レット・イット・ビー 〜人生における東北旅行を総括する2日間の旅〜



 1年以上前に書いてお蔵入りになっていた記事です。 お時間のある方だけ、お立ち寄りください。




 大好きな東北に旅行してきました。アンパンマンのパンを食べて、気分だけはヒーローでした。楽しい旅でした。が、同時に大切なことを諦めなくてはならない辛い旅路となりました。
 (この旅で私は東北に戻らないことを決意することになったのです)


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  地球温暖化の影響により、命に関わるレベルで、夏が暑いらしい。日本では埼玉県熊谷市で41.1度、岐阜県で40.0度、ヨーロッパではスペインで46.6度、ポルトガルで46.4度の異常な記録を叩き出した。46度って、どんな暑さ・・・ そこまでではないとしても、日本も暑い。

 涼しかった東北の夏が恋しい。

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 ということで、今日は2018年の6月に岩手に旅した話をしたいと思います。少しでも涼を届けられれば幸いです。

 仕事の都合で2日だけ岩手県下閉伊郡の山田町に行くことになりました。山田町はあのAKB48らが懇意にしている有名な被災地でです。

 本当はこの短期滞在をきっかけに、もっともっとずっと長く滞在できるはずだったのですが、なぜかトラブルが重なりました。まるで、天から今は東北に行くな、と見放されているレベルにまで、重なりました。
 なので長期滞在は、泣く泣く断念せざるを得ませんでした。涼を惜しむ2日間だけの旅物語です。

 山田町にいた時、私は単独やご縁のある方々と山にばかり登っていました。
 そのせいか、神奈川に帰ってきても向こうの山ばかりが夢現に現れて、無性に恋しくなりました。
 地元のソウルマウンテンの大山に登っては見たものの、どうもスッキリしません。物足りなく感じる。早池峰の縦走、素晴らしいあの景色の数々。そして2回登った岩手山。登山コースにより、様々な顔を見せてくれました。

 大山は小さい。その割に、やたらと体力を奪われます。修行が目的だっただけあり、厳しい山だと感じます。東北の山のような雄大さに恍惚としたりしないんです。

 東北に2日だけ行くことにあたり、私は行きたかった山を思い出しました。全部は無理ですが、なるべく行けるだけ多くは行きたいと思いました。

 ウォーキングが楽しい魹ヶ埼にはまず行きたい。魹ヶ埼は日本最東端の灯台が立っている名所です。
 それから山田町の名峰、鯨山と霞露嶽はやはり外せない。

 本当なら、五葉山や姫神山にも行きたいんですが・・・
 今回は見送りで・・今回は山田町メインです。


 旅行前、私は最小時間で山田町の山を最大限を満喫できる計画を立てました。荷物を最小限に抑えるため、登山服とビシネスシーンを併用できる服装に試行錯誤しました。
 しかも二日間同じものを着ていても問題にならない服を考えることに試行錯誤しました。(嘘のような本当の話です、汚いですね〜)
 しかし、その甲斐あって、トレイルランニングのアスリートが身につける、小さなリュック1つにまとめることができました。















 その1、魹ヶ埼

 始発で自宅の駅を出発して、東京から新幹線で新花巻に9時に着きました。そこからJR釜石線に乗り、2時間かけて釜石へ。そしてそこからレンタカーで山田町へと向かいました。(・・・ああ、今なら電車が開通しているのに!)

 山田町で仕事の要件を終え、すぐさま向こうの知人と合流します。お昼ご飯など食べる余裕もありませんでした。これから日本最東端の魹ヶ埼灯台まで向かうのです。
 ところで今回一緒に魹ヶ埼に行ってくださることになった元同僚は、山田町で育ちながら、山田の名所にはそう興味がないというのです。お隣宮古市の魹ヶ埼も、今回が初めて、ということでした。日本のみならず各国から観光客が訪れるメジャースポットだというのにもったいないですが、近くにいるとそんなものかもしれません。


