鉄道に乗って東北へ出かけよう! その④ ~青森のカッパドキアとブナのパワースポット~
「F子さんはカッパドキアに行かれたことがあるんですか」
私と並んで後部座席に座っていたK氏が真面目な顔をして訊ねた。これから見に行く日本キャニオンのことを「青森のカッパドキア」といったF子さんの言葉に引っかかったようだ。
K氏の海外旅行の話に当てられたばかりだったので、私は一瞬眉をひそめた。彼は行ったことがあるのだろうと思ったのである。後で聞いたところによると、K氏はなく、彼の娘さんが旅行に行って、写真を見せてもらったのだそうだ。詳しく話も聞いたのだろう。が、この時は、まるで、カッパドキアを本当に知っているのか、とねじ込んでいるように感じられた。
「ありません!」
F子さんは元気に答えた。意外にも恥じ入る様子もない。彼女の論理はこうだ。先日、トルコ旅行に行ってカッパドキアを見た若者たちをガイドした。彼らを日本キャニオンに連れて行くと、その景勝地を見て、言うのだそうだ。ここは、カッパドキアに似ている。私はカッパドキアを知らないが、実物を見ている人が言うのだから信用した。
「本物を見た人が言うんだから、本当に似ているんでしょうね。」と私。
「そうでしょう~! そう思うわよね。」と間髪入れずにF子さん。日本キャニオンに向かう道の先を見つめながら、楽しそうにけらけら笑っている。
K氏もそれなら、と興味が湧いたようだった。日本キャニオンもグランドキャニオンもカッパドキアも知らない私も、それで、救われる思いがした。ここでF子さんが、そりゃ実物には当然劣るだろうけれど・・ などと事実を口にしていたら、よけい惨めになるところだった。
今青森にいる3人で、初めての青森のカッパドキアを見に行く。本物に似ているのだか、まったく違うのだかわからないけれど、なんだかワクワクして楽しい。そういう気持ちで一致して、F子さんの後を付いて行くのであった。
日本キャニオン 侵食崩壊によって凝灰岩の白い岩肌がむき出しになった断崖 |
白い岩肌が続く 米国のグランドキャニオンに似ていることから命名された |
すぐ真下まで行って記念撮影 |
少し離れて見たところ |
カッパドキア、いや、日本キャニオンで初めて、私たちは並んで写真を撮った。K氏とF子さんを私が撮り、私とF子さんをK氏が撮り、K氏と私をF子さんが撮った。
距離が一気に縮まったようだ。
「忘れないように。」
写真を撮って欲しいと頼む前に、K氏はやはり真面目な、無表情な顔をしていうのだった。
K氏が社長の物腰か風貌か、いまだにわからない私だったが、不思議に感じられたのは、氏が自意識の見えない人だということだった。海外旅行の写真を見せてくれた時でさえ、自己顕示欲や驕りは微塵も感じられなかった。事実を淡々と語っているだけのようであった。
忘れないように。という言葉をどういう思いで言っているのか、だから見えなかったが、それでも、K氏がスペインやカサブランカやあの豪華客船の家族旅行と同じように、私たちの青森旅行を忘れ難く思ってくれているということだけはわかった。
水先案内人のF子さんは、今度はブナの巨木へと導いていく。透き通った水の流れる森の奥へと進んでいった。
去年彼女に案内してもらった時も樹齢400年のブナを見せてもらったが、今度はその木ではないそうだ。最近観光客の人たちにも案内していいことになった貴重なブナを見せてくれるという。
F子さんは鈴のついた愛用の杖を森の斜面に突き刺した。
「私はここに杖を置いていくから。」
彼女は森の木々の草花や実を私に教えてくれる時に、いつもその杖を使った。教師のように、森の宝物を指し示して、語り聞かせてくれるのだった。また、険しい道を行く時には、葉や草や時には蜘蛛の巣をかき分けるために、それを使った。案内人の彼女になくてはならない手足のようなものであるのに、その杖を置いていくと宣言したのだった。
「え、いいんですか」と思わず聞いた。なぜ、置いていくのか、と聞いたほうが今思うと適当なのだが、なぜか申し訳ないような思いがしたのだった。私たちのために杖を置いていくのだ、一瞬で察した。
「うん、いいの。」
彼女はまたはっきり言って頷いた。そして、K氏の手荷物(例のビニール袋)を彼の腰のベルトにくくり付けさせた。
「何かあったら自己責任だよ! 自分の身は自分で守る! 足元しっかり見てね」
途中何度もそう掛け声をかけながら、それでも私たちに手を付く場所、足を置く場所を一つずつ教えてくれながら、彼女は鎖場の険しい山道を登り始めるのだった。
F子さんを先頭にして、K氏、そして私と続いた。それまで私に道を譲って、しんがりを歩いていたK氏はここで初めてF子さんと私のあいだを行く。私たちはちょうど10歳ずつ年が離れているのだった。一番年配の氏を守るように、私たちは進んでいった。
「なんだか荷物が落ちそうだなぁ」
