異人館と赤い靴 〜様々な「置き去り事件」とないがしろにされた原因からの脱出〜




最近、なぜ?と思う事件が多い。
一番不思議に感じたのは、北海道七飯町で置き去りにされた少年事件である。親のしつけや対応の是非がさかんに問われているが、そもそもなぜ少年、大和くんが悪さをしたのか、(他人や物に石を投げたという)その理由が殆ど説明されていない。これではしつけが良かったのか悪かったのか判断できかねる。

でも、私は最近めったにテレビを見ないのだった。テレビといえば、「真田丸」、それから金曜日から始まったドラマ、「水族館ガール」しか見ていない。きっと私の見ていないところで、きちんとコメンテーターが説明しているのだろう。
(それでも原因をないがしろにされているという印象は否めないが)


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この、なぜ?に思わぬところからヒントを頂いた。
最近のお気に入りのカフェ、「異人館」と「赤い靴」である。異人館というのは、私がお気に入りの岩手県宮古市のカフェで(ここのパフェが美味しい)、赤い靴というのは、言わずもがな、「赤い靴をはいてた女の子」という古い童謡のことである。(私は異人館に行くたびにこの歌を思い出すのだ)
赤い靴の少女は、親から離れて異国へ旅立った。以下、赤い靴の2番と4番を書き出してみる。

横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった

赤い靴 見るたび 考える(思い出す)
異人さんに 逢うたび 考える(思い出す)


異人館にいると、失われた少女にまるで逢えるような思いがする。


貧しさゆえに、異人さんと旅立ってしまった少女。本当は、旅立つ前に、東京の孤児院で、結核に冒されて死んでしまった少女。
で、この赤い靴に、幻の5番の歌詞があるという。

生まれた 日本が 恋しくば
青い海眺めて いるんだろう
異人さんに たのんで 帰って来(こ)


時代が変われど、幼いもの、弱いものが犠牲にされる実態は変わらないのではないか、とふと思ったのである。ああ、そうだったのか。時代が変われど、この国の貧しさがあらゆる不幸を生むものなのだなぁ、と。それにしても、異人さんに頼んでも、二度と帰って来られぬというのに、美しい歌にしたとは(知らなかったとはいえ)、なんとも無知とは幸いである。

「異国」へ行く覚悟をした少女。そして、大和くんは、初めこそは親の車を追いかけ、泣きすがったが、次には勇気を出して(生き残るために)親が去った方向とは逆方向の道に進んでいくのである。



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異人館はリアス式海岸中腹の断崖絶壁の上に立つ。カフェの店内にはその異人館が佇む様の美しい写真が飾られている。客たちが想いのたけを残していくノートには、カフェの窓やテラスから見る海の美しさ、そして、その海を見ながら、家族や恋人達と過ごした愛しい時間について、繰り返し記されている。

2011年、東日本大震災によって1階の(柱を除いて)店舗を失い、4月に閉店を余儀なくされたが、3年後の2014年に営業を再開した。

残念ながら、思い出の数々をはらんだ海際の絶景は、間も無く見納めになってしまうそうだが。(防潮堤の工事中である)




異人館で演奏中の中村さん。木田流津軽三味線で海に向かって吠える。







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異人館に行く前に、自転車で日本を一周しているという青年、清宮さんと出会った。美しいブログの写真に感嘆。日本には美しい場所がまだまだたくさんあると自信が湧いた。






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それから滝沢村のチャグチャグ馬コ。農作業の馬がこの日ばかりはきらびやかな装束をまとい、滝沢村鬼越蒼前神社から盛岡八幡宮までの道を華々しくパレードするという行事を見た。
かつて馬は人間と一緒に暮らしていた。同じ住居に住むことができるように、南部地方の農家は「曲り家」という構造になっており、馬の様子をいつでも見守れるように作られていたのだという。

だが、残念ながら、最近では農作業の機械化が進み、また住宅の事情から馬を飼える農家が少なくなっているそうだ。







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すべて貧しさゆえだった。とは言わないが、赤い靴の少女を手放した後、北海道の開拓地に向かった母親は結局開拓にも失敗した。

七飯市の両親がもしもっともっと青年と一緒にいる時間を作れたならば(労働と引き換えにせずに作れたならば)、少年のヒールが目覚めていたかどうかはわからない。

日本がもし、高度経済成長期やバブル期の勢いを失っていなかったならば、自然界からの「しつけ」はあったかなかったかわからない。


「水族館ガール」の女主人公は、濡れ衣を着せられて、本社が潰そうと目論んでいる経営不振の水族館に出向を命じられる。すべて貧しさゆえだったとは言わないが、そう私はテレビをそれくらいしか見ないので、世間を知らないのであるから。

それでも、その八方塞がりの中で、女主人公が叫ぶセリフが印象的だった。絶対、水族館をつぶさせやしない。私にはここしか居場所がないのだから。
「私がこの水族館を世界一の水族館にする」
のだと。

ルネッサンス。水族館のスター的なイルカのC1(シーワン)は彼女と「遊ぶために」、6年前に封印した必殺技、シーワンジャンプを華麗に復活させる。

(必殺技を一発で成功させる新人調教師ってどうよ?と毒づきながら、希望を感じさせるラストに心が温まった)

シーワンジャンプが水族館を救うか?
遊ぶためだけの、ルネッサンス。
案外答えは、そんなものなのかもしれない。




そして、話は異人館に戻る。






美味しいケーキセットをいただく。海を眺める。日に日に、私たちを守るための防潮堤は完成されていくけれども。それでも、もし逆行の道を歩き始めて、疲れた時は、立ち寄ってみるといいだろう。ここは失われた時間と、愛しい人たちと過ごした大切な記憶の象徴としてあり続ける。




(絵だけ差し込んだ、生前の宮沢賢治の唯一の本を出版した光原社さん。こちらはまたの機会に是非ご紹介したい)







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