ふたりの老婆と隅田川花火大会  ~スカイツリーの遥か天辺を見上げながら~

 
 
 
  
 花火の時期が近付くと、私は去年のことを思い出して、哀しい気持ちになるのだった。
 もしも、あの場所へ行ったならば、今年も同じように老婆が立っていて、同じように微笑みかけてくるのではないかと思われてくる。
 あれは確かに私のために遣わされたような出会いだった。もう一度会って、お礼を言いたいものだ。
 だけど、私は別の場所を選んだ。
 そこで立ち止まっていたら老婆に叱られそうな思いがする。
「私の役目はすんだわよ」
 そうやって笑いながら、去年のように私の顔を覗き込んでくるに違いない。私は、去年第二候補としていた大横川親水公園へと向かった。
 今年も隅田川花火大会が始まろうとしている。





 大横川親水公園はメインの第一会場から離れていて、正面に第二会場の花火が見渡せるだけであった。地元に住んでいる人々がふらりと集まるらしい。穴場と言えば穴場だ。
 風向きを調べると、微妙に風下に近い。決して風上とは言えなかった。悩んだ末、とりあえず出かけることにした。現地に行って、空が高いか見てみよう。
 去年の場所はテレビの撮影も入っていたし、写真愛好家も多かった。撮影場所としては良かったと思うが、なにせ空が低かった。ガードとフェンスで上も下も塞がれている。それから花火会場から少し離れていた。
 今年は多少条件が悪くても、高い空で見たいものだ。それから、なるべく現地の傍に行って、花火大会の雰囲気を味わいたかった。
 東向島のガード下だってあれだけ混んでいたのだ。昼間下見に行った時でさえ、もう人がブルーシートを引いて、場所取りをしていた。現地に近ければものすごい混雑になるだろう。私はそう見込んで、早目に家を出る。昼過ぎに大横川親水公園に着いた。
 しかし、誰もいないのだ。ブルーシートもなければ、去年のように長い脚立を立てて、撮影の準備をする写真愛好家もまるでいない。第二会場だけだとやはり人気が薄いのか。私は不安を覚えて、釣り堀場の職員らしき老紳士に尋ねてみた。
「すみません、ここから隅田川の花火は見えますかね」
「ああ、見えるよ。その先にね、白い交差点があるから、わたって、もう少し先に行くと、真ん前に第二会場の花火が見えるから」
 彼はホースで水を溜めながら、手を止めて教えてくれるのだ。
「花火の前は車両通行止めになるから、道路に座って見れるよ。場所取りは禁止されてるけど、もうみんな待ってるよ」
 笑いながら、すぐだと方向を示すのだった。白い交差点があるからと繰り返して。
 後になって、それが「広い交差点」の聞き間違いであったと気が付くのだが、私はペンキか何かで橋が白く塗られている、もしくは路が白い交差点を頭に浮かべていた。
 白い交差点の周りに集まってくる人々。夜、車は消えて、そこは隅田川花火大会が良く見える場所としてにぎわうのだった。
 私は何かの暗示のように神聖な、少し現実離れした、良い撮影場所のように感じられた。礼を言って老紳士と別れて、「白い交差点、白い交差点・・」と呟きながら、歩いて行く。
 ここ、業平の町はスカイツリーがすぐ横手に見渡せた。地下鉄の駅を出て、浅草通りを歩いて行くと、突如現れた巨大な塔に驚かされたほどだった。私はスカイツリーの写真や模型が並び、にわかに活気付いている商店を眺めながら交差点を探している。何人か浴衣を着ている人々に出くわすものの、まだ老紳士が言うように場所取りをするような人々は見渡せない。
 私はこんなに空いているならば、もっと会場に近寄ってしまおうと考えた。交差点を二つほど渡り、すると今度は花火大会の実行委員の若者が導いてくれるのだった。
「うちわをどうぞ!」
 青年はにこやかに隅田川花火大会の会場絵地図が入ったうちわを手渡してくれた。私は絵を見ながら、「ちなみに今はどこですか」と訊いてみる。「この通りは絵のここになりますよ」と青年。
 なるほど、もう少し歩けば、第二会場の真ん前、駒形橋である。橋の上は無理だろう、私は地図の絵を眺めて、その横の公園へと向かっていった。途中、駒形橋前の道路は、場所取りの青年や夫婦連れが座っている。公園のガード下も、既に浴衣を着たグループが並んで座っていた。ガード下のほうが近くて良く見れそうだ。人も多いし、良い場所なのだろう、と思ったが、いかにせん空が低かった。
 私は浅草通りに戻って、青年たちや夫婦連れの傍に腰を下ろした。
「ここはよく見れますかね?」と上半身裸になって、気だるそうに寝そべっている青年たちに訊いてみる。一人は不思議な物体を見るかのように口を開けて私を眺めている。リーダー格の一人がにこやかに笑って、「大丈夫ですよ」と教えてくれた。
「通行止めは何時からですか?」
「5時からです」
 まだまだ時間があった。時計を見ると2時半にもなっていなかった。暇を持て余した私に、去年の老婆が再来したのだ。
 私はぎょっとしたものだった。もちろん、彼女は去年の彼女とは別人だった。姿かたちも全く違う、性格ももっと明るく、お喋りで、人好きのするタイプだった。(彼女は誰にでもにこやかに話しかけて、友達になっていた)あっちの場所のほうがいい、と意地を張って花火大会直前まで傍にやってこなかった旦那さんも一緒だった。それでも、やはり、まるで私のために遣わされたような老婆だったのだ。
 私たちは花火が始まるまで5時間ほどの、長い時間を一緒に潰した。コンビニやトイレに行く時はお互いの場所と荷物を見あった。道路規制が始まって、ごった返すように集まった人々が、歩道から車道へ一斉に場所取りで飛び出す時は、ふたりで共に確保してあった場所を守ったものだ。
「ここは取ってたのよ!」
 無礼にも今来たばかりで、早い者勝ちだとか、この場所取りが祭りらしくて燃えるんだ、などと笑っていた青年を老婆は一喝してくれた。そこは私が老婆に会う前に新たにやってきた青年グループから道路の場所取りの方法を教わって、ガムテープを貼って確保してあった場所であり、私はこの時ほど、場所取りの(所有権の)正当性を主張することに対して、何の嫌悪感も後ろめたさも感じずに、誇らしく、感動的にさえ感じたことはなかった。
 老婆はガムテープの場所に荷物を散りばめて、持参の小さな銀のシートを引いて守った。
「こっちの方が花火見えますから、こっちに着たらどうですか」
 そう訊くと、私たちは見るだけだからいいと言う。
「あなたは写真を撮るんだから、そこがいいわよ。三脚倒されないよう気をつけてね」
 私にもっともよい一角を与えて、後の広いスペースを狼藉者を寄せ付けまいと必死だった。三脚を立て終わって見ると、しかし、取って置いた場所のほとんどは老婆が礼儀正しい侵入者たちに分け与えていて、私たちのスペースはちょうど程良いものに仕上がっていた。彼女の旦那さんのスペースがわずかに残されていただけであった。
 

