禊ぎから生じるヨゴトとマガゴトを繰り返す世界について ~吉野山千本桜紀行~







 金曜の夜、夜行バスに乗った。奈良県の吉野の山に出かけたのである。

 桜の時季を待ちかねて写真を撮りに出かける。ここ数年、そんな旅の途中で、偶然に桜色に染まった山を良く見かけたものだ。
 まるで桃源郷のように美しかった。何度も私は、その地を離れて、自らの目的地へと向かう自分を、もしくは自分の乗ったバスを、恨んだものだ。
 無情とも思われた。離れがたくて、いっそ目的をうっちゃって、あの桜咲く山に向かって行きたいという衝動に駆られたものであった。行く道さえもわかないというのに。
 吉野の山はそんな私の桃源郷夢想を象徴するような場所だった。もちろんユートピアとは異なり、地続きで到達可能な理想郷ではある。しかし、私にとってはその地は道も知れず、そもそも道があるかどうかも知れなかった。
 里の山の色とりどりの桜(もしくは梅や桃)の木、山の斜面を美しく染める絶景の眺めは、人が来ることを拒んでいるようにさえ映る。「俗世間を離れた別天地」という意味合いにふさわしい、神聖な、遠い場所と思えた。
 もしもその地の眺めを観光目的に開放する処があって、ほんの一時でも儚い夢を堪能することが出来るとしたならば、その総本山は吉野山に違いない。
 あまりにも有名な花見の名所であり、世界遺産ともなった吉野山に一足飛びに辿りつきたくなったのである。
 後になって思うと、随分邪念に満ちていたようだ。「お手軽な、ただの花見の観光ではないか」と自分を騙していた節がある。山神はきちんとそれなりの罰を与え、私は奥千本からの絶景を見ることは赦されなかった。それがどういうものなのか、知ることも叶わなかったというわけだ。










 吉野山に行くならバスしかないと思っていた。飛行機や新幹線の旅より価格も安く手軽である、というだけではなく、週末の小さな写真旅行に出かけるようになってから、私とバスは切り離せないものなっていた。
 私は汽車の旅が好きで、それまでバスに揺られることが大嫌いであった。見知らぬものと、乗り合わせるのも嫌だ。他の交通手段とは比較にならぬほど、バスには旅の夢が欠けている。俗世的で、密閉感を持ちやすく、安っぽい。悪く言えば、「荒涼とした地を行く堕落した者たちの旅」という、いつか観た夢のような暗示を与えられる。
 だからこそ、それは飛行機や船や汽車のように浪漫溢れる旅行ではなくて、再生の道を行くための泥臭い手段のようにも思えて来るのだった。ここに乗り合わせる者たちは皆求道者ではないか等と、かつては堕ちた者どもではないか等と夢想しては、私はバスに乗ることを受け入れるようになった。これも必然と思えるほどに、写真旅行の目的地にはバスが欠かせないのである。山然り、花の里然り。
 マイカーを買おうかと考えたこともあった。しかしそれは本末転倒のようにも思われた。この道を大勢のものが乗り合わせるバスと、自らの足を使っていくのだ。
 吉野山の旅もただの観光と割り切ろうとしていた割に、そこの決意の根幹だけはきっちりと守っている。私は夜行バスに飛び乗った。45回目の誕生日の、僅か45分前であった。

 

 眠れないかと懸念したが、私は誕生日を迎える瞬間をも待たずに眠りについた。不思議なことに、バスでは何度も起こされる。夜行ツアーであれば、ぐっすり寝たいものもいるだろう、なのに、1時間半から2時間で、サービスエリアで休憩を取る。トイレに行かせるためである。

「このあと、また1時間半から2時間は次の休憩所にとまりません。必ず皆さんトイレを済ませておいてください」

 添乗員が大声で忠告する。で、皆ならんでバスを降りて、並んでトイレへと向かうのだ。
 過去に高速の途中でトイレに行きたくなって騒ぐ旅行者もあったのだろう、年配者はトイレが近いのだろう、それにしても、まだそう行きたいわけでもないのに、1時間半から2時間毎にトイレに行かされる身となっては、旅行者の為の旅だか旅行会社の便宜性を優先した旅だかわかりかねるようだ。
 そこでまたしても頭に浮かぶのは、バス特有の「泥臭い手段」についてである。再生の道を行く泥臭い求道者と言ったが、どう見てもこの並んでトイレに行かされる、管理される者たちは家畜、まるで豚か牛のようである。もしくは、囚人のようである。
 闇の中に浮かび上がる、人々が並んで歩く様。バスからトイレまでの道のり。15分でかっきりと戻ってまた出発する。ぞろぞろ。ぞろぞろ。それが等間隔で繰り返される。