 険しい道のりではないから、初めてでも問題はないと思います。ただ、体力いかんによっては、たまにリタイヤする方もいらっしゃる。灯台までの4キロの行程の始めに、登りの道があり、最高到達点に行くまでは少し辛いこと、その登りでリタイヤした女性もいること、という大事な事実はきちんと伝えておいたと記憶しています。

 さて、スタートです。魹ヶ埼紀行文はかつて書いているので詳細は端折ります。灯台までの4キロの道のりは、時間にすると1時間ほどで、ウォーキングにちょうど良いのです。大好きな道のりです。ただし、今回は、始点となる姉崎駐車場に着いたのが、4時を随分と回っていました。5時近いスタートというのは、初めての体験ででした。友達の体力次第では帰りが日没過ぎになることもあるかもしれません。私は暗くなった時に備えて、明るめの懐中電灯を持参しました。おにぎりを頬張りながら、懐中電灯を忘れないよう取り出して、熊鈴をしっかりとリュックに結びつけました。着替えなどは車の中に残して、懐中電灯と熊鈴だけを再確認しながら、歩き始めて、ふと、飲み物を車に忘れたことに気がついて慌てて引き返しました。

「夏至も近くて良かったねー!」

 友人は無邪気に笑いながら歩いていました。その笑顔とのほほんムードに救われました。(結構私はビビっていたようです)私たちは日頃の仕事の愚痴をマシンガンのように語り合いながら、歩きました。顔はニコニコ、言葉はのんびり、しかし、実を言いますが、歩き方はいつもよりペースを上げていました。往路はいいとして、熊の出る山で、復路が真っ暗、というのはシャレにならないので・・・

 それにしても、自然というのは不思議なものです。懐が深いというのか。誰かの悪口やネガティヴなことばかり話していても、その悪い気を全部吸い取ってくれるかのようなのです。有難いものですね。私が山の神様なら怒りそうだけれど、心地よい自然の景観と、美味しい水と空気で、慰めてくださる。何もかも受け入れてくださる。


 自然に甘え、自然を満喫しながら、愚痴マシンガントークの私たちが灯台に着いたのは夕方の6時近くでした。
 灯台で記念撮影をしました。友人がくれたアンパンマンのパンを持って、にっこり。

 これは山田町にある山田湾ベーカリーさんのパンで、生地と餡がとても美味しいのです。山田湾ベーカリーさんのパンが、私は大好なのでした。
 そのことを覚えてくれていたのが嬉しい・・・
「しかしなぜアンパンマン?」

 食べる時間がない、と言いつつゲームもしました。
 灯台で別チームのポケモンが、1人灯台を死守していました。さっと倒して自分のポケモンを配置しました。この地を守るんだよ!と言い聞かせました。余談ですが、この子(シャワーズというポケモン)は一週間ほどで別チームのポケモンに負けて、帰って来ましたっけ。まあ、人気のある景勝地なので、そんなものでしょう。1週間もい続けたのはむしろ長かった方だと思います。


 そろそろ帰り道。日暮れは容赦なく進み・・・ この時間帯頃になると天然ハイになっていて、愚痴を言っていても聞いていてもやたらと楽しくなっていました。灯台の下から太平洋をじっくり眺めて、風に吹かれて、東北にいることを実感しました。

 駐車場に着いたときは7時を回っていましたが、空はまだかろうじて明るかった! 残照のお陰でギリギリセーフでした。熊にも会わず、怪我もせず、闇に包まれる前に無事帰ってくることができました。本当に、無事で良かった。
 が、友人は後で聞いたところやはりかなりきつかったようで、大変だったよ!と少なからず怒っていました。無事じゃないよ。
「え?全然大変そうに見えなかったよ」
「休憩してたじゃん!」