 75歳だという彼女はタクシーで現れたのだ。
 旦那さんと一緒だったそうだが、私は見ていない。荷物を引いて、笑いながら近付いてくる婦人を目にしたのが初めての出会いだった。
 彼女は歩道の脇に座っている私の隣に椅子を立てて座った。2mほど、離れて、近すぎない距離感も良かった。時々、ぽつぽつと会話をして―天候や花火大会についてのことを― そうするうちに次第に老婆はずいぶんと快活にしゃべり始めた。
 自分が数年前に事故をして、今は1級の障害者であること。以前は旦那さんと一緒に3件の店を経営していたこと。今は台東区の池之端に住んでいること。汗腺が体の右半分ふさがれてしまい、頭皮から足から汗が左半分しか出ないこと。国内から海外からあらゆるところに旅行に行ったこと。リゾート施設の会員で、安く泊まれる旅館やホテルをたくさん持っていること。
「宿泊券が毎年たくさん送られてくるから、あげるわよ」
 老婆は名詞をくれて、連絡しなさいね、とまた笑う。彼女は本当に幸せそうに笑いながら、今まで行った土地の話をするのだった。
「今になると思い出しか残らないけどね。それがホントに大切なのね」
 10年前まで、日本万歩クラブと言うところに所属して、機材を揃えて写真も撮ったし、山にもずいぶん登ったのだと言う。目を細めて遠くを見るのだ。
「ホントにね、楽しかったぁ~」
 マンポマンポと繰り返すので、初めは何のことだかわからなかった。仲間と出かけたたくさんの記憶は、彼女の中で大切に保存されていて、会話になれば当たり前のように出てくるのだ。するりと、まるでクラブを知らない人がいるなど思いもかけずに。
 それとももしかしたら、それはそう軽いものでもなかったかもしれない。宝石箱を紐解くように、私に話して聞かせたのかも知れなかった。私は彼女が自分の母親と同じくらいの年齢であること、そしてこの万歩クラブをいとおしそうに語る口調に親近感を覚えた。もしかしたら、私が母のように老いるように、彼女の姿は私の数十年後の姿ではないかとふと思われた。誰かが、もしかして神が、ふと悪戯をして、この遣われた老婆を通して、私の未来の姿を見せているのではないか・・などと。
 私はつい昨日、ここ2年余りの撮影旅行でためた資料、―観光地や公園の案内図やパンフレットや手書きの地図や・・ そんなものを目にして、いとおしんでいたところだった。
 いや、それともそうじゃなくて。
 老婆は私がなれなかった私の姿なのかもしれなかった。もしも、どこかで歯車が違っていたら、今の私は彼女のように、30年後の私は彼女のように、笑っていたのかもしれない。
「ホントにね、楽しかったぁ~」
 と遠い目をして思い出しながら。
 私は親近感を覚えた老婆がふいに遠い存在になったように思えた。それからなぜ突然、まったく真逆の幻想を思い浮かべたのかわからなくなって混乱した。しかし次の瞬間には、それがなぜだったのか手に取るようにわかって、そうして今度は哀しくなった。
 花火のせいだろうか。隅田川の花火大会は、どこか陽気ではない。去年のこともあるけれど、この、場所取りの手順も知らぬほど私にとって馴染みあるものではないはずの花火大会は、どこか遠い昔のもの哀しい記憶と結びついている。地元の町だって、海で見た花火だって、ただ喧騒と華やかさしか覚えていない。いったいなぜなのだろうかと私はいぶかってしまう。

