隅田川花火大会 ~惜しげもなく与えて、散っていく花火たち~


 ふと老婆と目があった。彼女の横はぽっかりと、「ちょうど良いスペース」が空いていて、おまけにまるで友達のように笑いかけてくるのだった。私は三脚を抱えて彼女の横へ滑りこんだ。「ここがいいわよ」老婆は言うのだ。いらっしゃい、と喜ぶかのように。「ここ、いいですか?」と聞いては断られてさ迷っていた私に向って、やはり親しげに笑いながら。私たちの会話が始まった。




「あと30分くらいね。暗くならないとね、始まらないわね」
「もう少しですね。あれ、前のはテレビカメラですか」
「朝日が放送するのよ。毎年あそこで撮っているから、ここは第一会場と第二会場の花火が両方見れるのよ」

 隅田川花火大会に出かけたのだった。江戸時代に「両国の川開き花火」として始まり、昭和53年に隅田川花火大会と名称されたこの花火大会は人気が高い。毎年100万人近い見物客が訪れるそうだ。一週間前から場所取りをする人もいる。当日は人々で溢れる上に、会場近くの道路は一方通行になり、交通規制や立入禁止規制となる区域もあるので、人の流れに乗って歩いていたら花火の見えないどこかへ行ってしまったとか、歩きながらビルの谷間の花火を見るはめになったとか、そう言う話も多いようだ。三脚を持ってうろうろするのを警戒した私は多少景色が悪くてもすいているところを選ぼうと思った。
「なんかちょっとおしっこ臭いわね」
「風が強くて良かったかもしれませんね」
 首都高6号のガード下はいつもは浮浪者の住みかとなっている。小屋に青いビニールシートや簡易ベッドは普段にまして隅に押しやられて、今日ばかりは浮浪者たちも追い出されたようだ。老婆は臭いなどと文句を言いながらも陸橋の柱に立てかけられた折りたたみ式の簡易ベッドに寄りかかって、言うのだった。「こうすると楽チンよ!」
 70歳と言う年齢の割りに無邪気に笑う。自宅は近いそうだが年々高層ビルが建ってほとんどの花火が見れなくなった、昔は360度を見渡せて、東京じゅうの花火が見られたのに、と残念そうに言う。また、息子さんがふたりいて、そのひとりのマンションが近くにあるそうだが、そちらもちょうど大きな木が邪魔をして高く上がった一部の花火が見れないそうだ。
「だから散歩がてらにぶらぶら見に来たの。いつもこの辺りで見るのよ。去年は息子と船の上で見たんだけど、今年は仕事が忙しいって。マンションの鍵を預けてあるんだから、そっちで見たらと言うんだけど、仕事してるのにお邪魔してもねぇ。お嫁さんも何にも言ってこないし。おふくろのために買ったマンションだからいいんだよ!とは言ってくれるんだけど。この方が気楽でしょう」
 私は何度も何度も設定やピントを確認しながら頷いていた。時々、「こんな良いところが近所でいいですね~」と間の抜けた返事をする。
「よっぽど家で朝日テレビの放送を見ようかと思ったけど、やっぱり年に一度だからね、近くで音を聞いたり、あのどーんと言うのがまた胸に響いていいのよ。何だかスカッとするじゃない!また一年頑張ろう!と思うじゃない? 不況だけどね、区もよっぽど今年はやめようかと思ったみたいだけど、やっぱり規模は小さくてもみんなこうやって楽しみにしているんだからねぇ、どんな形でもやってくれると嬉しいわよね」
 遠くで花火が上がった。開いた音だけするが、テストなのか空砲のように何も見えない。しかし、あの音からすると空高くまで上がったようだ。私は三脚を下げてカメラの位置を変えはじめる。あれだけ高い位置で花火が開くならば、ちょうど首都高が邪魔をして見えそうもない。老婆は見える?撮れそうかしら?と心配してこちらを覗き込む。老婆の前にはカップルがアウトドアかビーチで使うような椅子を広げて優雅に花火見物をして、その前は若者の集団が騒いでいた。彼女のすぐ横(陸橋の柱の向こう)はカップルがシートを引いて寝そべっており、足だけが見えていた。通行人は絶えず前を行ったり来たり、全員が座ってくれればいいが、カメラの位置を下げると今度は人の頭が入ってしまい空が見えない。テレビカメラが陣取るところだから、そう悪くない位置のはずだが・・ 
 私は首都高で半分隠れた空を心配そうに眺めていた。すぐに老婆の視線に気がついて、
「カメラを下げると人の頭が邪魔なんですよね。前を人が通らなければだいじょうぶそうです」
「高い花火が上がるとちょっと見えないかもね。でも低いのは綺麗に見えそうよ」
 老婆は残念そうに言うのだ。後になって私はこの会話のせいだったのではないかと自分を責めた。
 この町で育って、この町に詳しくて、「ここがいい」場所だと言っていた老婆の顔を潰してしまったのではないかとか。それとも彼女の話に嘘があって、それを暴かれるような思いをさせてしまったのではないかとか。
 とにかく、今私に与えられたのはこの場所であって、フェンスと首都高で塞がれて、空が半分見えない臭いガード下で。そうしてその場所は今横で笑っている老婆が、私がやってくるずっと前から立って、取っておいてくれて、私が入ることを許してくれた場所なのだった。
 辺りは人がせわしなく通り、空いていたスペースはどんどんと狭まって来ていたが、私たちのまわりだけはゆったりとしていた。老婆と三脚を広げごついレンズをセットした私とのペアは最強で、誰も割り込もうとはしなかった。
 そうして、青い空に月が浮かぶ中、まだ闇に包まれないうちに、ついに花火大会は始まったのだ。



