蛇の道を行く江ノ島ウォーキング




 蛇(じゃ)の道は蛇(ヘビ)、ということわざがある。
 同類のもののする事柄は、同類のものには容易に推察できることを言う。餅は餅屋、と同じような使われ方をするが、違うのは、同類の質である。健全な餅屋に対して、蛇の道は蛇の「道」は明らかによろしくない道を示しているのである。

 なんで蛇の道の話を唐突にしているかといえば、先日こんな話を聞いたのである。
 「蛇(へび)」というのは、神話や古代史において、その地に土着する者のことをいう隠語なのだと。(それに対して侵略者は「馬」で表すそうだ) 例えば日本の蛇、といえば、日本人を示している。

 その話を聞いてから蛇に親近感を持ったのであった。神話や古典のみならず、星の王子様という童話でも、地球に降りた王子はまずヘビに出会っている。あれも隠語か。霊の存在である神に対して、おそらく古来から(神の世から)堕落したもの=人間的なもの、の比喩として語られていたのだろう。そういえば、エヴァを誘惑して禁断の果実を食べさせたのも、あれはヘビだった。

 こんな話をすると、ある人は、「人間じゃなくて、蛇は悪魔の比喩だ」と言われるかもしれない。しかし私はそういう人の暗部をも含めて、このこの地に土着し、森を這って生きてきた蛇(へび)に対して、親近感を持った、ということなのである。

 ちなみに「蛇(じゃ)の道は蛇(ヘビ)」のじゃとは、大蛇やおろちやうわばみなど、動物神的な大きな蛇のことを言うらしい。ヘビは普通の小さいヘビである。明鏡ことわざ辞典によると、ことわざの語源は、

「大蛇の通る道は小蛇がよく知っている意から」
「ヘビの通った道は他のヘビもよく知っている意から」

 とある。で、素朴な疑問なのだが、なぜ大蛇(おろちとか)の通る道を小蛇ごときがよく知ることができるのだろう。ことわざの意味通り「同類だから」だろうか。動物神の大蛇と土着民のヘビが同類なのか?
 また、ヘビの通った道は他のヘビもよく知る、とはいかがなものか。だったら「じゃ」の道は「じゃ」とか、「ヘビ」の道は「ヘビ」でも良かったのではないか。「じゃ」の道は「ヘビ」と使い分けているのに、ヘビが通ったから他のヘビも知ってるんだよ、と言われても、そんなわけないだろう、と納得がいかないのだった。

 私は言葉遊びをしているわけではなくて、このことわざがとても意味深いものに思える、と言いたいのである。
 「蛇(じゃ)の道は蛇(ヘビ)」というのは、本当にそのまま、その言葉のまま、のことを言っているのではないだろうか。つまり、蛇(じゃ)の道こそが、蛇(ヘビ)なのだ、と。
  

 
 ここまでで何回「蛇」を書いたか、数えてみたい気分だ。まだまだ出てくる。私の子供の頃の宝物は、「蛇口」だった。正確に言うと、水道の蛇口のハンドル部分、あのメタリックの部品を大切にポケットに入れて持ち歩いていた。
 蛇のことを考えていた矢先に、ふと行きつけの写真投稿サイトで変わった蛇口の写真を目にしたのであった。それで、すっかり忘れていた宝物を思い出した。また、今から30年以上前に、やはりその宝物のことを思い出して、今、それを持っていたらなぁ、と死ぬほど願ったときのことを。

 あれは、中学生のときの、江の島までマラソンの最中だった。暑い、暑い、夏の1日。
 そこから、今日の旅が始まる。私は、思い出を胸に、江の島まで歩いてみようと考えた。
 たとえ宝物は失われていようとも。地を這うように、そうだ、蛇の道を行くのである。




大和市役所本庁舎


 自宅から江の島まで、23kmウォーキングのスタート地点は大和市役所だ。
 ここにも蛇(ヘビ)がうようよいる。まずは、一番蛇の道(じゃ)が遠い(と私が思うところの)蛇(ヘビ)を紹介したい。

 

正面から

正門の道の脇に有名人の手形が並んでいる

女子サッカー日本代表の面々 大和市職員の小野寺志保さん
大和市出身の大野忍さんらの手形モニュメント

こちらは大和市名誉市民、
ノーベル化学賞の根岸栄一さん


大和市の歴史 近代現代

大和市の歴史 中世~近世

大和市の歴史 原始~古代


 大和市役所本庁舎は、完成してから39年の間正門がなかった。つい先日まで、正面入口に行くのに、わざわざ脇から入らなければならなかった。入口の真正面には、車椅子専用のような緩やかなスロープの細い歩道がひとつあるだけだった。(初めて市役所本庁舎に行った時、入口へ続く道をうろうろと探したほどであった)

