山陰旅行編③ いなばの白うさぎと神在祭



 ついに山陰旅行編その③です。
 予定ではその④で終了ですので、起承転結で言えば、今回の旅行の一番のキモ(核心)であり、一番盛り上がるはずの「転」の章が今日お届けするこの記事です。

 いえ、読んでくれる方のためを思って初めに言わせてもらえば、記事的にはほとんど盛り上がらないと思います。しかし、私の心の中では、こここそが肝心なのでした。
 そもそも、出雲大社に願いを託しに行きたくて始まった旅です。
 国譲り(※注)をして、霊魂的な存在となられた出雲の国に、幽世を治める大国主神、そして神在月に各地からお集まりになられる八百万の神たちに、私たちの未来をお願いしに出かけたのす。



 ※注・出雲の国譲り こちらの記事の前半に出雲の国譲りについての説明があります。
  山陰旅行編① 神話の出雲市から石見神楽の大森へ

 ※出雲の国譲りについてわかりやすい視点から説明してくれているサイトです。
  出雲の国譲りとは



 この国は今、大国主と同じように、多くの苦労を重ねて造り終えた国を、調和と引き換えに手放さなくてはならないという、岐路に立たされています。

 誤った道を選択することだけは、食い止めたいと思いました。
 けれど、もしかしたら、食い止める必要もなく、この選択自体が必然であり、むしろ私たちにとってより良い可能性となるかもしれません。
 私たちは、大国主神と出雲の国と同じ道を歩み、統治権を譲って、精神的な存在としてより良く繁栄していくのです。

 でも、本当に? そんなことがあるでしょうか。


 私は願いを託しに出かけました。同じ道を辿る前に、祈りを捧げに出かけました。
 松江に泊まった私は始発の特急に乗って出雲市へ向かいました。出雲市から一畑電車に乗り換え、電鉄出雲市からまた始発に乗って出雲大社前駅へ向かいました。
 気合が入っています。朝は4時半に起きて、ホテルを6時に出ました。神在祭は朝9時からのお祭りですが、早いうちから席が埋まってしまうのです。


 それで急いでいました。大切なところだけ一眼レフ(モノクロ)で撮り、あとはコンパクトカメラ(カラー)で多少なおざりに写真に収めます。
 


勢溜(広場)と二の鳥居

下り参道

松の参道と三の鳥居

御慈愛のご神像 大国主神と因幡の白兎

大国主神


 御慈愛の後神像、大国主神と因幡の白兎が現れました。有名な像なので、直に見れた嬉しさに思わず足を止めました。慌てて写真に撮っていたら、ご婦人二人がお話をしながらやってきて、私の隣で、深い祈りを捧げ始めました。
 地元の方らしい軽装のご婦人が次に一人でふらりとやってきて、やはり手を合わせて、大国主神に祈りを捧げられて行きました。
 私も写真を撮るのをやめて倣いました。拝殿、本殿で祈ればいいと思い込んでいて、まさかこの目の前の像に祈りを捧げるという考えが浮かびませんでした。

 祈りの旅は前途多難です。
 二人のご婦人が話していた言葉が、今も耳に残っています。大国主神の像は因幡の白兎を諭しているというものでした。「もう(二度と)嘘をつくなよ、ってね・・」

 私は因幡の白兎の物語を思い出しました。大国主神の像の手のひらは、白兎の傷を癒しているところを表した、慈愛に満ちたものだと信じていましたので、この考えに驚かされました。


 因幡の白兎(稲羽の素兎)の物語はこうです。
 兎は隠岐島から稲羽に渡りたく思いましたが、渡るための手段がありませんでした。そこで、ワニザメ(和邇)を欺いて、彼らに競争を持ちかけました。
 
『私とあなたたち一族とを比べて、どちらの同族が多いかを数えよう。できるだけ多くの同族を集めてきて、この島から気多の前まで並んでおくれ。私がその上を踏んで走りながら数えて渡ろう』

 ワニザメは誘いに乗って、列をなしました。まんまと欺いた兎はその上を踏んで数えるふりをしながら海を渡って、さて最後のワニザメの背を蹴って、今にも地に下りようとしたときに、つい気が緩んで言いました。『お前たちは欺されたのさ』

 思い上がりが顔をのぞかせてしまったのです。怒った最後のワニザメは、たちまち白兎を捕えて、すっかり兎の毛を剥いでしまいました。丸裸になった白兎が泣き憂いていたところに、通りかかった大国主神の兄たち(八十神たち)が教えました。

