某神奈川県の大◯市役所が、やばい。

 

 異変に気付いたのは、ある6月のことだった。

 大◯市役所を訪れた私は、その変貌ぶりに驚かされた。

 私は30年という日々をこの市役所が所在する町で過ごしており、いわばここは地元中の地元、我がホームなのであった。

 今こそは、お隣の市に引っ越してはいるものの、一番人生で豊かだった20代、30代をこの市役所と共に過ごした歴史は、私の人生の中でのかけがえのないものとなっている。

 そして、◯和市役所といえば、美しい桜の木々、そして、まるで古都の庭園のような自然豊かな庭である。庭木と芝がその敷地の周りを覆っており、多感な私は何度もこの桜と緑に心を動かされたものだった。

 ところが、その日大◯市役所の前を通りかかった私は目を疑った。

 草ぼうぼうなのである。(写真下)



 この写真はまだいい方で、このしばらく後に伺った時はもっと酷かった。腰の高さくらいまでの雑草が生い茂り、庭園のような敷地は見る影もなく、草の塊と化していた。

 これはひどい。税金で庭の手入れまでできなくなったのか・・

 まず、私は大◯市が庭の手入れを怠っていると感じて、憤ったのである。

 次におかしいと思った。確か神奈川県の都市でも川崎市に次ぐ人口密度で、かなり税収もあると聞く。庭木の手入れもできないほど落ちぶれてはいないがどうしたものか・・・

 次に想像したのは、異常気象である。

 まさか、庭木の手入れが追いつかないほど、この異常な温暖化によって、自然破壊が進んでいるのだろうか?

 思わずゾッとした。

 ちなみに、かつての庭園の様な敷地の写真が下である。

 

 



 上は、2013年、11年前の写真である。

 芝の様な敷地が見て取れると思うが、今は草ぼうぼうで見る影もない。


 蛇の道を行く江ノ島ウォーキング (2013年の記事)

 ※なぜ大和市役所に正門がなかったのか。自然に寄り添ってきた市の歴史を取り上げた記事


 そして、まるで青春時代を汚されたかの様に、悶々とした思いを抱えていたある秋の日、10月のことである。大◯市役所の前を通りかかると、さらに驚くべき事態が待っていた。



 

 (写真上)

 防草シートに覆われて、大◯市役所は見るも無惨な姿になっていたのだ。


 草に隠れて消えた時代はまだ良かった。

 まさか庭園自体がなくなるとは思わなかった。

 生い茂る雑草に手を焼いた(であろう)◯和市は、敷地一面を植物を遮断するシートで覆って、あの美しかった庭園自体を消してしまったのである。





 なんだこれ。


 大◯市、やばい。


 と私が思ったのはいうまでもない。


 いくら異常気象で、致し方がない、草ぼうぼうの庭であっても、自身の庭園保護の・・至っては地球の自然環境保護にまつわる、最低限の努力はしないものなのだろうか。

 この努力放棄の様な、シートは一体・・・???


 思想的にも破壊されたものを感じるが、見た目も全くひどくて驚かされた。

 かつての桜並木をバッサリ斬ってこのさくら門を作った時も驚かされたが、それ以上のインパクトである。これなら桜を犠牲にしてさくら門を作った意味さえも疑われる。大昔の美しい桜並木を返してくれ、と言いたくなった。

 よほど、大◯市に苦情を言いたくなったが、私はすでに他の市民なので、何もいう権利はないのだが・・・

 なんともやるせない思いである。

 地球が破滅に向かってものすごい勢いで、過去の姿を変えていっていること、そして、国や地方公共団体がそのあるべき姿を放棄しつつある時代であることを、恐ろしい程リアルに理解したのだった。


 私は、ここにいつか戻ってくるつもりでいた。

 今は違う市にいるが、もっと歳を取ったら晩年はここで静かに過ごそうと思っていた。


 ところが、この6月の日の雑草と10月の日の防草シートを見た時には、もうやめようと長年を夢を放棄せざるを得なくなった。


 こんな気持ちの悪い市には住みたくない。

 ここで余生を送るのは嫌だ、と真面目に思ってしまったのである。

 うーん、余生迷子になってしまった。

 晩年の計画がお釈迦である。

 どうしてくれるんだ、大◯市よ。


 嘆いてはみるものの、これからの時代はどこもこんなものなんだろうなぁ。

 今の市がこうならないとは限らない。次の休み(今週末だよ!)に、今住んでいるの市の役所をそっと見にいってみよう、と決意したのである。


 こんばんは。皆様の市は大丈夫でしょうか?

 そっと役所を見に行ってみてくださいませ。

 その変貌ぶりに驚かされるかもしれません。なんて・・


 では、今日も最後まで読んでいただきどうもありがとうございます。


 素敵な時間を過ごせますよう。

 願いを込めて。


 



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