 花火大会が始まるとすぐに老婆の旦那さんがやってきた。彼女は浅草通り沿いにぎっしりと埋まったブルーシートと人々をうまい具合に避けながら、彼の傍に行って、そうして道を作るのだ。こっちよと導いて。
 旦那さんは私の顔を見ると満面の笑みを浮かべて挨拶をした。自営していただけのことはある。サラリーマンを定年退職した旦那さんだとこうは行かないのではないかと場違いなことを思う。二人はラジオで野球の結果を聞いたり、携帯でテレビで放映中の第一会場の花火を見たりと忙しい。そのうち食事も始めるのだった。私は三脚やカメラの設定を再確認している。
 もうここに来てから、5時間経った。写真撮影のためにこんなに待ったのは初めてのことだった。その割には、私は無駄な労力を遣ったようで、花火は最後にはメルセデスベンツのビルに隠れて見えなくなってしまったし、(空は高かったが、下が詰まっていたのだ)もっともっと後に来ても、ぎりぎりに来た人でさえ座れていたから待つ必要があった場所なのかどうかも疑わしかった。
 それでも私は老婆と一緒に待って、この場所で写真を撮れて良かったと思っている。

「ちょっと、写真撮ってるから、座ってあげてよ」
 私は何度かそんな台詞を聞いた。写真を撮るのに夢中で、花火が始まったら最後、彼女のことを忘れてしまってはいたが、時々、そんな言葉と、それからあまりの静けさに、振り向いたものだ。
 彼女と旦那さんはまるで小さく座っていた。彼女たちの相手もせず、写真を撮り続けていることに、急に申し訳さを覚えたものだ。
 去年のように、気が付いたら消えてしまっていたら― 
 そんなことになったら嫌だ、とはっきり思っていた。














 
 ふと、足が引っ張られた。私の足元のシートを老婆が引っ張っているようだ。見ると彼女と旦那さんは帰り支度をしている。電車や道が混むのを恐れて、そろそろ帰り始める人たちもちらほらいるようだ。
「今日はありがとうございました」私はお礼を言った。
 去年言えなかった分も言った。
「いいのよ、名詞に連絡してね。さっき言ってた旅館の券を送ってあげるわよ」
 海辺の真正面で、花火が見れるその旅館に、先ほど私が興味を示していたのだった。
 それでも彼女たちはまだ席を立たない。
「最後まで見て行かなきゃね」
 まるで私を励ますように笑うのだった。私は次第にビルの陰に隠れていく花火に苛立っていたのだが、その笑顔を見て、たとえ半分しか写らなくても頑張って最後まで撮り続けようと思った。
 またファインダーを覗いていく。そうして、今度目を離した時には、その時こそ彼女の姿は消えているだろうと予感していた。




 今年の隅田川花火大会が終わった。
 私は浅草通りを下っていく。目の前には、スカイツリーがそびえていた。
 その姿はだんだんと大きくなり、真横を通るころにはもう見上げても第一展望台を見るのも骨が折れるほどだった。屋台。夜店。冷やしマンゴーに、切り売りのスイカ。列をなすコンビニの入り口。
 もちろんスカイツリーの天上は見えない。でもたとえ完成した後でも、この塔は天上が見えないのではないかと思われた。あるいは雲のせいで、あるいは塔の下の部分に隠されて。
 私は人々に紛れながら喧騒の中を行く。橋の上では宴会。地べたに座る浴衣の少女たちがお酒を飲んでいる。

 東京タワーの時はまだ天辺が見えたのになぁ・・・

 私はひとり文句を言い、撮ったばかりの写真を見ながら歩いていくのだ。
 去年より少しはうまくなったと。
 老婆にそう報告したいものだと考えていた。