雲取山、マイノリティリポート。後編
こんにちはー 雲取山からボロボロになって帰ってきた著者です。
雲取山編は前編がありますので、宜しかったらそちらを先に読んでくださいね。
では、後編行きまーす。
写真上、雲取山荘の夕ご飯。
雲取山荘はまだ時間が早いこともあったのか、ずいぶん空いていました。てんくらで直前まで雨予報(登山Cランクの天気)だったので、キャンセルが出たのかもしれませんね・・。
私が管理人さんの塩対応に尻尾を巻いて逃げ、部屋にこもった後、しばらく経って相部屋の女子がやってきました。山頂であった子とはまた別の異国の方でした。旧ユーゴスラビア系のようなロシア系のような外国人で、彼女は部屋に入るなり、ビールと酒のつまみをばら撒いて、慌てて拾っていました。どうやらこれから酒盛りみたいでしたね・・
「荷物置いて、すぐ出て行きます」とのこと。「荷物はどこに置けばいいですか」
「どこでもどうぞどうぞ」と私。
一番奥の場所に置いて、そそくさと出て行きました。山荘前のベンチで友達が待っていて、(友達がいるのになぜ一人で山荘に泊まっていたのかいまだに謎です)5人くらいで酒盛りとバーベキューが始まりました。なかなかの煩さでしたが、とても楽しそうでした。
写真下、翌日朝4時30分頃の東の空。全く何も見えず。
「日本に住んでいて、旅行で(雲取山)に来た」と言っていましたけれど、それなりに若いし、明るくて有能そうですし、深い感慨でしたね。こういう子が同僚になったら、外国人の方と比べられる(競争しなければならない)未来はもう既にやってきているわけだなぁ、と。労働力の自由化というのでしょうかね。散々私が反対していた例のTPPの影響です。
その子がまたなかなかの塩対応だったわけですよ。夕ご飯の時にも席が隣になってしまって、それを忌々しそうな顔をするわけです。「お茶を飲みますか」と注ごうとしたら、「いいです」と冷たく一言。
前に座っていた男性のアメリカ人(こちらも見た目はチャイニーズ)がその後、「オ茶イレマスカ?」と聞いた時は、「いいです。ありがとう」とお礼を添えて断っていましたけれどね・・
「動物何カ見マシタカ?」とアメリカ人。
「鹿と猿を見ました」と私。
「ワタシモ見マシタ!」
「熊は見なくてよかったですね」と私のジョーク。アメリカ人笑う。
すると、間髪入れずに「こんな安全なところにいるわけないじゃない」と笑いながら会話に参戦してくる女子。
顔は笑顔だけど、なかなかの悪意を感じました。
全部が全部そんな調子で、塩対応なんですよねー。嫌われてしまったのかな、同じマイノリティとして、1日傷付いた後だったので、その子とは仲良くしたかったのですが、全く会話が噛み合わず、残念でした。
その子はまた友達との楽しい会話に戻ればいいけれど、私たちはここだけしかない。貴重なお食事(唯一の食堂開放時間!)だったので、出来れば、楽しいひと時にしたかったなぁ。
写真上、雲取山荘はヤマオダマキが咲いていました。
そして、彼女は、夕飯の時以外は部屋に来ず、消灯の時間近くに帰ってきたようですが、私はもう寝ていたので、話はしませんでした。朝も私が早く出てしまったので、結局それきりになってしまいましたが、あれですかね。マイノリティって私が思っているだけで、日本で暮らしている外国人って、よそ者の認識はもうないのかもしれないですね。こちらが勝手に(格差的な立場を)同情しているだけで、むしろあっけらかんとしてるのかもしれない。
その割に、外国人同士でばかりつるむのはなんでなんでしょうかね。酒盛りも、外国人5人で盛り上がっていましたし、あの場に私を入れてくれる、なんていうことは死んでも起こり得ないことだと思います・・・
これからの日本に生きていく若い子達は大変だろうなぁ、と思いました。
(もうすぐ定年のご老体でよかったです・・)
写真上、なかなか険しい道だった帰りの三峯神社コース。(雲取山荘から北に降りて、大ダウ白岩山、前白岩山、お清平を経て、霧藻ヶ峰から三峯山へと向かう)
翌日は三峯へ向かうというアメリカ人に(そもそもこの方と巡り合わせたこと自体)神仏からのメッセージを感じて、私も三峯コースに降りることにしました。どちらに降りようかずっと悩んでいたのですよね。足も痛かったし緩やかな鴨沢コースで「諦めようか」と思っていたのですが、同じコースをピストンというのは、ちょっぴり残念すぎます。わざわざ東京の山まできてに、ひとコースだけしか知らない、というのは・・。それに、三峯コースの方が早く下山できると踏みました。猫を待たせているので早く帰りたい。
なので、三峯神社への道を粛々と降り始めたわけですが、これが鴨沢コースと全く表情が違うのですよね。
写真下、霧が出てきて、天気も暗くなってきた。
いやぁ、三峯コースにして正解でした。
