こんにちは、今日は久しぶりの晴れ間ですね。しかし明日からまた雨だとか! こう雨ばかりが続くと、ついつい野良猫のことが心配になる著者です。
なんですかねぇ、猫の日だと言って、特別にオープンした古民家カフェで猫をモチーフにしたスイーツを食べてご満悦な猫マニアの皆さん、なんてニュースを見ると、いや、猫の日に野良猫たちは雨で大変なんだよね、と人間の猫好きたちの能天気さが憎々しくなってしまったりね。
ああ、でもファミマの「ファミリ〜にゃ〜ト大作戦」の猫のコーヒーの紙カップは可愛かったですね。ああいうの好きですね。
さて、今日もネタがないので、アメブロからお題(投稿ネタ)をお借りしました。
今日のお題は、「昨日見た夢の話をしたい」です。
(写真はお散歩風景です)
お正月のことなのですが、恒例のね、家族と姉夫婦と姪とに会って、父から少し傷つけられたわけですよね。
父というのが、今でいういわゆる毒親でね、子供の頃は苦労をしたものです。
親に何かをしてもらった記憶がないくらいです。
親はいてくれるだけで感謝するべきだと思いますが、しかしね、ああいう幼児期の体験があると、いない方がいい場合もあるのではないか、と思うことも多々ありました。
先日、両親にご縁がなくて一人で育った方とたまたまお知り合いになったのですが、その方は「親からは何もしてもらっていない。全て自分一人でやって生きてきた」とドヤ顔で言うわけですがね、いやぁ、何かをしてもらってない時点でプラマイゼロじゃないですか。(したもらった方がプラス、してあげたことがマイナスだとすると)
私なんて、マイナスばかりですからね。親がいるのに、マイナス。
してあげてばかり。愛を与えてばかり。お金をあげてばかり。要するに、愛されていないのに、ただ金ズルとして産んだ子、じゃないかとさえ思えたりしてしまいます。
親がいない方がゼロでもいい場合はある。親がいない方は、親がいれば必ずプラスだと思い込んでいらっしゃいますけれど、そうじゃない場合もあるんです。これからは介護の問題もありますしね。もっとマイナスになります。
それでも、自立できるまでは育ててもらったんだろう、とおっしゃられるかもしれませんが、先ほども言いましたが、幼児期の体験はなかなかのトラウマです。大きくなってからも苦労しました。
さて、そんな私がお正月にまた少し傷付けられて、2ヶ月経ち、その間親には連絡をせず、ちょっと傷が癒えて来た頃、父から電話がありました。
たわいもない話をして、そうしたら傷を思い出してしまったのか、その夜夢を見た。
親が引っ越しをするというのです。私は一緒に住んでいるらしく、一生懸命荷物の整理をしている。ところが引っ越し先がわからない。親は引っ越し先を私に内緒にしているんです。姉には教えいているようでした。そして、私に言いたくない、と親と姉が話しているのを聞いてしまいました。私はじゃあいいよ、という感じに、一人で家を出ていくというお話でした。
目が覚めたら、私は泣いてしまいました。
親というのは、輪廻転生を繰り返す人生の中で、神というか大いなる力の元から偶然に与えられた、私とご縁のあった方の魂だと思うわけですね。甘えていいものでは決してなく、たまたまご縁のあった大切な方です。
ところがその方に愛されない、もしくは捨てられる、というのはどういうことなんでしょうか。何を意味するのだろう、と色々考えてしまいましたね。
私は親というものに依存し過ぎていた。愛し過ぎていた。
だから神から嗜められた。
そういうことなんでしょうか。もっと宇宙の魂の一部として、親以外のものに目を向けて、他のものを愛しなさい、とでも言われているのでしょうか。
親というのはもうあなたにとって役目を終えた人なのです。
いつまでもしがみ付いてはいけません。
とでも言われているのでしょうか。
親の死ということを、予感するというのか、覚悟するようになってしまいました。
こういうことが起きる(感じる)と、本当に、その日は近いのかもしれませんね。
夢というのは残酷です。時々、真実を陰ながらそっと教えてくれたりします。
私は見た夢は忘れてしまうことが多いのですが、起きても覚えている夢のことは、さまざまに解釈して、未来に生かすように心がけるようにはしているつもりです。
親の夢も、親離れという意味で活用させていただこうかな、なんて思っている次第です。
いい年してあれですが、今って歳をとっても親子の絆が深い方が多いと思われますので、誰かのご参考になれば幸いです。
もしかしたら神があなたの傷がもっと深くなる前に予感を与えてくれたのかしれません。
そして、あなたの魂が、一つ上のステージに向かうための試練なのかもしれません。
今日も最後まで読んでいただきどうもありがとうございます。
素敵な時間を過ごされますよう。
願いを込めて。