人生の中の桜というもの。〜雨の日に檜洞丸から蛭ヶ岳山荘を訪れる〜
丹沢のラスボスと言われている蛭ヶ岳に行ってきた。
久しぶりの、蛭ヶ岳山荘泊だった。
初めての、西丹沢の檜洞丸からのアプローチだった。
そして、めずらしく、雨の日の登山だった。
この日の登山の意味を、自分なりに考えて、答えを見つけようとしているのだが、道中も、山を降りた後も、さっぱり見つけられなかった。
あの登山にどんな意味があったのだろうか・・・
写真下、檜洞丸の登山コースの標識。誰も歩いてやしない。
あの登山に何の意味があったのか。
いや、意味が何もないと言いたいのではない。むしろ盛りだくさんすぎて、的を絞れないと言う感じだろうか。
と言うのも、檜洞丸から蛭ヶ岳の登山道は難易度の高い上級者コースなのである。体力と技術をよくよく自己判定して確認してから利用するようにと神奈川県がいたるところに標識を貼っている。
だから、難易度の高い道中がさらに悪天候により難易度が上がったわけで、天から試されているような思いもしたのである。
お前に登れるかな?
私は檜洞丸から蛭ヶ岳の道中の予習に時間を費やし、天気予報と睨めっこをしていたが、悪天候だけは変わらなかった。
(一応山の天気予報、通称『てんくら』的には当日の午後からA判定になったが、道中では全く晴れず、ずっと雨が降っていた)
上級者向きなのは、檜洞丸から蛭ヶ岳のコースのみで、檜洞丸の登山は比較的難易度は高くないのだが、それでも雨のせいだろうか、私的には、かなり厳しく感じられた。
滑りやすく、視界が悪い。そのため、いつもより、行程が長く感じられたのだった。
途中に展望台(展望園地と呼ばれている)があるのだが、そこが山頂までのおよそ半分の距離なのだが、その展望園地になかなか辿りつかない。途中、夢想まで見てしまった。何度も着いたような気分になって、実際はまだ着かなくてがっかりする、という。
思えば、ひとっこ一人いない登山道で、おばさん一人が道の先に途中経過ポイントの幻想を見て喜んだりがっかりしたりしていると言うのは、なんとも痛々しい様相である。
先が思いやられる登山ではあった。
ところがだ。そんな悪天候と苦戦する私を助けてくれたのは、小さな花たちだった。
豆桜が至る所に綺麗に咲いていたのである。
登山道に花びらを見つけ、上を見上げて、桜の花を見るたびに、心に灯りが灯るようで、幾度となくパワーをいただいた。
苦しい登山は苦しい人生に通じると思う。
そんな時に、花を見ると、人は頑張れるのだなぁ、と思ったものだ。
檜洞丸から蛭ヶ岳までの未知の道は、終わってから思うと、けっこう険しかったと思う。ところどころ道が崩壊しかかっていたし、鎖場もしつこく長かった。あれでは神奈川県が至る所に黄色い標識を立てかけるのは、仕方がないことだと思われた。
桜のおかげで、無事、檜洞丸まで辿り着いた。
次は、未知の領域、蛭ヶ岳までの道中だ。
幸い、少し晴れ間が出てきた。お昼ご飯も食べてパワーもついた。
タイムテーブル的にも遅れていない。むしろ予想より早く進んでいるくらいだった。
私は気分を良くして、蛭ヶ岳に急いだ。
だが、私的にはやはり花に救われた。檜洞丸までの道中よりも、花が増して、足元にも灯りが灯り、見上げれば桜が揺れて、それは美しい登山道なのであった。
天気が悪いのも幸いした。数日前に仏果山から経ヶ岳のナイフリッジ(痩せ尾根)に怖い思いをしたが、今回も痩せ尾根の真横が崩落していたり、足元の悪い岩場を登ったりと、怖い箇所はたくさんあったのだった。ところが視界が悪く、途切れた道や岩の真下の景色がよく見えない。
そして、目的地までの遠い遠い道のり・・ラスボスの蛭ヶ岳が全く見えないのだった。これが幸いした。
私は花だけを見て、険しい道のりをやり過ごした。
と言うのも、恐ろしい登山道の至る所に、やはり花びらが落ちているのである。
小さな花が咲いているのである。
視界が悪く見えないのを幸いに、全てを見ないことにして、私は花だけを見て、登山を続けていたのだった。
山道と人生をつい重ねてしまう私である。
これはいいことなのか、悪いことなのか、何度も疑問に思った。