左はテレビ局のカメラ。ガードとフェンスで空が塞がれた中、花火大会が始まった。

奥は第二会場(厩橋上流-駒形橋下流)の花火、上は第一会場(言問橋上流-桜橋下流)の花火。

だんだん夜の闇が深くなり、あまり絞らなくても空は真っ黒に。
散って消え行く花火と昇っていく新たな花火。
空が狭いため部分的にしか見えない。それでも充分堪能できる可憐な花火たち。

様々な色の花火が上がる。

第一会場がすぐ傍だったため、どんと開く音が体に響いて来た。

花火が散ったあとの空は宇宙の銀河のよう。

フィナーレが近付いて、大玉のものがいっせいに上がる。

最後の花火、弾けるように豪快に開いて、あっけなく散って行った。


 残念ながら隅田川は見えず、首を伸ばせば花火の映えた美しい川がかろうじて見えたが、しかし三脚は届かず、もし届いたとしても、前のフェンスが邪魔をして、見渡すことは出来なかっただろう。それでも私は大満足だった。
 初めての花火撮影にしては、撮れただけで上出来だ。散々人混みの道をうろうろして終わるかとさえ思っていた。
 すべては老婆のおかげだった。彼女なくしては、私はこの場所を手にすることは出来なかった。
 高い花火が上がると私たちは残念そうな声を漏らしたが、低い花火がガード下で弾けると一斉に飛び上がった。
「うわ~綺麗ですね!」
「ホントに、きれいねぇ!」
 ハイタッチをするように喜びあい、笑いあった。
 どん、と花火が弾ける音、ひゅるるぅ~と昇っていく音、すべてが体じゅうに響いた。高揚した。夢中になって撮っていると、目の端にふと、老婆が鉄橋の柱の向うに消えていく姿が目に入った。はっとして横を見ると、もう彼女はいない。トイレにでも行ったのか、それとも他のもっと見える場所を探しに行ったのか。しかし、あれだけ話をして、一緒に喜びあった彼女のことだ、すぐに戻ってくるのだろう、と私はのんびり構えている。
 5分、15分、30分、時が過ぎても彼女は戻ってこなかった。
 私は彼女がいた場所に三脚を移して、一人でスペースを陣取るのだった。いや、もう、そんな必要はなくて、佳境となった花火大会に心を奪われている人々は割り込もうとすることもない。美しい夜空をただ眺めている。お酒を飲みながら花火を見ていた前の若者のひとりが立ち上がって叫んだ。
「た~まや~~~~!!!」
 いっせいに拍手と歓声が挙がる。ブラボー!ブラボー!そう何度も言っているかのようだった。
 こうすると楽チンよ! 私は老婆の言葉を思い返して、一人ゆっくり簡易ベッドに寄りかかった。いい気分だ。納得のいく出来ではないが、写真だって撮れた。最高の体験をしたと言うのに、私はどこか淋しいような、キツネにつままれたような、そんな気分で老婆のことを考えている。

 彼女はどこへ行ったのだろう。
 彼女は誰だったのだろう。

 まるで役目を終えて立ち去ったかのように。私のために現れて、あっけなく消えて行ったかのように思われてくるのだ。





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