裁きと使命 ~横浜三渓園で蓮の海を漂う~

  
 
 

「蓮の花は泥の中から清らかな花を咲かせることから 俗世間から現れた優れた人材にもたとえられ インドでは聖者の花 中国では君子の花といわれました」(横浜三渓園 ウェブサイトより)




 シベリアの夏について考えている。

 先週、村上春樹を読んだ私はふとドストエフスキーの「罪と罰」を読みたくなった。その名作のラストに、荒涼としたシベリアの地が出てくるのだ。主人公ラスコーリニコフはそこに行かない道もあったのに、ソーニャと出会ったことによって彼女と一緒にその地に行くことを選ぶのだった。
 私はこれを暗示的に、もしくは象徴的に捉えていて、つまりドストエフスキーは作家だったからわかりやすく男と女の出会いとして描いただけであって、本当は一人の人間の中で起こり得る出来事ではないか、と。誰かと出会ったから、愛を得たから変わる、と言うだけの話ではなく、もちろんそれもあるだろうがただそれだけの話ではなく、一人の人間の中でソーニャとラスコーリニコフの出会いは完成する。そして、ソーニャと巡り会えたものだけが、シベリアの地(小説の中では刑務所)へと出掛けていくのだ。
 で、その辿り着いた最果の地がどんなところかと言えば、作家の暗示の通りであって。
 たとえば、今読んでいる本にたまたま戦前の露西亜が出てくるのだが、その中でシベリアはこんな風に書かれていた。

「露西亜は世界でその領土の広大なるをほこりとしておるが中部の耕作に適した沃土でさえ、人口は一千里半僅かに平均六十人の希薄なるものであるそうだ。されば政府はシベリアの移民政策に鋭意し、ほとんど強請的に移民を送っておる。彼等露人は元来の無味蒙昧の徒であるからシベリアがいかなるところなるかを考えず、政府より只で土地は貰える、農具は与えらるると云うので、たいそう旨い事と思うて家族を伴い行って見ると、丸で異なっておる。シベリアの野には労せずして収穫のある所はなく、又金の実る樹もないのである。オーッカ酒に謳歌せる魯鈍なるスラブ民族は此の荒野に立って到底奮戦する元気はない。そこで結局は乞食となるので、要するにシベリアの現今は、囚人の流形地たると共に、乞食の移住地という有様である」

 まるで宗教のように、天国だ、来世だと甘い蜜で誘われて来てみても到達出来るものはごくわずかであって、俗世に慣れた者のほとんどは脱落して身を落とし、流刑人だらけの土地になるといっているようだ。自ら収穫することは難しく、囚人だけが生活を赦される場所であると。
 私はこれも不思議な思いを持って聞いている。
 ドストエフスキーが暗示した天国は、厳しいだけではなく、管理されるべき場所なのだ。そして、その暗示は不思議と私の想像に適っている。解き放たれて辿り着いた楽園は決して放埓な場所ではない。神に管理される「生活者」だけが入場できる。資格を得た彼らだけが「泥の中から咲く」可能性を与えられるのだ。ドストエフスキーの小説を読んでいると、良く漫画のようにデフォルメされた物事が出てくる。彼が好んで描いた「娼婦」(しかも貧乏でみすぼらしい)もそうだが、滑稽なほどわかりやすいアイコンもある。が、「シベリアの刑務所」はやはりすごい。作家の非凡な才能に感嘆せざるを得ないのだった。
 つまり、シベリアまでは誰でも行ける。むしろ送り込まれる場合さえある。そこで生活できるかどうかが問題ではないか。生き残れなければ、俗世以下の悲惨な暮らしが待ちうけている。
 私はそんなふうに考えて、また暑い夏を思う。












写真を撮り始めてから、蓮の花の時季をいつも逃している。昨年もほとんど閉じた花を一輪かろうじて写し取っただけであった。今年こそは撮りたい。
 そう願った私は早起きをして蓮見に出かけた。早朝6時から開園している横浜三渓園に着くと、すでに蓮池の前は人だかりだ。が、意外と三脚を立てたカメラマンは少ない。早々に日傘をさした婦人たちが優雅に蓮池の周りを歩いては、ときどき立ち止まり花を見やる。
「綺麗ねぇ」
 と感嘆の声に笑顔。早く辿り着いて、場所を得なければと思いつめていた私は拍子抜けをする。バスの停留所をひとつ間違えて、はやる思いで来たのである。気持ちを切り替えて、のんびりと支度ををする。三脚を抱えて、蓮池に向かっていく。
 蓮の花は7時ごろが開花のピークだそうだ。早朝からゆっくりと開き始め、7時ごろに花開き、それからお昼ごろにはまた花をつぼめる。開いて咲いてを3回繰り返し、4日目に散る。
 出来れば初めての開花、咲くのが1回目の花を撮りたいものだと、初々しい花弁を探すが、まだ蕾も多く、蓮池は蓮の葉ばかりがたなびいている。風があるようだ。咲いている花が少なく、また望遠ズームレンズでも捉え難いほど遠くで咲いているものが多い。
 『遠き世の 如く遠くに 蓮の華』









 