 そうだったのか。あれは疲れて休憩していたのか。話の流れから落ち込んで突然座り込んだようにも見えていたので・・・息も切れてなかったし。全然平気そうに見えた。

 「ごめんね。申し訳ないことをした」

 初めての魹ヶ崎。往復4キロもあったんだもの。大変だったよね・・・
 それでも最後に言ってくれた言葉が嬉しかったです。

 「(私たち)よく行ってきたよ。行って良かったよ」
 
 少し涙ぐみそうになりました。









 その2、霞露嶽

 翌日は朝の3時に起きてホテルを出ました。
 山田町の船越半島に鎮座する霞露嶽に向かいました。この時間ではさすがにお付き合いしてくれる方もおらず、お一人様登山です。まあ、単独登山というのが私は好きで、人生も単独登山と洒落込んでいるわけですが、たまに、そんな本人の気も知らず、寂しいでしょう、とか、失恋したんですかーとか。変な気遣いをする方がいて、困ります。

 標高500ほどの小さな霞露嶽は、私にとって、とても特別な、スペシャルな山なのです。なにせ私の好きなブナの原生林があります。それが美しいのです。低山にブナの原生林があること自体が珍しいことなのです。東北の土地で気温が低いから、というのは正確な理由ではないようです。(それが証拠にこの山より高い鯨山にブナの原生林はありません)霞露
山は霧深いのです。その名の通り、しょっちゅう霧や霞がかかっているのです。太平洋に突き出た半島にそびえた山だから、そのせいでしょう。その霧のおかげで、ブナの原生林が生まれ、いつもミステリアスに、霞がかった景色とともに現れるのではないかと想像します。

 この日もブナを楽しみながら軽快に登り、山頂には朝の6時前に着きました。すると、山頂近くに祀られた岩がぬっと現れます。

 霞露嶽の御神体は岩なのです。ここも好きなところです。大好きな巨岩が鳥居の先の、霧の中から姿を表す瞬間。この岩は地元の方からおかろ様と呼ばれているそうです。おかろ様は、参道の石の階段を登って行くと姿を見せ、ちょうど鳥居から現れたその姿が、岩の目のような模様のおかげで、こちらじっとを見つめているようなのです。
 御神体の岩には、神々からの「サイン」のような、片目があり、鳥居の間から訪れたものを凝視する。ブナの景色と相まって、またそれも神秘的なのです。

 さて、山頂で神秘を感じながらポケモンGOをしました。先程まで晴れていたのに霞露嶽だけに、霧の中からしっとりした雨が降ってきました。霧は神秘ですが、雨の中のポケモンGOは現実的で、私は味方チームが作っていたジムのポケモンたちに、栄養補給の(ポケモンの好物の)実をたくさんあげました。 そして戦士の彼らを励ましたような自己満足に浸って、神秘の山を後にしたのでした。

 そして次に向かった鯨山、するとすぐに霧は嘘のように晴れ、辺りは良い天気になるのでした。やはり霞露嶽はちょっと不思議な山。あの自然のミストが恋しいです。



 霞露嶽は私にとってはスペシャルな、小さな小さな山です。
 いつか地球温暖化が進んで、世紀末が訪れたそのときには、私はぜひこの山に住みたいと思っていたりします。





















 その3、鯨山

 新幹線の時間は4時半でした。今は朝の7時半を回ったところ、まだ間がありました。私は最後の目的地の鯨山に向
かいました。
 鯨山は山田町と大槌町の境にあり、山田町にいる時はこの山を見るのがなによりも楽しみでした。鯨山はその名の通り、鯨の形をしていて、少し尖っています。山田湾の先に浮かび上がる繊細なその姿は、美しかった。惚れ惚れしました。

 鯨山は普通なら4時間から5時間はかかる行程です。なので、私はショートカットコースを選びました。大槌町の浪板海岸駅の近くに、鯨山神社と鳥居があり、その先の道を車で登っていくと、表参道コースの登山道が現れるのです。表参道は鯨山の8合目辺りで、つまり車で7合目辺りまで行けるのです。そのショートカットコースへと進んで行きました。