  なぜかといえば、入口の前の敷地に、木々を植えていたからである。39年の間に育ったのか、それともそれ以前からあったのか、それはそれは見事な桜の木が立っていた。歴代の市長さんはそれら桜の木をおそらく伐れなかったのだろう。正門が正面にないのは明らかにおかしい。が、あの木を伐るのはいかがなものか。大和市役所の歴史の中で、誰ひとりとしてその決定を下せるものはいなかった。

  ところが、今年の春、そろそろ咲いただろうと花見をしに大和市役所を訪れると、その見事な桜の木がバッサリと伐られていた。

 いや、市報(広報やまと)によれば数本の桜の木は台風によって自然に倒れたのだという。(「敷地内の」と書かれてあったから正面の桜かどうかは知らぬ) だから現在の市長は心を決めたのだそうだ。そうして代わりにできたのが、階段付きの真っ白い道路である。

 敷地の整備で原則として樹木は伐採せず、現状を活かした工事になる(タウンニュースより)と書かれていた。私はあの桜の木が別の場所に植え替えられていないかと、敷地内を探し回った。ない。どこにもない。

 桜の木が倒れてくれたから、正門を作ることができた。なので、(ふざけたことに)この正門の通称は「さくら門」というのだそうだ。正門沿いには、歴代市長の碑と、歴代議長の碑が並んでいる。それから、日本女子サッカー代表の面々とか、ノーベル化学書を受賞した根岸さんとか、大和市ゆかりの有名人の手形モニュメントが飾られている。
  そうそう、足利直義公所領の地、などという碑も出来た。これは前からあっただろうか、道脇のやけに目立つところにどんと置いてある。その横には、古代から現代までの大和市の年表と歴史を記した案内版が並んでいる。

  この日はウォーキングのスタート地点に選んだということもあって、桜の木を伐られた悔しさのあまり春には素通りした大和市の歴史の数々を、いちいちじっくり読んでみた。なでしことノーベル賞のばかでかい手形もチェックした。
  それなりに楽しい体験だった。なにせ市役所がわかりやすいのもいい。誰でもいつでもすぐ入れる市民の友の市役所、という素敵なイメージではあった。が、それにしても、今の市長の顔を私は絶対忘れない。なんと見えっ張りな男だろう。よくぞ、大和市の自然を愛する歴史をぶち壊してくれたものである。たかが植込みの樹木のために、人が不便をするという、大和市の慈しみの心の歴史を、一代で汚してくれたものである。




 大和市役所の斜め前に立つ大和中学校の角を曲がって、西に曲がる。すぐに小田急江ノ島線にぶち当たる。ここから、今度は南へ、湘南海岸に向かって線路沿いを真直ぐ歩くのである。

 


晴れているとこの先の方角に富士山が見える

線路沿いの道 牧歌的だ

江ノ島線が通りすぎる

国道246号





 国道246号と東名高速を通り過ぎる。このあたりは、登山で言うとまだ登山口にもついていないあたりである。まだまだ道の先は長い。パンケーキは遠い。

 そうそう、パンケーキの話を忘れていた。私はゴールにご褒美を用意したのであった。馬の目先の人参のようなものである。目標がないと頑張れない。

 江ノ島。パンケーキ。Eggs 'n Things (エッグスンシングス)。

 江ノ島、とググるとすぐに出てきた。ハワイのオアフ島のワイキキで38年間愛され続けている卵料理とパンケーキのお店エッグスンシングスが、昨年の7月に江ノ島にオープンした。山盛りホイップクリームのストロベリーパンケーキが人気なのだという。ストロベリーパンケーキ目当てに、大の大人が行列を作る。おかしなものである。
 江の島まで22キロメートルも歩けば汗をかくだろう。私的には甘いものよりも塩分たっぷりのラーメンでも食べたいと思ったが、たまにはみんなが欲するものを食べてみるのもいいだろう。それに、生クリームたっぷりのストロベリーパンケーキの写真は、あまりにも美味しそうだった。絵に負けた。馬のにんじん、いや、ウォーキングのご褒美をパンケーキに決定する。

