鉄道に乗って東北へ出かけよう! その⑦最終回 ~ババヘラアイスと北上線~
3日の朝が明けた。最終日となると、もう頭の中は帰宅後の生活のことが過るのである。あとは電車を乗り継いで帰るだけだ。猫の砂が切れているのではないか、と心配して、近所の生活必需品の店が空いている時間に帰れないものか、とタイムテーブルを見直していた。
ところが、乗換路線案内はどうしても同じ経路を弾き出すのだ。確か出発前に見た時は1本早く帰れる経路があったように思うが、不思議なことに、この時はどれだけ早く出発しても、22時18分に自宅駅に着く乗り換え経路しか表さないのだった。
惚けたのだろうか。猫の砂をことをしつこく気がかりに思いながら、まぁ、ないならば仕方がない、とあきらめて帰途についた。能代駅から五能線で東能代に出て、それからJR奥羽本線、JR東北本線・・・ 行きと同じように普通・快速列車を乗り継いで行くだけである。写真に撮るまでもない。疲れが出て来ているから、のんびりと、うたた寝でもしていこうか。
ところが、これがとんだ思い違いだったのだった。
2日間お世話になったホテルルートイン能代 食事も美味しくサービスも良くて、大変過ごしやすかった |
駅までの道 花壇の花が朝日に照らされ綺麗だった |
能代駅 2日前真っ暗なここに着いた時はどうしようかと思ったが・・すっかり馴染みの駅に |
一両車両の五能線 能代から五能線最後の駅、東能代へ |
五能線にお別れする東能代の駅を記念撮影 |
東能代駅 逆側(連絡通路側)を見たところ |
おや、と思ったのは、まず秋田である。秋田で降りて、次の乗り換え列車の横手行きが到着するまで25分ある。乗り換えにそんなに時間はかからない。トイレに行っても余る。せっかくだから途中下車して、秋田駅前を歩いてみよう。
私は改札を出て、初日に歩いた駅前をもう一度回ってみた。実は改札前に飾ってある竿燈がよくわかっていなかったのである。この提灯のオブジェはなんだろう、秋田のお祭りで使うのだろうということは容易に想像がついたが、それ以上は詳しく知ろうと思わなかった。駅前のポストの上の飾りも、夜のせいでよく見えなかった。弘前はりんごだったが・・秋田は? 私は「なまはげ」のオブジェだろうかと見当をつけて撮っていた。帰ってからじっくり見て、調べればいいだろうと。
思わぬ時間ができたので、疑問に思っていたそれらをもう一度まじまじと見てみれば、駅前の連なった提灯のオブジェは、東北三大祭りのひとつ、毎年8月頭に行われる秋田竿燈まつりの竿燈ではないか。ポストの上の飾りは竿燈まつりを絵柄にしたものだった。写真には映らなかったが、ポストの後ろにきちんと書いてあった。
これには顔から火が出るほど恥ずかしい思いがした。青森のねぶたと仙台の七夕まつりは知っていたが、三大祭りの一つである秋田竿燈まつりは知らかなかったのだ。玄関口である秋田駅前に竿燈があり、駅前のポストの上の飾りもそうなのだから、秋田といえば「竿燈祭り」なのだろう。そんな秋田の代名詞を知らなかったとは。知ろうとしなかったとは。思わぬ時間ができたおかげだった。もう一度秋田駅前を廻ることができて本当によかった。
次におや、と思ったのは、横手である。ここでも、次の北上行きの電車が来るまで、42分の乗り換え時間があるではないか。これはいい。横手のことなど何も知らないが、25分の秋田でさえあれだけ自分の無知を思い知ることができたのだから、42分もあれば何かしら横手のことを知ることができるだろう。私は迷わず改札を出て、横手の代名詞を探しに歩くのだった。
また、私はこの際に、タイムテーブルをよくよく眺めてみた。すると、北上でも36分、福島でも38分の待ち時間があった。あとは帰るだけだの、眠っていこうだの、よくぞ思ったものである。まだまだ東北の電車の旅は続いているのだった。私は北上、福島での途中下車も楽しみにするようになった。
秋田駅で竿燈の技を学ぶ |
秋田駅前の竿燈 こんな大きなものを乗せてバランスをとるとは・・ |
秋田から横手駅に到着 40分程の時間が空いたので駅前を散策する |
横手はかまくらの里だそうだ |
横手の駅前のポストは、青森駅の林檎、秋田駅の竿燈に対して、 天辺にかまくらが乗っている。 |
こちらも駅前のかまくらの(中で暖をとる子供達)オブジェ |
横手でババヘラアイスを食べる 器用にバラの花の形にしてくれた |
さて、秋田県横手市の代名詞は、どうやら「かまくら」のようだった。改札を降りた途端、「ようこそかまくらの里へ」と迎えられ、駅前広場にはかまらのオブジェにかまくらの乗ったポストが目立っていた。横手駅から700メートルも歩けば、かまくら館がある。よほど見に行こうかと思ったが、行き帰りだけで20分掛かる。乗換電車の時間に間に合うか、際どいところだった。