花だけを見て、苦しいことを見ないで、そんな人生ってどうなのだろう。まるで、頭の中がお花畑の人みたいにならないものだろうか・・・
これでいいのだろうか。
そう思いながら、私は花たちのおかげで、無事に、蛭ヶ岳に到着した。
それだけは確かだった。
険しい道のりも、孤独な登山も、へっちゃらだった。
花の威力はすさまじい。
道端に咲く花。小さな揺れる豆桜。
これらを人生に例えると、そのままの通りの花でいいのだろうか。
何か比喩的な意味があるのだろうか。
どうにか今回の登山に意味を見出したい私は、そんなことを考えたりもしたが、意味をつけるのは無粋なような気もしている。
花に助けられた、そのままでいいのかもしれない。
写真下、帰りの丹沢山の仏像。
蛭ヶ岳山荘では、なんと西丹沢ビジターセンター(檜洞丸の始点)行きのバスで一緒だった登山者の2人組と一緒になった。
彼らも、檜洞丸から蛭ヶ岳に向かっていたのだそうだ。人っこ一人いない登山道だと虚しく思っていたが、誰かがちゃんと一緒に歩いていたのだなぁ、と少し頼もしく思った。
一人ではなかったのだ。
まず、檜洞丸から蛭ヶ岳の今日の道のりはとても辛かったと言うのだった。(北アルプスや南アルプスの道のりよりも)「今日の方がきつかった」とおっしゃられていた。
これはとても貴重な認識だった。私は人気のアルプスの山に行けていないので、ずっと引け目に感じていた。
ところが、彼らは、この道を行けるならば、標高3000m近い山も全然登れる、と私の体力の太鼓判を押してくれたのだった。これがとても嬉しかった。
写真上、帰り未知の蛭ヶ岳から丹沢山へ向かう途中の雲海。
写真下、蛭ヶ岳山頂から朝の眺め。これから向かう塔ノ岳が左手に。富士山は見えず。
丹沢の登った山を聞かれて答えたりしていると、
「じゃあそろそろ丹沢は卒業でしょう」とアルプスの山々を勧められた。
それで私もいい気になってしまった。
蛭ヶ岳山荘に泊まるのは2回目だが、相変わらず故郷に帰ってきたような居心地の良さで、ご飯は美味しく、追加の差し入れのおかずが出たり、みんなで楽しくおしゃべりをして、あっという間に就寝時間前になってしまった。
ところが、朝になると、昨日の2人組の登山者の方が一変して冷たく感じられるのである。
あまり話をせずに、挨拶もそこそこにお別れてしてしまった。どうしたのだろうか。少々残念だった。
これは私が調子に乗りすぎて、丹沢卒業だなんて思ったので、バチが当たったのか。
個人的に何か失礼なことを言っただけかもしれないが、全てに意味があると思うたちなので、丹沢の山々からしっぺ返しを喰らったのかもしれない、などと思ったりもした。
まだまだ丹沢で修行しないとダメなのかもしれない。
写真上、今どき珍しい木の道標。
写真下、丹沢山からの道のり。これから向かう塔ノ岳を見上げて。
まぁ、色々と辛いことも、思い悩むこともあったが、それでも楽しい旅だった。
蛭ヶ岳山荘で、2年前に引退した元小屋番の東城さんが遊びに来ていて、思わず私は聞いたのだった。
「山とはなんですか?」
東城さんは真面目な顔をして言うのだった。
「人生の学びそのものですよ」
思わず納得させられた人生の先輩からのお言葉だった。
そして、山荘の皆さんに笑顔で送り出していただいて、無事に最後の山頂塔ノ岳へ。
この塔ノ岳の今時珍しい木の標識(写真下)が好きだ。これだけは変わらないでほしいが、そのうち変えてしまいそう、神奈川県。蛭ヶ岳の山頂の標識も変えてしまったしなぁ。
変化に対応しろ、と言うのも山からの教えなのかもしれないが。
写真下、少し隠れているが、檜洞丸(左)から蛭ヶ岳(右)までの山々。
少し山はお休みしようかな、と思いつつ、今回の登山の報告は終了である。
それにしても、桜が綺麗だったなぁ。
過酷な旅を打ち消してくれる桜のようなもの。
それは希望なのかもしれない、と今ふと思った。
そんな小さな希望を見つめて、生きていきたい。
では、最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
素敵な時間をお過ごしください。
願いを込めて。