 私は英語の教材を聴きながら(線路沿いの煩くて人通りの少ない道なのをいいことに)時折妙な発音の英単語を口にしながらのんびりと歩いていく。  湘南クッキーなる自動販売機を見つけた。よほどネタに買ってようかと思ったが、なにせゴールで大量の生クリームが待っている。カロリーは消費はしておいても、摂取するべきものではないだろう。

  と、言いながら、私はこのあと、所々で休んでは、パンや菓子を食べ、自販機の飲料水を飲んでしまうのであるが。








小田急大和駅北


かつて相鉄線の線路が地上にあったところ
いつのまにかなでしこ広場と名付けられている


歴代小学校跡地を発見

現在は公園 ここで休憩する



 大和歴代小学校の跡地で初めての休憩を取る。まだ歩き始めて1時間も経っていない。最近「痛み止め」と名づけている煙草を一本吸う。自分の中ではモルヒネ扱いなのだが、一般的には吸うと余計に体調が悪くなる。で、この時も半分ほど吸ったら気分が悪くなってきたので、すぐやめて、また歩き始める。効果なしだ。

  健康に悪い煙草が「痛み止め」というのもどうかと思う。が、煙草を吸う人は心に痛みを感じやすい方が多い。ニコチン中毒というより、あれは鎮痛剤と言ったほうが正しいのではないかと思うのである。
 とは言っても、煙草に限らず、痛み止めはどこにでもある。ある人にとっては、食べ物が痛み止めだったり、お酒が痛み止めだったりする。あるいは、本だったり、高価なブランド品だったり、恋愛だったりするかもしれない。要は依存具合なのだろうか。それも違うようだ。依存云々以前に、痛みを持った時に、人が必ず必要とするものは誰しも多かれ少なかれあるように思う。たまたま私の場合は、煙草をそれと呼んでいる、というだけの話だった。

  (想像するところでは、今日の私の人参であるストロベリーパンケーキもモルヒネである)


  小学校跡地は、緑に囲まれた穏やかな場所であった。私は小学校時代のことを思い返している。
  「痛み止め」などいらない平和な時代だ。いやそうではなくて、「それ」はもっと原始的で、本質的なものだった。

 当時の宝物は、水道の蛇口だ。私の大切なもの。水道の蛇口のハンドル部分、あのメタリックの部品を大切にポケットに入れて持ち歩いていた。
 当時は夏の飲み物といえば、冷えた水道水だった。(コカ・コーラとかカルピスや三ツ矢サイダーが当たり前に飲めるようになるのは、もう少し大きくなってからのことだった) また当時は(今も?)公共の水道は誰もが勝手に水を使用できないように、蛇口のハンドルを取り外しているところが多かったのである。
  だから蛇口のハンドルを手に入れたときは、まるでドラえもんのどこでもドアやタケコプターを手にしたような気分だった。いつでもどこでも水が飲める魔法の道具と映ったのだ。
  実際、その宝物を使う機会はほとんどなかった。いつでもどこでも、といっても小学校低学年なので、そう遠くへ出かけない。遠いといえば、湘南台公園くらいである。
 湘南台公園というのは、私の住む大和市と藤沢市の江の島までを繋ぐ国道467号線沿いにある大きい公園で、子供たちのオアシス的な場所である。自転車に乗って、友達とよく出かけたものだ。  湘南台公園は、私たちの秘密基地のようなものだった。




UFOにピエロ?不思議で懐かしい遊具が残っている
 

 しばらく歩くと、こちらは懐かしい遊具のある公園を発見する。こういう小山に登るタイプで、子供たちが隠れるスペースがある大きな遊具は、最近なかなかお目にかかれない。危ない、という名目で、次々と失われていっているのである。
  写真を撮っていたら、天辺のピエロの顔の中で話し込んでいた子供たち(中学生だった)が逃げてしまった。危険な大人が来たと思われたのだろうか。悪いことをしてしまった。

  私が子供の頃も、こういう遊具で遊んだものである。小山に突き出た石を掴み、天辺まで登ってはまた降りていた。湘南台公園にも最高にイカした遊具があった。子供向けの、今で言うボルダリングのようなかっこいい遊具が。だが現在は当時の遊具は跡形もない。秘密基地とは程遠い、健全な(幼児向けの)遊具広場があるだけである。




正面の歩道橋のある道が国道467号線

歩道橋の上から
桜株というバス停が見える

 
桜の根元

桜ヶ丘の桜並木


  桜ヶ丘駅が見えた。すぐ手前で線路沿いの道から逸れて、国道467号へ移動する。(下の写真)歩道橋を上ると、江の島まで繋がっている国道467号線が見渡せるだろう。道なりにしばらく歩けば、湘南台公園も見えてくるはずだ。

