トンネルを掘り続けた男 ~田邊朔郎と水路閣と京都の旅~



 

 臨済宗・南禅寺の水路閣は高さ約10メートル、全長92メートル、琵琶湖疏水のルートが南禅寺を通ることから、その景観を配慮して造られた。材質は花崗岩と煉瓦、アーチ型の13個の橋脚を持つ、ローマ時代風西洋建築物である。
 建設当時は、室町時代創建で桃山時代以降に再興された南禅寺の伽藍や三門とそぐわないと評判が悪かった。琵琶湖疎水計画は京都近代化の一大事業だったから、約一年の工期が終わりに近づく頃には『疎水八景』をうたった鳴り物入りの水路閣を一目みようと見物客が溢れたが、それでも歴史ある寺社と赤レンガの水路橋が隣り合わせる姿は違和感が否めなかったと言う。






 琵琶湖疏水を設計・総監督した田邊朔朗は語った。若干21才だった。
 『建築物はすべからく、美しくなければならない』

 水路閣は、若き田邊氏の美学に基づいて造られた。
 元は水不足を補うための水事業、途中から日本初の(当時は世界でも珍しい)水力発電も取り入れてエネルギー供給を目的とした水事業も兼ねた。
 水とエネルギーという共同体における根源的な問題をクリアするために、田邊氏は原始的な生活には不要の美しい建築物をもって成し遂げた。
 (もちろん建築物だけではなく、土木工事自体もしっかりしたものだったが)私はこれが実に京都らしいと思った。

 生きていく上で一番欠かせないものが水である。使用することができる水の量は、地球上にある水の総量のわずか0.001パーセントと言われている。穀物や食肉を育てるのに要したバーチャルウォーターを含めると、1日1人あたりにおよそ1400リットルの水を要する。
 水をいかに確保するか。弥生文化以降、水を求めて共同体同士の激しい諍いが起きるのは変わらぬ現実であるというのに、時として私たちはそのことを忘れてしまう。
 日本を縦横する豪雨と台風の影で、東北・関東では現在深刻な水不足だ。

 近い将来、国を挙げての『水争奪戦』が起こるだろう。水だけでなく、それは象徴的であるけれど、それだけでなくあらゆる資源の、エネルギーの争奪戦が起こるだろう。
 自由経済の弱肉強食の争いの中でコテンパンに負けつつある日本が再起する道を探す時、だからこそ美学を持ってそれを成し遂げた「琵琶湖疏水」の物語は心に染みる。建築物はすべからく、美しくなければならない。京都の復興、そして水路閣の美しさを奇跡的に感じたのかもしれなかった。

  

 
  ・「明治の大事業 ~琵琶湖疏水の建設~」 (京都市上下水道局より)

  ・旅行記 南禅寺と水路閣 (南禅寺と水路閣について分かり役書かれたサイトです)




 今、南禅寺と水路閣は違和感など感じさせぬほど、見事に調和している。京都東山の名所として、国内外から毎年多くの旅行者が訪れている。




 明治に完成した疏水により,琵琶湖から毎日約200万立方メートルの水が送られてきますが,その利用用途は時代とともに大きく変化してきました。

  今日疏水は水道用水の他,発電,疏水路維持の舟運,かんがい,防火,及び工業など多目的かつ効率的な水利用がされています。なかでも水道用水が占める割合は発電をしのいで首位にあり,市民の貴重な水道水源としてますます価値を高めるとともに,これからも計り知れない恩恵を与えてくれるでしょう。

  1200年を超える歴史を持つ京都に,当時最新の技術を取り入れた疏水はもうすっかり京都の風土に溶け込んで景観を形づくり,蹴上インクライン及び南禅寺水路閣は国の史跡に指定され,また,哲学の道のゲンジボタルとその生息地は京都市の文化財として登録されており,山科疏水,哲学の道及び岡崎公園周辺などとともに,市民や京都を訪れる人々にとって名所の一つとなっています。

