな表情をしていました。最後に、朝陽に染まった「あぶくま」の前で、家族連れとすれ違います。お父さんと、お母さんと、小さい娘さんが川の字になって、楽しそうに笑いながら歩いて行きました。
 
 私はどこの出口にたどり着いたのでしょう。誰に導かれたのでしょうか。ああ、この光を、たくさんの人々に届けなくてはいけない。福島の希望の光が、彼らの笑顔が、日本を輝かすことを伝えなくてはいけない。そんな思いに突き動かされたことを記憶しています。


 人々が誰一人としていなくなると、私は朝日の輝く海に向かって、手を合わせました。
 



三崎公園のマリンタワー

三崎公園からの小名浜港

逆側は北太平洋の海が

小名浜港

三崎トンネル

いわき・ら・ら・ミュウ

小名浜港


福袋を求めてたくさんの方が並んでいました

カニ汁をいただきます 蟹がたくさん入って500円でした

市場のたらばカニ

いわき・ら・ら・ミュウの市場

いわき・ら・ら・ミュウの市場

いわき・ら・ら・ミュウの市場



 いわき市の小名浜港は、戦後、重化学工業を中心とした臨海工業地帯の物流拠点として発展しました。現在、8つのふ頭が供用され、ふ頭の機能を高めるための防波堤機能や、物流機能を強化するための約50haの人工のポートアイランド「小名浜港東港地区国際物流ターミナル」の整備も進められています。

 8つのふ頭のうちのひとつ、小名浜港第2号ふ頭にあるのが「アクアマリンふくしま」です。正式名称は「ふくしま海洋科学館」、水生物の環境事業も行っている県立の水族館です。

 アクアマリンふくしまは、2011年3月11日の震災で、9割の魚が死滅する被害を受けました。(死んだのは)20万匹の大損害、と書いてある記事もあります。
 1階と地下1階フロアが浸水し、電気系統が破壊されたため、水槽に酸素を送ったり、ろ過循環や水温維持ができなくなりました。
 そんな中で、スタッフの健闘もあり、2011年7月15日に再オープンを果たします。

 この再オープンは、当時復興に希望を与えてくれるニュースとしてよく取り上げられていましたので、私も何度か目にしていました。それで福島に行くと決まった時に、ぜひアクアマリンふくしまに行きたいものだなぁ、と思っていたのでした。




いわき・ら・ら・ミュウの前の小名浜港 三崎公園が見えます


アクアマリンふくしま 入館時間に戻ってきました

アクアマリンふくしまの人気マスコット、
シーラカンスの権兵衛 笑顔です

露出を間違えたので撮り直したら
泣き顔になってしまいました ごめんね権兵衛

1階「海・生命の進化のフロア」 デボン紀のディニクティスが吊り下げられ
ています アクアマリンふくしまは化石の研究で知られているのです

エレベーターを登って一気に4階へ行きます

1階 入口の海・生命の進化のフロア 
脊椎動物の進化を意識した順序で展示されているようです

4階です エレベータを登ったら、突然野外でした

小川の断面です タガメやゲンゴロウ、福島の川辺に生息する
身近な生物が見れます

「ふくしまの川と沿岸」のフロア 黒潮と親潮がぶつかり合う潮目の海を
再現した大水槽があります こちらは黒潮水槽のカラスエイ

「潮目の大水槽」
「北の海の海獣、水鳥」のコーナーへ
エトピリカとウミガラスが泳いでいました
星みたいなヒトデもいっぱい

アシカ科最大のトドです
ゴマアザラシ 震災後に生まれた「きぼう」でしょうか?

北テラスを通って「海の博物館」、「海の科学館」へ
あぶくま東緑の地質生物のコーナー

化石と石炭が多数展示されています
「地球の保全活動」のコーナー 
ガラパゴス周辺海域の生物を紹介しています

「熱帯アジアの水辺」のコーナー

熱帯アジアの淡水域の生き物たち

熱帯から亜熱帯に生息するマングローブの木
タコの足のような特殊な根に稚魚が集まっています

「サンゴ礁の海」のコーナー
トゲチョウチョウウオがいました

海辺のゴミから生まれた「シーボーンアート」

海からの贈り物がアートになりました

潮目の大水槽の「潮目のトンネル」 右が親潮水槽で左が黒潮水槽です

海の中を歩いているようです

見上げると4階からの空が見えました

ふくしまの海

カニもいます

レストランとBIOBIOかっぱの里 蛇の目ビーチ方面です


アクアマリンえっぐへ

アクアマリンえっぐ 「いろいろ水族館」

「水から陸へ」のキンカチョウ 可愛いです

「生きた芸術 金魚」のコーナー

入口に戻ってきました



 
 アクアマリンふくしまは、とにかく、驚くくらい、広く感じました。シーラカンスから亜熱帯、身近な生物まで、いろいろな海洋生物が展示されているので、飽きることなく楽しめます。入口ではキャラクターの権兵衛が出迎えてくれました。
 写真を何度も撮ったら、笑顔から泣き顔になっていて、あとで見て、笑ってしまいました。

 私の目的は、福島の日の出を見ることでした。だから、念願が叶った今、こうしてアクアマリンふくしまを見て廻っていることは、まるでご褒美をいただいているようなものでした。
 目的を達しあとの気ままな観光でしたので、本当に、ただ楽しめました。

 ひとつ欲を言えば、あれは広すぎて、まる1日かけないとちゃんと見ることはできないですね。えっぐの森やかっぱの里、潮目のビーチ、見て廻れなかったところがありますので、それが少し残念でした。

 私ももう歳ですので、旅に訪れるときはいつもその場所とも一期一会のつもりでいます。でもできるならばもう一度、いえ、何度でも、回を重ねて訪れたいと思います。

 

 さて、日も高くなってきました。いつまでものんびりしてはいられません。このあとはあぶくま洞に行く予定でした。また、5時には郡山に戻って、レンタカーを返さなくてはいけません。ぐずぐずしてはいられませんでした。

 私はホンダ2号に戻って、大急ぎでシートベルトを付けました。次は、田村市のあぶくま洞だよ、さぁ、頑張っていこう、と相棒にねぎらいの声をかけ、カーナビに目的地を入力します。
 たしか、田村市はここからそう遠くはなかったはずです。当分は高速に乗ることもないでしょう。
 ところが、カーナビは、迷うことなく、瞬時に、高速に乗るルートを提示するのでした。
 私は勘違いをしていたようです。田村市は北西に向かって約65km、磐越自動車道に乗ってまた1時間近くは走らなくてはいけません。

 寝不足と、集中力を使い切ったあとの疲れは、ピークに達していました。思わずため息が漏れました。またか・・ 私はがっかりしてずっこけてしまいます。

 あとになってあれほど福島の美しさをまざまざと目に浮かばせてくれる光の道も、この時ばかりはまだその素晴らしさを理解しきれていなかったのです。

 しかし、思えば、高速道路は私たちにとって優しい道のようです。運転が下手だったり、スピードが出せなかったりして、もしも「ダメ」でも、相手は自由に追い抜いて行くことができるのですから。下の道のように迷惑をかけることも少ないでしょう。「通行券」さえ手にできるならば、自分にとっても周りにとっても、より良い選択なのかもしれません。

 この道を行くしかない。心の中心の灯火のことを思い浮かべます。だいじょうぶ、だいじょうぶ、まだまだいける・・・
 光の道へ。私は走り出しました。

 

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