『ならば海で塩水を浴びて、風に当たって伏していなさい』

 兎が教えに従ったところ、兎の体はたちまち傷ついてしまったのです。まさに比喩で言うところの「傷口に塩をもみこむような」、容赦ない、間違えた方法を教えられたのです。
 事情を聞いた大国主神は、傷を癒すための正しい方法を教えました。

『今すぐ水門へ行き、真水で体を洗い、その水門の蒲(がま)の穂をとって敷き散らして、その上を転がって花粉をつければ、膚はもとのように戻り、必ず癒えるだろう』

 するとその体は回復しました。
 

 改めて神話を読み返すと、なるほど、兎こそはずいぶんタチが悪いですよね? 
 自分の目的を果たすために、競争原理を持ち出して、まんまと相手を欺きました。大国主神に、「嘘をつくなよ」と戒められて、当然かもしれません。

 「御慈愛の御神像」の白兎は、前足を上げて、まるで大国主神に敬服しているような格好をしています。反省のポーズでしょうか。あんまり可愛らしかったので、コンデジで真後ろから撮ってみました。以下に写真があります
 


一畑電車 電鉄出雲市駅

階段に一両電車の絵があります

川跡行きの電車


川跡で出雲大社前行に乗り換えです

大社前到着

出雲大社前駅

出雲大社前駅

出雲大社前駅

御慈愛の御神像を白兎の後ろからみたところ



 大国主神 「兎よ、もう二度と嘘はつくなよ」「競争心を利用して、人をいいように操るなよ」

 白兎 「はい、もういたしません」


 なんて吹き出しをつけたくなりますね?


 ※いなばのしろうさぎ(アニメーション版もあります)



 御慈愛の御神像を通り過ぎると、すぐに銅鳥居(四の鳥居)が見えます。ここで、参拝者と神在祭に参加する人たちが列を作っていました。昨夜の神迎祭のこともありますし、正面入口である勢溜(せいだまり)にもたくさんの人々がいましたので、予想はしていましたが、出雲の神在祭はやはり人気がありますね。

 最近は特にお祭りに参加する方が増えて、出雲大社周辺の旅館やホテルを取るのも大変なのだそうです。私もそうですが、近くの宿が空いていないので、松江に泊まる方が多いようです。
 もし、神在祭に行ってみたい方がいましたら、早めに予約を取ることをおすすめします。


 
 出雲大社HP 神在祭 (今年の神在祭の様子と、来年の予定はこちらに乗っています)


銅の鳥居 (四の鳥居)と拝殿

平成の大遷宮で、御本殿が御修造されています

杉の大木にびっしりとおみくじが結び付けられています

あまりに印象的だったのでしつこく撮ってしまいました

氏社

西十九社

御修造中の御本殿

拝殿(御仮殿)の周りを鳩がぐるぐる回っていました

御本殿(国宝)の大屋根 千木が少し見えています

拝殿(御仮殿)
平成の大遷宮のため大国主神は現在ここに祀られています

神在祭も拝殿(御仮殿)で行われます




 行列のそう前の方ではありませんでしたので、神在祭に参列できるのか心配しましたが、何とか真横の3列目くらいの席が取れました。神在祭は、いったん参列の席に着いたら、祭祀のご奉仕が終わるまで席を立ってはいけません。ところが私の横に座っていた4人組が荷物で席を確保して、いつの間にかいなくなってしまいました。始まるまであと1時間近くもありましたので、おそらく御本殿や十九社や素鵞社(そがのやしろ)に参拝しに行かれたのでしょう。彼らは式が始まる15分ほど前に戻って来ました。

 ミーハーな観光者なのだろう、と想像していたら、なんとこの4人組、お祭りが始まると祓詞、謝恩詞、神拝詞、神語をすらすらと読み上げるのです。これには驚かされました。私はちんぷんかんぷんでしたので、口パクで合わせます。祈る心だけは負けないようにと願いましたが、きちんと神語も唱えられないようだと、多少怪しいかもしれません。反省しました。次回はぜひしっかりと覚えていきたいと思います。

