東日本への手紙。





 2020年3月11日。東日本大震災から9年の月日が過ぎました。
 今日は黙祷をして、その時を迎えました。

 どうか苦しい、辛い思いをして、お亡くなりになった方々が、今あちら側の世界で幸せに過ごしておられますように。こんな時代に生きているより、早くこっちに来てよほどよかった、と豪快に笑っておられますように。



 東日本大震災のことを思うと、いつも申し訳ない思いになります。

 被災された方々の思いは計り知れません。
 とても大変な思いをしたのに、私はずいぶんのんきに、平和的に、あの大きな事件を迎えてしまったものだなぁ、といった罪悪感のような思い。

 当時、私はとある会社でかなりストレスを感じながら、それでも十分すぎるほど普通に働いていました。そして、はじめは、何が起こったのか、全くよくわからなかったのです。

 私の部屋にはテレビもなかったし、ニュースも満足に見れなかった。

 地震が起きたあと、会社はちょっとしたパニックになり、すぐに社長が全社員に帰宅命令を出しました。私たちは、地震直後に、すぐに家に帰ることになりました。ところが、交通機関が麻痺していた。それで、帰るのに、通常なら電車で30分ほどくらいのところを、バスを待って、9時間くらいかけて帰りました。
 帰宅したら、家もちょっとしたパニックになっていて、片付けをしたりして、寝て、起きて、翌日の朝のニュースでしたかね、それともお昼のニュースだったか、初めて、津波のものすごい映像を見たのです。

 それで、何が起こったのか、遅ればせながら、やっと理解しました。
 これは、とんでもないことが、起きたんだ。これは取り返しのつかないことが現実になったのだ、と悟りました。あの時の驚きと、自分に対する嫌悪感というのは、なんとも説明がし難いというか。なぜもっと早くにこの現実に気がつかなかったのだろうと。自分のことで精一杯だった自分。事態を勘違いしていた自分。一方、雪の中、地震と津波を迎えて、大変な一夜を過ごした現地の方々。のんきすぎた、全く現実を理解していなかった自分が情けない思いです。

 そして、そのあと、今度は福島原発で大きな事件が起きました。
 それも、私は重大な事件としての認識がまるでなく、いつものように働いていた。時々上司が、ラジオのニュースを耳にしたということで、状況を教えてくれました。それでも福島原発の爆発事故については、youtobeの映像を見るまで理解することができませんでした。

 だんだんと東日本大震災の深刻な被害が明らかになってきて、その時の恐ろしさといったら。まさに地獄の釜がゆっくりと開かれるような思いがしたものです。

 被災地の方々はどんな思いだったのか・・・さぞかしつらかったのだろうなぁ、と思います。
 それでも、生活のために、ボランティアにも行けなかった自分。
 何かできることはあったと思うのに、何もできませんでした。
 なぜ、自分ではなくて、彼らが犠牲になったのだろうとよく考えました。
 初めの情けなさは、その申し訳なさに変わりました。


 なぜ、東北だったのだろう。
 なぜ、自分は、こんなに普通に生活できているんだろう。


 東日本大震災というと、だから私にとっては、情けなさと罪悪感の歴史みたいなものなんですよね。何年か経ったあとに、やっと現地の方々と会えて、(働きに出かけました)少しは復興の力になれたかと思いきや、それがまた大したことができなかった。
 働いてもダメか・・・とリアルに幻滅させられたりしましたが。何もできないときは、何をしても何もできないんです。何かしてあげられることがあるんじゃないかと思った自分が甘ちゃんでした。
 ましてや、身代わりになることなど、何度生まれ変わっても、できません。


 それでも、被災地に対する愛情というものが代わりに芽生えて、今でも私は普段働きながら、普通に東北のことを思い出してます。この愛情についてはやはり言い難い思いがあります。本当に、何度も頭の中に浮かんではよぎるんです。切ないような幸せな思いとともに。宮城や岩手のこと。あの山の道のこととか、通勤途中の道路のこととか。洋服や洋菓子のショップとか、お蕎麦屋さん、現地の産直のものが売っている道の駅のこととか。住んだ家のこととか。猫と歩いた道とか。走っていない電車の線路。イングレスをしながら夜な夜な向かった記念碑や神社、役所のポータルに当時着ていた服。その時の思い。

 特に、岩手は鮮烈でしたね。
 探して歩いた森の中の道とか。山の上から見えた海の見える景色。
 普通の道路を走っているとき。なんというのかなぁ、私の町、という思いをとても強く感じさせてもらったというのか。
 いつか住みたいな、と今でも思います。現地の方々幸せだなぁ、なんて。
 (不思議と、人との交流や人のぬくもりというような記憶よりも、土地そのものへの愛着がとても大きいです)


 あんなに愛するとは思わなかった。
 私は、故郷をいただいたのだ、と思います。(そう思うとこの思いがやっと説明がつく感じ)現地の方々からは鼻で笑われそうですが。
 何もできなくても、もっと早く行けばよかった。
 何ものにも代え難い思い出になっています。

 もしも、被災地のことを思っているけれど、何もできていない(と思っている)方がいたとして、今、被災地に行ってみたいと少しでも思っている方がいたら。

 ぜひ行ってみることをお勧めします。
 旅行でもいいかもしれない。忘れ難い思いを手にすることは間違いないです。

 抽象的な話になりすみません。
 ・・・・


 東北の方々に申し訳ない、という気持ちはいまだ持っています。
 一生その思いは持ち続けるんだろうなぁ。


 日本のために、あの故郷は犠牲になったのだ。

 という・・・・




 被災地では、まだまだ復興の道半ば。何も終わっていないと思います。
 それでも暖かくなってきて、今年も桜が咲くはず。
 希望だけは捨てないで、頑張っていただきたいと心より願います。
 
 そして、私も、また行きたい。
 定年したら住めるかなぁ。ほんと行きたいものだなぁ、あまちゃんのラストのように、(都会ではなく)ここから始まる、ここからスタートするのだと思いたいものです。


 どうか、被災地の幸せな未来が訪れますように。
 そしてもう二度と、このような大きな災害が起きませんように。


 祈りを込めて。





 
 
 

 


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