K氏は急勾配の山道に足を滑らせることよりも、そんな呑気な(と私には思えた)心配事をつぶやいている。
「大丈夫、後ろから見てますから」と私。
「なんか(私たち)いいコンビだね~」とF子さんの楽しそうな声。
10分か15分程だろうか、山道を歩き続けると、不意に斜面の平地に出て、その奥には縄で囲まれた巨大なブナが立っていた。
「あれです!」
樹齢400年のブナ 三股の枝の根元に神が降り立つ(仏の台座)と言われている |
樹木のパワーを授かるK氏 |
後ろから見たところ |
森を通って車まで戻っていく |
台風で水の通り道が変わったという。 |
K氏と私は息を漏らした。これはすごいなぁ、と氏はつぶやいて、さっそく写真を撮り始める。カメラを構えたのは私より早かった。写真を撮り終わるが早いか、氏はパワーをもらっていくと言って、ブナに手を伸ばし、目を瞑った。それから今度は後ろに回って、幹を観察し始めた。
私はと言えば、今年初めてのブナだった。森にはいろいろ出かけたが、ブナはあっただろうか、覚えていない。ブナを撮るために山に入っていないのだった。ちゃんと撮るのも、会うのも初めてだ。
巨木のブナは東北の木にしては無骨に短く、代わりに幹が太かった。F子さんの話では、日当たりがいいから、上に伸びる必要がなかったせいだという。三股に枝を広げて、神が降り立つ場所と言われている仏の台座を持っていた。
ブナは陽を浴びて青い葉を輝かせていた。素晴らしかった。残念ながら紅葉はかなわなかったが、それでもなんと神々しく、美しい姿だろうか。
私は広角のレンズで何枚も撮った。年賀状の写真にしたくて、木の傍でポーズを取り、F子さんに頼んで一眼レフで撮ってもらった。
最後に、足元のブナの落ち葉を拾って、F子さんは私とK氏に与えてくれた。
「はい。お土産です。こんなものですみませんが」
まだらに染まった1枚を器用に選んで、少し照れくさそうに、渡してくれるのだった。
帰りの下りは、登りよりももっと大変だった。K氏は山登りの経験がないらしく、何度も滑り転びそうになる。その度にF子さんは、自己責任! の掛け声と、手を付く場所、足を置く場所を交互に叫ばなければならなかった。
「まさかこんな道を歩かされるとは思わなかったでしょう」
後で謝りながらF子さんは言ったものだ。
「普通は連れてこないのだけれど」
ガイドという仕事をしていて、もしも案内したひとりに何かがあったらどうなることだろう。万が一怪我などさせたら、どんなに困ることだろうか。もっといくらでも無難に済ませる方法はあっただろうに、それでもここに私たちを案内してくれたF子さん。あのブナを私たちに見せてくれた彼女に、頭が下がる思いがした。ありがたかった。
11月3日、彼女が白神の森で一番美しい紅葉と出会った年のある1日、来年のその1日に私たちは再会を約束した。半分冗談で、半分本気で。
「よほど何かない限り行きますよ」とK氏はポーカーフェイスで言う。
「ガイド予約しておかなくちゃ」
「ははは」
F子さんは満更でもなく、嬉しそうなのだった。
ブナの森を無事に抜けると、リゾートしらかみの電車の時間はあと10分に迫っていた。私は一瞬ぎょっとして、「間に合いますかね」と心配そうに漏らしたが、さすが肌で知り、叩き込んだことはあるのだった。車などお手の物だった。
「大丈夫よ近いから」
そう言う通り、十二湖駅には十分な余裕を持って着いてしまった。
十二湖駅に到着するリゾートしらかみの「青池」 |
お別れの時が来た。ツアーはお開きだった。F子さんは十二湖駅前でK氏と私を下ろして、白神の森へと戻っていった。
別れ際に、彼女は言った。私の手を両手で握り締めながら。
「青池、青くなくてごめんね」
どきりとした。最後の最後に、まるで白状するように謝られて、私は青池を案内してくれた時の彼女の一連の言動を思い出さずにいられなかった。
F子さんはやはり下見をしてくれていたのかもしれない。その日の池が青くないことを知っていたのかもしれなかった。あるいは季節の陽光のために、青池はいつものように青く映らなくて、ガイドしづらい日々が続いていたのかもしれなかった。
どうしてもっと、彼女を気遣わせないような行動を取れなかったのだろう。決して、青くないと口に出さなかったと思う。けれど、あんなに険しい表情をすることはなかった。
「いいんですよ。いいですよ。私が下手だから・・」
慌てながら、訳もわからずつぶやいて、熱いものがこみ上げてくるのだった。
リゾートしらかみが十二湖駅に滑り込んでくる。待ちわびていた人達が歓声を上げる。
ドアが閉まってから振り向くと、ホームには、K氏が直立不動で佇んで、私を見送ってくれていた。
(その⑤に続きます)
※今夜か明日朝に続きます。次は田舎館村の田んぼアートを見に来ますよ~^^
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