 そんな自分用の記録の意味も含めて、出雲式のおまつりの方法を簡単に紹介しておきます。
 一般の神社とは拝礼の仕方から異なっています。二拝二拍手一拝ではなくて、一拝祈念二拝四拍手一拝(二拝四拍手一拝)です。
 お清めいただく祓詞(はらえことば)と感謝の気持ちを表す謝恩詞(しゃおんじ)、奉仕の決意の神拝詞、そして祈りの言葉の神語があります。記事の一番最後に記しておきますので、マナーとして知っておきたい方がいましたら、ぜひご覧になってください。

 来年の平成25年は、伊勢神宮では20年に一度の、出雲大社では60年ぶりの、「遷宮」の年です。本殿の造営修理に際して御神体をうつすことを「遷宮(せんぐう)」といいます。それぞれが「式年遷宮」(伊勢)、「大遷宮」(出雲)を迎えます。記念の祭祀も行われます。
 先日、新しい東京駅舎で、伊勢神宮(内宮)のポスターをたくさん見かけました。雑誌でも伊勢や出雲の特集が数多く見れらます。
 記念の年であると同時に、最近では、パワースポットとしての神社巡りが人気です。江戸時代の「お伊勢まいり」人気と同じように、最近ではお寺や神社を巡る旅が盛り上がっています。

 また、もしもこの先、日本も出雲の国と同じように、「国譲り」をして、「世界標準基準」や「自由貿易」や、様々な国の人たちと解り合える「英語」が主流の言語となる時代が来たとしても、日本人としての魂に誇りを持って、たとえばお茶やお花を生けたり、自分で着物を着られたり、唱え詞や神語をさらりと口にできたとしたら、とてもかっこいいのではないでしょうか。日本文化は人気が高いので、おそらく外国人の友達にも評価されることでしょう。
 ぜひこの機会に、出雲式のおまつりを学ぶことも良いかと思います。
 









拝殿の中連縄 大きかったです



 神語が終わるまで私はおとなしくしていました。心を込めて、熱心に祈りました。玉串拝礼となり、来賓の方々が参拝を始めると、カメラマンが一斉に前に出て、撮影し始めたのをいいことに、私も脇の席を離れて、まるで専属のカメラマンと同じように、正面から写真を撮り始めました。

 1時間も参列するのはとても長いと思っていましたが、終わってみるとあっという間でした。祭祀の後、古代出雲歴史博物館にも寄りたかったのですが、時間がありません。日没までに鳥取に着かなくてはなりませんでした。
 大急ぎで出雲大社を後にします。神楽殿横の出口から阿国通り(おくにどおり)を走って、稲佐の浜へ向かいます。突然、旅行者らしい若い女性に声をかけられました。

「上の宮はこの道でいいのでしょうか」

 どきりとしました。神在月に全国の八百万の神々が集まるという上の宮、御祭神は須佐之男命(素戔嗚尊)と八百萬神です― その大切な宮を見ることを忘れるところでした。
 この道です。もう少し先を右です、と教えてあげると、なぜかその女性もお礼を言いながら大急ぎで駆けていくのでした。後を追うように阿国通りを走ります。大歳社を右に曲がると、すぐに上の宮・・なのですが、ふと気づくと、上の宮を思いさせてくれた先ほどの女性が見当たりません。曲がりそこねたのでしょうか。稲佐の浜まで行ってしまった? 
 私はもっと詳しく曲がる箇所を教えれてあげればよかったと悔やみました。上の宮や稲佐の浜を何度も見回して彼女の姿を探してしまいました。
 旅には思わぬ出会いがあり、不思議なご縁も付き物ですが、この時も心から旅の妙を感じました。あの女性に声をかけられなかったら、私は上の宮も末社も見ないまま、大急ぎで稲佐の浜に行って、それで(大切なことを忘れたまま)満足してしまったに違いないのです。(彼女に教えられるほど道を知っていたというのに!)
 導いてくれたのは、その彼女の方でした。どうか、上の宮に無事たどり着けましたように。

 



古代神殿心御柱の模型

神楽殿

大歳社(おおとしのやしろ)

上の宮 本殿

下の宮(出雲大社末社)

稲佐の浜

弁天島

弁天島

小土地の中道通りから荒木屋へ

出雲一美味しい荒木屋の割子そば

 稲佐の浜から神迎の道を通って、神門通り、出雲大社前駅へと戻ります。
 途中、老舗の蕎麦屋や旅館、和菓子屋が立ち並び、それぞれ軒先に花が飾ってありました。これは潮汲みで使う竹筒に花を挿して、通る人におもてなしを提供しているのだそうです。