それでも諦めきれずに、その方面にふらりと歩いている。今日も天気に恵まれ、真夏のような青空が広がっていた。昨日の「青池」の中での不思議な体験と、それによって意味付けられた私の旅の目的を思い出していた。これは祈りの旅だった。私が出会うべくして出会うその対象は、人だけではなく、その土地でもあるかもしれない。
私は、東北旅行の最後に下りたつ町である福島のことを考えていた。しかし、その前に、この横手では・・ 人か、土地か、何かしら出会うべきものがあるのではないか・・
「ありがとうございました~」
ふと100メートル程前方から声が聞こえて、見ると、ひとりの女性と目があった。50代から60代の小さな婦人、ワゴンに鮮やかなパラソル、フーズマートの前の歩道でアイスクリームを売っていた。
ビジネスマン風の客と入れ違いで彼女の前に立って、
「ひとつください」
「ありがとうございます~」
そのまま婦人と話を始めた。
婦人はヘラを上手に使って、二色の薔薇の形のアイスを作った。「ババ」(おばさん)が「ヘラ」を使って作るアイスだから、「ババヘラアイス」というのだそうだ。1950年頃発案されて、現在は秋田名物としてよく露店販売されている。婦人は自分を指差し、ヘラを掲げて、楽しそうに笑った。
何のきっかけだったか、勉強の話になった。二人の娘さんのひとりがアルバイトをしながら大学で学んでいると言い、彼女は働かなくていいから勉強に専念しろといつも言っているのだそうだ。
「私も放送大学で学んでいます。今はこんな不況だから学ばないと生き残れないと聞きました」
「そうか。あんたも勉強してるのか」
今になって会話を思い出すと、不思議なことに、この「勉強」の話ばかりを彼女が喋っていたという印象しかないのだった。ずいぶん長く感じられるあいだ、私にはよく聞き取れない早口の秋田弁(もしくはそういうものがあるならば、彼女の故郷の男鹿弁)で、娘さんが勉強していることを繰り返し語っていた。
もう一つは、彼女の上の娘さんのことだ。東京にいる娘さんのフルネームと勤め先を私に教えて、友達になってくれ、と頼むのだった。
「〇〇〇〇に勤めてる×××子と言えば、いくらでもわかるだろ」
娘さんは何十代ですか? と聞くと、20代だ、と言う。
「年が離れていますが、私と友達になってくれるでしょうか」
「なるさ、そりゃなるさ」
何を馬鹿な心配をしているのか、とでも言うように、真面目な様子で言葉をかぶせるのだ。
彼女がそれを知っていたのか、わからない、しかし、これもあとになってよくよく考えれば、勤め先と名前だけで彼女の娘さんを探し出し、そうして、年が違っても私が友達になれるとしたならば、その可能性のある方法はフェイスブックしか思い浮かばない。それしか、彼女の願いを叶える方法は思い浮かばなかった。私にフェイスブックをやれ、というのか。
「×××子さんですね・・」
「だけどな、まずは自分のことだぞ。人のことも(大切)だけれど、あんたも大変なんだからな、無理をしないで、まずは自分のことでいいんだからな」
「わかりました」
途中、ババヘラアイスのおかわりをよそってもらった。ついにそれも食べ終わってしまった。そろそろお別れの時間だった。電車の時間が近付いていた。
娘さんの名前を散々聞いたので、最後に私も名乗ると、彼女はワゴンの隅に引っ掛けた鞄からノートを取り出して、私の名前を記した。では・・、と横手駅へ2、3歩歩きかけけて振り向くと、彼女はこちらを見ていた。ふと暖かい、別れ難い気持ちになった。引き返し、名刺を渡した。それならば私の名前が漢字で書いてある、住所も書いてあるのだった。
「さっき撮った写真、送りましょうか?」
それでも遠慮がちに訊いてみると、彼女は急いで首を振った。
「だいじょうぶだ。人のことより、まずは自分のことだからな」
「わかりました」
別れてからもう一度振り向いた。手を振りたく思ったが、彼女はしゃがみ込んで、顔を伏せている。私の名刺を、鞄の中の小さな袋に仕舞っていた。
横手駅に戻って、北上行きのホームを探した。私はすっかり奥羽本線か、東北本線だと思い込んでいた。が、見ると北上行きは一番端のホームで、「JR北上線」と記されているのだった。
ここで始めて、行きの経路と違うと言うことに気が付いた。あらためて地図を調べた。行きは福島から西に向かって山形に入り、秋田へと進んだが、帰りは秋田から東に向かって岩手に入り、そのまま下がって福島へ入るのである。行きとはまったく違うではないか。行きと帰りで、東日本をぐるり一周する形なのであった。
おまけに、北上線の車両だ。五能線の一両列車よりも短い、小さな電車がホームで待っている。これに乗るのか。思わず胸が高鳴った。残念ながらローカル線にしては近代的な車両のようだが、それにしてもなんと可愛らしいことだろう。
