人生の道と歌の道。週に1回のあの習慣で、より良い人生を送るということ。



 人生とは、道である。


 ・・・・なんですかね。今日は、唐突に、道ですか。どこかで聞いたようなセリフですね。(自己啓発セミナーとかで、講師の方が、熱血しながら言っていそうですよ)


 いや、今日は体験談をしたかったのです。個人的な体験から、身近なあることを少し学ぶと、生き方が楽になるよ、という話をお伝えしたかったんです。それには、「道」の定義というか、前提を伝えておくと話が早いというか。ほら、道って、茶道とか、華道とか、何かの作法を極める時に使いますけど、あらためて辞書で引いたことありますか? 意外と、そういえばなんだっけ? 的な・・ 哲学的な意味があったと思いません?

 グーグルで道を引くと、こんな哲学用語として出てきます。

 「道」
 中国哲学上の用語の一つ。人や物が通るべきところであり、宇宙自然の普遍的法則や根源的実在、道徳的な規範、美や真実の根源などを広く意味する言葉である。道家や儒家によって説かれた。


 なるほどー、ですよね。哲学ですね・・・
 ただ私からすると、人生イコール道ではナンノコッチャという感じで、あまりよくつかめません。なので、こう考えるとわかりやすい。

 (人の)人生とは、その道を学ぶところである。

 まさに、人生学び舎、ですよ。生きる上においても、当然、作法や普遍的法則や道徳的な規範があるんです。そのルールを学ぶために、地上に産み落とされたのが私達。よりよい人生を生きる、ということは、そういった広い意味での「道」を「よりよく学ぶ」ということであり、そして、そういう「よりよく学んだ」人のことを、「生き方のうまい人」と言うんじゃないのかな・・・と。
 それが常日頃から思っている、人生は道、の私なりの解釈です。

 
 ストレスをためたり、生き方で悩んだりした時は、だから人生の道をあらためて学んでみるといいと思います。わかりきっているようで、意外とわかっていなかったことがたくさんあることに気がつくかもしれません。そして、道を学ぶにはいろいろな方法がありますが、一番手っ取り早いのは、茶道や華道のように、何かの道を人生の道のシミレーションとして学ぶことだと思っています。

 全ての道は通じています。ですが、一番人生の道に酷似していて、モデルとしての学びが人生の学びに活かされるのは、個人的には「登山」だと思っています。
 なぜなら、登山には、道迷いや滑落事故というリスクがあります。トムラウシ遭難事故のように、パーティー(山登り仲間、団体やチームのこと)なら安全、というわけでもありません。命の危険が隣り合わせで、個人の知力と体力がことさら問われるスポーツです。山をよりよく登るためには、ルールや作法を知り、普遍的法則に道徳的な規範に則り、そしてリスクを見極める判断力と選択をする決断力もとても必要になります。この登山の、道を行くこと自体が、人生の道を行くことに、とてもよく似ている。だから、よりよく登山をできる方は、生きるのがうまい、そう常日頃から思っているわけです。


 じゃあ、登山ばかりしてればいいじゃん、と言われそうですが、登山・・・敷居が高いですよね。天候もあるし、遠いし、なかなかそうそうは行けないんですよね。いくらよりよく生きたいからといって、毎週登山に行けるほど、よい境遇に生きているわけではないんです・・・
 なので、登山は置いておいて、それとは別に、手っ取り早い身近なことで、人生の道のシュミレーションをしてみました。なにか・・というと、それは、


 カラオケです。

 ・・・・・・・カラオケかよ! ツッコミが聞こえてきそう うう・・・ ごめんなさい。人生の道がずいぶんハードル低くなってしまいましたね。
 でも、ほんと歌うことって、似ているんです。生きることに。


 歌とは道である。
 

 いや、冗談言っていませんよ。私の場合は、シュミとしてただカラオケをするのではなくて、歌を学んで、より歌が上手くなることを最大の目的として、意識的に、確信犯的に、カラオケをしているのです・・・ 歌道を極めることにより、人生の道により活かそうと狙っているわけです。

 ・・・ほんとかよ!カラオケで人生が好転するのかよ! とツッコミを入れた方、ほんとにねー、そう思うのも無理はないですよね。でも、身近で歌のうまい方を思い浮かべてみてください。みなさん、ちょっぴりいい感じの方じゃありませんか? 逆に音痴だったり、ゴーイングマイウェイで歌っている方、組織の中でもそんな感じじゃありませんか?
 