 ~京都市上下水道局HPより~



 先日、私はグーグルマップのストリートビューで疏水運河を下って行った。京都の川はすべて北から南へまっすぐ流れるのに対して、琵琶湖疏水だけは南から北へ北上して流れて行く。今は京阪電車の地下化に伴い、三条から七条までの疎水運河は暗渠化されてしまったが、それでも東山山麓の岡崎からインクラインと並行して、南禅寺前、市立美術館から平安神宮を通って川端通り、そして鴨川へと続く疎水運河を見ることができる。



 ああ、自分の足で歩きたかったものだなぁ。私は東山再訪を夢想する。
 あの2度の夏の日と同じように―









 ここからは京都旅行記です。

 8月と9月に2度訪れた南禅寺の旅をまとめてご報告します。

 今回の旅で特徴的なのは、「18きっぷ」を使った旅だということです。格安旅行と、京都の美しさに興味のある方は、何かの参考になりますので、最後まで見ることをおすすめします。



深夜12時過ぎ、小田原から18きっぷで旅立ちます。

まずは大垣まで。ムーンライトながらという夜行に乗ります。


 18きっぷというのは、正確には「青春18きっぷ」、JRの普通・快速列車が1日乗り放題で2,300円という、企画切符としては空前のヒット商品です。

 全国どこにでも行ける1日乗車券が5回分(5人分)ついて、売り出されます。グループや家族でも利用できます。ただし5枚に切ることはできないので、メンバーが同行程の時のみ使用できます。
 使用する1日の最初の駅の改札で日付印を押してもらうのが基本ですが、駅員さんがいない駅は電車の中で車掌さんに入鉄印をもらいます。それもできないときは、改札を出るときにもらいます。

 ところがこの日付印、スルーされることが結構あるようです。(特にJR東日本)
 私もじっと見たあとに、どうぞと返してもらったことが2度あります。1度目は食い下がってもらいましたが、2度目はもしかして(18きっぷというのの)暗黙の了解事項なのかと思い直してあえて突っ込みませんでした。
 得したようで、わずか2,300円で後ろめたい気持ちになるのも嫌なので、ひとつハンコの欠けたまま期限を終えようとしていました。
 
 なお、18きっぷファンの生態と18きっぷの問題点はこちらでわかりやすく語ってくれています。

 ・18きっぷファン


 新幹線もいいですが、年に3回発売される青春18きっぷをフル活用しましょう。こんな不況なご時世に、みすみす旅費に散財することはありません。
 利用法を熟知するとさらにお得なので、少しでも興味のある方はパーフェクトガイドを読むことをおすすめします。



   



人気の「ムーンライトながら」が到着です。
特にお盆時期は朝早くから並ばないと指定券が取れません。
ここを撮ってる鉄男さん?がたくさんいました。

一度目に訪れた時は大雨に遭遇しました。電車の到着が3時間近く遅れました。

京都に着くと、この快晴でした。
京都についてまず訪れるのが、総合観光案内所(京なび)です。

京都駅ビル2階、南北自由通路沿いにあります。ここで地図をゲットしましょう。


京都市観光協会 (こちらに地図が載っています)

 京都駅に着いたら、駅ビル2階の京なびに立ち寄ってみましょう。バックパッカーの外人さんにも人気の京都総合観光案内所です。
 京なびさんは、行きたいところを係員さんに言うと京都の観光マップとバスの路線図をくれます。
 目的地(バスの場合は乗り場も)を、赤ペンで印をつけてくれるので、大変便利です。



市バスに乗って南禅寺に向かいます。1日乗車券(500円)もあります。

D1の乗り場から宮ノ前町まで行きます。(220円です)