「ここは撮れる位置にあるのが少ないね」
「大船のほうがいいよ。あそこのほうが数は少ないけど、撮りやすいよ」
 カメラマンたちが会話している。別の場所の植物園を差しているようだ。蓮を撮るなら、近場ではここしかないと考えていた私は、もっとほかの地を丁寧に探すべきだったと反省する。しかし、彼らも今ここにいるのだ。お互い与えられた場所で最善を尽くすしかない。
 カメラマンたちはサークルの仲間たちだったようで、あとで私は見知らぬ男性に「あなた○○の人?」と尋ねられる。言葉の意味を探しあぐねて、返事に詰まっていると、「さっきあなたが喋っていたのが○○の先生だったから・・」と教えてくれた。「鎌倉の写真サークルなんですよ」
 私が蓮池を一周し、逆光の位置に来た時だ。PLフィルターを好んで使う私は長いレンズフードを外していた。それを先生が注意してくれたのだった。
「持っていたら使った方がいいよ」
 先生はまた、三脚の便利な使用方法も教えてくれた。私は礼を言って彼と別れたものだ。
 鎌倉に写真を撮りに行くと、必ず多くのカメラマンに出会うが、あれもサークルの方々なのかもしれないなとふと思う。単独で、撮りに行くのは意外と珍しいものかもしれない。私はそう考えて、ふと自分を心もとなく思うが、それも一瞬のことだ。前日に、この一週間に何度も目にした蓮の花を思い出して、微笑んだ。仲間が撮った写真を見たではないか。
 私は彼らの絵を思い出し、参考にした。艶やかな撮り方、ローアングル、それらを自分の中に置き換えて、自分なりの撮り方を模索する。今日は蓮の花を徹底的に撮るのだ。せっかく三渓園まで来たと言うのに、ついに蓮池のまわりだけしか歩かなかった。ミソハギ、ヤマユリ、ボタンクサキ、ネムノキ、たくさんの花が咲いていたというのに、撮ることもしない。ただ眺め、すべての意識を、気力を、蓮の花に注いだ。蓮の花を綺麗に撮ってあげたい。私からも、こんな蓮の花が撮れましたと発信したい。それは、私が今いる場所での義務のように思えた。いや、強制的な意味ではなく、使命のような感じか。それともお返しか。言葉が見つからないが、今日は蓮の花を、満足いくまで撮ることが、今できる最善のことだと思われた。
 光にも気を使う。久しぶりの斜光だった。寝坊を重ねる私は目的地に着くころには昼近くなり、真上からのトップ光になることが多い。景色も花も影を作り、上手く撮れないことも多々ある。今日は、蓮池をぐるり回りながら、陽のあたる場所、日陰の場所、様々な光を意識して撮り分けていく。おや、と思ったのは、自分の中で、これくらいの光ならこれくらいだろう、というような、露出補正や、絞りや、コントラストの調整や、様々な設定の予測が出来てきたということだ。経験知のデータが根付きはじめている。撮っては微調整を繰り返しているうちに、段々と自分でも知らぬうちに様々な光を予測して、撮りたいイメージを考えながら撮ることが出来るようになっていた。朝の斜光の経験は少ないはずだが、今までの努力はすべて無ではなかったようだ。とりわけ、天候の悪い日に撮ることが多かったせいか、日陰で撮った蓮の花は自分でも気に入った絵にすることが出来た。経験知がそれだけ多いのだろう。









 蓮の花はファインダーのなかで様々な表情を見せた。一瞬で姿を変える。
 私はそれが面白くて、何度も撮り直した。影となる蓮の葉が風で靡くたびに、花に注がれる光が変わり、花の色も輝きも変わるのだった。傾いて、思いがけず花の花弁がぱっと開くこともあった。また花に寄り添う葉も様々である。まるで海の波のように、風が吹くたびに揺れて、うねり、花に添い、離れ、葉の裏側の白い側面を見せたり、鮮やかな翠を放ったり、その気持ちの良いこと。海の中を漂っているような心持になる。
 私はすっかり満たされて、最後に蓮池の前のベンチに腰を下ろした。
 蓮池を2周して、レンズを変えて撮って、あれだけ蓮の花を堪能したというのに、まだまだお昼には時間がある。蓮の花はそろそろつぼみ始めているのだろうか。ずっと見続けている私には変化がわからない。私は持ってきた本を取り出して読み始めた。露西亜の話、シベリアの記述があった本だ。戦前の官僚たちの逸話や、彼らがどうやって日本株式会社とも言える国の形を創りだしたのかが記されている。
 日本をグランドデザインしたひとりの宮崎正義は統制経済論者だった。彼は社会主義的な国家の統制を資本主義経済の中に生かすという、新たな国の形を模索した。独立したばかりの満州国の経営を設計し、のちにそれは敗戦後の日本の形に継承された。
 私が感嘆する日本(と言う国の)のシステムを創り上げた者たちのなんという頭の良さよ。現在の馬鹿な政治家にすべて、教え諭してあげたい思いがしてくる。彼らが叩いたり、仕分けたりしているものたちの本来の意味を。「政治主導」を念仏のように繰り返す彼らは、国家を統制するべく存在を壊し続けて、この国を損なっている。
 甘い蜜をちらつかせれば、そこまでは行けるのだ。
 泥の中から咲くのは、しかし・・ と私はため息をついて、本を読む目をふと上げる。
 蓮池の花と葉は相変わらず海のようにうねっていた。穏やかな心持ち。暑い陽射しが気持ち良かった。まるで惜しむように、やっとつぼみ始めた花を見つめる。
 この花のように清らかに咲きたいものだ。
 たとえ、泥にまみれていようとも、そこにある限り、それはできる。
 私は私の「生活」のことを想った。ソーニャのことを想った。
 シベリアの夏の陽をいつまでも浴びていた。
 







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