 一人で参加した私は隣の席に添乗員の女性が座っていた。彼女は忙しく席を立つので、(時々は前の控えの運転手の隣りに座る)ほとんど一人でいることが多い。その点では気楽であった。
 後ろはほとんど見えない。集合地点が早かった者たちが座っている。真横と後ろには年配者の女性。斜め前に夫婦連れ。この二人、バスの旅が慣れているようで、後になってその用意周到さには驚かされるのだが、一緒に乗り込んだときにまず感心したのはお揃いの登山用のリュックであった。ノースフェイスの20~25リットルくらいのものか。皆が足元に小さな旅行用のポーチやリュックを置いているというのに、明らかに「吉野の山を登る気で来ました」という意気込みを漂わせて、即座にバスの上の棚に荷を上げる。
 私は彼らの姿によって、はじめて自分が観光旅行の浮かれた気分であったことを思い知った。吉野山は観光地と決め込んでいたことを知った。
 朝に奈良に着いたころには外は雨。夫婦連れは到着地点30分前になると、雨具というよりは洒落た、やはりノースフェイスのハードシェルジャケットとパンツを着込んでいる。靴も登山靴に変えた。リュックには雨用のカバーをかぶせた。
 天気予報で雨だということは知っていたはずなのに、私は登山用の雨具も準備していなかった。なにせ、吉野山は観光地であるから、そんな無粋なものはいらないと思っていた。雨傘が一本に、格好となると写真旅行の際にも(準備に)劣る普段着の上着にジーンズという体たらくであった。
 
 「例年、吉野山の上まで行く方はいらっしゃいません」

 管理者の添乗員が声を挙げる。彼女はバスの皆に「吉野山みてあるき」という案内図を配り、その中には観光コースの徒歩の所要時間が書き足されているのであった。
 奥千本、上千本までいくには、ロープウェイかケーブルバスを使わなければならず、それらの本数の少なさから例年混むのだという。所要時間が不透明になるため、ここでもトイレ同様バス会社の便宜性を発揮しての発言だろうとは思われたが、私の気持ちは即座に萎えた。
 一人旅ならば、どんな無理でも平気だ。しかし乗り合わせた者どもに万が一、集合時間に遅れて支障を与ええてしまったらと考えると、添乗員の警告がもっともだと思えて来る。彼らならば行くだろう、私は夫婦連れを恨めしそうに見やった。もしも、もっと私がこの旅の意味を重く受け止めて、万全の準備をしていたならば、彼らの後を見失わないように付いて行ったものを。
 窓の外の降りしきる雨の吉野山を見つめる。霧が煙り、木々が幻想的に浮かび上がる。吉野駅を通り過ぎ、バスは出発地点の如意輪寺へと向かっている。
 この雨では、山の上まで登っても、煙って何も見えまい。おまけに開花が遅れている。奥千本も上千本も花は咲いていない。
 あまりに桜が咲いていないので、如意輪寺の枝垂れ桜を見るオプションが急きょ用意された。そちらは満開だということで、全員が申し込んだ。

 「下の方は咲いていて良かったですね。遠くから来て頂いたのに、まったく桜が見れないということだったらどうしようかと思いました」

 帰りに添乗員が安堵の声で漏らしたように、吉野山の桜は中千本でもかろうじて咲いている程度で、満開とは程遠かった。私は桃源郷を見ることを諦めて、吉野朝宮跡や、吉水神社を巡って、様々なことを祈る旅にしようと、決めたのであった。









 私は随分熱心に、日本のことを、東北のことを、福島のことを祈ったはずである。
 吉野の神々に、たくさん頼んで申し訳ありません、と謝ったことである。
 気持ちを切り替えて、桜の菓子の食べ歩きや、吉野の名物葛の買い物や、かろうじて咲いている染井吉野や山桜を見ることを楽しんだものである。
 しかし、帰りのバスに乗り込んだ夫婦連れの言葉にはやはり打ちひしがれる思いがした。

 「上まで行ってきましたよ。吉水神社も良かったですね。行かなかったのですか。二回行きました。行き(上まで行く前)と帰りと。あそこは絶景のスポットですね。帰りはだめだったけれど、最初に見たときは霧もなくて、吉野山の桜が見渡せました」