10分に1本のペースで出ています。

 南禅寺にはバスで向かいました。
 この市バスD1コースは宮ノ前町に着く前に、三十三間堂、清水寺、八坂神社、平安神宮などなど、名所をぐるりと走ります。降りて巡らなくても、結構な観光気分を味わえます。また、日本語、中国語、英語での名所の観光ガイドも聞いていると結構な豆知識になります。
 地下鉄東西線の蹴上駅からも行けますが、この市バスが楽しくておすすめです。


 ・京都市交通局 (京都観光にお得な1日乗車券など各種フリーチケットが載っています)


平安神宮の鳥居のすぐ前を通ります。

平安神宮をズーム・・肉眼ではもっと良く見えます。

永観堂の大玄関と多宝塔


 宮ノ前町降りてすぐの永観堂禅林寺さんに寄ってみました。
 境内の庭の景観が素敵でした。多宝塔から京都の町を一望できます。釈迦堂にある安土桃山~江戸時代初期の絵師・長谷川等伯さんの「竹虎図」も見ごたえがあります。
 阿弥陀堂では「みかえり阿弥陀」像が迎えてくれます。
 この阿弥陀様は肩越しに振り返り、こちらを慈悲ある眼差しで見つめられています。
 こういう姿勢の阿弥陀像は珍しいのだそうです。お参りをすると、座っているすぐ隣に木札があって、こんなことが書いてありました。

 「このみかえり阿弥陀如来のお姿勢を現代に問うならば、

 おくれる者たちを待つ姿勢。
 自分の位置をかえりみる姿勢。
 愛や情けをかける姿勢。
 思いやり深く周囲を見つめる姿勢。
 衆生とともに正しく前へ進むリーダーの把握のふりむき。

 真正面からおびただしい人々の心を濃く、
 うけとってもなお正面にまわれない人々のことを
 案じて横をみかえらずにはいられない姿勢。

 これが佛さまのみ心ではないだろうか」
 

 もう何年も前に、振り向いて、いつも遅れがちな私を待ってくれた知り合いがいました。
 私はみかえり阿弥陀様を見て、彼女のことを思い出しました。
 誰にでも一人くらい、自分を気にかけてくれる人がいるものです。
 阿弥陀さを見ていたら、私も誰かを気にかけてあげることのできる
 一人になりたいと思いました。




百日紅が綺麗に咲いていました。
釈迦堂。格子戸のガラスがなんとも素敵でした。



阿弥陀堂です。

これがみかえり阿弥陀像のそばにあった木札です。

御影堂です。お念佛が合唱のように響いていました。

庭の極楽橋です。9月頭だというのにもう紅葉が始まっていました。

「もみじの永観堂」として、全国にその名を知られているだけあります。

多宝塔から京都の町を眺めます。

放生池の中央に弁天島があります。錦雲橋がかかっています。
永観堂のあとは南禅寺へ向かいます。

明治45年に完成した第2期蹴上発電所です。
明治の貴重な建物です。現在は外観だけが残っています。

ねじりまんぼです。インクライン下の歩行者専用のトンネルです。
アーチ式天井は巻き貝のようにねじられレンガが螺旋状に組まれています。

旧九条山浄水場ポンプです。
第2疏水建設時、京都御所へ防火用水を送るために造られました。

とりあえず南禅寺水路閣へ。




南禅院前の階段を上って、水路橋の上を見に行きます。
これが水路橋の上の水路です。

水路橋の上から疎水公園へと向かう道です。

田邊朔朗像です。21歳の若さで琵琶湖疏水を設計・総監督しました。

「京都インクライン物語」によると武士の家の出で幕府亡き後、大変な苦労をしました。
発電所に水を送る太い鉄管があります。
疎水公園にある疎水事業による殉教者の碑です。
田邊氏が自費で立てたそうです。



 蹴上駅の前にあるトンネル「ねじりまんぼ」を通って、緩やかな坂を登ると、すぐに蹴上疏水公園があります。
 疎水公園には、南禅寺の水路橋から向かうこともできます。
 田邊朔朗像、インクラインに舟溜跡などに通じていて見所が多いところです。