潮汲みで使う竹筒に花を挿し、軒に飾ってあります


 江戸時代後期創業の、180年の歴史を持つ和菓子屋さん、高田屋に立ち寄って羊羹を購入しました。
 観光お土産として人気の最中(もなか)「雲太」と白あんの羊羹を見比べて、どうみても最中の方が(お土産として)見栄えがいいように思えたものですから、心の中で十中八九「最中」と決めながら、お店の方に訊いてみました。

「すみません。最中と羊羹、どちらがおすすめでしょうか」

 私より少し上くらいの女性の従業員の方が、少し悩んだふうを装いながら、意外とはっきりした口調で、最中を作り始めたのはここ数年であること、羊羹は江戸時代末期から作っている独特の白あんの羊羹であることを教えてくれました。
 店は他にはなく、ここだけです。手作りですので、量産はできませんから、と誇り高い面持ちでおっしゃりました。
 では、羊羹をください。歴史があるのですね。と言うと、とても嬉しそうに頷いてくださいました。

 羊羹の包装紙も老舗らしく、趣があって立派なものでした。甘味が少なくて、素朴な味でした。とても美味しく頂きました。
 お土産には、高田屋さんの羊羹はいかがでしょうか。(こちらもおすすめです)


 
江戸時代末期から営業している羊羹の高田屋

神迎の道にある老舗和菓子屋の高田屋さん

出雲大社 一の鳥居


 一の鳥居まで戻りました。もう少し南に下ると、平成2年に廃駅になったJRの旧大社駅が残っています。明治45年6月に開業(出雲市~大社間)して以来、出雲大社の表玄関口として親しまれてきた駅舎は、全国でも珍しい神社様式を取り入れた格調ある純日本風の木造建築。大正ロマンのノスタルジックあふれる駅舎とホームが良い風情です。
 お時間のある方は、ぜひ足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。


 ※旧大社駅の画像(デジタル画像と旅行情報ブログ)



 さて、どうしてもこの日にお参りに来たかった出雲大社、私の祈りの旅もここで終わりです。あとは温泉に観光を楽しもうと思います。鳥取に向かう前に、一畑電車北松江線の「湖遊館新駅」駅に立ち寄りました。
 立ち寄ったと言うと聞こえがいいですが、実は川跡駅で逆方面の電車に乗ってしまったのです。出雲市ではなく、松江に向かっているのを知った私は、このまま一畑電車で松江しんじ駅に行き、JR松江に乗り換えて、そこから鳥取に行こうかと一瞬悩みました。が、出雲市に戻ってJR一本で鳥取に行った方が早いだろうと思い直して、慌てて電車を飛び降りた、それがこの湖遊館新駅駅だったのです。
 
 降りて驚いたのは、周りは田園で、何もないところに単線電車のホームがポツリとありました。ホーム上に小さな駅舎(休憩所?)が建っています。
 幸い、出雲市駅ゆきの電車は15分もすれば到着することが分かり、(こういう駅では1時間以上も待たされることはざらですから)ほっとしました。とにかく時間との戦いで余裕のない旅をしていたので、ここで初めて、のんびりと辺りを見回して、心の休息をはかることができたのでした。

 駅の前の田園まで歩いて行きました。子供の頃、そこを歩くのが大好きだった田んぼのあぜ道が続いていました。
 稲は刈り取られたあとでした。脱穀された稲の籾が残っているのか、スズメがあぜ道を飛び回って、騒がしく鳴いていました。近づくと逃げていき、離れるとまた戻ってきて連なります。足を踏み入れて、歩きたく思いましたが、それでやめておきました。遠くから写真に撮って満足します。

 自分がなぜ出雲大社にお願いに来たのか、この偶然与えられた穏やかなひと時のおかげで、思い出したような思いがしました。

 「いつまでも、こんなのどかな田舎の景色があるといいなぁ」

 日本の米文化の原風景は心に響きます。形あるものとして、いつまでも残って欲しいと願いました。いくら大きな神殿と引き換えだろうと、幽世の統治権を与えられたって、こればかりは手放すわけにはいきません。
 この原風景を失って、私たちが「より良く繁栄する」はずなどなかったのです。

 

