苦しみを知らない作家? 志賀直哉と再会して「城の崎にて」を読む。

 

 ヒグマに襲われて、また北海道で尊い命が奪われてしまいました。


 「目の前でクマが人間の上に…」ヒグマに襲われた新聞配達員の52歳男性が死亡 目撃者が語った凄惨な現場 北海道福島町(北海道放送


 記事によると、「声を出して追い払おうとしたが、逃げようともしない」。クマは、人間を引きずって草むらへ消えていったそうです。完全に人間を「餌」としてみているのではないでしょうか。

 恐ろしい。もう登山に行くのも怖くなります。

 住宅地に現れるくらいなのだから、山の中なら尚更です。

 もう、鈴を鳴らしたって、人間を怖がらないかもしれません。


 そんな不安を抱えつつ、今日は私は家にこもって、静かに読書をしていました。

 読んだのは、志賀直哉の「小僧の神様・城の崎まで」です。

 現代にこんな「読書という贅沢な時間」を残してくれた、昔の文化人たちに、あらためて感謝したくなりました。





 小僧の神様・城の先にて(志賀直哉)


 【あらすじ】

 著者における成熟期への移行は、動から静へ、反抗から和解へであった。その口火を切った大正6年の『佐々木の場合』から大正15年の『晩秋』までの代表的作品を収録する短編集第二集。交通事故の予後の療養に赴いた折の実際の出来事を清澄な目で凝視した『城の崎にて』ほか、古美術品のように美しく不動で、著者を〝小説の神様〟と呼ばしめる一因となった『小僧の神様』など全18編。 巻末に詳細な年譜を付す。

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 ・非常に面白かった。

 とても面白かったです。

 さりげない私生活のスケッチのように見えて、実はそうではない。人間の内面や、自然・動物との関わりが、ときに残酷なほど正直に描かれており、その描写に心が強く動かされました。

 「昔の人は野蛮だったのね」と簡単に片付けてしまうこともできます。でも、この作品群からは、むしろ苦しみや悲しみに非常に敏感な感受性が感じられたのです。

 志賀直哉といえば、若い頃に「暗夜行路」を読んだきりでした。当時はそれほど印象に残らず、衝撃作だとは思いましたが、どこか距離を感じていた記憶があります。

 さらに、若き日の私は太宰治に傾倒しており、彼が志賀直哉を激しく貶していたこともあって、どこか志賀直哉に対して偏見を抱いていたのかもしれません。

 けれど、今回、年を重ねて再び志賀の作品に触れてみたら、

 「これは、もしかしたら太宰治より面白いかもしれない」

 と、直感的に思ってしまったのです。

  

 ・苦しみが分からなかったのは?

 太宰が志賀直哉を批判した主な点に、「本当の苦しみを知らない人間だ」という主張がありました。

 しかし、「城の崎にて」を読んでいると、どうしてもそのようには思えません。

 「生きている事と死んでいる事と、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした」(城の崎にて)

 この一文には、まるで村上春樹が言いそうな感性が漂っていて、思わず「真似をしたのでは?」とまで感じたほどです。

 「小僧の神様」においても、貧しい少年が大人たちにさり気なく虐げられるさまが描かれており、胸が痛みました。

 ネズミを殺す子供達の描写、猫を捕まえて翌朝殺すまでの夜中の猫の懇願や雄叫びの悲痛な描写。

 あの悲痛な鳴き声が、読む者の心にも届きます。

 そして、ただ「見ているだけ」で何もできなかった作者の無力さが、こちらにも痛いほど伝わってきました。

 逆に、太宰治の方こそ、苦しみに酔っていいただけなのではないか・・。

 そんなことすら思ってしまいます。

 結果的に、志賀直哉の本を読むことで、むしろ太宰治の本を読み返したくなるという、不思議な読書体験になりました。

 果たして「本物の苦しみ」を知らなかったのはどちらだったのか。もしかすると、二人とも異なる形で、同じように苦しんでいたのかもしれません。

 志賀直哉の作品を読んでいると、「生きることの苦しみとはなにか」を自然と考えたくります。にもかかわらず、日常のスケッチのような軽やかな体裁をまとっているところが、とても巧みで魅力的でした。

 機会があれば、「暗夜行路」もあらためて読み直したい思います。

 若い時には気付けなかった何かが、今なら見えてくるような気がしています。 


 ・最後に冒頭のニュースに戻ります。

 クマ、怖いですよね。もう人間の社会と里山との境界線が、あってないようなものになっている気がします。

 クマにビビりすぎだと登山アプリYAMAPでは笑われてしまいましたが・・怖いものはやっぱり怖いです。

 クマの撃退法を調べてみると、「クマには出会わないのが一番」とのこと。つまり、出会いそうな場所に、自ら行くこと自体が、もう避けるべきなのかもしれません。

 また山に行きたい気持ちはあるのですが、再開するとしたら、まずは高尾山のような人間だらけの山からにしようと思います。

 それまでは、せっせと神様のような作家たちが残してくれた本を、静かに楽しもうかな、なんて思っています。


 今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


 どうか、あたたかい1日となりますように。

 心から、願いを込めて。



 

  


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