ここを歩かなければ、東京の山は大したことがない、と思ってしまうところでした。三峯山へ向かうコースはそこそこの難易度で、冬は滑落する方も多いそうです。アップダウンがあり、途中で小ピークが何度も楽しめます。鴨沢コースとまた違って表情豊かですよね。
ピークの一つの、霧藻ヶ峰も着いたときは砂漠の中のオアシスのように感じましたよ。
この哀しいマイノリティリポートのような旅で、唯一、味方だと思えたのがアメリカ人の青年(見た目チャイニーズ)だとしたならば、唯一、希望だと感じられたのが、霧藻ヶ峰の山荘のご主人でしたね。
アメリカ人とは、その後、霧藻ヶ峰の山荘と、三峯神社の入り口でばったり出会い、いろいろな話をしました。好きな本とか著者とか。おすすめの山とか。
そして、霧藻ヶ峰のご主人、若い頃から山に取り憑かれて、いろいろな山に行かれたそうです。その方が、こう勧めてくるわけですよ。
「あきらめないで、目標は大きく持った方がいいですよ」
私が北アルプスの穂高(ご主人のおすすめの山)が無理だと言ったら、そう言って励ましてくれるのでした。「登山はスポーツです。あの道のりの長い丹沢を月2回くらい登られているのならば、登れますよ。北アルプスでも登りやすい山はあります」
常念岳とか、燕山とかね、大丈夫でしょう、そうして穂高や槍ヶ岳も。
諦めなくていんですよ。登り口や行程によっては登れます。目標にしていいのです。
それから山の非常食の話も詳しく教えてくれました。
「氷砂糖と、蜂蜜と、干し芋を持っているといいですよ」
氷砂糖は水の代わりになり、蜂蜜は糖分、干し芋は動けない時に口に入れて舐めているといいのだそう(胃に溜まるそうです)。
写真上、岩場が多い三峯神社コース。
写真下、霧藻ヶ峰の山荘で飲んだホットコーヒー。雨で冷えた体が温まりました。
霧藻ヶ峰を無事降ると、あっという間に1時間程で三峯神社に着きました。なんとなく、遊び足りなく感じたほどでした。奥宮に寄ってくるべきでした。
旅の終わり。アメリカ人は最後まで爽やかでしたね。「ジャア!」と手を挙げて、お別れの合図をくれました。
そして、週末になると霧藻ヶ峰にきているという、私の想像するマイノリティの代表のような気の優しい、本当に力のある(本物を知っている)ご主人。どの山のことも詳しかった。私のようなものにも本当に優しかった。(30分くらい話してしまいました)たくさん励ましていただきました。
こんなマイノリティになれたらいいなぁ、なんて思いましたね・・
世間に靡かずとも、穏やかに、優しくいつもそこに在り、弱きものにも励ましを忘れずに・・
そんな本物の強い人間。
そのためにも、穂高や槍ヶ岳は無理でも他の山は頑張って登っておきたいな、と思いましたね。
まずはこのずきずきと痛む足をどうにかしなくては。
(痛む心の方は、上のお二人のおかげでかなり癒されましたが)
写真上、秩父宮両殿下のレリーフがありました。
写真下、地蔵峠のお地蔵さん。
家に帰って足を見たら、豆が潰れて、ずる剥けになったところがまた擦れて、血が滲んでおりました。悲惨といえば悲惨な状態でしたね。高い靴、立派な登山専門店の店員さんに勧められた靴。そういうものが良いとは限らないと、高い授業料になりましたが、教えていただいたような気がします。自分でAmazonで選んで買ったマムートが恋しかった。
なんで信じてあげられなかったのだろう。
もしかしたら、マイノリティを一番馬鹿にしてるのは、自分なのかもしれない。
これからは、値段とか、有名店にはこだわらずに、本当に足に合う靴を見つけていきたいと思います。そして、見つけたら、自分の選択を信じてあげようと思います。
写真下、霧のためよく見えなかった三峯神社、山門まで行きましたが、そこで帰ってきてしまいました。写真は、案内板のものです。
帰りは猫が待っているので大急ぎで帰りました。
西武秩父から特急で池袋へ。
写真下、立派なライナーに乗ってしまいました。窓が大きい!
というわけで、雲取山編は終了です。
総括です! 鴨沢コースは本当に登りやすい登山道でした。緩やかな林道がずっと続きます。こんなに楽な登山でいいのかな、と思うほど気持ちのいい道が続きます。そして、三峯コースは・・ こっち結構険しいです。岩場が多くて、表情豊かな登山道です。滑落には十分お気をつけください。
初めての東京最高峰、植林が多く、ブナがほとんど見られなかった(ブナを思い出せないです、ごめんなさい)のが残念でしたが、都や県を上げての植生回復中の森は、とても穏やかで綺麗でした。またぜひ伺いたいと思います。
そして、霧藻ヶ峰には新しい登山の旅のご報告に行きたいです!
最後まで読んでいただきどうもありがとうございます。
素敵な休日を過ごせますよう。
願いを込めて。