「湖遊館新駅」の駅ホーム 無人です

湖遊館新駅

湖遊館新駅

湖遊館新駅

一畑電車
出雲市から特急のスーパーまつかぜで鳥取へ向かいます



鳥取駅

鳥取駅のしゃんしゃん傘



 鳥取に着くと目に付いたのは、鳥取市の大きな広告のコピーです。

 「ようこそ、ようこそ鳥取へ 今日という日が あなたにとって、最高の記念日になりますように」

 この言葉を心の中で噛みしめました。この祈りと決意の旅の一日を忘れないで過ごせるように、今日という日を大切な記念日として生きていきたいと思いました。

 さて、鳥取では、毎年8月に行われる鳥取しゃんしゃん傘のお祭りが行われます。4千人の踊り子が一斉に傘を手に踊り、町の目抜き通りは傘の花が満開に咲き誇ります。踊り子が奏でるしゃんしゃんの鈴の音が街中に響き渡ります。
 改札に向かうと音楽と鈴の音が聞こえてきました。鳥取駅の職員さんが鳥取しゃんしゃん祭りさながらに、しゃんしゃん傘を手に踊り、旅行者たちを歓迎してくれているのでした。




鳥取駅職員の歓迎 しゃんしゃん傘の踊り







やくも号マスコット やっくんとももちゃん


 急いで撮ったら設定を変えられなくて、シャッタースピードが遅かったです。かなりぼけましたが、このしゃんしゃん踊りの歓迎には心弾ませていただきました。元気が出ました。
 鳥取駅の職員さんたちの心遣いに感謝したいと思います。

 日本はいいところです。先程、田園風景を見て、米文化はこの国の根幹だから、これだけは形あるものとして残したいと思ったというようなことを書きました。けれど、米文化以外も、出雲や鳥取やこの国の地域に根付いたお祀りにお祭り・・ すべての文化はやはりどれも同じように大切ですね。
 本物のしゃんしゃん傘祭りもいつか必ず見れますように―


 今日の締めくくりは吉岡温泉です。開湯は1000年の昔、江戸時代には藩主池田家の湯治湯として栄えた由緒ある温泉地です。が、今ではすっかり寂れてしまい、12軒の温泉宿が残っているだけ。人気もなく、「人々から忘れ去られたよう」、というレビューを見て、覚悟して出かけましたが、意外とこの温泉地、お隣の島根の神在月のおかげでしょうか? 賑わっていて、たくさんの旅行者を目にすることができました。安心しました。
 
 しかも、私は旅行直前になって鳥取で取れた宿がたまたま吉岡温泉だったというだけの話なのです。
 なのに、吉岡温泉は、「鳥取・いなば温泉郷」なのです。私が泊まった木風呂の宿みや川さんの女湯には、「白うさぎの湯」と書いてあるではありませんか。

 「いなば」の「白うさぎ」ですよね? 私は「因幡の白兎」は出雲の国が舞台だからと、島根県だとばかり思い込んでいて、因幡という地名が鳥取県を指すとは思ってもみなかったのでした。
 それで、この偶然取れた宿の「いなば温泉郷」の「白うさぎの湯」に、すっかり驚かされて、すぐにファンになってしまいました。
 4回温泉をいただきました。まるで大国主神に傷を癒してもらったかのようです。温まって、いい気持ちになった白うさぎの私は、御慈愛に満ちた優しい声で、こう戒められています。

 「お主、嘘をつくなよ?」



 ※鳥取・いなば温泉郷 吉岡温泉


木風呂の宿みや川

木風呂の宿みや川
夕食 量が多かったです

みや川の団欒室

囲炉裏がありました

ホタルの里 吉岡温泉

王秋梨をもらいました

吉岡温泉 足湯

吉岡温泉 足湯

吉岡温泉 町営の大衆浴場

小川の音が心地よく聞こえています

軒先でお野菜を売っていました

ホタルの里だけあって、バス停には
ホタルの絵が描かれています

 
 因幡の白兎に始まって、終わった一日でした。
 傷も癒えて、いい気分の白うさぎは、さて、朝になれば鳥取観光に出かけます。

 が、話には余談があって、正直者になった白うさぎはもうサメを並べて海を渡ることはできません。けれど、その代わりに、まるで沖を渡るかように、バスに揺られて湖山池のすぐ真横を通り過ぎていくのでした。