 桜ヶ丘に、桜株バス停。桜にちなんだ地名だけあって、このあたりは桜の木が多い。国道467号線沿いは、隣駅の高座渋谷までずっと桜の並木が続いている。

 高座渋谷の福田交番前で足を止めた。 懐かしい。またしても、別の記憶が蘇るのである。



福田交番前


 高座渋谷駅の裏手に、かつて私が通っていた渋谷中学校が建っていた。(現在は商業施設が立ち並んでいる)その渋谷中学校に在籍している時に、たしかあれは2年生の時だった、ハンドボール部の面々で、この福田交番前の交差点をスタートとして「江の島マラソン」を敢行したのであった。
 ソフトボール部の企画をハンドボール部の顧問の先生がパクったのだ。たしか、江の島まで25キロメートルを走ろう! という触れ込みだったと思う、が今考えると、福田交番前から江の島までは14キロメートル程しかない。何だったのだろう、あれは、私の記憶違いか、それとも往復で25キロメートル、という話だったのだろうか。それにしては、江の島まで走った後の帰りは電車だった。顧問の先生が私たちに切符を買ってくれて、汗と泥だらけの運動着姿で、江の島線に乗ったことをよく覚えている。照れくさい思いがした。そして、25キロメートル走るのはさすがにしんどいなぁ、としみじみ思ったこともよく覚えている。 あれは随分暑い、夏の1日だった。











 
 湘南台文化センターの地球儀のような屋根が見えると、湘南台公園はすぐそこである。あの日と同じように、暑い1日だった。私は吸汗速乾Tシャツと短パンという格好である。いざとなったら走れるように。日暮れまで時間が足りなくなったときのために、軽装かつ最小限の荷物だったが、それでもトレイルランニング用のバックと水筒だけでも目立つ。ありがたかったのは、国道467号の所々で、同じようなランニング用の格好をした、リュックを背負った目立った方々に出くわしたことだった。江の島まで歩こう、走ろう、と思う人は意外と多いようだ。恋人同士、夫婦連れらしき人たちもいた。単独の方もいらっしゃった。どちらにせよ、彼らはあっという間に私を追い越して行ってしまったが、それでもどれだけ心強い思いをしたことか。

 湘南台公園を感慨もなく通り過ぎた。緑が多くて、緑の中のベンチも多くて、とても素敵な癒しの公園なのだが、遊具広場に関しては納得のいかないものがある。今の子供は、あれでは可哀想だ。


 ところで、湘南台公園に通っていた頃、宝物を手にした私は、とても大胆になった。蛇口のハンドルがポケットにあるだけで、安心した。
 もう喉の渇きで苦しむことはないだろう。どこへ出かけても、たとえどんな意地悪をされても、(世界中の水道の蛇口からすべてのハンドルが取られていようとも)この宝物さえあれば何の問題もなかった。

 とは言っても、実際の私は、湘南台公園に行くくらいである。また不思議と、蛇口のハンドルを手にした途端、それを使うシュチュエーションに遭遇することもなくなった。蛇口のない水道を見かけなくなったのだ。見かけてもその時は水を欲していなかったりした。
  だから実際、私の宝物が使い物になったのかどうかは、今でもわからない。(サイズがいろいろ違うのだろうから)ただ、心に羽が生えたような思いを存分に味わったというだけの話である。

  たかが水道の蛇口のハンドルで安上がりなものだ。あの宝物を手にした夏の日の幸福感を思い出すと、微笑ましい思いさえする。
 蛇という一文字が入った宝物のくせに、餅は餅屋的に健全である。ちっとも悪の道の匂いはしない。だから水が痛み止めであり、モルヒネだった、というのはいささか失礼な話だろう。
 ただ貪欲に求めていただけなのだと思う。


  この宝物の蛇口のハンドルと、夏の日の幸福感を唐突に思い出した。今日ではなくて、30年も前の話にまた戻る。中学生のときの江の島マラソンの真最中である。
 今日と同じように、もしくは宝物を持っていた子供の頃と同じように、国道467号線を走っていたときに、私は近年めずらしいくらいに心底、喉の渇きを感じたのであった。

