山伏と道迷い。〜続・山で人に道を聞いてはいけない〜 仏果山から経ヶ岳登山日記。

 

 高取山、仏果山、経ヶ岳に登って来た。

 宮ヶ瀬ダムのすぐ近く、丹沢山塊の最東端に位置する低山だ。

 高取山705m、仏果山747m、経ヶ岳633mと似たり寄ったりの標高なので、実を言うと、けっこうナメていた。

 上りは少ないし、(400m程しか登らない!!)水平距離も10km程度だ、楽勝だろうと。トレーニング程度にと、軽い気持ちで出かけたのである。

 ところが、これが、思いがけず大変だったのである。






 まず初めに大前提として、道のりを説明すると。

 仏果山〜経ヶ岳の登山は様々なルートがあるが、私が今回選んだのは、仏果山登山口から宮ヶ瀬越に出て、高取山と仏果山に行き、仏果山から半原越方面に出て経ヶ岳へ登り、下りは半僧坊前バス停に出るというコースだ。(写真上)




 バスを降りると、宮ヶ瀬ダムが目の前で、なかなかの景観だった。気分を良くした私は、サクサクと宮ヶ瀬越まで登っていき・・このあたりは良かったのだが。

 何が大変だったのかというと、まず初めに低山なので、暑かった。
 次に、虫が多くて困った。ハエや蚊のようなものがウヨウヨしていて休む気になれない。また、ヤマビルやダニが怖くて、足を止めたり荷物を置いたりができない、というかしづらかった。
 次に、トイレがなかった。低山には途中にトイレなんて洒落たものはないのである。




 そんなことから、ずっと行動を制限されているような不快感があった。これが意外と体力を消耗したのである。

 それから次に、痩せ尾根が怖かった。ナイフリッジと呼ばれる尾根のすぐ真横が直滑降に落ちるような道のりが低山のくせにめちゃくちゃスリル満点なのである。

 この辺りは、昔は山伏たち山岳修験者の修法の霊場であったそうだ。私は山伏たちがこの空恐ろしい尾根を、修行と称して、ぴょんぴょんと駆け上がっていく様が目に浮かぶようだった。そうして、なんとなく忌々しく感じてしまい・・・

 それで、ふとびっくりしたのである。

 

 
 そうか。修行者の霊場というと聞こえはいいが、昔は、社会に馴染めなかった異端者たちのセーフティネットとして、山は存在していたのかもしれないな、なんてふと思ってしまったのである。

 必要な時だけ里(社会的な場)に降りてきて、あとは山に戻れば(隠れれば)、安心されるような人というのは確かにいたかもしれないな、などと。とても失礼なことを想像してしまったのである。

 仏果山、経ヶ岳の修行の道は、大山に通じていて、つまりは大山が頂点のヒエラルキーが存在していたようなのである。
 私は先週登った大山を想像して、大山よりも小さく低いこの山の山伏たちのことを、ちょっぴり可哀想な存在として、想像してしまった。





 彼らとて、低山ゆえの苦労は色々とあっただろう。

 そして、最後に私が困ったのは、道がわかりにくかったのである。




 写真上、高取山へ向かう途中の道が桜の花びらで埋め尽くされていた。見上げると、新緑まじりの桜の木があった。

 写真下、高取山から仏果山(中央右手)を見る。意外と遠く感じる。




 私は2回ほど道に迷いかけた。
 一度目は、仏果山から経ヶ岳に向かう道がわかりにくかった。「関東ふれあいの道」を行けば経ヶ岳に行けるのは地図で見ていた。
 ところが、別方向の半原バス停方面も関東ふれあいの道との標識があり、そちらに向かってしまったのだ。関東ふれあいの道だからあってるだろう、と思ってしまった。ところが、正規ルートは、半原越の関東ふれあいの道であり、微妙に違うし、関東ふれあいの道はたくさんあったのである。