吉岡温泉から鳥取駅へ 湖山池のすぐ傍をバスが通ります

海を渡っているみたいです







☆☆☆☆☆☆☆☆



 神在祭 出雲式のおまつり

 神在祭は、国造さまほか神職が参進し、修祓の後、国造さまの祝詞奏上になります。その前に謝恩詞の奏上があります。参列している全員で読み上げます。祝詞奏上後には出雲大社の神語が奏上されます、これも参列者全員で唱えます。

 【祓詞】 
 お清めいただく言葉のことです。水で手や口を清め、心を鎮めて邪心雑念を去ってから神前に進みます。お供えはお米にご飯、水、塩、野菜を捧げます。
 祓詞は次のとおりです。

「掛け巻くもかしこき いざなぎの大神 筑紫の日向の橘の小門の あわぎはらに みそぎはらい たまいし時に なりませる 祓戸の大神達 かむながらなる大道の中にうまれてありながら その御蔭をし 深く思わずて皇神達の御恵をおろかに 思いたりし時に過ち犯せるは更なり 今も罪穢あらむをば 祓い給い清め給いと まおす事を八百万の神達共に きこしめせと  かしこみかしこみもまおす」

 祓短称詞の「祓い給い清め給い」を3回唱えます。次に二拝して手を4回うって一拝します。 犯してしまった「罪」や「あやまち」を反省し生まれた時のように心身共に清々しい姿にならせて頂きましょう。

 【謝恩詞】
 大神様への恩を忘れずに素直に感謝するのが謝恩詞です。謝恩詞は次のとおりです。

「掛け巻くも かしこき 大神の 大前に かしこみ かしこみ もまおさく 大神の広き 厚き みたまのふゆによりて おしもの 着物 住処をはじめ よろずの事ら 求むる まに 成らしめ給い 勤むるまに 成らしめ給い 親族家族にぎび 睦び 日にけに うらやすく 楽しく撫で給い 守り給いて うつし世を去りぬる後の魂も 永久に 治め 給い恵み給い、幽世の みのりのまに 神の列に入らしめ給い はつこのいや 次々をも 守り幸いぬべく 穴ない給い 助け給いて、うつし世も幽世も楽しみ喜びの変る事なく 尽くる事なく 恵み給い うるわしみ給わむ事を嬉しみ かたじけなみ たたえ事を おえ 奉らくを 御心も和やかに きこせと かしこみ かしこみ もまおす」


 【神拝詞】
 謝恩詞で生かされていることを感謝したら、その自覚が奉仕をしたいという決意となり、その決意が繁栄するための努力の祈りをもたらします。この祈りの言葉が神拝詞です。次のとおりです。

「掛け巻くも かしこき大国主大神の大前に かしこみ かしこみまおさく。大神達の高き尊き 御恵の蔭に隠ろい平らけく安らけく有りえる事を嬉しみ 、かたじけなみ日にけに拝み奉る事 の状を うまらに広らに きこしめし相うずない給いて、今も行く先も弥益しに御霊さきわい 給いて、天の下、国という国、人と言う人のことごと有りと有る物みな安く穏いに立ち栄えし め給え、何某が家には内より起こる災害鳴く外より入り来る まがこと無く、親族家族達さづ け給える魂は穢がさじ依さし給える職業は怠らじと身を修め心を励まし、人と有るべき理のま に、いそしみ勤めしめ給い。なしとなす事等をば幸く真幸く 在らしめ給いて病しき事無く煩 わしき事なく子孫のいや継々に家門高く広く いや栄えに栄えしめ給いと乞いのみ奉らくを 大御心も和やかに きこせと かしこみ かしこみ もまおす」


 【神語】
 一拝してから神語を3回唱えます。大国主神への絶対的信念をもって、祈りのすべてを神語に込めます。神語は次のとおりです。

 「幸魂奇魂守給幸給 (さきみたま くしみたま まもりたまえ さきわえたまえ)」
 
 古事記と日本書紀によると、大国主神さまが日本の国造りを成し遂げられたのは、幸魂奇魂の助けがあったからこそです。一人ではとても成し遂げられませんでした。
 その例に倣い、世の中で功業を成し遂げるには、幸魂奇魂の神護を得て、誠を尽くして唱えれることが大切だということでしょう。大神さまから必ず幸魂奇魂のお力を頂くことができるように、心をこめて唱えましょう。

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☆出典☆
 因幡の白兎(ウィキペディア) 
 家庭のまつり(出雲式)
 






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