 後ろの席(私の真横の席)の婦人らと夫婦の男が楽しそうに話し始めたのであった。
 夫婦はやはり吉野山の上まで出かけたのだ。



 ☆ ☆ ☆



 バスの中で私が読んだのは、と言っても、行きも帰りも寝てしまいながら、うとうとしながら、途切れ途切れ読んでいたのは、神野志隆光(こうのしたかみつ)氏の「宣長の『古事記伝』を読む」という著書であった。
 この方、名前がすごい。神の、野を、志す。隆、さかんな、光。私は名前の意味や由来を思うのが好きなたちであった。(物事の判断を名で決めるという傾向がある)
 そのまるで縁起のいい(と思われる)神々しい名を持つ彼が、豊富な専門知識を以て本居宣長の『古事記伝』の解説と言うよりは謎解きをしてくれているのだ。
 宣長の『古事記伝』こそが、『古事記』の解説というよりは謎解きという本質を持つだけに、謎解きのそのまたさらに謎解き、のような形で楽しめる。
 日本書紀を少しかじった程度で、古事記を読んだことのない私は、きっとこの前提を知らずに、日本書紀と古事記という(学問の)山に踏み込んでいたら、即座に迷子に陥り、まったく別の解釈をして、到達することなど一生かかっても不可能であるだろうと思われる。

 その「謎解き『古事記伝(謎解き古事記)』」の中で、興味深い記述を読んだ。
 日本書紀と古事記という、神話の、というよりは宣長の、禊ぎ(みそぎ)の解釈である。神野志氏によると、宣長は強引な解釈をしているが、それは「禊ぎが、国を作る物語の、どういう文脈で語られるものであったか」を問題にしているからだという。
 彼の主張は一貫しているのだが、その整合性を語るのは著者に任せるとして、神話を知らない私が感心したのは、こんな話であった。

 『世界におけるすべての事象は黄泉の穢れと、それを祓う禊ぎに発する』

 黄泉の国から戻ったイザナギが穢れを祓うために禊ぎをしたことにより、世のすべての禍(宣長はマガと呼ぶ)の元となる神、禍津日神が生まれた。
 そして禍の穢れを祓って直そうとして直毘神が生まれた。
 そうして、未完成だった国が完成した。あしき事に、それを直すことに、そして昼夜の別まで、秩序ある世界が完成した、という考え方だ。
 月(月夜命)日(天照大御神)がこの国に生まれたのも、発端は穢れを滌清(そそぎきよ)める事から起こる。
 そしてそれが世の理(ことわり)だというのである。
 マガゴト(凶悪)はヨゴト(吉善)より起こり、ヨゴト(吉善)はマガゴト(凶悪)より起こる。
 ふたつは互いに「うつりつもりてゆく」。交代して動いてい行くのが、世の「理(あるべきありよう)」だというのだった。








 私は驚きを以て、過去の一つ一つ、を考え直しているのだった。
 もしもあの時の私がマガゴトとしたならば、私の元を去って身を清めた者が、彼の世界に秩序をもたらした。
 すべての禍とすべての太陽の光をもたらした。
 イザナギが黄泉の国にイザナミを迎えに行ったのは、愛からだったのだと思う。
 逃げ去ったのは容貌の変化の所為ではなくて、彼女の本質が変わったことを知ったからだ。
 彼は、彼女の愛を切り捨てて、安全な国に逃げて、穢れを祓う。
 その禊ぎから生まれたのが、世のすべての禍だ。
 そして、それを直そうとする善なる力と地を照らす太陽の光と。
 ヨゴトとマガゴトを繰り返して成り立つ世の秩序。

 神話というのは、ただ退屈なだけかと思っていたが、この哀しみはどうだろうか。
 

 「愛しき我がなせの命、如此為たまはば、汝の国の人草一日に千頭絞り殺さな」

 「愛しき我がなに妹の命、汝然為(ミカシシカシ)たまはば、吾はや一日に千五百産屋立ててな」
 

 二神は別離を確認し合う。
 「愛しき人よ、あなたの国のもの(人草)を一日千人切り殺しましょう」
 「ならば愛しい人よ、私は一日千五百人のものを生みましょう(産屋を立てましょう)」


 黄泉に行ったイザナミを救えなかったことによって、彼女を祓うことによって、イザナギとイザナミ、二人で作った未完の国は初めて完成するのだった。 

 秩序ある世界を作るということはそれほど大切なことなのだな、と私は初めて実感した。
 禊ぎを行わなくてもよかったではないか、とか、黄泉の国からの禍もそうすれば起こらなかったのではないかとか思うものだが、それでも、ヨゴト(吉善)とマガゴト(凶悪)を繰り返すというまるで秩序とは思えぬ秩序が人は必要なのだ。 
 これはただの神話だから、現実世界には全く関係のない話だと言い切ってもいいだろう。
 だけどこの物語から世の理を学んだものは先人だけではないと私は思う。
 悪しき世を直す神も太陽のごとし神も、すべては哀しい別離から発するのだ。
 それだけが秩序をもたらす世の力となるのである。