横手から北上線に 1両の可愛らしい電車 キハ100系0番台らしい |
山々と田畑の中を、単線電車が走っていく (記事の最後に動画もあります) |
終点北上に到着 |
北上駅 また40分近い乗り換えの余裕があるので北上駅を散策 |
北上に伝わる鬼検舞 念仏を唱えながら踊るという |
北上から一関、小牛田、仙台へ ジパングという座席が車窓を向いた電車を発見 |
JR東北本線 岩手~宮城の車窓の景色 田園風景が印象的 |
こちらも岩手~宮城あたり ススキの並ぶ道を行く |
去年、私は秋田の山の中を走るローカル線―たまたまテレビで目にしたのだと思う―、内陸線(秋田内陸縦貫鉄道)を見た。地元の生産者の老夫婦の生活が紹介されていた。彼らは田畑を耕しながら、通り過ぎる内陸線を見て、それを時計替わりにしていた。昼の1本が通ると、お昼の休憩を取り、夕方の1本が通りすぎると、そろそろ帰ろうかと声を掛け合う。電車は彼らの畑仕事とともにあり、田園風景を走りゆくその姿が生活の中のあらゆる合図となっていた。
その老夫婦を見て以来、私はそんな田舎の中を通り過ぎる電車に乗りたいと思っていた。彼らや地元の人たちが、内陸線を愛しげに語る様子も良かった。
北上線が走りだした時、その光景を思い出したのだ。通り過ぎる町や村の人々に愛され、その生活に寄り添っている電車、私は北上線からの山々や田園風景を眺めて、自分の夢が叶ったことを知った。何と素晴らしいのだろう。
この景色は、財産だ。どんな都会よりも、贅沢だった。
「・・ええ、やっぱり乗り放題パスですか」
「はい。そうですそうです。今日で3日目ですよ。どこを回られました?」
自然の中を駆け抜ける小さな1両編成の電車の中で、そんな会話が聞こえている。声の調子はとうの立った男性と女性、ここで出会ったようだった。斜め前には、懐かしい顔、行きの東北本線でずっと一緒だった夫婦連れが座っている。疲れが出たのか、うつらうつら寝ているらしく、妻が夫の肩にもたれかかっている。
私の前の青年も、気持ち良さそうに眠っているのだ。この景色を見なくていいものか、もったいなく思う私をよそに、彼はとともにあり続けるのだから見るまでもない、といった不遜な調子で、目を瞑り、それでも時々目を覚ますと車窓の向こうに顔を向けて、じっと暫く、山々や田んぼと会話するように眺めては、また夢の中へと戻っていった。平和だった。
ずっと走っていたかった。このまま走り続けて遠野市まで行ってしまいたかった。北上に着いたら、電車は45度旋回をして、ついに東関東に向けて南下するのだった。
東北の旅もそろそろ終わりだ。
私はそれが惜しくて、惜しくて、この電車が、ひたすらここを走っていくことを願っている。
立ち上がって、線路を行く光景をカメラに収めた。少しでも形に残そうと、この平和で愛しい、東北の生活とともにあり続ける景色を記憶にとどめようと、映像に収めた。
山が、木々が、川が、田畑が、流れていった。哀しくさえ感じられるほどに、景色は早く行き過ぎていくのだった。
福島に到着 ここも40分の時間があるので、福島駅前を散策しに途中下車する |
福島駅西口 |
駅前広場のモニュメント ちょうど16時に古関裕而作曲の白鳥の歌のメロディで鐘が鳴った |
モニュメントの足元にある動植物のレリーフ 自然と調和する福島市を表現している |
レリーフのひとつひとつの動植物が興味深い こちらは黄鳩 |
大急ぎで東口へ 西口とは渋谷と池袋くらいに雰囲気が異なるようだ |
奥の細道 芭蕉と會良の旅姿立像 江戸を出て福島で一夜を過ごした |
福島の偉大な作曲家、古関さんがまたいました! 西口のモニュメントで親しみを感じたあとだったので、見つけて嬉しくなる |
電車の中のおやつに福島のみそぱんを購入 甘くて美味しかったです |
「人のことよりまず自分のこと!」。そう注意された後のせいか、北上で誰か(何か)に巡り合うことはなかった。私は時間を自分のためだけに使い、英気を養った。
その次の福島はこの旅の締め括りだ。最後に途中下車して、最後に立ち寄った町。福島に別れを告げて、そして私の東北旅行は終わった。
電車が出るまで、あと5分。慌ててキオスクに走って、駒田屋本舖さんの手作りの味というみそぱんを購入した。普通電車の中で食べようではないか。あとは帰るだけだ、急ぐでもなし、のんびりと揺られていこう。
車窓は光に包まれて、そしてまた景色は流れ始めるのだった。
光に包まれる車窓 |
秋の乗り放題パスと「青池」の指定券 新宿から東能代、能代、秋田、弘前、 北上、川部、横手、福島、途中下車した駅で入鉄印(ハンコ)をもらいました。 |