 ところがこの日はいつもと違いました。豪雨の影響なのか、道がパックリと割れていました。大きな溝が出来ていて、車が通れそうもありませんタイヤが落ちたら自力で抜けられそうもないのです。私は時計を見つめて真剣に悩みました。新幹線の時間を逆算して、9時半までに、鯨山の参道登山コースの出発点にたどり着けなかったら引き返そう、そう決めてから、その場に車を置いて、割れた道を歩き始めました。


 どうやら山から流れ出した水が、道をえぐったようなのです。60から80メートルはありそうな深さの溝を、私はまじまじと眺めました。これを山からの水の流れが作ったのです。登山道の固い土に、舗装された路をも切り裂いて、深く深くえぐったのです。

 すごいものだなぁ、私が神奈川に帰っていたわずか1年の間に、何があったのだろう。よほどの豪雨か嵐があったのかもしれない。こんなところにも地球温暖化による異常気象の影響を垣間見ました。

 なかなか参道コースの入り口は現れませんでした。時計とにらめっこをしながら、おかしい、おかしい、と思いながら歩いていきました。終いには、突き当たりのNTTドコモの鉄塔が目の前に現れてしまった。こんなに上じゃない。行きすぎたのです! 今度は急いで下り始めました。
 そして、今度は、下りても下りてもなかなか登山道が見えません。まさか参道コースの入り口も、土石流で流されたのか?と疑い始めました。

 そういえば、さっきの土砂崩れのような箇所は、かつての登山コース入口によく似ていたが・・・ 
 私は時計を見つめて考えました。タイムリミットがすぐそこまで来ていました。諦めるか? 上まで行くか? こうなったら一か八か賭けてみよう。
 意を決したように登り始めました。登山道ではありません。土石流で流されたような崩れた斜面に飛び付いたのです。もう登山道を探す時間の余裕もありませんでした。ここがかつての登山道入り口と仮定して、道なき道から岩登りを始めたのです。たとえ違ってもやり直す時間はもうありません。もしもここが崩れた参道コースなら、そのうちにちゃんとした登山道が現れるはずだ。少なくとも、GPS上では山頂まで最短の距離の地点です。これしかない。もうここから行ってみよう。やぶれかぶれ的にも見えますが、私なりに、いろいろ考えた上での決断でした。

 道なき道の崩れた山の斜面を、必死に食らいつく私。今日の服装が悔やまれます。パタゴニアかゴアテックスなら屁でもないのに、黒いパンツは登り始めてすぐに泥だらけになりました。土が濡れていて、真っ黒なのです。もちろんよく滑ります。はぁはぁと必死で登っていたら、目の中に薮の枝が入って、目を刺しました。痛くてうずくまり、左目がよく見えなくなりました。もう踏んだり蹴ったりです。
 それでも、登れど登れど正規の登山道には出くわしませんでした。そのうち、現れるだろう、と思っていたのに、甘かったのか。道なき道が続きます。スマホのGPSだけが頼りである。ゲームの青い光だけが頼りです。


 急斜面を登っているので、岩登りみたいな状態でした。お恥ずかしい話ですが、姿勢的にだけみたら、流行りのアスリートにでもなったようでした。山に散々食らいついて、やっと山頂近くに来て、そのうち、正規の参道にポンと投げ出された。はっとしました。普通の登山道に出ました。ああ! と・・・ 当たり前の道だというのに、この時はかなりの感動がありました。ここまできたら、山頂はあっという間でした。私が苦労して登った道無き道は、山頂のすぐ近くまで続いていたのです。




 鯨山の山頂は絶景です。この山の何が好きかといって、この山頂からの眺めほど良いものはありません。(※)遠野方面の山々に、大槌町の海が一望、ざあっと見渡せる。細い尾根の山頂は、まさに鯨の背そのものです。まるで、鯨に乗って、海と山を一望している(進んでいるかの)ようなのです。そして信仰も深いところも好きです。小さな山頂には、鯨山神社の御本殿と、権現様が鎮座しています。念入りに、神々を拝み、ほぼ一年半ぶりの鯨山からの景色を楽まさせていただきました。もちろんゲームも忘れません。
 あまりゆったりする時間の余裕がなくて残念でした。手短に記念撮影をして、すぐにまた下山です。