 田邊朔朗は幕臣の子で、また父親が早くに亡くなったこともあって、江戸幕府が崩壊したあと、大変苦しい思いをして育ちました。かつての使用人の家に置かせてもらい、厄介者扱いもされたそうです。もう忠義は通じなくなっていました。母親は元使用人の下女として働きました。

 朔朗は悔しい思いをするたびに、江戸を落ちる際に短刀に手をかけた時のことを思い出しました。官軍を騙る野盗にばったり出会い、死を覚悟して、懐の刀の柄に手をかけた時の、あの生々しい感触と、戦慄とを思いました。朔朗はわずか6歳6ヶ月の児童でした。
 「泣くことのほうがはるかに有効だけれど、それでも短刀をひっつかんだこの瞬間に、自衛ということの意味を、初めて理解した」と後に語っています。

 逆境は朔朗の精神力を養いました。敗残者となった幕臣のものが、再び社会的地位を取り戻すためには、学問で身を立てるしかありませんでした。真摯に学んだものだけが生き残りました。
 明治8年5月、叔父太一の後押しもあり、満13歳で日本で初めて創られた工学校に入学します。
 工学寮の新校舎は明治10年虎ノ門に完成、わが国初めての西洋建築でした。赤煉瓦の2階建ての校舎は、明治時代の建築物中、これほど均整のとれた美しい建物はないと言われています。

 工部大学校(現在の東京大学工学部)の卒業論文は琵琶湖疏水計画を選びました。朔朗は建築物だけではなく、この国における土木工事に対しても、深い思い入れがありました。明治初期、外国人に頼らず日本人だけの手で完成させた京都―大津鉄道が造られました。その鉄道のトンネルに立ち、身を震わせたことがありました。
 日本では、地形的に見て、トンネルを作らなくては、水路も、道路も、作ることはできないのです。私たちの生活に恩恵を与えてくれるそれらを得るためには、この今自分が立っている薄暗い場所、トンネルがどうしても必要なのです。土木工事は、山岳への挑戦でした。

 琵琶湖疎水のルートを探して、地盤を調べている時に、うっかりと右手の中指を痛めてしまったこともありました。指は腫れ上がり、右手は使い物になりませんでした。疏水計画をあとは記すだけ、という時です。論文を書き上げて、工学士の学位を得れば、母親を楽させてあげることができる、もうその日はすぐそこのはずでした。朔朗は左手で英文を書く練習を始めます。左手で英文の卒業論文と、何枚もの製図を書き上げました。
 疎水事業に従事し、大学を卒業した時、やっと指の手術をしました。1年半も痛みに耐えて、骨髄炎を悪化させた指は、第一関節と第二関節の間を切除され、第二関節の上に爪の部分がついた短いものとなりました。
 その忍耐強さが学園長に買われ、京都府知事北垣との出会いに繋がりました。古くから何人もの先人が夢見、けれども、成し遂げることができなかった難工事の琵琶湖疏水を、わずか4年8ヶ月で完成させたのです。



疎水公園からインクラインへ。

蹴上舟溜跡。
船が緩やかなインクラインを登るような形で残っています。

 
南禅寺再訪。今度は三門からゆっくり寺社を拝観します。

「絶景かな絶景かな」 歌舞伎『楼門五三桐』で石川五右衛門が
名台詞を廻す「南禅寺山門」です。




三門から法堂へ向かいます。

綺麗な参道です。

振り返って見たところ。




また水路閣へ。







途中からモノクロにしました。




南禅寺方丈~方丈庭園~本坊を廻ります。



ここも百日紅が綺麗に咲いていました。














インクライン

 2日間京都を、いえ南禅寺を楽しませていただきました。そろそろ帰りたいと思います。
 帰りは少し歩いてみましょう。蹴上から西に向かい、鴨川にぶつかったら鴨川沿いを南下します。

