「農業消滅 農政の失敗がまねく国家存亡の危機」を読んでするべきことを考えた。
こんばんはー
早速読みましたよ、東大鈴木教授の「農業消滅」。
「アメリカの言いなりになって、何兆円もの武器を買い増しするだけが安全保障ではない。食料こそが命を守る。真の安全保障の要であると繰り返し強調しておきたい」
これ、「おわりに」に出てくる言葉なんですけれど、そうですよねぇ。農業を守ることは国民の命を守ること。日本は自衛隊しかないですからねぇ。国を守るために、戦うすべがない。なにせ国家安全保障戦略の概略は、積極的平和主義ときています。せめて食料で命を守らなくては、それくらいは戦ってくれなきゃダメですよねぇ。
でね、この本を読んで思ったんですが、上の「それくらい」はもはや国ではなくて、私たち国民に求められている・・喉元に突きつけられている危機だということですね。
ちょっと印象的な部分を挙げてみますね。
もう国には頼れないという象徴的な部分です。
「日本の消費者は、何もわからないままゲノム編集食品の実験台になっている恐れがある。また遺伝子操作の有無が追跡できないため、国内の有機認証にも支障をきたし、ゲノム編集の表示義務を課している、EUなどへの輸出ができなくなる可能性もある。現在、GMについては、大豆油、醤油などは、国内向けにGM表示はないが、EU向けには「遺伝子組み換え」と表示して輸出していることを読者の皆さんはもちろん知らないだろう。
アメリカのM社(GM種子と農薬販売)とドイツのB社(人間の薬販売)の合併は、言ってみれば、日本の病人をGM食品と農薬などでさらに増やし、それをB社の薬で治すことで「2度おいしい」「新しいビジネスモデル」だという声さえある。
民間活力の最大限の活用、民営化、企業参入、と言っているうちに、気がつけば、日本が実質的に「乗っ取られていた」という悪夢になりかねない。すべてにおいて、従順に従う日本がグローバル種子企業のラスト・リゾート(最後の儲け場所)になりかねないのだ。いったい、日本の政府は、国民の命を犠牲にしてまで何を守ろうとしているのだろうか・・・」
何を守ろうとしているのか、多分自分の命ではないでしょうか?
この本を読んではっきり思いました。そうだ。この国の農政はもう破綻している。日本という国はもう機能せず、沈没しかけている。だから私たち一人一人がこの国の農業を守らないといかないのだ。そうしなければ、国・・強いては国民(=自分)の命を守ることはできない。政治家や官僚たちが自分の命を守るために国民の命と安全を秤にかけているのだから、対する私たちも自分の命を守るために国の政策と戦わなくてはならない。
鈴木先生は国の政策がどれだけ酷いものかを書いてくれていましたが、全てを読んで私は上のように感じました。もう国には頼れないのです。
もはや、私たち一人一人が戦わなくてはいけない局面に来ています。
鈴木先生はどのように戦ったらいいかも書いていらっしゃいました。
印象的なところをまた挙げますね。
「スイスの国産卵は1個60円から80円もする。だが、輸入品の何倍したとしても、国産の卵の方がはるかに売れている。筆者も現地で見てきた。
それを裏づけるような、象徴的なエピソードを聞いた聞いたことがある。スイスのとある街で、小学生くらいにしか見えない女の子が1個80円もする卵を買っていたので、その理由を聞いたところ、その子は「これを買うことで生産者の皆さんの支えられ、そのおかげで私たちの生活も成り立つのだから、高くても当たり前でしょう」と、いとも簡単に答えたのだという。
スイスで国産品が売れるキーワードは、ナチュラル、オーガニック、アニマル・ウェルフェア(動物福祉)、バイオダイバーシティ(生物多様性)、そして美しい景観である。これらに配慮して生産すれば、できたものも安全で美味しいのは間違いない。それらはつながっている。それは高いのではなく、そこに込められた価値を皆で支えているのである。
具体的には、スイスでは消費者サイドが食品流通の5割以上のシェアを持つ生協に集結して、農協なども通じて生産者サイドに働きかけ、消費者が求める品質や栽培方法などの基準を設定・認証して、農作物に込められた多様な価値を価格に反映して消費者が支えていく、という強固なネットワークが形成されている」
日本の生産者と消費者が協力し合うしかありません。安ければいい、と値段で価値を決めることから一切手を引くことでしょう。私は消費者だからそう思いましたが、生産者さんにも言えることでしょうか。すべての方に、価格よりも使命を思い出していただくしかありません。使命っていうと大げさですが、それが自分の命を守ることにつながるのですからねぇ。
このままでは日本の食料自給率は2035年には10%そこそこみたいですよ。有事が起これば、食糧難と飢餓に襲われます。日本人が呑気なのは、この本によると、日本人は食糧難の記憶を忘れさせない欧米の考え方と比べて明らかに異質だということです。歴史の教科書からも戦中・戦後の食糧難の記述はほとんど登場しません。欧米では多くの紙幅を割いて紹介しているにもかかわらず・・
「戦後の日本は、ある時点から権力者に不都合な過去を消し始めた。過去の過ちを繰り返さないためには、過去を直視しなくてはならない。過ちの歴史をもみ消して明るい未来はない。(中略)「農村では権力的にコメが収奪され、農家である我が家でも私の一番上の姉は5歳で、栄養失調で亡くなりました。・・・4歳?の私も弟も栄養失調でした。母が「カタツムリを採っておいで」とザルを渡してくれました。カタツムリを食べる習慣のない当時、グルメやゲテモノ食いとしてではなく、生き残るためとして母はそう言ったのです。・・・弟と河原で数十個採ってきました。母はそれを煮付けてくれました。全身に染み渡ってくるあの味は、今でも忘れません。1950年ころのことです」
このままでは食料が手に入らなくなる未来は目に見えています。上のカタツムリの話は決して過去の話ではなくて、私たちの未来かもしれないですよねぇ。
いやぁ、本当に面白い本でした。このほか、考えさせられるエピソードがたくさん詰まっています。
国がどんな農政を打ち出すべきなのか、私たちが何をすべきなのか、よく理解できました。
最後にね、付録として、建前→本音の政治行政用語の変換表というものが付いていましてね、これがまた面白いのなんのって。少しだけ紹介しますね。
・国益を守る → 自身の政治生命を守ること。アメリカの要求に忠実に従い、政権と結びつく企業の利益を守ることで、国民の命や暮らしは犠牲にすること。
・自由貿易 → アメリカや一部企業が自由に儲けられる貿易
・戦略的外交 → アメリカに差し出す、食の安全基準の緩和の順番を考えること。「対日年次改革要望書」やアメリカ在日商工会議所の意見書などに着々と応えていく(その窓口が規制緩和会議)ことは決まっているので、その差し出していく順番を考えるのが外交戦略。
笑えますよねぇ。私がこの国の農政は破綻している。って言ったのわかるでしょう。
この本を読むとすべてがストンと納得するようによくわかりますよ。
よかったら皆さんも読んでみてくださいねぇ。
そして、一緒に戦いましょう!
ではでは、今日も最後まで読んでいただきどうもありがとうございます。
素敵な時間を過ごされますよう。
願いを込めて。
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