敗者の美学と天への祈り。「坊っちゃん」再読。

 

 今年の梅雨は例年と違うそうです。

 本格的な暑さがやってくるというニュースを見ました。

 今日も暑かったですよね、でも、明後日の火曜日はもっと酷いそうで、35度を超える夏日(東京)となる見込みのようです。

 体調を崩さないようにお気をつけてくださいませ・・


 さて、そんな暑い一日。

 エアコンをつけながら、昔懐かしい「坊っちゃん」を読みました。

 再再読くらいでしょうか。柴俊夫と西田敏行の「新・坊っちゃん」もテレビドラマで見ているし、知らないことはない、知りすぎている物語だと思い込んでいましたが、なかなかどうして、新しい発見がありました。






 坊っちゃん(夏目漱石) 


【あらすじ】

 松山中学在任当時の体験を背景とした初期の代表作。物理学校を卒業後ただちに四国の中学に数学教師として赴任した直情径行の青年“坊っちゃん"が、周囲の愚劣、無気力などに反撥し、職をなげうって東京に帰る。主人公の反俗精神に貫かれた奔放な行動は、滑稽と人情の巧みな交錯となって、漱石の作品中最も広く愛読されている。 

 近代小説に勧善懲悪の主題を復活させた快作である。用語、時代背景などについての詳細な注解、江藤淳の解説を付す。

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 ・感想は・・・

 読み終わった時に、泣いてしまいました。まさかの感動路線でした。

 主人公の坊っちゃんを、何があっても信じて受け入れている清(きよ)というばあやの存在がたまらないんですよね。

 私は読後に、このきよの存在が神様の象徴なのではないかと思い当たりました。

 たとえ正義は敗れても、正義や道徳を本当の意味でわかり、審判してくださるものは、いつも身近にいらっしゃると言われているような思いがしました。

 だから安心して負けなさい。正義を貫きなさい。

 うまいですよね。小さな「清」という老婆一人で、そこまで神や正義のことを連想して泣けてしまうのですから。始終負けてばかりの弱者には、たまらない小説でした。

 勧善懲悪を描いた渾身の作と評にありますが、そこよりもね、善(正しい側)の坊っちゃんと山嵐は負けてすごすごと四国を去るわけですよ。負けた事実が悲しくなっちゃうわけです。

 でも、最後の最後に救われた。そこが大泣きでした。

 漱石はやはりうまいなぁ・・・

 何十年も愛される作家だけあります。私、大好きです。


 ・印象的な部分は・・・

 やっぱり「清」につきますが、まず設定がすごいですよね。

 坊っちゃんは江戸っ子で、負けた幕臣の末裔なのです。そして山嵐は会津の出身です。

 両方とも、幕末に負けた側(賊軍)なんですね。そして物語の舞台は四国の海側。

 幕末に活躍して勝った側ですよ。そこの象徴として、赤シャツや野だいこがいる。

 赤シャツと野だいこは最後、坊っちゃんと山嵐にコテンパンにやられますが、しかし、四国で逞しく生き残り続けるわけですよね。

 舞台と主人公の設定からして、勝ち負けの象徴を取り入れていらっしゃる。

 これは、敗者の美学の物語なんですね。

 それを思ったら、本当の、主人公の何があっても味方という清の存在がもう泣けて泣けて・・・いや、神の象徴ですよ。

 また同じことを書いてしまいました。すみません。


 若い時に読んだときは、いい婆さんがいて、よかったな、くらいにしか思わなかったんです。でも、違うと思いました。

 私たちには、すべての人に「清」がいるんですよね。

 だから、たとえしっぱを巻いて逃げても、賊軍に成り果てても、正しく生きなさいと後押しされているような気持ちになる小説です。清々しいです。清の名の通りです。


 ・そして最後に・・

 読書メーターで読むと、「坊っちゃん」は坊っちゃんのままだから将来どうするのか?というような坊っちゃんの今後を心配するような意見が見られたのですが、いや、心配しなくてもいいと思います。清は物語の最後になくなってしまいますが、私たちにはきっと永遠の清がいます。

 安心して、勧善懲悪に励んで、負け続けていただきたいと思います。


 何が人生の敗者で、何が勝者かは、決めるものがちゃんといらっしゃる。

 安心して、心のままに、正しく生きていただきたい、と思いました。

 赤シャツや野だいこに負けずに頑張りましょうね。



 今日も最後まで読んでいただきどうもありがとうございます。

 暑い日が続きますが、体の調子を崩さないようお気をつけてお過ごしください。


 素敵な時間を過ごされますように。

 願いを込めて。



 





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