 鴨川沿いはたくさんの人達が涼んでいました。
 土手に腰掛ける人、川に張り出した小料理屋の納涼床に集う人、穏やかな時間が流れています。
 






 グーグルマップで、納涼床からのみそそぎ川の景観を見ることができます。とみ家さんからの眺めです。京都に行った気分で是非お楽しみください。(私が歩いた道も見えます)
 ・こちらです。(クリックしたら、部屋の奥に進んでください)



中京郵便局 三条通は美しい建築物がたくさんあります。

京都文化博物館別館 明治38年日本銀行京都支店として建設されました。

「旅は道づれ世は情け」三条大橋の前の弥次喜多銅像。
東海道五十三次はここで終わります。

三条大橋から鴨川。欄干が素敵です。



垂井で途中下車しました。

1時間半後、大垣行きの電車が到着です。さて、家へと帰りましょう。


 東海道本線は琵琶湖の横を沿うように走り、滋賀県の米原へと向かっていきます。
 真夏のように暑い1日でした。インクラインの焼けた線路の上で、くたびれ果てて腰を下ろした記憶があります。その旅も終わりに近付きました。
 電車の中で、隣に座っていた乗客がふと尋ねました。
 「(この電車は)米原は行きますか」
 「行きますよ」
 「たるいは行きますか」
 色の黒い外国人です。アラブ系? と頭をよぎりました。彼は米原から垂井に行きたいのだそうです。「たるい」がわからない私は、スマートフォンで路線を調べました。私と同じ方向だと分かりました。
 米原が近くなり、乗り換え案内のアナウンスが流れます。二人で耳をそばだてました。「7番(ホーム)ですね」と頷き合います。電車がホームに滑り込むと、一緒に階段を駆け上がり、7番ホームへと走ります。電車の旅では、乗り換えホームがわかりづらかったり、乗り換え時間が短かったりするので、この瞬間が一番神経を使います。

 「・・ちょっと、トイレ」
 外国人の彼が連絡通路のトイレを指差して走っていきました。私は彼に会釈をして、そのまま7番ホームまで走って行きました。しかし、ホームに到着していた電車に乗る直前、ふと永観堂のみかえり阿弥陀像のことを思い出したのです。連れでも何でもない異国の方ですが、思い出したら、振り向いて待ってあげたくなりました。私はまた階段を上り、連絡通路の真ん中辺りで待ちました。

 トイレから色の黒い彼が出てきました。私を見つけて、真っ直ぐ駆けてきます。私がそこにいるのが当たり前のような必死な駆け方だったので、待っていて良かったと思いました。
 7番ホームの大垣行き電車に向かい合わせて座ると、今度ははたと気まずくなりました。会話がありません。

 「たるいは何分?(で着きますか)」
 「25分です」
 「そんなにないよ、10分くらいで着くよ」
 と明るく言います。すぐに別れるから辛抱してね、と言っているように聞こえて申し訳なくなりました。窓の外を見るのをやめて、それからポツリポツリとお喋りをしました。
 彼はインドから来たのだそうです。お仕事の届けものがあって垂井へと向かっているそうです。
 「インドに来てください」
 電車を降りる前に、言いました。

 「ブッダガヤがいいです。お寺がたくさんあります」
 「ブッダガヤですか。ではインドに行ったら、ぜひ行ってみます」

 垂井で一緒に降りて、改札をくぐりました。
 空欄になっていた18きっぷの最後の一つに駅員さんがハンコを押してくれました。

 「ありがとうございます。じゃあ」
 「お元気で」

 笑顔で、手を振って、別れました。
 回れ右をして改札に戻ると、心なしか駅員さんも笑顔で、「どうぞ」

 私の18きっぷの京都の旅は、そうして終わりました。






☆出典☆

京都インクライン物語 (琵琶湖疎水水事業について詳細に記した物語です)
 
 
 



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