『ジャンヌ・ダルクを探して』




 
そして、誰もいなくなった。
この地球上で、私一人が取り残されてしまったような気分だ。

家から15分ほどの森の中、蚊の襲撃に耐えきれず、逃げるように出口へと向かっていた私はふと携帯メールを見やった。
深夜届いたGoogleアラートを転送したメールの、そのリンク先を親指で開く。
忘れていた。あとで見ようと思っていたのだっけ・・・
出てきたのは、臨時国会の稲田朋美議員の代表質問だ。

『我が党こそ我国唯一の保守政党であり、国民政党として名実ともに主権国家となり、単に経済大国だけでなく、社会正義の貫かれた道義大国を目指して、政権奪還をかけて、この臨時国会の激戦に臨んでいきます』

タイトルにはこうあった。
『たった一人で民主党を、菅を、小沢を、岡崎をブチのめす。ジャンヌダルクの登場だ!』

私はミズキの木の下に座り込んだ。この木は私が好んでいつも写真に撮っている。青葉のときも、枯れ枝のときも。だけど、今日は忘れてジャンヌダルクの戦いぶりをじっと見つめている。
ああ、私がこうして立ち止っている間にも、一人戦っている人がいるんだな。


私はその事実を知って、自分が恥ずかしくなるというわけでも、励まされるというわけでもなく、ただ安堵した。今この瞬間に、彼女の戦いを目にするということが何か暗示的なもののように感じられた。
世界はまだまだ繋がっている。


蚊の襲撃をまた思い出して、私は足早に森を抜け出した。携帯の画面を目で追いながら。





忙しい毎日を送っていた。
とにかく時間が足りなく感じられた。
前回、録画して帰宅してから楽しみに見ていた国会中継も見る余裕がなかった。睡眠時間もわずかに削られた。
そうした少しずつのことが、ストレスとなって蓄積された。
で、三連休を楽しみにしていたのである。
久しぶりに、のんびりして、それから山に行って、思う存分楽しく過ごそう。

ところがあいにくの雨であった。雨の後は山の地盤が緩むため滑りやすい。足腰にそう自信のない私は登山を延期することにする。
日曜も天気予報では午後までの大雨注意報が出ていたが、午前中、早い時間にふとやんだ。そこで、近場の森に急きょ出かけることにした。

私は雨上がりのこの森が大好きだった。
木々や草葉はしっとりと濡れ、独特の芳香を放つ。雫をまとって煌めいている。まるで新しい命を吹き込まれて、生まれ変わったかのように、生き生きとして見える。
それでいて、決して騒々しい様子はなく、落ち着いた静寂の空気に満ちているのだ。




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あれだけ楽しみにしていた休日が雨でつぶされても、この雨のあとの森を見れただけで、私は幸せな気持ちになった。愛機のカメラに、EF50mmF1.8の明るめのレンズを付けて、ふらり森の中を歩いていく。

何もかも新鮮に映った。春に白い花を見たヤマボウシはすっかり葉を枯らしていた。エゴノキももう実を落とし終えて、今だ青い葉に鋼のような幹を輝かしている。コナラのドングリもずいぶん踏んづけた。今年の猛暑のせいか、彼らは黄葉になるまえに、葉を茶色く枯らせている。

めきめきっと静寂の森に大きな音が響いて、それもかなり長く感じられる間続いて、何かと思えば、細いエゴノキが一本倒れたのだ。
マラソンをしていた女性は私のほうに駆けてきて、

「今木が倒れんたんですよ!」

と泣きそうな顔で訴える。とっさに避けたのだと言う。

「突然倒れてきたんですか?」

と私は、彼女を犯人扱いするかのようなまなざし。まさか木が、いくら雨あがりだからって突然自然と倒れてくるとは考えにくい。風もないのに、と人為的なものを疑っている。が、彼女はそれには答えずに走り去ってしまった。
残されたのは私と、散歩路に横たわるエゴノキと、その後ろから歩いてきたおじさん。

「いやぁ、豪快に倒れたねぇ。さっきの子は若かったから避けられて良かったね」





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私はそうですね、と笑いながら、まだ信じられない思いで折れた木の根元を探っている。
もう少し、こうして倒れた木と一緒に、まるで弔うようにしんみりしていたかったのだが、次に走ってきた夫婦連れのランナーがさっさとエゴノキをかたしてしまった。通行人の邪魔になるからとか何とか、危ないとか何とか、語り合いながらまるで一瞬の出来事だった。
彼らが過ぎると、今度こそは私と道脇に移動させられた木との二人きり。処理されてあとは土に帰るだけのエゴノキ。こうなると突然気まずく感じられて、私はそそくさとその場を離れていく。



森の小路という散歩コースを選んでいく。細い道が気に入っている。しゃがみ込んで、道の柵から下をのぞくと、草の陰にはまた小さな草、それから花々が茂っている。
アリエッティ? 森の妖精でも出てきそうだ。
次第に太陽が出てきて、雨に濡れた葉をますます輝かせて行った。太陽に向かって、草を伝っていくかたつむり。きらり光る蜘蛛の巣に、巣に引っ掛かって森を空中遊泳しているような飴色の落葉。
なんだかすべてが楽しくて、写真を一枚一枚撮りながら、こんな休日もいいものだと思っていたが、現れた太陽が露骨に輝き始めると、そんな浮ついた私の気持ちはだんだんとしぼんでいってしまったのだった。
もはや雨上がりの森は、ただの晴れた日の森に変わろうとしていた。