 こんなややこしい名前をつけたのも、惨めな山伏たちの意地悪のように思えてしまうから不思議である。山伏たちは何も関係ないというのに。




 写真上、仏果山の標識。

 写真下、高取山も仏果山も愛川町が作った見事な展望台が備えられていた。一番最後に展望台から撮った動画を貼り付けたので良かったら見てください。




 そして2度目は、経ヶ岳から半僧坊前のバス停に出る道がわからなかった。
 田代方面、と書かれているのだが、半僧坊方面が田代と一致しなかったのだった。

 これはYAMAPを見て解決した。




 困ったのは一度めの迷子の時だ。私は別方面に降り始めて、何かが違うと感じていた。こんなに降るのは町へ降りている時だと直感で思った。

 すると、ちょうど下から登って来た方がいたので、にこやかに挨拶したあと、さりげなさそうに聞いたのである。「こちらは経ヶ岳方面でしょうか」

 すると、その方、今思うと、経ヶ岳の道のりを知らなかったのだろう。

 「そうですよ。あ、違います。経ヶ岳はあっちなんですよね」と高取山を指差して、「一度仏果山に戻らないといけません」





 写真上、仏果山から見た経ヶ岳(多分)、高取山とは全く違う方向です。

 わたくし、ちょっと考えて、高取山を経ヶ岳と教える方のことを信用することはない、と思ったものの、やはりここで冷静になり、地図を取り出し(スマホに入れてあった写真)、正規の道のりと、YAMAPで見る自分の現在地の違いをはっきりと認識した。

 それで、仏果山の山頂に戻ったのである。無駄にした時間40分・・・

 そして、山頂には、先ほどの方が待っていた。

 「どちらから登って来たのです?」にこやかだが詰問するようにいうのである。




 「宮川越」じゃなくて、「宮ヶ瀬越の・・・」私、しどろもどろ。

 口下手なので、いつも苦労するのである。自分の道のりを説明できない。それでナメられたのか、またしても、高取山のルートを教えてくる男性の方。

 「・・それ、高取山ですよね・・」とついに言ってしまった。




 
 すると、にこやかな顔がキッと変わって、

 「ああ、私勘違いしていました。◯◯行って、◯◯行って、◯◯で、その◯◯の反対側に行くとあるんですよ!」とものすごい早口でルートを説明し始めたのである。

 ほとんど聞き取れなかったが、宮ヶ瀬越の反対側だけ聞き取れた。
 私は宮ヶ瀬越から来たのだから、そんなルートがないことだけはわかった。


 こんなおばさんが万が一遭難しても痛くも痒くもないんだろうなぁ、こういう方もいるんだなぁ、という衝撃。

 嘘の道のりを(本当に勘違いしているのか不明だが・・)こうはっきりと、人に教えられる人がいるという衝撃。

 「わかりましたー!!」とにこやかにお別れした。





 そのあと、私は仏果山の山頂入り口で、正規ルートを示した標識を見つけるのだった。
 そして、地図とYAMAPのなんと頼りになることよ。

 人に聞くことは全てが正しいとは限らない。いや、むしろ山で人に道を聞いては行けない。これは人生にも通じるだろう。

 しかし、その方、最後に捨て台詞のように言ったのだ。

 「(その道のりは)けっこう険しいですよ!」

 そして、その直後に私はナイフリッジに苦しむのだった。山伏を忌々しく思いながら。
 
 そこだけは本当のことを言ったな、と(本当の道を知っていたのか?)不思議に思いながら。これは真理なのかもしれない。人はたとえ嘘ばかりついていても、時々本当のことを言うのだ。だから全て信じなくてもいけない。全て信じてもいけない。

 話半分で聞きながら、ところどころに真理が混じっていると思わないとダメだ。





 苦労して、到着した低山の(わずか633mである!)経ヶ岳が愛おしかった。
 こんなに苦労して山頂に着いた記憶は久しぶりである。

 そして、経ヶ岳からは大山がよく見渡せるのだ。
 全ての道は大山に通じていた時代の、ヒエラルキー頂点の大山が本当に美しく見えるのだった。私は山伏にでもなった気持ちで、大山を眺めているのだった。

 先週、こんな小さな山を大騒ぎして登っていた時代の自分を私は恥じていたのだが、いやぁ、なかなか大山は立派だった。
 北アルプスや南アルプスとは全く違う、小さな山だけれど、大山は立派だった。




 写真上、遠くに見える大山。

 ビデオ下、高取山展望台から360度のビュー。





 今日も最後まで読んでいただきどうもありがとうございます。


 素敵な時間をお過ごしください。

 願いを込めて。



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