 歌とは、人生の道である。

 
 さて、ここからが体験談です。今までは長い前提で、全体の文章の半分くらいのところですね。
 後半戦は、お時間のある方だけお付き合いくださいね。


 (中休みに猫の写真で癒されてくださいませ)





 さて、結論から言うと、人生を好転させるには、カラオケを週に1回から2回ほどすればOKです。ただし、ただ歌っているだけでは、「ぼーっと生きてるんじゃねぇよ!」と天の声が聞こえてしまいますので、必ず、「歌が上手くなること」を前提に行います。

 ・・・と、偉そうに言いましたが、私の人生が好転したかというと、ちょっとまだ怪しいです。なぜならまだそう歌が上手くなっていないからです・・・

 ですが、歌が上手くなれば、上手く生きられることは、絶対、請け合いです。
 なぜなら、人生の道に、歌の道は(登山同様)似ているからです。そして、他の道より、・・・(例えば茶道や華道といった)より、カラオケは庶民でも始めやすい。手軽で安価。若者なんて、毎日のように行っていることでしょう。ならば、試しに、人生を好転するために、カラオケを使ってみましょう、というご提案です。

 さて、ここからが私の体験談です。


 私がカラオケを始めたのは、前に話しましたが、ダイエットを始めた時期と重なります。カラオケというのは、全身運動で、気を吐き出すので、かなりの体力を要し、悪い気を吐き出し、汗をかいて、痩せるのです。それで、ダイエットの一環として、カラオケを始めました。
 始めは、人生の道とか、歌が上手くなりたい、とか、そうそう考えてはいなかったんですね。痩せたい一心でした。

 なので、私のカラオケ第1期は、「マイクなしで熱唱」時期でした。
 ほぼ3ヶ月くらいでしょうか。私はマイクを使わないで、カラオケボックスで声も張り裂けんばかりに歌を歌っていました。腹式呼吸とか、考えていません。肺活量だけを頼りに、パワフルな歌声を堪能?しておりました。
 ただし、これが何の役に立っていない、というわけでもない。歌の上手くなる基礎は作れたと思っています。なぜなら高い声がかなり出るようになったからです。

 カラオケ第2期は、「採点を取り入れて意識する」時期でした。
 大手カラオケ機器メーカーのカラオケには、必ず歌を自己採点できるコンテンツがあります。このコンテンツを使い始めたのです。そのために、マイクを入れて、下手な歌をじっくり聞くようになり、必然的に大声を出す必要は無くなりました。
 そこで、高得点を出すために、力を入れたのが、腹から声を出す、・・腹式呼吸で歌うことです。
 腹から息を吐き出しながら歌います。こうすると、大きな声は出ませんが、深くて高い声が簡単に出せるようになりました。キーの高い、「残酷な天使のテーゼ」や「レットイットゴー〜ありのままで〜」の一番高いキーが難なく出せるようになったのもこの頃です。
 また同じくこの頃、歌の道は人生の道と通じている、とはっきり自覚しました。なので、歌が上手くなれば、上手く生きられるようになる(※)、と修行に励み始めました。

 (※)私は究極に生きるのが下手な人なので、絶えず、上手く生きられる方法があればそれを試しているのです。

 
 カラオケ第3期は、「ビブラートを使う」時期でした。
 高い声を張り上げて、ヘビメタみたいになっていても仕方ありません。程よくビブラートを取り入れて、本格的に「上手い歌」を目指し始めました。ボイストレーニングを始めたのもこの頃です。(大手カラオケ機械メーカーの機種には、大抵、ボイストレーニングのコンテンツが付いています)
 ビブラートは、始めは全く使えませんでしたが、腹から声を出して、声帯を響かせることで、徐々に、少しずつ、使えるようになってきました。(まだまだ修行中です)

 第4期は、「停滞期」です。努力の甲斐があり、平均点以上の自己採点を取れるようになった私でしたが、この時期は、平均点を取るのがやっとなほど、下手くそになりました。やっても、やっても、上手くならない。上手いと機械が評価してくれない。もうカラオケはやめよう、とふてくされたのもこの時期です。だいたい時期にして、カラオケを始めて1年半くらいでしょうか。ダイエットも成功して、ある程度高い声や、高い自己採点の点数を出すことができていて、目的が頭打ちになった感があった時期でした。

 何の道でも言えることですが、こういった時期のスランプにより、(何かを学んでいた)その道を離れてしまう方がとても多いように思います。その時期を越えると、明るい未来が見えてくる・・・ とは思うものの、実際のあの「無益な感覚」というのは、筆舌に尽くしがたいものがありますので、何とも言えないところです・・・
 