 (※)鯨山の景色はこちらをご覧ください。過去のブログ 「シングル・マンを聞きながら」の一人登山がなんとも言えず楽しかった!より。


 ちなみに、帰りは正規の登山道を通りました。どこかで道が崩れるんだろうとひやひやしながら歩いていましたが、拍子抜けすることに、最後まで道はちゃんと続いていました。私は参道コース入り口にポンと降り立ちました。
 なんだ、登山道は無事だったのか? 狐につままれた気分でした。あんなに苦労して上る必要は始めからなかったのです。登山道を見逃していただけでした。見逃すわけがないほど、それ(参道コースの入り口)は分かりやすく、私にとっては見慣れたもの、であったはずだというのに!

 私は本当にキツネにつままれていたのかもしれない。神様のおはからいであったのかもしれません。おかげで、最短コースで鯨山を登ることができて、新幹線の時間にもしっかり間に合うことができました。
  

 そして、鯨山。ありがとう。
 無茶な登り方をしてしまってごめん。
 鯨山。でも、登れてとても楽しかった。
































 懐かしい山田町。そして私の東北巡り。石巻に大槌町。
 思えば、偶然の計らい、というものが、これらの町にはとても多かったような気がします。
 偶然の出会いに。偶然のアクシデント。偶然の・・・
 数え切れない楽しいことの数々。

 そのせいで、私は苦労したり、笑ったり、様々なことがありました。
 幸せが短すぎたこともある。誰かを恨んだこともある。
 けれど今になると、すべては終わったことです。結果的に、そうなるしかなかった。あれで良かったのだ。そう思うしか、今はありません。

 すべてはレットイットビー。
 
 終わったことです。すぐに終わりを迎える旅です。時間はもうなかった。ああしなければそもそもできませんでした。だからこそ、感謝して終えるしかないのです。


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 こうして私の、・・・まるで人生における東北巡りを総括するかのような、2日間の旅行は終わりました。やはり東北の自然は良かった。涼しい山も良かった。神秘的なところも、美しいところも。出来ればずっと滞在したいものでした。
 本当に残念ですが・・・


 実は、余談がもうひとつあり、なんとその旅の終わりの夜。東北新幹線が全面的に止まってしまったのです。こんなことは初めての経験でした。
 私は花巻駅で4時間待って、新幹線に5時間半閉じ込められて、終電がなくなって東京都からタクシーで神奈川の家に帰って、経費をしこたま使い、親に負担をかけて、私の心のホームである猫に会えたのは、夜中の3時半のことでした。会社にも親にも猫にも、多大なる迷惑をかけてしまったのです。
 泥だらけでヨレヨレの、汗で濡れたビジネススーツで、不快に過ごす一夜。アンパンマン(気分)も形無しでした。疲れ果て、なんとも惨めな、東北旅行最後の一夜でしたよ・・・


 実を言うと、まさにこの時に、私は東北行きを断念したのです。
 遠すぎる。何かあったらすぐに帰れない、ということを実感しました。
 私が東北にこだわると、会社に家族にも猫にも多大な迷惑をかける、いえ、かけてきたんだ、ということをはっきりと悟ったのです。本当に残念ですが・・・

 それを悟らせてくれた今回の旅行でした。

 なるようになるしかなかった・・
 はぁ・・・ まさにレットイットビーでしたね。

 仕方がないと諦めるならば、いっそのこと感謝をして終えるしかない。またいつかの未来の選択に、必ず、繋がっていると思うしかありません。

「よく行ったよ。行って良かったよ」

 友人の言葉が頭によぎります。
 今となれば感謝するしかない。
 道なき道の、すべてに向かって。
 
 さようなら、東北。





 追伸
 この間テレビのニュースで釜石のラクビーを見ました!
 とても嬉しかった。釜石が盛り上がっていました。もっとW杯を釜石でやってほしいと思いました。それにしても、良かった! 





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