先ほどまであんなに雫をまとっていた葉も、もう乾き始めて、艶を失っている。
私は魔法が解けたようにがっかりしてしまった。

なんだかなぁ、こんなに晴れるなら、もっと遠出すればよかった。




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今、この近場の森にいることを疎ましく感じ始めて、それは森を抜けて公園内の民家園に入る頃には決定的なものとなった。
そこは古民家が二棟立ち、人はいなくても人の匂いがした。そして、金木犀の木が一本立っているのだった。


金木犀。

それは子供の頃の、過ぎ去った日々の象徴だった。そして、惨めな私自身の。
つい先日、会社で彼岸花を撮りに行ったと話した私に、同僚たちは「この時期は金木犀がいい」と言ったのだった。私はとっさに彼岸花の話を引っ込めて、みなと金木犀の香りや姿を称えあった。
私の話はいつだって無視される。なのに、こんな機会でもなかったら撮ることもなかった金木犀は黄金の花弁を雨のように散らして、燦然と輝いていた。
「ねぇ、金木犀がね、駅前の道で咲いていましたよ」
数日後、同僚は晴れやかに笑いながらそう言ったものだ。
「へぇ、じゃあ撮りに行かなくちゃね」
笑いながら。心の中ではあんな小さな花、花というより木ではないか。彼岸花のように絵にもなりゃしないと毒づいていた。
だけど、輝いているのだ。雨を降らして地面に落ちる花々も、葉に添うように咲いている小さな花の塊たちも、まるで宇宙的に見えてくる。その堂々たる存在が、彼女たちを正しくて、私を矮小なものにするかのようで腹立たしかった。そして、綺麗に撮らなくてはと、ついさっきまで撮ることを楽しんでいた私が、評価されることを念頭に置いて、一心に撮っていることがまたやるせなかった。なんて忌々しい金木犀!
私のしぼんだ気持ちは金木犀で増長され、彼女の宇宙的な存在感と同僚の輝く笑みでさらに打ちのめされ、そうして、公園中央のカワセミを撮っていたふたりの写真愛好家との出会いで、哀しみへと変わっていった。



 
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彼らは、カワセミが小さな池の止まり木にいるのを教えてくれた。
「はい、はい、綺麗ですね~」
「撮りますか?良かったらどうぞ」
意味がわからず、彼のほうをまじまじ見ると、自分の600mmの大砲レンズを貸してくれるというのだった。そういえば、私の前に彼らと会話していたカップルも、カメラを持った男性がしきりに撮った写真を確認していたようだった。彼らもレンズを借りた、一人だったのかもしれない。
この心優しき写真愛好家は誰もに大きなカワセミの写真を撮らせてくれているようだった。
私は出会いに感謝して、礼を言って、写真を撮った。愛機のちゃちなキャノンをおそるおそる長い、その名の通り大砲の、まるでレンズには見えないものに装着して、絞りを変えて、急いで数枚撮った。
私のレンズではありえないほど綺麗に、鮮明に、大きく撮れていた。長い間、この公園に通って、カワセミマニアにはずいぶんであったが、こんなことは初めてだった。

礼を言って彼らと別れたあと、しばらく私は放心状態。もう何を見ても輝かず、撮りたいと思う素材も見つけられなかった。

私の実力とも努力とも全く別次元のところで、あんなに安易に綺麗な写真を撮ってしまったのだ。
いまさら何を望もうと言うのか。
日が照って、公園の中央には家族連れ。子供の笑い声が満ちていた。

いつもなら微笑ましいそれらの光景も、今の私の眼にはなにも輝いて映りはしない。


金木犀を撮ったときに、たくさん刺された手の指の痒みが不快だった。長袖を着ているから、害虫は唯一出ている手の甲や指を狙うのだ。しかも、一心に撮っている時のじっとしている場所を。

私は指をかきながら、無性に孤独を感じた。

何十年振りかと思うくらいの孤独をふいに感じてしまった。
よほどのこと、思い当たる唯一の親友に電話をかけようかと思った。日曜は休みだから、今日ならばいるはずだと思い巡らせていた。

それでもついにかけることはなかった。なんと言えばいいのか、わからなかった。
蚊に刺されたから? 金木犀が綺麗だったから?
久しぶりに電話をかけるには、あまりにも理由がないような思いがしたし、それに、彼女はもう役目をとっくに終えたようにも思われていた。
私のために、友人として遣わされた彼女は、私がつらい時、ずいぶん私の傍にいてくれた。そして彼女の苦しみも、私に分けてくれたと思う。
だけど、最近では、彼女の苦しみを私が分かつことはなかった。今までの彼女の記憶を、彼女との出会いを感謝して、私はもう親友を開放してあげなければならないのではないかと漠然と思っていた。だから―
雨上がりの休日が哀しいからって、今更電話なんてできない。



孤独だ。孤独だ。孤独だ。



私は子供のように寂しさを連呼しながら森をさ迷っている。
そして、誰も、いなくなった。



ふと、手持無沙汰の私は携帯を手にするのだ。
そして、転送しておいたメールを見つけるのだ。
たぶんそれは、この世で私が唯一繋がっている、最後のもの。
私と世界を結ぶ、最後のもの。


私は暗示を見つけてほほ笑んだ。



まだまだ立ち直るまでには至っていない。
だけど、蚊の襲撃を耐えられるような気持ちになっている。
雨上がりの日曜、森の中。
出入り口へと向かっていく。
ジャンヌダルクを見つけに、駆けて行くのだ。







 (2010年10月11日 徒然日記より)
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