功徳としての写真。 ~私の小さな旅がくれたもの~



 ここ1週間くらい、死について考えていた。
 取引先の締め日の都合もあって、仕事が立て込んでいたのである。集中力を持続させて、やってもやっても終わらない仕事を抱えて、次第に思考力が鈍ってきた。
 頭の奥がぎゅっと締めつけられたように感じられるのである。
 前の会社とその前の会社を辞める決意をした時と同じ症状だった。
 仕事量が限界を超えたときに、この思考力の低下を感じて、リタイアした。
 畏れているのは、くも膜下出血である。祖母と母が同じ病で倒れている。親族がくも膜下出血に侵された場合、大抵自分もかかる確率が多いと聞く。 
 そして、私は、一定の時間に集中して仕事をこなし、あとは緊張を緩めての、そのペースを作ることで効率よく仕事をするたちで、まるでずっと集中しっぱなしだと、てんでだめなのである。
 思うように仕事ができないいら立ちと、くも膜下出血への恐れが、私を追い詰めていた。
 脳を休めるには睡眠が効果があるようだ。(母もくも膜下出血にかかる前、寝てばかりいた)私は睡眠時間を増やすように努めたが、それでも頭の芯が硬直したような状態は変わらなかった。
 ふっと倒れて死んじゃったりして、と半ば冗談として、半ば本気で考えながら、たとえ死んでも悔いはないな、と考えていた。
 ただし、もしも私が死んだら。

 一瞬たりとも、一人ではいられない、さみしがり屋の友達が哀しむだろうな、と感じていた。


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 秋が訪れた。
 すっかり寒く感じられた中秋の名月の夜、彼岸花が綺麗に咲いているという情報を聞きつけて、いてもたってもいられなくなった。
 雨上がりの土曜日、私はいつものようにカメラと三脚を抱えて、北鎌倉へと向かっていく。
 向かうは、萩の綺麗な海蔵寺と、同じく萩とそして彼岸花が群生する浄光明寺である。
 朝一番で出かけたかったのに、やはり頭痛で起きれなかった。おかげで、休日だというのに、またしても時間に追われている、というより化け物に追いかけられているような焦燥感。
 焦りと不安で追い詰められながら、必死に乗り越える道を模索する。
 この壁を超えないと、次にいけない。
 今までの仕事の仕方を変えること、山登りで言えば、速筋を使わずに持久力のある遅筋を使うように、長時間の労働に耐えられるように改造すること。
 時間を浪費しないこと。体力を失わないように、食べるものにより注意を払うこと。
 去年、萩に魅せられて、海蔵寺に通ったが、結果は散々だった。
 私は、現在見返したくもないへたくそな萩寺の写真を(なぜか全部の写真で寺が切れている)大量に写しただけだった。
 彼岸花と、そして萩寺のリベンジだ。とりあえずは、追われていても、落ち着くこと。

目映く微笑んで IMG_8152のコピー 

 今年は少しは上達した。去年の失敗の教訓もある。
 そう思って安心したものの、さて、海蔵寺にたどり着いて、写してみれば、やはり萩寺とはならないのだった。
 今年の暑いせいか、花の時期にはもう遅かったせいか、日向の萩は花がなく、蔦のような葉ばかりである。日陰に咲いている満開の萩は、陰となって、絵に映らない。絞りや露出補正を変えても、萩寺というよりは緑の豊かな早春のお寺、といった具合。絵にも何にもなりゃしない。
 がっかりした私は、寺の全景を諦めて、萩の花を切り取ることにした。
 私のレンズ(Canon EF70-200mm F2.8L IS USM)は花を引き寄せて撮ると、とても美しい暈け味を作る。開放にすると、最短焦点距離が長いので、ピントは合わせづらくなるが、美しさがますます際立つ。
 マクロレンズには及ばないかもしれないが、この望遠ならではの暈けを最近私はとても気に入っていて、光と組み合わせると、いっそう豊かなイメージを作れることにも気が付いた。
 で、広角(標準ズームレンズ)での萩寺撮りをしくじった私は、このイメージを追い求める写真に没頭し始めたのである。
 見たままに撮れないならば、イメージの切り取りで勝負だ。

羽を広げて IMG_8112のコピー

 全景が撮れない場所や被写体でよく使う手なのだが、それもお気に入りのレンズにとても適っていた。マクロレンズほど「でかくなりすぎない」。(私はでかい絵の写真が嫌いだ)ほどよく、小さな萩の花を、妖しい彼岸花を、見せてくれるのだった。
 海蔵寺と浄光明寺では着いた途端にまず、お祈り、―今回、後者では貴重な木造阿弥陀如来及両脇侍坐像(阿弥陀如来・観世音菩薩・勢至菩薩)も拝観で来て大満足であった― 祈りが済んだら、写真、写真、写真・・・機が付くと4時間ほど、お昼もとらずに撮っていた。

 で、それが済んだら、まだまだお昼は食べられないのだ。前々日から痛み出した歯をどうにかしないとと、土曜でもやっている歯医者を探す。運よく見つけたものの、麻酔をかけて治すと聞いて、待ち時間に抜け出して、やっとお昼のパンをかじる。それが、午後の5時―
 ああ、今日も忙しかった。
 すべてを終えて6時過ぎに帰宅すれば、ふと気が付くと、頭痛も不安も消えていた。
 写真に夢中になっている間に、ここ一週間の苦しみとオサラバできたのか、それとももしかしたら、寺の如来様や菩薩様の功徳なのか。

 キツネにつままれたような気持で、私は今日撮った写真を見返している。


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 阿弥陀如来様
 観世音菩薩様
 勢至菩薩様


 こんな至らない私が、人並みに過ごしていくことができるのは、すべてあなた様のお慈悲のおかげです。

 どうか、私が、道を迷わずに、あなた様のもとへ辿りつけますよう、お導きください。

 そして、私の愛する人々が、健康で、元気で、笑顔で、ずっと過ごせますように。

 彼らのことをお守りになってください。
 ありがとうございます。