 走りながら、何度も、何度も、水を探した。自動販売機が恨めしかった。いつもなら簡単に飲めるというのに。こんなにいっぱいあちらこちらに立っているというのに。売るほどに飲み物はあるというのに、一滴も口にすることはできない。学校の部活動の一環なので、お金を所持していなかった。たとえ持っていても、まさか部活のマラソンの途中でジュースなど飲めるはずもない。そんな当たり前のことがこのときはやけにつらかったのである。

 暑い1日だった。何も持たず、親友に抜かれて、それでも、ただ、愚直に、県道467号線を江の島に向かって一直線に走り続けた。そう、トップで走っているときはまだそれでも良かったのだ。中間地点の六会(むつあい)駅を越えたあたりから、副部長の友人に抜かれて、(私は部長だった) 別の部員の友人にも抜かれて、心に焦りを感じ始めた頃。心が乱れると、不思議と疲れも増すものである。夏の日差しは容赦なく突き刺さり。プライドはひしゃげて。カッコつけてもいられなくなって。どこかに水はないだろか。喉は干上がって、どこかに水はないだろうか、と歩道の商店や民家の軒先にある水道の蛇口を見やっている。ところが、ハンドルがない。

 私は恨めしい思いで、その捻れない蛇口を見つめて、思った。あの時の宝物があればなぁ。
 とうの昔に、それは失くしていた。今思うと、どうして、その宝物を手にしたのか、その経緯さえ覚えていない。    


 

疲れを感じ始めた六会

ちょくちょく見かける荒野のような畑に「日本を取り戻す」の看板

善行に到着

奇妙なサボテン屋


白旗神社


 
江の島までついにあと6キロメートル



 (写真上)江の島まで6キロメートルと書かれた標識が見えた。あと少しである。日暮れの景色を江の島で見たかったが、どうやら間に合いそうもない。それでも、ここまでくればリタイヤはありえなかった。
 次回は鎌倉までいけるのではないか。いや、それとも、次回はタイムを短くして歩いてみたらどうか。ウォーキングではなくて、ジョギングにしてもいいかもしれない。出来ることならば。
 お財布と行動食を持たず。あの子供時分や学生時代と同じように、何も持たずに、愚直に道を行くのもいいと思う。

 蛇(じゃ)の道は蛇(へび)。蛇(じゃ)の道こそが、蛇(ヘビ)なのだ。

 また死ぬほど水が飲みたくなるだろうか。原始的に、本質的に。蛇の道を求めるように。

 


 水道に「蛇」の文字が使われるようになったのは、まだ家庭の蛇口も存在しない、ずっと昔のことだった。
 明治20年頃、イギリスの水の神を表すライオンの形の共用栓が広まった。獅子頭共用栓だ。ライオンの頭を形どったイギリス製の共用栓、この街なかに設置された共用栓から、人々は水を汲んでいたのである。日本最初の近代水道は、獅子頭共用栓を用いての配水から始まった。

  後に、獅子頭共用栓は国産化されるようになった。その際、日本の水の神である「龍」の形の共用栓が生まれるのである。
 龍の形の共用栓は、初めは「龍口」と呼ばれたが、水神の龍では恐れ多いということで、架空の龍のモチーフであった蛇という名前が採用された。そうして、龍の形の蛇の共用栓、いわゆる「蛇体(じゃたい)鉄柱式共用栓」が誕生したのである。

 家庭に水道が敷かれた際もこの名称は引き継がれ、「蛇体」から「蛇口」と呼ばれるようになった。

 あくまでも、「蛇(ヘビ)」ではなかった。水がもたらされるところは、蛇(じゃ)体であり、蛇(じゃ)口であった。
 蛇の道を行く私たちにとっては、当然の導きだったのかもしれない。





境川を超える この川の先が江の島だ

藤沢北口6分の蔵まえギャラリー

藤沢市藤沢 遊行通り






藤沢市民会館 ここで最後の休憩





片瀬山入口

境川



諏訪神社

江ノ電 江ノ島駅


境川河口と江ノ島海岸

お土産屋さんで

お土産屋さんで

お土産屋さんで

小田急江ノ島駅 iPhoneで

紀伊国屋さん お風呂はいれます


江の島もやっと見えた

着きました Eggs 'n Things

何も繋げず犬と散歩している



ハワイで栽培されるコナコーヒー 酸味があって美味しい

ストロベリーホイップクリームとマカデミアナッツのパンケーキ

iPhoneで加工した写真
ソースは三種類 メープルシロップが美味しかった





片瀬江ノ島駅

家まで運んでくれる電車 今日もさようなら







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