 問題はこの時期に、「上手くなること」の道を諦めて、ただの「趣味」と割り切って歌うようになってしまうことですかね。歌えば楽しいし、すっきりするし、趣味でも役に立つことは立っていますから、この道から趣味への切り替えは、それが「意識して行われた」ものである場合、魔の道、といっても過言ではないと思います・・・


 続きです。第5期が、私の場合の、今です。点数は前ほどではないですが、だいぶ戻ってくるようになりました。まぁまぁいい点が出る。腹から歌えるようになり、高い声が出るようになり、がなりたてるでもなく、何より、歌うのが楽になった。そうです、楽しいとかすっきりするとかではなくて、歌うのが楽になった、これが一番のよかったことだと思います。まだまだ歌は下手くそですが、歌うのが楽になったのと同様に、生きるのも楽になってきたような気がします。そして、特に楽に歌った曲は、それまで取れなかった高得点が取れるようになったのもこの頃です。


 この1期から5期を、人生に当てはめて考えると、人生の道もわかりやすいかと思います。例えば、何も考えず突っ走っていた10代、人の評価が気になりだした20代、自他共に認められるものができてきた30代、スランプの40代、そして50代で、人生が楽となり・・・・ といった具合に、本当の期間とは違いますが、そんな具合に置き換えてみることはできる。つまり、どう歌うかは、自分が今人生のどんなポジションにいるか、どんな人生の時期を迎えているのかということと、繋がっているように思うのです。
 自分の人生をチェックしたいならば、カラオケボックスでこっそり歌ってみて、どんな風に自分が歌を歌うのか、自己採点してみれば(機械ではなく、本当の意味での自己採点)良いかと思います。


 ちなみに、(某メーカーの)機械での採点ですが、評価のポイントは5つです。
 まず、音程が保てているか、リズムが取れているか、それからロングトーン(長い声)やビブラートが出せるか、そして表現力があるか、最後に安定性を問われます。

 この評価のポイントも、人生の道を重ね合わせて認識するようにしています。

 たとえば、音程がずれていれば、世間とちょっとずれているかな、と反省してみたり。リズムが遅れたら、自分のテンポは周りと合ってないな、と自覚してみたり、ロングトーンやビブラートで、伸び伸びと自分らしさを出せているか、そのことで人を感動させられるかを測ったり、表現力でコミュニケーション力や他人への共感能力の少なさを痛感して・・・
 そして最後に、安定性で人生の道の安定しているのかどうかを知ることができる。


 私は安定性が一番低いのです。次に音程、表現力がダメです。
 なので、もっと空気を読む必要があります。周りに合わせなくてはなりません。
 自分を殺してまで、そうする必要はありませんが、こんな世知辛い世の中です。必要とされる人材となり、ゲリラ戦を生き残っていくためには、自分の役割をより正確に知ることも必要かと思います。知っていれば合わせられますし、反らせることも可能です。だから、そのことを身につけることにより、より良い人生を送ることができるのではないかと考えます。
 美や真実、普遍的な法則や、道徳の規範・・・つまり道と言われること自体を、本当の意味で理解していないから、音程がずれるのだと自覚しているのです。そして、音程がずれるから、安全性が損なわれています。
 音痴は治りませんので、音程は捨てて、ロングトーンやビブラートのみで勝負しようと思って時期もありました。けれど、やはりすべての項目が均等に、バランスよく、上手くなっておかないと、意味がないのかな、と思ったりもします。均等に上手くなった上での、ロングトーンやビブラートであり、他がダメなくせにそれだけ、というのは、なしですよね・・・つらいけど・・


 より良い人生を得るための私のカラオケ修行はまだまだ続きそうです。


 どうでしょう。あなたも歌を歌ってみませんか?
 自分の人生をセルフチェックするため、そして、世知辛い世の中をよりよく生きるためにも、歌は必要だと思います。
 1週間に1回くらいなら、そう負担ではないですよね。


 ・・・と、私はカラオケ屋の回し者ではありません。笑
 人生の道を行く仲間であるあなたに、少しでもより良い人生を感じて頂きたい思いで、今日の拙い文章を書かせていただきました。
 そろそろこの辺で、結びの言葉にさせていただきたいと思います。


 今日も読んでいただき、ありがとうございました。
 ではまた。お元気でお過ごください。よい1日をお過ごしくださいね。