 ☆  ☆  ☆  ☆




 「上まで行ってきましたよ。吉水神社も良かったですね。行かなかったのですか。二回行きました。行き(上まで行く前)と帰りと。あそこは絶景のスポットですね。帰りはだめだったけれど、最初に見たときは霧もなくて、吉野山の桜が見渡せました」


 夫婦の片割れの男は、陽気そうに笑っていた。

 「あら~そう。吉水神社行かなかったわ」

 夫人たちも楽しそうであったが、私はそれよりも吉野山の上からの景色がどうだったのか、気になって仕方がない。
 桜は咲いていたのか。吉野山は見渡せたのか。
 しかし、男はそのことには触れないのであった。
 中千本での観光を楽しみ始めた頃、私はバスに戻る直前にこの夫婦連れを見たものであった。
 彼らは道の分岐で立ち止まり、上千本へ向かう道を行こうとしていた。
 その時私は、彼らが吉野山の上にはまだ行っていなく、今から行こうとしているのかと驚いたものであった。
 「ここからバスまでは30分くらいだから」
 と、まだ大丈夫だというふうに悠々と上千本へと登っていく。
 雨はすでに上がっていた。私は驚きを通り越して呆れたものだ。あんな用意万端だったくせに、意外と間抜けなのだな。あの装備はなんだったのだろうか。登山靴も、雨用のシェルも滑稽に思えてきた。
 身の丈を知り、山の中腹の観光を楽しんで、乗り合わせた者たちに迷惑をかけることもなく早めにバスへと戻る自分を立派に感じたものであった。彼らよりもよほど。

 男は夫人らと笑いあうだけで、山の上の景色の話は一度もしなかった。
 彼の妻は大人しく座って前を見つめている。
 もちろん、景色は悪かったから、何も言えないのだろう。
 吉水神社の絶景スポットよりも悪かったから言えないのだろう。私は間抜けとまで思った彼らがちゃんと山頂に行ったことを知った悔しさから、今度はそんな風に毒づいている。
 あの霧で見えるはずがないのだ。
 ところが、夫人らと笑いあう主人と穏やかな妻を見ていると、次第にその考えを疑問に感じ始めたのだった。
 彼らは、吉野山の中腹にある吉水神社ならば、絶景と褒め称えても赦されると思ったのではなかったか。
 夫人らが行かなかったのは偶然であり、当然行ったか、少なくとも行こうと思えば行ける処にはいたのだから。
 しかし、上千本や奥千本からの景色を絶景だと言うことは気遣われたのではなかったか。
 ふとそう思うと、それが上の景色を見たものの当然の心遣いだと思われてくるのであった。








 彼らは見たのだ。言わないだけであって、吉野山からのあの桃源郷の景色を見たのだ。
 そして、おまけに、吉水神社からも見たのである。
 吉野山の上からも、中腹からも、桃源郷の景色を見ることの叶わなかった私が、一体なぜ彼らを笑ったり、彼らに比べて自らを立派だと感じたりしたものか。

 私は桃源郷の景色を聞き出すことを諦めて、また本を読み始める。
 一人小さく、小さく、肩を丸めるように座って。隣りの席にはガイドはいない。
 案内人は前の席に移って行ってしまった。次の休憩所まで、また私たちをトイレに向かわせる時まで、彼女の仕事はないのであった。
 多分降りる時までの空席に、私は遠慮して荷物も置かない。増えた荷と土産を、自分の足元と、席の横に入れてますます小さくなるばかりだ。
 救われた思いがしたのは、吉野山で一人はぐれた人がいたということか。
 彼は無事、もう一台のバスの添乗員とタクシーに乗り、次の休憩所で合流できたのだが、出発する間際は皆慌てたものである。

 「一人足りません・・・
 連絡が付きません・・・」
 蒼ざめた彼女の顔を見て、そうさせたのが今回は自分ではなかったことに、どれほど安堵させられたか。
 小さくなり、はぐれたものが見つかれば皆と拍手をし、義捐金箱を向けられれば惜しまずに。
 そうして身の丈を思い出すうちにまた例の時間になった。ご一行はバスを降りて、囚人のような列を作る。
 一人離れて、煙草を吸う。道脇に見事に咲いた桜を見上げて、綺麗だなぁ、と微笑んでいる。ふとかしましい鳴き声と同時に、黒い烏が飛んでいくのだ。
 桜の花で覆われた空を、底から天辺に向かって横切っては、消えていった。




 

 
 

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